犠牲は愛ならず

犠牲は愛ではない

こんにちは 平です。

私たち日本人は“自己犠牲”という考え方に美徳を感じることが多いようです。
その傾向は、結婚に関してもしばしばこんな形で現れます。

「親が喜びそうな相手と結婚してあげよう」

あなたの結婚なのに、なぜか両親を喜ばせるためのパートナー選びをしてしまうわけです。

自分以外のだれかを喜ばせるために結婚すると、自分の喜びのために離婚することになるケースがじつは少なくありません。

私もよく「親のために結婚すると、自分のために離婚するハメになるよ」と言っています。

“犠牲”とは、自分を殺すことでもあります。

だれかを喜ばせるために、あなたはがまんをするわけですね。

がまんというのは、すればするほど、ためこめばためこむほど、怒りの感情を作り出します。

そして、やがて、こらえきれないほどのがまんになったとき、あなたは大爆発をするわけです。

「やってられるかー!!」、と。

そして、すべてをぶちこわすわけです。

あなたは、あなたのまわりの人々を愛してはいますが、
その人たちが、あなたの人生の足を引っぱる人たちのように感じてしまうのです。

もちろん、それは真実ではありません。

しかし、あなたが「愛する人たちのための犠牲だ」と感じているのだとしたら、
愛する人がたくさんいればいるほど、たくさんの犠牲を払わねばならないということになってしまいます。

そう思ってしまう人の深層心理には、「自分のために多くの人が犠牲を払っている。自分はものすごく手のかかる、迷惑な存在だ」というネガティブな自己概念がある場合が多いようです。

もちろん、この自己概念も間違っています。

たしかに、小さいころのあなたは、身近な人たちにずいぶんと手をかけてもらってきたと思いますが、
子ども時代に手がかかるのは当たり前です。

そもそも、あなたという存在は、それだけ面倒を見たり、
手を掛けたりするのにふさわしいから、まわりの人たちも面倒を見てくれたのです。

つまり、あなたは愛されるに値した人なのです。

ところが、その愛を受け取れないと、「自分は迷惑な存在で、こんな私は犠牲をして償わねばいけない」と思ってしまいます。

これが一番の間違いです。

このようなタイプの人は、「自分がほんとうに幸せになることが、まわりの人々の喜びになる」ということに気づいていません。

私はよくセミナーのとき、独身のみなさんに、「あなたが最愛の人と結婚し、きょうはその披露宴を開いているとイメージしてください」とお願いします。

披露宴に出席しているのは、あなたの幸せをだれよりも願ってきた人ばかりですから、
ここにいるだれもがうれしくて、うれしくてしょうがありません。

ほんとうに幸せになったあなたを見て、みんなもとても幸せです。ご家族やお友だちの中には、泣いている人もいることでしょう。

そう、あなたが幸せになることが、みんなを幸せにするための最良の方法なのです。

あなたが“犠牲”によってだれかを幸せにしようとしても、
そのだれかは、あなたに迷惑をかけ、あなたの幸せを奪ってしまったように感じるでしょう。

“犠牲”というのは一つの愛のあらわれかもしれません。

しかし、結局は「自分は迷惑で、足手まといだ」といったネガティブな感情を相手に感じさせてしまう愛し方なのです。

どうぞ、あなたが幸せなることで、まわりの人たちを幸せにしてあげてくださいね。

では、来週の『恋愛心理学』もお楽しみに!!

この記事を書いたカウンセラー

About Author

平 準司

神戸メンタルサービス/カウンセリングサービス代表。 恋愛、ビジネス、家族、人生で起こるありとあらゆる問題に心理学を応用し問題を解決に導く。年間60回以上のグループ・セラピーと、約4万件の個人カウンセリングを行う実践派。 100名規模のグループワークをリードできる数少ない日本人のセラピストの1人。