四十路直前、いわゆる「婚活」

今回、わたくしたちカウンセリングサービスの選ばれた面々たちが、どうや
ら「婚活」企画をされるらしい。
四十路手前の、ワタクシ、はい、見事独身でございます。
実は、ワタクシもこの企画、楽しみにしていたりします^^;。
せっかくですので、この40代の心理学、というコラムを通じて応援してみ
ようと思います。


DINKSって言葉、覚えてます?
確かDouble Income No Kids(共働き収入、子供なし)の略でしたよね。
自分達の領域、を最重要にしているような生き方のようなイメージがあります。
1980年代でしょうか、‘トレンディドラマ’が流行った当時、憧れのライ
フスタイルとして紹介されていたように思います。
そして、一転してこの「婚活」ブーム。「婚活」ブームの先には、昔むかし、
「おばあちゃん」という言葉にイメージされるような「家族」の幸せの図。
日本の人口問題の、煽りなのでしょうか?
それとも、人々の中で人と共に生きることの暖かさを求める魂が、声を上げて
いるのでしょうか?
さて。
実年齢と、精神年齢は‘長さ’という感覚のものさしでも‘成熟’という領域
のものさしでも、決して一致しないように感じています。それでも実年齢でい
うところの、10年毎の節目には感じるものがあるものですね。
同じ地域の幼稚園から、ほぼ同じ面々は同じ小学校へ進み、やはり同じく地域
の中学校へ。
個性を感じ取るよりも、‘みんないっしょ’が大切だったこども時代から、経
験を積み、時を経て。
立ち止まり、人生を振り返った時に、ふしめふしめの選択の違いから、あらあ
ら、随分と違う場所に来たものね、と同級生達を見ても感じます。
手に入ったもの、手に入っていないもの、こんなはずじゃなかったと思うとこ
ろ、ここまでこれたと思うところ。
比べれば、きりがない。
無視すれば、味気ない、学びもない。
自分自身の人生と、人様の人生、どちらも重みは年々増していき。
冒頭にも書きました、そうです、ワタクシ、四十路手前、独身です。
いずれにせよ、やはり、自分自身でも生き方として、‘結婚’がハタチを過ぎ
た頃から視野になかった時期は実際にないですし、家族からプレッシャーを受
けているようにも感じていました。
異性のパートナー、人生を共に歩む人、は今、居ないのが現状です。
同い年近辺の友の多くは、パートナーが居て、子供が居て。
この状態を良い、悪いで見るのでなくても。
今の私がこの人生を歩んでいるのはそれはそれは理由はがたくさんありまし
た。
忙しかった、家族の面倒を見なくてはいけない時期があった。
上手くいかなかったご縁があった。
これは言い訳なのでしょうか?
それとも本当に理由なのでしょうか?
もしも、私自身が‘言い訳’だと感じるのであれば、なぜに言い訳をする必要
があるのでしょう。
どこかに(誰かに)罪悪感を感じているのでしょうか?
こんな因果な業界(心理学)に魅力を感じ、こんな因果なお仕事(カウンセラ
ー)を、大好きで続けている私。
もしも、人生の総てを「しょうがないこと」というよりも、「自分が選んでそ
うしている」という見方を適応して、‘なぜ私はパートナーを持たないのかし
ら?’の心理的な理由を自分を使って紐解いてみるのも、お役に立てるかしら
・・・なんて、思うのです。
それはパートナーを持つことを自分に許すとしても、パートナーを持たない人
生を自分に肯定するためでも。
1.女性として見られることにいちいち傷ついていた
弱いと生きられないと感じた‘女の子’が、むかし私の中に居たようです。
愛するという事の、強さを知らなかったようです。
こういう女性、とても多いように感じます。また違う理由として、「女性とは
」という生きかたのステレオタイプ以外は否定されるような文化があったとい
うことも、奥深い理由にはあるのでしょう。
時代が変わる、というのは、社会の成熟とともに人が成熟し、受け容れられる
価値観が広がる事でもあるのでしょうか。
それでも、過去の‘女性とは’に、以外と無意識は支配されて居たりしますね。
