友達への依存心を克服するには…

相談者名
ナオ
初めまして。ナオと申します。

私は幼少期に寂しかった家庭環境があり、子供の頃からいつも何かしら繋がりを求め不安を抱えていました。
特に同性の友達に対して強く求めてしまいます。
親しくなればなるほど「必要とされたい、求められたい」という気持ちが強く相手にも求めてしまい、結果相手にとって重くうっとおしがられる事がしばしばありました…。

キッカケは小学校5年生の時にあります。
唯一の親友にある日を境に裏切られ無視をされ、傷つき、毎日泣き喚き…
一時期過食障害になるほどショックが大きい出来事でした。
それ以来、必要以上に親密さを求め、過剰に見捨てられるかもと常に不安を抱えるようになりました…。

今は家庭を持ち、友達との距離も少しづつ保てるようになったのですが…
未だに親しい友達に対して嫉妬心や寂しさを感じる事があります。

自分なりの対処策としては、意識して2人きりではなく大人数と関わるようにしたり、交友関係を広げたりしています。
これからも少しずつでも克服していきたいのですが、他に自立する為にできる事はありますか…?
いい加減、この依存心から卒業したいです。。
お手数をおかけしますが宜しくお願い致します。

カウンセラー
嶽きよみ
ナオさん、はじめまして。嶽きよみ と申します。
今回、担当させていただきます。よろしくお願いいたします。

ナオさんが書いてくださった、「必要とされたい、求められたい」という思いは、ナオさんだけではなく、わたしも含め誰しも心の中では望んでいることだと思います。

でも、その思いが強くなりすぎると、とても苦しいですよね。
なんでもないときは、バランスがとれていても、なにかのきっかけで不安な思いが強くなると、その分だけ必要とされたい気持ちも強くなり、その影響でさらに不安も強くなる、というしんどいスパイラルにはまってしまいます。

ナオさんは、きっと長い間、そんなご自分に向き合ったり悩んだりしながら、対処法を見つけてなんとか少しずつ乗りこえてこられたんですね。
すごくがんばってこられたと思います。

今回ご相談くださったのは、もうそろそろ卒業したい、という思いで書いてくださったとのことですが、ほんとうにそういうタイミングが来ていらっしゃるのだと思います。

少しでもそのきっかけやヒントになればと思って書かせていただきますね。

>自分なりの対処策としては、意識して2人きりではなく大人数と関わるようにしたり、交友関係を広げたりしています。

まず、ナオさんがされていた対処ですが、これも大変役に立つ方法だと思います。

「依存」という言葉が出ましたが、依存は、一人の人に依存の対象が限られると、大変苦しい関係性になる場合があります。共依存という関係です。
そういうしんどい関係になりそうなときでも、多くの人にたいして依存、つまり、甘えることができる状況を作ることはそこから抜け出すきっかけになります。

ナオさんの場合は、そこまでの強い依存ではないとしても、大人数と関わったり交友関係が増えることは、ナオさんにとってもよいことなのではないかと思いますし、おそらくナオさんも努力してそれが出来るようになられたのではないかと思います。

だからこそ、ナオさん自身も次のステップをという思いが出てこられたのだと思います。

そして、次は、自分を愛する、とか、自分の価値を感じる、とか、そういう自己愛の部分がひとつのヒントになるのではないかと思いました。

誰かから必要とされたい、という思いは、誰にでもある、と最初に書きました。
それは、ごく自然な気持ちなのですが、それが強くなりすぎるときというのは、誰かから必要とされない自分はマイナスの自分で、必要とされたときにゼロになれる、のような感覚に陥ってしまっているときです。

その状態になっているときは、誰かに求められることが必須となるため、それが死活問題のように切実に感じます。
そんな状態で「求められない」ことは、本当に怖いことなので、不安がいっぱいになってしまうんです。

ですから、自分がそもそもマイナス地点にいるのではなく、少なくともゼロ地点にいると感じられるようになること。
そうすると誰かに求められた分だけプラスの自分を感じられますし、多くを求められる必要がなくなるからです。

