これってDV?~加害者の心理と、被害者ができること~

以前に比べ、「DV」という言葉は多く知られるようになりました。その一方で、DVの被害者側が、“自分はDVの被害者である”という認識を持ちづらいという側面があるようです。「

DVとは何か?」というところから、その加害者と被害者、それぞれが抱えているもの、その心理について見ていきます。今回は被害者側ができることを中心に、問題解決への第一歩となるような提案もさせていただきました。

また、その前提として、どんな問題でも、パートナーとの間で何か問題が起きたとき、その問題を乗り越えたり解決していくためには、問題に対してどういう見方をしていくことが大切なのか、有効なのかについて考えていきたいと思います。

◎リクエストを頂きました◎
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結婚式当日の夜、ささいなことが原因で口論になり、逆切れした彼にタクシーからひきづり降ろされ、暴力を受け、私は動けない状態になり、救急車で運ばれました。

その後彼は「いいたいことがあったらいえ」というので、本心を言っても「お前、いったいなんなんだよ」といって突き飛ばしたり、何も言わないと「何とかいえよ」といって突き飛ばされたり、酔いから覚め、怪我してることをわかっているのに急にキレて「目障りなんだよ」と突き飛ばされます。

日が経つにつれて、反省した彼は、何事もなかったように普段と同じ生活を送っています。しかも彼は自分の親、兄弟、会社や友人達にも、この件を隠しています。

日常的な暴力ではないので、DVではないと思いますが…

普段問題ないのに、お酒が入って自分のいうことが通らないとムキになって自分のいうことに従わせようとしたり、それが通らないと力で押さえつけたり、暴力をふるう人の心理を教えてください。
(一部、リクエストを編集させていただきました。)
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リクエストいただき、ありがとうございます。

パートナーとの間で何か問題が起こるとき、どちらかだけが悪い(一方だけに責任がある)というわけではなく、『問題の責任はふたりにある』と考えます。
今回はDVの問題を取り上げますが、加害者側・被害者側、それぞれの心理を考えながら、ふたりで問題を乗り越えるために大切なことを考えていきたいと思います。

DVとは?

「ドメステッィク・バイオレンス(DV)」には明確な定義がなく、一般的に、「配偶者や恋人など親密な関係にある、または、あった者から振るわれる(肉体的・精神的・性的)暴力」という意味で使用されることが多いようです。

その暴力が日常的であるかどうかについては言及されていないため、今回のケースもDVであると見ることができます。

加害者の心理

お酒が入って自分のいうことが通らないとムキになって自分のいうことに従わせようとしたり、それが通らないと力で押さえつけたり、暴力をふるう人というのは、普段(酔っていないとき)、とても自分を抑えている傾向にあります。

言いたいことも言えず、我慢や無理をして相手に合わせているのかもしれません。でも、当人はそれでヨシと思っているわけではないのです。むしろ心の奥では、そのことをとてもストレスに感じていたりします。

これらの蓄積したものが、お酒をスイッチとして解き放たれます。普段の抑えが強ければ強いほど、それが解放されたときの反動(今回のケースでは暴力等)も大きくなります。

また今回の場合、加害者側の酔いが冷めても急にキレたり、突き飛ばすなどの暴力行為が続いています。
ここで加害者が感じていることは、先程とは変わり、自責の念や罪悪感です。それを感じたり認めたりするのはつらすぎるので、「自分は悪くない」ということを証明するため、被害者への罵声や暴力を続けます。このとき加害者は自分自身を守ることで精一杯のため、被害者を攻撃し、傷つけているという自覚が薄かったりします。

また、次のような見方もあります。加害者が普段の我慢やストレスを解放できる(ぶつけられる)のは、被害者に対してだけなのかもしれません。この場合の暴力や罵声は、加害者から被害者への、最大級の甘えともいえます。あなた(被害者)なら、こんな自分でも受け入れてくれる、許してくれる。それを無意識的に分かっているのかもしれません。

被害者が無意識的に分かっていること

加害者が一番恐れていることは、「被害者が自分から去っていってしまうこと」です。そして矛盾しているようですが、それを防ぐために、被害者をつなぎとめようと暴力を使い続けます。

被害者側の多くは、加害者側のこの恐れや、加害者からの暴力は自分への甘えだということを、無意識的に分かっていることが少なくないようです。被害者側は、そこに自己価値、自分の存在価値を見出しているところがあります。“あの人(加害者)のそういった部分を支えられるのは自分だけ”という感覚です。確かに、そうかもしれません。

ですが、暴力を受け入れる形での支えは、状況を悪化させます。暴力はエスカレートし、被害者は犠牲となる一方です。

ふたりで問題を乗り越えるために

一番の問題は、『今、ふたりとも幸せでない』ことです。
暴力を振るう加害者、その暴力を受けることで加害者を支える被害者、どちらも幸せではありません。ひとを傷つけても、ひとから傷つけられても、どちらの場合も幸せは感じられないのではないでしょうか。

ふたりで問題を乗り越えるために大切なことは、『問題が起こるからにはふたり共に責任がある』、そして、『相手の責任は相手にしか、自分の責任は自分にしか取れない』という見方を持つことです。

相手の心理を分析して、相手への対策を変えても、相手が変わるのは相手次第、自分以外の他人を変えるということはとても大変で難しいことです。
相手への対策を立てるよりも簡単で、近道で、重要なこと。

それは、自分の感じている気持ちを感じてあげること(今回のケースならば、加害者にされたこと、腹が立ちますか?悲しいですか?)、次に、自分自身はどうなったら幸せなのか具体的に考えてみることです。自分のことは、自分では一番捉えにくいですから、必要に応じて第三者(機関)も利用してみてくださいね。

そうして幸せになっている自分の姿を思い描けたら、今の自分にできることをやっていくことです。今回のケースであれば、加害者と物理的な距離を取ることかもしれませんし、加害者に対して「No」や「嫌だ」ということを伝えることかもしれません。もしくは、暴力を受けなくとも自分には存在価値があると実感することや、自己価値を高める何かに取り組んでいくことなのかもしれません。

まずは、自分が幸せになることが大切です。遠回りなようですが、ふたりで問題を乗り越えるため、ふたりで幸せになるための、一番の近道です。

(完)

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