恵まれていて ごめんなさい

引っ越しばっかりしていた私たち家族が
10年以上この場所で
気にいって暮らしているのが現在の一軒家(借家)です。
近所付き合いも良好で、南側が空き地で、
太陽もさんさんと降り注ぐ好条件、快適な住環境でした。
でした・・・と言いますのは
この南側の、長い間(30年以上)空地だった土地に
一戸建ての住宅が四軒建つということがわかったのが
今年に入ってすぐくらいの時でした。
基礎が出来、その立地を見ると
隣の家の南側にべったりとくっついたように基礎が組んでありました。
直接の影響を受けない私が驚いたのですから、
隣の老夫婦はそれどころじゃなかったと思います。
日に日に工事が進み
お隣の家の南側全面に隣の家の壁が出来ていくのです。
考えられない状態に、日照権とか調べたりしたのですが、
法律上問題ないということなのだそうです。
それでも、人道上どうなんだろう・・・
と思っているところに隣の奥さんと玄関先で出会いました。
そりゃあ、怒りもわきますよね、愚痴も出ます。
私も同じ・・・と言いたいのですが
我が家の南側には
四軒建てている住宅の進入路として
3メートル幅の私道が設けられていて、それが
我が家の大きな南向きの窓の正面に来ていて
建築中の住宅の影響が、隣のお家よりも少ないのです。
我が家を真ん中に左右に別れるように家が建っていて
南側の新築住宅による日照権の問題はあまり影響がないのです。
お互い「いやだな」と思っていうのは間違いないのですが
お隣よりも、我が家は恵まれているのです。
この、『私の方が恵まれている』ということで、
ものすごく気を使ってしまうのです。
一緒になって「嫌だよね」というのですが
本当は一緒ではないということが、
私もお隣さんもわかっているのです。
こういう時は、
恵まれているということがとても辛く感じてしまいます。
私にもどこか、お隣さんと釣り合うような
困ったことがないかと探してみたりするのです。
そして、今まで仲の良かったお隣さんと距離を取ったり
あまり会わないようにしようとしてしまう私もいるのです。
この状況はひどい!と思う反面
私のほうがまだ許容範囲、
私よりもお隣が『かわいそう』
という感覚があるということに 
ごめんなさい(罪悪感)の気持ちを抱くので
会いたくなくなってしまうのです。
とくに、『かわいそう』と思うことは、
ものすごく偉そうな感じがして
私にとって、あまり持ちたくない感情だったのです
一緒になって、困ったよね、辛いよね、と言ってはいるのですが
私に 優越感のような、
今、上がってこないでほしい気持ちが出てくることで
邪悪な自分があぶりだされてしまう様な気持ちになるのです。
「お前は自分さえよければいいのか?」
ともう一人の私がささやきます。
こうなれば、『自分の家の前にも同じように家が建って、
隣の人と同じ苦しみを受けなくてはいけない』
『苦しむことで 楽になる部分』
という感情が湧いてくるのです。
こういう
恵まれていてごめんなさい
という感情は、ほかにもよくある心理状態なのかな?と思います。
人よりも恵まれている事で、嫉妬の対象にならないようにとか
可愛そうな自分でないとかまってもらえないように思ってみたりとか
そういう、いろんなものです。
過去の震災の時にも聞くことがありましたが
「私の家は 震災の影響をほとんど受けなくて・・・
家族も全員無事で・・・」
とおっしゃる口調は、
本来はもっとありがたく思ったり、喜ぶことではあるはずなのに
申し訳ないという気持ちが出てくるというのです。
自分が助かったことに申し訳なさを感じてしまう。
こう言う気持ちになるようなのです。
人って本当に優しいと思います。
このように、同じ気持ちになって
傷ついた方々に寄り添い一緒に歩む
そういう愛し方も必要ですね。
一方で
恵まれている私 
というものをお持ちの方であれば、出来ることがあります。
恵まれているからこそ出来ることがあると思うのです。
あなたのいる『恵まれている』世界に 
引っ張り上げていくのです。
今、落胆や、悲観の中にいらっしゃる方の光となって
前を歩いて行くという愛し方もあると思うのです。
悲しみ、苦しみの底で繋がるのではなくて
生きる力や、希望になって、
人をその場所に呼び込んであげることも
大切なことなのだと思うのです。
そのためには、相当な意志の力を使うこともあるでしょう。
勇気が要ります。
嫉妬や批判への恐れも出てくるかも知れません。
自分のためだけでは、この勇気はわいてこないと
私は思います。
誰かのために、
あなたを必要とする誰かの力になれることが
喜びにつながると、思います。
恵まれていてごめんなさい。
と、そこから距離を取ってしまうのではなく
恵まれている私が出来ることは何なのだろう
という視点で
人とのつながりを持ち続けてほしいと思います。
私にとって、今の時点では
どのようなことが
お隣さんの力になれることなのかはわかりませんが
何か出来ることがあるはずだと思い
その出来ることが見つかれば
喜んで手を差し伸べようと思っています。
三好成子のプロフィールへ>>>

この記事を書いたカウンセラー

About Author

「近ずぎてウザい・遠すぎてさみしい」 自身の経験から、人との心の距離感や対人関係の悩みには親子の距離感が大きく関係している事に着目。【母子癒着】といわれるくっつきすぎた心を見ていくことで、人との距離感を整えていくカウンセリングを得意とする。 誰にも言えない気持ちに寄り添ってくれると好評。

2件のコメント

  1. 三好さまへ
    はじめまして。 こんばんは。
    カウンセラーさんのコラムということで、ページを開いての一番上にございました、この記事を拝読させていただきました。
    それだけでなく、恵まれているということのテーマに、私の中にあるものとシンクロしたからです。
    コラムですから、三好さまは、どなたに読んでもらいたいのかは、私にはわかりません。
    ですが、本当に、恵まれているのだなあと私は感じました。
    人の力になるということは、生半可なことではないと、私は感じます。
     三好さまが、その素敵さに感謝できますように。
    人をおもうこと以上に、恵まれているのだなあと、ただただ、感じることがとても大切なことと感じます。
    三好さまが 周りをきにせず
    恩恵を受け取れますように。
    (恩恵だなんて言い方ですが、いかにもメンタルチックです)
    とくめいより

  2. とくめい さま、コメントありがとうございます。
    そうですね、本当ですね。
    恵まれているのだと
    ただただ、感じる。
    そう思うだけで
    何か、暖かいものが体に流れ込むような気持ちがします。
    素敵な言葉と優しさを
    ありがとうございます。