泣いている子どもとやさしい世界

先日、電車に乗ったら、後ろの方の席で、大きな声で泣いている子がいました。私の席からは、姿は見えませんが、彼女の言い分が聞こえてきました。

「みいちゃんのおうちがいいのー!えーん」

「みいちゃんのおうちにいたかったのー!うわーん」

2歳くらいでしょうか、くりかえし、みいちゃんのおうちが登場していて、想像するに、みいちゃんがどなたかわかりませんが、女の子は、みいちゃんのおうちに、泊まっていて、みいちゃんのおうちから、帰るのが、とてもイヤだったようでした。

その始発の駅から、大きな街の駅までの約30分間。女の子は、泣き止むことも、みいちゃんのおうちへの訴えも終わることはありませんでした。

 

ママは、何してるんだろう?

電車は、出勤ラッシュは終わっていて、比較的空いてはいましたが、ずっと泣き声が響き渡っていました。女の子の声はよく通って聞こえますが、一緒にいるであろうママの声は、聞こえません。

先ほども申し上げたように、姿は見えないため、勝手に想像ばかりしてしまいます。

ママ、ひとりで相手しているのかな?
ママ、周りに気を使ってるだろうな。気の毒・・

え?もしかして、こんなにいつまでも泣き止まないのって、ママ、何もしていないの?
だったら、あんなに泣かせて、かわいそうじゃん。

つい気になって、いろんな思いや考えが出てきてしまいます。

 

子どもの泣き声でざわつく心理

何かを見たり、聞いたりする時、私たちは、勝手にいろんなものを、それらに、映し出します。投影といって、過去の記憶から、芋づる式に思い起こさせるもののことです。

例えば、燃えるような夕焼けを見て、なんだか泣きたいような気持ちになったとします。夕焼け自体は、悲しいものではありませんよね。ただの現象です。すると、泣きたいような何かを、夕焼けに紐づけて、映しているということになります。

もしかしたら、高校生の時、部活の終わりに夕焼けを見たり、茜色の中、故郷の家路に着く経験があって、それはあまりにも懐かしくて、泣きたいような気持ちになる。懐かしいという感情と、夕焼けが結びついていたのかもしれませんね。

私たちは、こんなふうに何にでも、好きなように投影をするので、「子どもの泣き声」にも、私たちは何かを投影します。
子ども時代の思いが出てくる時、しかも、子どもの泣き声からは、思い通りにならず、傷ついたり、痛みのある体験を思い出す方は少なくないでしょう。すると、すごくざわざわしたり、イライラしたりと穏やかでいられないなんてことが起こることがあります。過去の感情を刺激されるんですね。

または、世間で起きている、暗いニュースと結びついてしまう、なんて方もいらっしゃるかもしれませんし、自分の子育てに関する、十分でなかった記憶や、罪悪感が出てくることもあるかもしれません。

人の数だけ、投影するものはあるんです。

 

「泣かせるな」おじさんに怒られた記憶

息子が2歳くらいの時、こんなことがありました。

銀行のATMに行く用事があって、息子を連れて出かけました。
子どもが小さくて、なかなか家を出られずにいたので、記帳したり、振り込みしたり、ちょっと手間がかかったんです。

その頃の息子は、抱っこ抱っこで、操作している間、下におろした途端、ギャン泣きが始まりましたが、抱っこしたら、操作ができません。私の足に掴まって泣いている息子をそのままにして、急いでいたんです。

「泣かせるなっ!!」

ATMに数人並んでいた中のひとりのおじさんが、私に向かって、突然、怒鳴ったんです。私は、びっくりして、振り向きました。おじさんがすごい形相で私を睨みつけています。
怖いというより、ものすごく腹が立って、悲しくなりました。

「やっと外出できて、溜まった用事を済ませているのに、
事情も知らずに、よくもそんなことを言えるわ!(怒怒怒)」

狭いスペースで仁王立ちのおじさんと、気の毒そうに見守るギャラリーが耐え難くて、用事は、全く終わっていませんでしたが、息子を抱いて外に出ました。おじさん居なくなった頃、また行って、用事は済ませられましたが、何日も嫌な気持ちが続いたのを覚えています。

