改めて考える執着とその手放し

手放しについて深く知る

心理学でいう執着とは、対象となるものを失わないように握りしめて離さないことです。
執着の対象は多岐にわたり、男女関係、仕事、会社、お金、考え方、正義、正しさ、ルール、恨みなど枚挙にいとまがありません。
執着する原因や事情は、深層心理まで掘り下げることができますが、その人が抱いている何らかの”怖れ”がどこかで影響しています。
今回は、執着とその手放し方について考えてみたいと思います。

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私たちが問題を抱える背景に潜んでいる原因の一つは執着です。

心理学でいう執着とは、対象となるものを失わないように握りしめて離さないことです。
執着の対象は多岐にわたり、男女関係から始まって仕事や会社、お金、考え方、正義、正しさ、ルール、恨みなど枚挙にいとまがありません。

どうしてそれに執着するのかという原因や事情は、人それぞれであり、その原因や事情は深層心理まで掘り下げることができます。

しかし、その人が抱いている何らかの”怖れ”がどこかで影響しています。

例えば、男女関係の別れ話の場合、心理的に浅い部分では今までお付き合いをしていたような人とはもう二度と巡り会えないという怖れが影響していたり、それより少し深い心理的な部分では、幼い頃に助けたい誰かを助けられなかったダメな自分を感じることを怖れているといったこともあります。

突き詰めていくと、ネガティブな側面のみではなく「助けてあげたかった」「理解してあげたい」などというような私たちが本来持っているポジティブな側面が出てくることがとても多いのですが、目の前にある怖れに阻まれてなかなかそこまでには至りません。

もしそれが自覚できたのであれば、すでに執着はなくなっているかもしれません。

何かに執着している時は、精神的にとても苦しい状態が続きます。執着している事に関連した事で頭が一杯になり、気持ちも安定しません。追い詰められた感じになったり、考えなくてもよいことが頭をよぎり何かのきっかけで思い直したりと一喜一憂することもあるでしょう。もうこんな状態は嫌だと、どうにかしようと思ってはみるものの、心のどこかに寂しさを感じたり、悪い自分を感じたりして、なかなか感情を整理する事ができません。

私たちが執着をしている時には、冷静さを欠いています。客観的に見ると「どうして?」という考え方や行動をとってしまいます。これがまた、状況を悪い方へと導いてしまいます。

私のイメージなのですが、執着がある時には狭い空間に閉じ込められた状況で、必死に答えを探そうとしています。その空間から一歩外に出さえすれば答えはいくらでも転がっているのですが、その狭い空間にとどまり続け、何とかしようと必死にあがいている感じです。答えがないところにいるのですから、どうあがいてもなんとかなりようがありませんね。しかしその狭い空間から出ることができなくて、苦しみが続くわけです。

しかし一方で、その状態が続くと感覚が麻痺してしまい、当たり前の状態になってしまって苦しさや辛さを感じなくなることもあります。これには注意が必要で、客観性を持った誰かから教えてもらう必要があります。

執着を手放すファーストステップは、それが何かへの執着によるものかどうか見極める必要があります。

執着には、例えば、男女関係のように比較的分かりやすい執着もあれば、「これも執着か」と気づいた時にビックリするような執着もあります。先にお話した考え方や正義、ルールなどはそれが当たり前だと思って生きてきたのですから、分かりにくい部類に入るかもしれません。

執着か否かを見極める一つの方法は、その執着しているかもしれない対象が無くなってしまう、あるいは否定されると考えたときに、自分がどのような状態になると思っているかです。「もう生きていけない」「人生は終わった」「抜け殻になる」などと極端な状態になると思ってしまうようであれば、執着している状態です。

例えば、会社が無くなってしまうと考えたとしましょう。「もう生きてはいけない」と思うようであれば、会社への執着があることになります。

例えば、自分の正しさが全否定されたと考えたとしましょう。「今までの自分は何だったんだ」とまるで抜け殻になったような感じがするようであれば、自分の正しさに執着していることになります。

