将来とうつ?について

相談者名
N
最近うつ状態です。
ですが、ずっと鬱状態かといわれたらそうではなく波がある感じです。
調子が良い時は散歩したりゲームしたりと普段通り過ごせます。

鬱状態に陥ると「邪魔だからさっさと消えろ。死ね。」などと自分を責めてます。
大体1、2時間ぐらいです。
酷い時は自殺の方法や遺書を残してからさっさと逝ってしまおう。と考えて実行の準備を始めたりします。
正直言いますと今月一杯まで生きているか分からないです。
死ぬ場所日時も大体決めています。

このような考えになったのは仕事だと思います。
私は仕事が同僚に比べて出来ておらず、これから先新入社員などが入社すれば私の無能さがバレるなどと不安になります。
部署にも迷惑をかけて職場に行っています。
毎日通勤する時は心の中で泣き叫びながら行っています。

将来についてなのですが、私は軽度のASDを持っており主治医からは職場を変えようとと言われました。
その通りにした方が良いでしょうか。
しかし、頑張ればまだ続けれると思います。
自分の気持ちが交互するため自分でも分からないです。
回答お願いします。

カウンセラー
近藤あきとし
Nさん はじめまして。
今回担当させていただく、心理カウンセラーの近藤あきとしと申します。
どうぞよろしくお願いいたします。

メールを読ませていただきました。
文面から察するにかなりつらい状況のようですね。
毎日つらい気持ちを抱えながらも、やるべきことを全うする意思は諦めずにいるということは、きっと責任感が強くて、周りへの気遣いもできる方なのだろうと思います。
そんな誠実さと優しさも感じられました。

少しでも楽になれるように精一杯の返信をさせていただきますね。
 

> 最近うつ状態です。
> ですが、ずっと鬱状態かといわれたらそうではなく波がある感じです。
> 調子が良い時は散歩したりゲームしたりと普段通り過ごせます。

ずっと鬱状態というわけでなく、調子の良い時もあるのだとしたら、鬱の時がしんどいのはもちろんですが、良い時の波の頂点から調子が落ちていくときの落差も苦しさにつながっているのかもしれないですね。

せっかく最近良くなってたのに、とか、また落ちてしまった、とか。
そこで自己嫌悪が出てきてしまうこともありそうです。
 

> 鬱状態に陥ると「邪魔だからさっさと消えろ。死ね。」などと自分を責めてます。
> 大体1、2時間ぐらいです。

邪魔者が目の前にいると、当たり前ですけど誰でも嫌な気持ちになります。
それなのに自分自身が一番の邪魔者に感じられてしまったら、それは言葉に現せないくらいしんどいですね。
居たたまれない気持ちが「こんな自分は、はやく目の前から消えてくれ」という思いになって酷い自己攻撃になってしまうのかもしれませんね。

自分を責めている時は本当につらいです。
Nさんは自分がどうしようもない人間のように感じられてしまって、その思いが湧いてくるたびに自分を叩いて叩いて、自分自身を罰してきたのでしょうか。
私にはメールの文面から「生きていて申し訳ない」そんなメッセージが伝わってくるように感じられました。
 

> 酷い時は自殺の方法や遺書を残してからさっさと逝ってしまおう。と考えて実行の準備を始めたりします。
> 正直言いますと今月一杯まで生きているか分からないです。
> 死ぬ場所日時も大体決めています。

自らを消してしまいたいくらい自己嫌悪があるとしたら、そこにはまるで自分を生きていてはいけない存在、許されないくらい罪深い存在のように感じるNさんがいるからなのかもしれません。

でも、本当に死んでしまいたいのかと言うと、そうではない気がするんです。
私たちが死へのイメージを持つ時、それは「もう一度生まれ直したい、生まれ変わりたい」くらいの体験を求める気持ちがそう感じさせると考えられるからです。

ひょっとするとNさんの心の底では、今までの生き方では得られなかった何かがあって、今度はその本当に欲しかった「本物」で心を満たしたい、あるいは自分が「本物」になって人生を充実させてたい、そんな喜びの中で生きていきたいという願いを感じているからなのかもしれません。

でも、今のままではそれは手に入ることはないと感じると絶望しかなくなります。
目の前に何の光も見えない時、人は死を見てしまうのだと思います。
Nさんの訴えている苦しみの中からは、今までとは違う方向への生き方の変わり目が来ていることを表しているように私には受けとれますよ。

