「育てる側」のはずが…子どもに救われた朝

忘れていたつもりの、痛み

私は、小さい頃、おねしょをする子でした。
しかも、なかなか治らず、小学6年生のある朝が、最後だったと思います。母は私のおねしょをなんとかしようと一生懸命でした。

「どうしたら治るんだろう」「早く卒業してほしい」そんな思いで、あの時代なりの方法をいろいろと試していたのだと思います。

その中で、今でも忘れられない出来事があります。
「お線香をおしりに当てると治るらしいよ」そう言われ、本当に火のついたお線香を当てられそうになったんです。

それは、私にとっては恐怖でした。
ただでさえ恥ずかしいのに、なんでこんな怖いことされなきゃいけないの――怖くて、悲しくて、涙があふれました。

でも、私はそれでも「私が悪いんだ」と思っていたんです。

どうして私のおねしょは治らないんだろう。
私の身体は故障しているのかな?
きっと私はダメな子なんだ――

自分では気づいていなかったけれど、そんな自己否定の想いが、ずっと私の中に残っていたのかもしれません。

 

息子のひと言が、心をほどいてくれた

息子が幼稚園の頃、初めておねしょをしました。私は、思わずこう声をかけていました。
「大丈夫よ。気にしなくていいよ」「さ、着替えようね」私は、そう声をかけました。
――実はこれ、私が母親になったときから、ずっと心に決めていたことだったんです。

子どもがもし“おねしょ”をしたら、怒らずにやさしく片付けてあげよう!って。
恥ずかしい気持ちや、申し訳なさに寄り添ってあげよう。でも、なかなかその機会が来なかった。
私の息子は、なぜかおねしょをしなかったんです笑
だから、その朝、布団が濡れているのを見つけたとき、ちょっと変かもしれないけれど――心の中で、こっそり「よっしゃー!」とガッツポーズをした私がいました。

やっとこの“やさしくしてあげる計画”が実行できる!と、張り切った私。(でも実は、これが最初で最後のおねしょだったんです)

そのたった一度きりの朝に、私は、ずっとしまいこんでいた想いと出会うことになりました・・・・

着替えを手伝いながら、私はふと、自分の子ども時代を思い出しました。
私も、よくおねしょをしていたなぁ。
母に気づかれないように、そっと着替えて、濡れたシーツの上にバスタオルを敷いてごまかしたこともあったっけ。

そして、着替えさせながら私は何気なく言いました。
「お母さんもね、小さい頃、よくおねしょをしててさ。おばあちゃん(私の母)によく怒られてたんだよ」って。息子に“気にしないでいいよ”という想いをこめて、軽く話したつもりでした。
すると息子が、不思議そうな顔で言ったんです。

「え? わざとじゃないのに怒られたの? なんで?」
その言葉を聞いた瞬間、私の中の何かがほどけて、涙がこぼれました。

 

育てているつもりが、育てられていた

正直に言うと、私は、母のことを責めていた時期がありました。

「母親のくせに、なんであんなひどいことをするのだろう」
「どうして、私の気持ちに寄り添ってくれなかったんだろう」
そうやって心の中で、母を責めていた。

ただ、私も母親の立場になってみて初めて、見えるようになったことがありました。 あの頃の母も、やっぱり必死だったんだと。精一杯だったんだと。

片付けの手間や、洗濯物の山。気をつけて声をかけても、何度も繰り返すおねしょに、母が疲れて、つい怒ってしまった気持ちも理解できるようになったと思います。
でも――自分自身のことは、まだ許せていなかった。

あの頃の私は、「お線香はさすがにやりすぎだよ」と思いながらも、「でも、私も悪かったから仕方ないよね」って、ずっと心のどこかで、自分を責め続けていたんです。
わざとじゃなかったのに、です。

何十年も経った今も、「私がダメだったから」「ちゃんとできなかったから」そんなふうに、自分を許さないまま、心の奥に、閉じ込めていたんだと思います。

でも――
あの日、息子が言ってくれた、

「わざとじゃないのに怒られたの? なんで?」と。

その一言が、私の目を覚ましてくれました。
「そうだよね。わざとじゃなかったのにね」・・・・息子のまっすぐな言葉が、ずっと責め続けていた“小さな私”を、やさしく抱きしめてくれた気がしたのです。

夢の中で【トイレに行く夢】を見てしまうと、そのままおねしょをしてしまうことがあった私は、起きているときにトイレに行く時も、「これは夢かもしれない」と疑うようにして、ほっぺをつねっていました。

夢だとしたら、つねった痛みで目が覚める!子どもなりに考えた“おねしょ対策”でした。1回だけ、これでおねしょを防げたときは、心底ホッとしました。
そんなふうに、小さな私なりに、ちゃんと考えて、ちゃんと頑張っていたんです。

そんな小さな私に、「大丈夫だよ」って声をかけてくれたのが、息子でした。子どもの純粋で無垢な言葉は、時に大人の【過去の傷】をも癒してくれます。

「あなたは悪くなかったよ」って。
「よくがんばっていたよね」って。

そのまっすぐさが、こんなにも沁みるなんて。

子育てをしていると、私たち親は、“育てている”側だと思いがちです。
でも本当は、

育てているつもりで、育てられている。
教えているつもりで、教わっている。
そんなことの連続なんだと思います。

最近、一人暮らしをしているこの息子から、「体調を崩した」と連絡がありました。私は、具だくさんの味噌汁をタッパーにたっぷりと詰めて、息子の家へ向かいました。
一口飲んだ息子が、言ったんです。
「懐かしい味!うれしいな」って。
その素直な一言に、私はまた胸がいっぱいになりました。この子は、やっぱりまっすぐであたたかい。彼の素直さには、今も私はたびたび心を打たれ、学ばせてもらっています。

子どものまっすぐな言葉が、いつの間にか自分をほどいてくれて、思いがけない場所を、あたたかく照らしてくれる。

私のように、お子さんのまっすぐなひと言が、心の奥に触れる瞬間があるかもしれません。もし、あなたにも、そんな小さな“救い”や“気づき”があったら――
それは、きっとお子さんからの“贈りもの”だと思うのです。

子どもと共に歩んだ日々は、気づけば“自分を育てる時間”でもありました。
子育てって、思った以上に、息子たちから受け取るものが大きい時間でした――
今はそんなふうに感じています。

私のお話が、少しでもお役に立てたら幸いです。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

来週は、池尾千里カウンセラーがお送りします。どうぞお楽しみにしてくださいね!

 

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孤独感の中で生き続け、離婚や再婚、うつを乗り越えた経験から、パートナーシップや自分自身の問題を多く扱う。圧倒的な受容力と繊細な感性を活かし、言葉に出来ない感覚や感情にフォーカスすることが得意。問題に隠れた愛や魅力を見つけ、クライアントが安心して自己実現できるようサポートをしている。