バンジージャンプに込めたもの

「いつかバンジージャンプを飛んでみたい」と思っていました。
そして、その「いつか飛びたい」を「今飛ぶ!」にした日の話です。

舞台は、日本一の高さ100mからダイブする竜神大吊橋(茨城県常陸太田市)。

◆私がバンジーを飛んだ理由

カウンセラーになって10年の節目で少し長めの休暇がとれた時、「何がしたい?」と自分に聞いてみました。
すると、一番に先に出てきたのがバンジージャンプでした。
ずいぶん昔から「いつかはバンジーを」と思っていたのです。

ちょうどこの頃、自分を更新したくて、「何か思いきったことをしよう」「冒険しよう」と考えていました。
そして、「今までの自分を一度手放して、リスタート(再始動)したい」気持ちが、自分の想像を超える体験を求めていました。
バンジージャンプは最適のチャレンジだったのです。

そこで、親しい人たちが集まる場所で何度か「バンジージャンプを飛ぼうと思っている」と話してみました。
すると「私も!」という仲間が見つかり、すぐに予約が取れて、あっさりその日を迎えました。
覚悟を決めて動くと、意外に簡単に願いは叶うのです。

◆「こわくない」と言ったらウソになるけれど

バンジーを飛んだ話をすると、「こわくないの?」と聞かれます。
正直に言います。こわかったです。100mの高さで飛び降りるのですから。

でも、こわかったのはほんの一瞬で、飛んだ後は爽快感と達成感で満たされていました。
言葉にあらわすならば、脱皮。もしくは、厄落とし。古い自分やしがらみ、過去の荷物を全部手放して、最後に命だけが残る感覚。
自分が自分を制御するコントロールからも解き放たれて、ただ地球の重力に身をゆだねる体験は、クセになる心地よさでした。

たぶん、わざわざバンジージャンプを飛ぼうとしなくても、物事の本質は同じなのだろうと思います。
無事に済むことはわかっているのに、飛び込むときはとてもこわく感じます。
腹をくくって、勇気をもって、そのこわさに飛び込んだら、飛び込む前の自分では想像しきれない“新しい世界”が開けていくのでしょう。
バンジージャンプは、それを体感で納得する手段だったのかもしれません。

それから、バンジージャンプには思いがけない副産物がついてきました。
それは、「あのバンジーを飛んだのだから」という不思議な自信。
すぐに自信をつけたい人は、バンジージャンプを飛んでみるのも効果的な方法のひとつです。

◆60代の女性が飛んだ理由

同じ時間帯に飛んだ人の中に、ひとりで参加している60代(推定)の女性がいました。

聞いたところによると、少し前にご主人を亡くしたとのこと。
ご主人は漁師さんで、生前「ずっと海ばかりだったから、今度は空を飛びたい」と言っていたそうです。
そのご主人の夢を代わりに叶えるために、今日バンジーに来たのだそうです。

彼女の順番が来た時、彼女はしばらくためらっていました。
自分が飛びたくて来たわけでもないのに、高さ100mの恐怖感はどれほどのものでしょう。
それでも、彼女は飛びました。
そして、ジャンプを終えた後の彼女は、すがすがしい笑顔で、歩き方まで誇らしげでした。

彼女にとってのバンジージャンプは、亡き夫に愛を贈る手段だったのかもしれません。
私の勝手な想像ですが、彼女は家に帰って仏壇の前でご主人に語りかけるのでしょう。
「飛ぶときは本当に怖かったのよ。それから、飛んでいる時はね、○○な景色が見えて…」などと、きっと二人の話は尽きないことでしょう。

若干私の妄想が混じっていますが、愛を贈るためにバンジーを飛ぶ、そんな動機もあるのだと、偶然居合わせた方から教えていただきました。

ちなみに、ひとり参加していた別の女性(推定アラサー)は、バンジージャンプを飛ぶためだけに、九州から茨城まで来たそうです。
「遠かったです~」と明るく笑っていました。

◆それぞれのドラマ

バンジージャンプを飛ぶ人ひとりひとりに、それぞれのドラマがあるように、今自分と同じことをしている隣の人にも、聞いてみないとわからないドラマがあるのかもしれません。

「その人なりの理由(ドラマ)がある」と思って興味をもつと、すべての人は“愛おしい存在”で尊重したくなる、そう思った出来事のお話でした。

この記事を書いたカウンセラー

About Author

大塚 統子

自己嫌悪セラピスト。心理学ワークショップ講師(東京・仙台) 「自分が嫌い」「自分はダメ」「私は愛されない」などの自己否定、ネガティブな感情・思考をリニューアルし、自信や才能・希望へと変換していく職人。生きづらい人の心が楽になる気づきや癒しを提供。テレビ・Web記事の取材にも多数協力。