また私たちは自分を責め過ぎていると、今度は感情を抑え込もうするんです。
自己嫌悪ばかりだとさすがにつらくなってくるので、心に上から無理やり蓋をしてこれ以上感じないように抑え込むことで、つらい気持ちを無かったことにしたくなるからです。

するとだんだん心が麻痺して無感覚になったり、疲れきってしまってやる気が無くなって、最後には何も感じられなくなっていきます。
喜びや楽しさ、情熱や幸せを感じられる心もどんどん小さくなってしまうので、生きる気力もどんどん小さくなってしまうんです。
こうしてあらゆる感情が感じられなくなって人は鬱になっていくようです。

この時の『感情を抑え込む蓋』になるのが『怒り』だと言われています。
さらに鬱になるほど感情を抑えている時には、この『怒り』すらも心の奥に抑圧されて自覚できない状態になっていることも多いんですね。

おそらく今のNさんの心も、たくさん溜め込んだ怒りという蓋が感情を抑え込んでいるものの、普段はその怒りも心の奥に沈んでいることでゲームや散歩ができるのでしょう。
それが調子の波によって心の表面に浮上してくると、自分に怒りが向かって自己攻撃になってしまう、ということなのかもしれません。

そして自覚がないとは言え、喜びや情熱などの生きる気力になる感情のエネルギーが抑え込まれているので、生きるとは反対の方向へ行くしかないように感じられてしまうのだと思われます。

だとしたら、Nさんが今の状態から抜け出すためには怒りを解放していくアプローチが大切になりそうです。

もし分かるとしたら、どんな自分への怒りがありそうですか?もしかしたら周りへの怒りもあるかもしれません。
Nさんはどんな自分が邪魔者に感じるくらい嫌なのでしょうね。
何に対して、どんな、いつから抱えてきた怒りがあるのか?まずはそこから見つめ直してみてはどうかと思います。
 

> このような考えになったのは仕事だと思います。
> 私は仕事が同僚に比べて出来ておらず、これから先新入社員などが入社すれば私の無能さがバレるなどと不安になります。
> 部署にも迷惑をかけて職場に行っています。
> 毎日通勤する時は心の中で泣き叫びながら行っています。

もうずいぶん前からNさんの心はいっぱいいっぱいだったようですね。
そしてすごく自分に対して厳しい目で評価しているようです。

私たちの自己嫌悪・自己否定というのは常に誰かとの比較(あるいは理想の自分との比較)によって生じることがほとんどなんですね。
周りと比べてできない自分、劣っている自分を感じてしまうと(実際にそうかどうかは別として)、おそらく自分に厳しい度合だけ、「ダメだと感じる自分」を周りに知られたくない気持ちになると思うんです。

となると常に周りを気にしないといけませんし、毎日が不安と緊張感でいっぱいになってしまうはずです。
そんな張り詰めた状態で過ごしていたとしたら、どこかでそれがプツンと切れて無気力になってしまってもおかしくはないですよ。

また「自分を知られたくない」気持ちが強くなればなるほど、内面で感じていること、悩んでいること苦しんでいることも、誰かに知ってもらうことや分かち合うことも怖くなってしまうと思うんです。
その分だけ孤立した感覚になるでしょうから、Nさんはいつも一人で悩みを抱えて苦しんできたのかなと想像してしまいます。

自分はダメ、無能だという感覚が強くあって、その悩みを一人で抱えている時、私たちはその自分が真実なのだと思ってしまうんです。
なおさら誰にも苦しみを打ち明けられなくなって、ネガティブな感情ばかりに飲み込まれてしまうんですね。

すると懸念されるのは、Nさんが周りからポジティブな評価をされていても、まったく気づくことが出来なくなってしまうということです。
また誰かが見てくれている価値だけでなく、Nさんがこれまでに積み上げてきた信用や貢献してきた価値にも目がいかなくなってしまうんですよね。