ナオさんは、「自立するために」と書いてくださっていますが、自立というのは、誰にも依存せずひとり孤高に生きるという意味ではありません。

必要なときは頼ったり、逆に、誰かの依存を受け入れたり、ということが自由にできる状態のことです。

ですから、けっして自分の依存を排除する、ということを目標にはしないでくださいね。
そうすると、無意識的に自立することがひどく怖いことのように感じて、反対の方に行動が振れてしまう可能性があるからです。

>キッカケは小学校5年生の時にあります。唯一の親友にある日を境に裏切られ無視をされ、傷つき、毎日泣き喚き…一時期過食障害になるほどショックが大きい出来事でした。

心が無防備な時期のこういう経験は、傷も深く、人生においても大きな影響を与えることが少なくありませんよね。
わたしも少し似た経験があるので、その時のナオさんのお気持ち、少なからず想像できます。

裏切った親友に対して、今は どういう感情をお持ちでしょうか。

もしかしたら、思い出すとその時の辛い感情が出てくるかもしれません。
悲しかったり、怒りだったり、いろんな思いが湧き上がってくるかもしれませんね。
親友に対しての怒りだけではなく、その親友を信じていた自分に腹が立ったり自己嫌悪したり、楽しかった思い出なども、全てが嫌な思い出に塗り替わってしまっているのかもしれません。

「卒業」という言葉で考えた時、卒業できた時、というのは、そのすべてを許せたときではないかと思います。

まずは、裏切られた自分を許し、価値を取り戻すことが大切です。
許すということは、自分がより大きくて強い自分になることを許すということでもあります。

それができたとき、裏切った親友を許すことが簡単になるかもしれません。
裏切るという行為は許せなくても、誤解をしたかもしれない彼女、もしくは彼女の弱さ、などを感じて彼女自身を許すことが出来るかもしれません。

自分の価値を感じられるようになると、誰かから必要とされることや求められることは、自分が存在するための必須ではなく、ご褒美のようになります。

>未だに親しい友達に対して嫉妬心や寂しさを感じる事があります。

そんなナオさんにどれだけ近づけたか、というのは、友人に価値を伝えてみることで少し知ることが出来るかもしれません。

もし、誰かの価値を認めたり褒めたりすると、心がチクッと痛いならば、まだ痛みが残っているということかもしれません。

そういうときは、もっと自分の価値を認める必要があるということです。

親しい友だちに対して嫉妬心を感じるのは、友達の良いところを見つけることができている、ということ。それは人としても友人としても素晴らしいことです。

ただ、その友人のいいところと自分のダメだと思っているところを比べるから嫉妬になっているだけなんですね。
どうせ比べるなら、自分のいいところと友人のいいところを比べてみてください。

寂しさというのは、どういう寂しさでしょうか。
たとえば、自分が友人を思っている気持ちと、友人が自分を思っている気持ちと、どっちのほうが大きいか、のように比べて、自分が思っているほうが大きいように感じられたとしたら、寂しいと感じるかもしれません。

なかなか返事が来ないと自分が軽く見られていると感じてしまうパターンを持つ人も寂しさを感じることが多くなります。
つまり、待っている側(依存側とも言えます)は寂しさを感じやすいんですね。

つまり、ナオさんがその寂しさから抜け出すには、少し能動的な部分を増やすことがヒントになるかもしれません。

例えば、友人をもっと好きになることを楽しめたり、自分自身を表現したりすることなどかもしれません。

これからナオさんが次のステップに進んでいくための今回のまとめとして、

●だれかに必要とされたり求められたりしない自分にOKを出すこと
●自立は依存を排除することではない、ということを自分自身に伝えてあげること
●親友に裏切られた経験を許せる自分になることを許すこと
●友人と自分を比べるのではなく、どちらのいいところにも価値を与えること
●能動的な自分になること

このあたりのことから進めてみてはいかがでしょうか。

過去の経験については、セラピーが有効なことが多いので、そちらもよろしければお試しいただけるといいかもしれません。

本日はご相談ありがとうございました。

この記事を書いたカウンセラー

About Author

柔軟な視点で問題を捉え「人間関係」「自己表現」「セクシャリティ」に関する悩みを多く扱う。 特に、現役で自身のビジネスも続けていることから、やりたいことを見つける、夢を叶える、など自己実現のサポートを得意としている。 「見た目の印象とは違い、声に癒される」との声が多く寄せられている。