2.男性に対する不信感が強すぎた
‘父性’に対する信頼を何かで失っていたのでしょうね、男性全般に対して不
信感がありました。
不信感があると、全面的に相手を信頼し預ける、若しくは相手の全幅の信頼を
受け取れなくなったり逃げ出したくなったり。三角関係の原因にも。実際のと
ころ、こういう痛みにはカウンセリングの場面でも、よく出会います。
3.親の期待には答えたくなかった
こどものころから、これでも結構‘いいこ’だったんですのよ?!
ですが、親の期待に応えなければ、が、乗じると総てが‘せねばならぬ’よう
に感じてしまうようですね。当然、いわゆる「ヨイムスメ」は親の世代の考え
方からすれば、自分達が結婚した当時、少なくとも20代後半には‘結婚すべ
き’と思っているはず!!
奥深い反抗心は、かなり、人生に影響します。
セネバナラヌは、特に私、出来ません。。。
4.結婚に対していいイメージがなかった
以前は・・・。束縛・苦労等のイメージが強すぎたように思います。
5.恋愛自体に罪悪感があった
なんだかコソコソする感じがあり、息苦しく感じることもしばしば。母の
いやらしいわぁ’という言葉をよく覚えています。恋愛をする=いやらしい
=親に嫌われるくらいに悪い事、と思い込んでしまったんですね。
6.‘男らしい’といわれると嬉しかった^^;
社会人として、もう、15年を越えたと思います。
社会の中でどこかしら‘男性優位’を感じ、自分の女性を受け容れていないと
ころがあったのでしょうね。恥ずかしくもありますし。
エレクトラコンプレックスの1種でもあるのでしょうけれど、オトコノコ扱い
は、自分の優位を感じれて嬉しいわけです。でも、それでは、守ってくれる旦
那さまや彼氏は、出来にくいですね。
7.姉妹間の葛藤
これは、相当根深かったです。こころの中で起きていたのは、精神的に参って
しまった姉への遠慮と罪悪感としがみつき。小さい時から、お姉ちゃんの先に
歩くのが、本当は怖かったんですね。
8.変化への怖れ、人生のコントロール
そうそう、仕事、キャリアの方が、まだ、予測が立つような気がしているんで
すよね。‘自分の力’でという側面のほうが大きいように思いますもの!パー
トナーシップを持つ、お互いの人生に対して責任をもつ、影響される、そして
、自分の変化が予測不可能である・・・。
これは、じつのところ、相当‘怖い’こと。実は人生にたいする臆病さの側面
でもあったりします。
そして、最大の私の企みは‘幸せになる’と決めていなかった事。
パートナーがいること=幸せである、ないですが、自分にとって理解者を得る
こと、そして相手に理解者として、力強い影響を与える事、これは最近では幸
せなことだと思うのですね。
であれば、人との出逢いはとても貴重な体験。
たとえ大変でも、パートナーシップを持ち、幸せになってもいい☆と自分の人
生の方向性を決める事。
それが、最大に、私にとって、難関だったのかもしれません。
人生の前に立ちはだかる壁のようなものを感じることがあるかもしれません。
具体的には仕事やキャリア、ビジョンに、関わること、健康にかかわる事、そ
れこそ、今在るパートナーシップにかかわる事、かもしれません。
私が心理的にパートナーシップを持たないように、使っていたからくりが、実
際のところ、どんな問題にも潜んでいる事があり、癒される可能性を待ってい
る事がありえます。
お役に立てると幸いです。
さてさて、私たちカウンセラーにとって、一番の教材は、本当のところ、自分
自身。
1年後、そして2年後、10年後の自分をみなさまに見ていただけるように、
この‘からくり’たちと格闘してみようではありませんか^^。
結婚観や、幸せとは、が、自分自身に問われ始める時代に、みなさまと一緒に
‘幸せ’を考えていきたい!というのが、私の願い。。。
明日も、いいことがありますように!
上西直美のプロフィールへ>>>

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