そして常にダメな自分が周りにばれたくない恐れと緊張状態が繰り返されてしまう・・・

ここまでの考え方を踏まえて私が提案したいのは、そうではない別の方向性からの見方です。

どういうことかと言うと、もっと自分にあたたかい眼差しを向けられて、周りから評価されていることも、そして自分自身の価値も受けとれるような方向性です。

私たちの心には『投影』と言って、自分の感情や思いを、周りも同じように感じているはずだと思ってしまう性質があります。
常に周りと自分を比較して、自分へ向けた眼差しが厳しい度合だけ、「周りもきっとそういう目で自分を見ているに決まっている」と思い込んでしまうんです。

逆に言えば、Nさんが自分へのあたたかい眼差しを向けられた分だけ、周りも同じようにあたたかい目で見てくれていると感じられるわけです。
さらに自分に優しくできた分だけ、周りにも自然に優しくできる自分になれていて、いつの間にか周りからの見方が本当に変わっていることに気づいたりするものなんです。

この辺りはカウンセリングでも非常に多用される方法論ですから、もし良かったら私たちカウンセラーを頼ってみてください。
 

> 将来についてなのですが、私は軽度のASDを持っており主治医からは職場を変えようとと言われました。
> その通りにした方が良いでしょうか。
> しかし、頑張ればまだ続けれると思います。
> 自分の気持ちが交互するため自分でも分からないです。

私は心理カウンセラーなので発達障害に関してのアドバイスはできかねますので、先ずは主治医のご意見をNさんがどう受け入れるかを尊重したいと思います。
その上で、私の感じることをお話させていただきますね。

ひょっとしたら、Nさんは「しなければならないこと」に随分前から縛られてはいなかったかな?ということです。
メールから読み取れるのは、みんなの役に立ちたい、その為に頑張りたい。
人を助けたい、人の喜びになりたい。そんなNさんの強い想いなんですよね。

それがいつの間にか、「こうあらねばならない」とか「こうしなければならない」など、自分を縛るものになってはいなかったでしょうか?
こういったことは頭脳が明晰で、周りの為にという想いが強い人ほど陥りがちで、つい自己攻撃の道具にしてしまうんです。

でも、私たちは今できることしかできないんですよね。

そこでNさんに提案があります。
それは「ねばならない」を手放して、「やりたい」「これが好き」を取り戻してみませんか?ということです。
もし何の制限もなく自由にして良いとしたら、何がやりたいでしょうか?
どんな好きなことをしてみたいでしょうか?

そこにはNさん本来の遊び心やユニークさ、楽しむ心が眠っているはずです。
子供の頃は遊ぶこと楽しむことに悩んだりしなかったはずですよね。
子供はただ遊びたいから遊ぶし、楽しいからやるだけですよね。
なぜかと言うと、子供の心には楽しむことへのクリエイティビティ(創造性)が溢れているからなんです。

先ほど、怒りと言う蓋が感情を封印してしまうというお話をしました。
この封印された感情を呼び覚ますには、楽しさを取り戻すことが最も大事なのです。

そんな楽しむ心を取り戻すことが、好きなことに夢中で没頭する情熱を蘇らせてくれます。
それは本来のNさんらしい魅力をもう一度輝かせることに繋がりますからね。
もしNさんが好きなことへの情熱と魅力をいっぱいに表現していたとしたら、周りの人たちはどんな風に見てくれているか想像してもらえますか?
 

もしかしたら、今はまだ私の提案に手をつける気にもなれないかもしれません。
惨めで、暗澹たる気持ちのままかもしれませんが、それはNさんにとって屈辱や恥ではないはずだと私は感じています。
なぜなら、今感じている感情はNさんが「本物」を手に入れる為、あるいは「本物」になる為に通過する心の風景だと思うからです。
今はそのプロセスにいるからと思うからなんです。

おそらくこの先の未来で立ち直ったNさんの前に、かつての自分を思わせるような痛みを抱えた誰かが現れた時、きっとその誰かの苦しみを受け入れ、悲しみに寄り添ってあげられる人にNさんはなれるはずですよ。
そうなれることを信じていますし心から応援しています。

Nさんの人生が喜びで満たされる日が来ることを祈っています。
今回はありがとうございました。

この記事を書いたカウンセラー

About Author

超自立男性との恋愛・コミュニケーションに関わるお悩み・慢性的な生きづらさの解消などを得意とする。 理論的な“心理分析”と、感覚を使った“心理セラピー”を活用する多面的なサポートが好評。 問題の裏に隠れた「真実の物語」を読み解き「自分の本質を生きる」ことを目指すカウンセリングを提供している。