思っていたよりもずっといいものがある

こんにちは。カウンセリングサービスの眞田遊子です。

新年度が始まりもうすぐ2ヶ月ですね。
みなさまはいかがお過ごしですか?

わたしは人生で大きな変化の中にいると感じています。
一人息子を育てるシングルマザーとして22年目、途中で娘を授かり未婚出産を経験したので息子と娘を持つシングルマザーです。
息子は22歳、娘は13歳になりました。

現在、パートナーと結婚に向けて色々な準備や変化を経験しています。
49歳の自分がそんな人生を生きているなんて過去の自分が一番驚くのではないかと思います。

書くことも少し恥ずかしいのですが、日々パートナーがいてくれることの幸せと安心を感じています。
彼が今日も変わらずにいてくれることと積み重なる日々に慣れてはきましたが、時々これは夢かな?と思うことがあります。
それはとても幸せだからでもあり、わたしにとって「幸せなパートナーシップ」などというものはずっと、夢のまた夢というか現実感のないものだったからでもあります。

シングルマザーになる以前からずっと「ない」と思っていた幸せ。
それが普通に、当たり前のように今自分の現実に「ある」ものになりました。
パートナーがくれる優しさは、わたしの感じる世界を今まで以上に優しく愛しいものに変えてくれました。
時々、あんなにも頑固に「ない」と言って泣いて苦しんでいたのに、こんなにも満ち足りて幸せな気持ちで毎日過ごしているなんて何がどうなってこうなったんだ?と考えることがあります。

それは欲しいと望みながら全力拒否していた自分が、自分と戦うことをやめることができたからかもしれないと思います。
欲しいという願いと、欲しくないと言ってしまう理由。
パートナーに限らず、欲しいものとそれを得ることへの抵抗感というのは誰の中にもあるものだと思います。
もしも欲しいものが手に入っていないのなら、そんな隠れた自分自身と戦っているのかもしれません。

自分の中の「ない」という思いを認めてしまったら、手に入らなくなってしまうんじゃないか。
いやいや、全然欲しいんですよ。
「ない」なんて思っていません。
そうやって大真面目に自分の心から目を背けていました。

心理学を学ぶ中でこんなフレーズと出会いました。
『願いを叶えたいなら今叶っていると知ること』

もしも今、欲しいものがあって手に入っていないのなら、それは自分の中の「欲しくない」が叶っているということで、本当に欲しいものを手に入れるためにはそれ(欲しくないという自分)を受け入れることから始めるといい、というような意味です。

何そのなぞなぞみたいなやつ、と興味を持ったのを覚えています。
だけどなんとなく本当はないと思っている自分がいたよな、と自分の中でしっくりくるものがありました。
だって、と言えるいろんなことがわたしの中で繋がります。
あるわけないんだよ、だって・・・という色々です。

心の奥では実は「ない」と思っていたことを認められるようになると途端に悲しみに襲われます。
過去にもなかったし今もないしだったら未来もないでしょうよと癇癪を起こしたくなります。
心の奥でこういうものだと思っているものは現実と向き合う時の前提です。
ないというしかなかった悲しみもあったりします。
でも救いは、あってもいいよねと言える、または言ってもいいのだということです。

わたしが身近に見てきたパートナーシップはなんだか実態のないものでした。
祖母も結婚せずに父を育てましたし父も何度も結婚しましたが誰とも続きませんでした。
それを見ていましたから、欲しいと思えるような幸せなパートナーシップはないのだと考えたのだと思います。

ないのがあたりまえのときには「ない」という思い込みに気がつくのも難しくなります。
ないゆえにわからない。

けれども「ない」という思い込みは作られます。
堂々と決めつけて、自分で決めつけた未来に苦しんでいたということになります。
自分で決めつけて苦しんでいるのなら、自分がそれを辞めることも変えることもオッケーのはずですが、簡単にはできません。
「家族がそうだから」というなんだかすごく正しそうではあるけれど曖昧な理由で、やっぱりそれはないのだと繰り返し感じていたように思います。

