自分らしく生きるための自己愛レッスン(3) 〜自分のコンプレックスを受け容れる〜

自分のコンプレックスを受け容れる

私たちが自分を受容できない理由の一つにコンプレックスがあります。コンプレックスは、自分が変えられないと思っている「自分」を嫌悪する気持ちで、多くの場合、その正体はセクシャリティです。「恥ずかしさ」を軽く受け止めることができるようになるといいですね。

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○コンプレックスは、自己嫌悪の投影

自分を受け容れられない理由の大きなものに、コンプレックス、いわゆる劣等感があります。

コンプレックスには、いろいろなものがあります。

まずは、背が高い、低い、鼻が高いとか低いとか、女性ならば胸が大きいとか小さいとか、美人だとかブスだとか、身体的な特徴がコンプレックスになることが多いです。

あるいは、頭がいいとか悪いとか、運動神経がいいとか悪いとか、オンチであるとか声が美しいとか、そんな天性の素質を比べて優越感や劣等感を抱えます。

また、お金があるとか無いとか、家柄がどうだとか、住んでいる場所、出身校や職業で比べてみたり、年齢や性別で劣等感を抱えるなど、ありとあらゆる事柄を捉えて、私たちは、自分をいいとか悪いとかのレッテル貼りをしたがります。

この評価基軸のすべてにおいて、絶対的な意味があるわけではありません。ただ、本人的には、ものすごく大きな問題なのです。身体的な特徴も、性格や資質、生まれ育ちなどは自分の努力ではあまり変えられないので、それが「嫌い」だと、ずっと自分を受け容れられないので絶望的な気持ちなります。

ところが、本当の問題は、外見にあるわけでも、ご本人の天性の素質や社会的な属性にあるわけでもありません。背が高いから、あるいは低いから自分が「嫌い」なのではなくて、もともと自分を「嫌う」気持ちがあって、その「嫌う」気持ちの矛先が、あまり努力では変えられそうにない、背の高さや低さにに向かうのです。

どうやら、私たちの中には、どうやらそれほど激しく自分を「嫌う」気持ちがあって、それは、ちょっとやそっとの努力では変えられそうにないぞ、と思っているらしいのです。

 

○自己嫌悪の正体はセクシャリティ?

では、そんな努力ではどうにもならないような嫌いな「自分」の正体って、いったいどういうものなのでしょうか。

その一番手は、セクシャルエネルギーではないかと思われます。赤ちゃんは、自分の体にコンプレックスを持ちません。ハイハイが遅いから自分はダメだ、と落ち込む赤ちゃんもいません。おうちがお金持ちではないから、ミルクを飲むのを遠慮します、そんな赤ちゃんもいません。その頃は、私たちは、外側に映し出して落ち込む嫌悪感が無かったのです。

自己嫌悪という自我意識が発達するのは思春期からだと言われています。身体が変容するので、どうしても自分の身体に意識が向かいます。同時に、セクシャルエネルギーが内側から上がってくるのを感じますが、それは、特に異性の親に対して感じてはいけないとタブーが働きますから、感じないように、接しないように、なるべく距離をとるようになります。

思春期の私たちにとって、この人間関係に影響するほどのセクシャルエネルギーは、ちょっと扱いづらい不都合なものなので、その気持ち悪さを外側の世界に投影しては、それを嫌い、距離をとる、もしくは攻撃することでバランスを取ろうとするのです。

コンプレックスが強いということは、自我意識を刺激するセクシャルエネルギーが強く、それを抑え込むのに大きなエネルギーを必要としている、ということかもしれません。

 

○「恥ずかしさ」をどう受け容れるか

恥ずかしがり屋さんは、ご自分のセクシャルエネルギーの大きさをちょっと怖いと感じているのです。

コンプレックスの解消は、それを笑い飛ばすのに限る、と思います。深刻になるよりも、軽く、軽く扱う方が、ご自分のセクシャルエネルギーを受け入れやすいです。めちゃ気持ち悪くなっている、あるいは恥ずかしくて仕方がない自分を、「かわいい〜」とからかうくらいでちょうどいいのです。この視点は、一人では持ちにくいものなので、自分を応援してくれる誰かに共感してもらいながら、「そんな自分もいるね。かわいいよね」と一緒に受け容れてもらえるといいですね。

その上で、大人どうしの対等な関係性の素晴らしさに触れるチャンスを見つけられるといいと思います。セクシャルエネルギーは、お互いを引き付け合う魅力のエネルギーです。それを楽しんでいるカップルを探してみましょう。

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