この2つの例を冷静に考えてみれば、会社が無くなっても生きてはいけますし、自分の正しさが全否定されたところでもっと柔軟な考え方を身につけることもできたり、全否定した相手の考え方も一つの考え方として認め、自分の考え方を改めて整理するということもできるでしょう。

ここで、心理学でいう執着とコミットメントとはどう違うのかという質問がよく寄せられます。心理学で使っているコミットメントとは、対象に対して「関わることや実行することを決意する」という意味です。

コミットメントと執着の違いは、前者は専ら自分の内面的なものであるのに対して、後者は自分の欲求を満足するために外部の何かをコントロールしようという野望があることです。

例えば、「彼とパートナーになることにコミットする」ということは自分の内面的な事柄ですが、嫌がる彼にすがりつくことは相手を何とかコントロールして自分の欲求を満足しようとする執着です。

執着を手放すセカンドステップは、自分の価値を正当に評価し、認めていくことです。
もし彼とお別れする状況になったとしても、彼以上に素晴らしい新しい彼ができると信じられたなら、彼には執着しないでしょう。お金はいつでも手に入ると信じられたなら、お金には執着しないでしょう。そんな魅力や力が自分にはあると信じられたら、執着は手放すことができます。

しかし、自分の価値を正当に評価することはなかなか難しいことも事実です。
私たちは「今まで上手くいかなかった」「自分にはとてもそんな価値はない」「自分は失敗ばかりしてきた」など、自分の価値を低く見積もる理由を探し出し、自分の価値を低く見積った状態を改めようとしません。

そうすると、それに応じた結果を手にすることになり、何かにチャレンジしても「ほら、やっぱり」という結論に至ってしまいます。

実は、心と現実世界はリンクしていて、自分の価値を低く見積もれば見積もるほど、それに応じた考え方や選択、行動になってしまい、あるいは精神的な緊張を伴いそれに応じた結果に至ってしまうのです。

1つ例を挙げると、失敗してはいけないと思う状況で自信が無いと(失敗する自信があると)、更に失敗してはいけないと自身を追いつめて失敗する可能性が高くなります。
結果的には鶏が先か卵が先かの議論になってしまうのですが、自己価値を低く評価するのではなく、正当に評価してこそうまく回り出すのです。

私たちは、どちらかというと自分厳しく扱いがちです。他の人ができていることや、他の人の長所と自分のできていないことや短所と比較して自分は駄目だと思ってしまったり、ハードルが高い理想の自分との競争で至らないと思ってしまったりします。

自身の正当な評価とは、他の人や理想の自分と比較をせず、恥ずかしがらずに自分が長所と感じているところも短所と感じているところも裁くことなくありのままに受け容れることです。

10年前の自分、5年前の自分、1年前の自分を思い描き、今の自分はどんなところが成長したかを客観的に見てみると、成長している自分を感じられることがとても多いものです。もちろん、体力など年齢を積み重ねることによって昔の自分に比べて劣ってくる部分もありますが、そこに着目するのではなく、内面的な変化や経験、知識や技術などに着目するのがコツです。

自己の価値を正当に評価する、そしてその自己の価値を認める習慣をつけると、自分のことだけを見ていた目が、広い外の世界に向きます。それはとても心地の良い体験になるでしょう。
その経験は、執着体質からの脱却につながります。

(完)

この記事を書いたカウンセラー

About Author

大谷 常緑

恋愛や夫婦間の問題、家族関係、対人関係、自己変革、ビジネスや転職、お金に関する問題などあらゆるジャンルを得意とする。 どんなご相談にも全力投球で臨み、理論的側面と感覚的側面を駆使し、また豊富な社会経験をベースとして分かりやすく優しい語り口で問題解決へと導く。日本心理学会認定心理士。