そして今、電車の中で、大声で泣いている子どもの声を聞きながら、あのおじさんの気持ちについては、考えたことがなかったなと、ふと思いました。

あの時は、子どもを泣かせたままにしている私に向けられた、非情な怒りだと思いました。母親である私がわるいと責められていると。だから、すごくイヤな気持ちになったし、悲しかったんですよね。

でも、あのおじさんと同じように、子どもの激しい泣き声を聞く状況になってみると、おじさんは、何を思い起こしていたんだろうって。それが何かわからないけれど、大きくて苦しくて、がまんできなくて、怒鳴ったのかもしれないな。

もしかしたら、うちの息子のことを、心底、かわいそうだと思ってくれていたのかもしれないなって。

子育ての渦中にいて、子どもの泣き声に、良くも悪くも慣れていた当事者の私には、想像できなかったことでした。

それに私の中の、子育てが十分とは思えず、自信がなかった部分があったせいで、おじさんの怒りは、私に向けられたもので、責められてもしかたがないって感じたということも、あったかもしれません。だからきっと、腹を立ててもいたけれど、ダメージが大きかったんですね。

 

心の中で送るエール

電車が大きな街の駅に着くと、ほとんどの人が降りていきます。
私も電車を降りて、改札に向かって歩き出すと、近くで、さっきの女の子の声がしました。

ママに抱っこされ、目を真っ赤にして、女の子はまだ泣いていました。
ママは、女の子の話を、うなずきながら聞いたり、静かに優しく語りかけたりしていました。

隣にはパパがいて、荷物をたくさん積んだベビーカーを押しています。胸の抱っこ紐の中には、小さな赤ちゃんが眠っていました。

うわぁ、ママもパパも、めちゃくちゃがんばってた!
30分ずっと、こうしてがんばってたの?!
いや、今もがんばってる!すごい、尊敬する!

ご家族との物理的な距離が近づいて、実際のお姿が見えたから、わかりました。
見えない時に、いろいろ思って、ごめんなさい。恥ずかしくなりました。

さすがに、声をかけたりするのは、むずかしいですが(怪しい)、ご苦労をお察しし、心の中でつぶやき、こっそりエールを送りました。

「娘ちゃん、みいちゃんのおうちが、めちゃくちゃ楽しかったんだね。
連れてきてあげられてよかったですね。
ママ、パパ、本当に本当におつかれさま。子育て、がんばれ!」

人の心は、過去データを使って、今の景色を好きなように理解します。それが、本当に見えている景色とちがっていても、気づきにくい。

知らないうちに、私の中の、母親として十分でない感覚が、おじさんを、私を責める人にしたし、子どもが泣き続けているのは、母親のせいかもしれない(私がそうだったから)に結びつけていたなんて!

女の子のママもパパも、愛があふれていたし、
その中で、女の子が子どもらしくできていたのだし、
他の乗客さんたちも、誰も何も言わなかった。

世界は、いつだって愛でできていて、とてもやさしいのだと、誰にとっても、そうであって欲しいし、私もその一部でありたいと、切に切に願います。

子どもたちが大きくなってきて、子育てもひと段落した私は、小さなお子さんを育てているママたちを見ると、親戚のおばちゃんみたいな心境になっていることにも、気づいた出来事でした。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。
お役に立つことがあれば、嬉しいです。

来週金曜日は、いしだちさカウンセラーがお送りします。
どうぞお楽しみに。

 

[子育て応援]赤ちゃんの頃から、思春期の子、そしてそんな子どもたちに関わる親とのお話を6名の個性豊かな女性カウンセラーが、毎週金曜日にお届けしています。
この記事を書いたカウンセラー

About Author

「自分らしく自分の人生を生きることに、もっとこだわってもいい。好きなことをもっとたくさんして、もっと幸せになっていい。」 そんな想いから恋愛・夫婦関係などのパートナーシッップを始め、職場、ママ友などの人間関係、子育てに関する問題など、経験に基づいたカウンセリングを提供している。