だけど、家族に幸せなパートナーシップがなかったことをわたしが嘆いているのなら、わたしの子供たちもまた結局嘆き悲しむことになったり、わたしのように(誰も別に幸せにならないのに)家族と同じであろうとしてしまうかもしれないと思います。
そんなのは嫌です。
誰も幸せにならない選択なんて。
まずはたった一人でも幸せになったほうがいい。

だから何度も自分に言いました。
もしもあったらいいよね。
ないと思ってたのも、わかったよ。
だけど、あったらいいよね。
だって欲しいよね。
そうやって自分対自分の仲裁を何度も繰り返したと思います。

いつの間にか「幸せなパートナーシップなんてない」という悲しみに支えられた思い込みは和らいで、欲しい気持ちが「あるかもしれない」につながるようになっていきました。
そして「ない」という頑なさが和らぐことはハートが開くこと、受け取る準備そのものだったのではないかと思います。

今のパートナーとお付き合いする少し前、同世代の方が再婚するというお話を聞いたことがあります。
その方はわたしに「ある」を見せてくれました。
あり得ないというのは、わたしの考えでしかないと実感させていただけたのをよく覚えています。
わたしの目の前に、嬉しそうな恥ずかしそうな様子で再婚するんですと言っている人が現れたのは事実ですから、あるということです。
あるものなのだなと思えて少し後にわたしの人生にもそんなことが現れました。
意識が変わると現実が変わるという実体験です。

ないという思い込みも、超えてしまえば複雑にしていたのはまさに自分だったと言えます。
欲しいものをシンプルに手に入れるためには今自分がどこかで感じている欲しいの気持ちを叩き潰さないことと、自分がそれを手に入れたっていいじゃないかと自分自身に言ってあげること、「ない」を主張したい自分の正しさを放棄する必要もあるかもしれません。

いろんなことが複雑に感じられる時には、なにかしら理解されたがっている感情があるかもしれないと思って自分と向き合ってあげるのにとても良いタイミングです。
わたしの場合は「家族が幸せそうじゃない」という悲しみがあったことに自分自身が全く気がついていませんでした。
悲しみを感じられたら、十分に理解できたら、次はこの悲しみの反対を行けばいいとわかります。
求めるものがわかったら、それを手に入れることを何度も自分に許してあげてください。
許せない理由があるのなら嘆き切れていない悲しみもあるかもしれません。
一つずつ幸せに向かっていけばいいと言ってあげてください。

わたしは昔に比べたらとんでもなく楽になったと思っていますが、いまでもそんなふうに自分との関係を育て続けています。
一つずつ理解していくことで、一つずつ自分を満たしてあげられるようになるものだと思います。

わたしの元にもたらされたパートナーシップは、欲しいと思っていた以上の素晴らしいものでした。
そんなことあるんですか?の連続ですが「ある」んですね。

あの「ない」という考えが思い込みで、真実ではなくて本当によかったと思います。
もう2度と、自分の正しさのために目の前にあるものを否定したくないと思います。
否定するのも疲れますし、そもそも否定しているということはどこかであるのを知っているからこそです。

わたしが本当に自分の欲しいパートナーシップを求められるようになって、あったら心から嬉しいと素直に感じられるようになって、あってもいいよねと思えるようになっていく中で今のパートナーとの距離も縮まっていったように思います。
いちいち怖かったことを覚えています。
それでもそうやってわたしの世界は幸せなパートナーシップが「ある」に変わりました。
あれもこれも一人でやらなくて良くなりました。
何もかも一人でやらなくてはいけないと思っていた時には得られなかった、かけがえのない幸せと安らぎがあります。
パートナーと子供たちの優しさのおかげです。

ないと言いながら本当は欲しいものがあるのなら。その制限を超えるためにどうかただ自分の心に素直になってみてください。
勇気がいるかもしれませんが「思っていた以上にいい!」そんな体験に心を開いてみてくださいね。

この記事を書いたカウンセラー

About Author

問題を引き起こす感情にフォーカスすることが得意。 対人関係、パートナーシップ、自己実現など、さまざまな問題と向き合い、その人自身が抵抗を超え、自己を本質的にいかすためのサポートを行う。 「人が人を癒す」をモットーに、心に寄り添うハートフルなカウンセリングを提供している。