競争の心理学(4)~競争を超えると才能が輝く~

「競争」を超えたいと思ったら「徹底的に打ち込む」ことです。

「自分をそのことに与え尽くす」とコミットメントをしましょう。「勝ち」にではなく「やっていること」に集中することで、意識は、競争相手や他者の目ではなく、自分が他者に何を与えられるかという自己表現に向かいます。

この段階で新しい才能が開くことも多く、「与えること」が自分の才能という贈り物を受け取ることになります。

「競争」のプロは何をしているか

アスリートや、棋士のように「競争」することを生業としているプロがいます。プロのアスリートは毎週のように「競争」に「勝つ」ことを求められます。

トレーニングをし、身体的に、あるいは精神的に自分を追い込んで勝負に勝ったとしても、また次の試合に「勝つ」ために、最初からやり直すことの繰り返しです。キリがありません。

相手と「競争」していると、誰ともつながれなくて孤独感に苛まれるでしょうね。「競争」のプロはどのような見方、考え方をするのでしょう。

私は、韓国のフィギュアスケートでキム・ヨナ選手が金メダルをとった後の、日本のテレビのインタビューが印象に残っています。

子供の頃から、長年、キム・ヨナ選手と浅田真央選手は、ライバルとして世界中から注目されてきました。その浅田真央選手について、キム・ヨナ選手は、

「最初に彼女を見たときに、なんて素晴らしいジャンプを跳ぶ人なんだろう、とびっくりしました。自分も4回転ジャンプに挑戦したかったけれど、無理でした。自分はこれをやり続けると身体を壊す、とわかったのです。だから、4回転ジャンプへの挑戦は断念しました。私は、私の個性を生かして表現力を磨くよう努力しました。浅田真央選手は、ある意味、一番、私の気持ちをわかる人だと思っています。それは、お互いにライバルだと世界中から見られ、その中で、トレーニングし、何度も試合に出てきた、同じ体験をしてきた仲間だからです。」

勝負相手は同じ道を進む仲間です。誰よりもお互いの気持ちがわかる相手でもあります。そんな切磋琢磨できる仲間と「競争」を超えてつながることができたら、その絆こそ、「競争」がくれる宝物の一つかもしれません。

自分を与え尽くすことは自分の才能を使いきること

「競争」を超えるためにできることの一つに「徹底的に打ち込む」というのがあります。「競争」していること、「競争」相手のことなど忘れてしまうほど、自分がやっていることに徹底的に打ち込んでみましょう。

これが恋愛ならば、「彼が誰を愛しているか」、「ライバルの他の女性たちが何をしているか」ではなく「自分が彼をどう愛するか」に気持ちを戻してみましょう。「与える」、「愛する」ことに何度も何度もコミットしましょう。

勝つか負けるかの心配をしているときは、自分にはコントロールできない相手の状況に一喜一憂し、過去の自分の失策にくよくよしたり、先のことを不安に思ったりで、「やっていること」に集中しきれていないのです。

徹底的に「(自分を)与える」ことに意識を集中すると、自分のありとあらゆる能力を総動員できます。その過程で、すでにできることをやるだけではなく、今までできなかったこともできるようになるなど、新しい才能が花開きます。

「競争」を避けるのではなく、「競争」の中に身を置き、勝ち負けにとらわれないほどに「徹底的に打ち込む」ことで「(自分を)与える」と、「競争」は、自分の才能を開花させる「自己表現」のプロセスに変質するのです。

与えることは受け取ること

自分の持てるものをすべて出し切ることを「自分を与える」と私たちは言います。「自分を与え尽くす」ことは、自分の才能を使って献身することで、自己表現の一つです。社会の一員であるあなたが、自分を思いっきり表現することは、大きな、社会への貢献になります。

人は誰しも、世の中の役に立ちたいと願っているものなので、誰かの役に立つことができると、自分の存在にOKを出し易しくなります。

「与えることは受け取ること」、つまり「愛することは愛されていることを知ること」と言います。

「競争」を超えるほどにやりきることが、究極の「自己表現」になるし、それをすることで、人(世界)を愛することになるし、人からも愛されていると思えます。

勝ち負けを超えて「やり切る」と、「競争」もまた「絆」や「才能」を受け取ることのできる、とても豊かなプロセスになります。真の「成功」は、「勝つ」ことにあるのではなく、「競争」というプロセスを通じて、自分の才能を開花させて、それを生きることで、まわりにいい影響力をもたらしていくことにあるのです。「競争」相手は、それを共に目指す仲間なのです。

(完)

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