●問題はありませんか?

私たちは、ひとりひとりの方とお話をしていきますが、グループで行われるセラピーもあります。
ちょうど、その日もそのワークショップでアシスタントをさせてもらって、
ほどよく疲れて、同じ方向の友達を送り、さてお家に帰ろ、といつもの帰路に車を走らせていました。
大きなカーブに直進する細い道が交差した、三叉路で赤信号につかまり、
「今日は、なんだか楽しかったな〜」と送った友達と話していたことを思い返していると、
カーブの向こうから、ものすごいスピードで突っ込んでくる四駆が一台。
「おいおい、そんなに出しちゃぁ、あぶ・・・」
と、ツッコミを入れる間もなく、鳴り響くスリップ音と共に急ブレーキをかけすぎたのか、
私のすぐ真横にある、中央分離帯にひっくり返りながら、『ガッシャ〜ンッッッ!!』
つっこんでしまいました。
間もなく信号が変わり、何が起こったのか一部始終見ていながらも思考回路がストップしてしまった私は、
とりあえず車をどこかに寄せようと、すぐ脇にあった路地に入りました。
携帯を持って駆け寄ると、白い煙が噴出すひっくり返った四駆の運転席から若い男の子が這い出てきます。
続いて、その男の子に急かされながら、引っぱり出されるもう一人の男の子。
幸い歩けるようで、二人して歩道に非難しましたが頭からは流血。
後から引っぱり出された男の子は、ひどく嘔吐していました。
何を思ったのか、私は「救急車呼ぶよ〜!」と声をかけましたが、運転者だった男の子は、
「いや、警察を!!」
どっちでも一緒か・・・と思いながら、110番しますが、なかなかつながらないんですね・・・携帯だと。
そうしている間にも、わらわらと人だかりができ、チャキチャキおばちゃんが私にけたたましく、
「電話してんの?!つながったん?!」
今、してるっちゅうねん、と思いながらも、やっとつながったので状況を説明します。
そうこうしていると、電話を切るまでに救急車がやってきました。
真っ先にひっくり返った四駆に人が取り残されていないか確認する救急隊員に状況を説明、
「男の子がふたり、頭から流血、嘔吐しているんです、ほらあそこにいま・・・」
いません。
?????
「どこ行った?」と目を泳がせていると、先ほどのおばちゃんが、
「あんなとこに車止めてたら、あかんで!!」と、なるほど一方通行の路地に頭だけ突っ込んで車を止めていた私は、
その場をプロに任せて、野次馬を横目に帰ることにしました。
事故発生からおよそ30分。
ひとりになって冷静になってくると、ストップしていた思考回路が慌しく回り始めます。
「なんだったんだ???」
 交通事故です。
「あの二人、大丈夫やったんかな〜?」
 ・・・・・・・・・・・。
心と頭が事の次第を消化していくなかで、あの現場で消えた二人の男の子と、
めちゃめちゃになってしまった車にその視線が集中される人だかりが、やたらとひっかかりました。
私たちは、なにか問題が起きると、その”問題”に意識が集中してしまいます。
私は、その”問題”の下に『隠れているもの』を見つけ出す作業を普段やっているカウンセラーなわけですが、
二人の男の子を見失ったことが、ひどく心残りとなってしまいました。
たくさんの人がその場に居合わせながらも、皆、事故車に釘付けになっていたからです。
その中で、あのおばちゃんはその場の状況を見渡し、クールに対処していたようにさえ思えました。
「きっと、調子に乗っていたんだろう」
「飲んでたのかな?」
「ありゃ、廃車やな・・・」
「きっと、救急隊員が見つけてくれてるよ」
「あんなに怪我してたんだから、そう遠くへは行けないはず・・・」
頭は、起こった出来事や問題を消化しようと一生懸命になりますが、
それで、どうなるわけでもありません。
そこで、自分にとっての『隠れているもの』を見つけ出すことにしました。
二人の行方や、その後を知り由はありません。
でも、私にとってあの子達は、『助けを必要としているのに、逃げ惑ってしまう』、
私たちの誰もが心の中に持つ、マインドのひとつのような気がしました。
”わかってほしいのに、素直になれない”
”こうすればいいと、わかっていても、なかなか踏み切れない”
皆さんにも、こんな経験があるんじゃないでしょうか。
あの子達の首根っこをつかみながら、電話をすればよかったんだ、と学んだ私は、
”問題”を分かち合ってくれる方の心の中に隠れている、自分も大怪我をしながらも、
友達を介抱し続けていたあの男の子のような”やさしさ”を見続ける決意をあらためてしたのでした。
問題はありませんか?
その下に隠れている”やさしさ”、見失ってはいませんか?
源河 はるみ

この記事を書いたカウンセラー

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