| めろんさんこんにちは。 初めまして。ご相談を担当させていただく大谷です。
 よろしくお願いします。
 ご相談を拝見して先ず感じたことは、やらなければならない事を責任を持ってやっておられるのに満足感が無く、まだまだやらなければならないと感じておられて、そして十分に出来ていないと感じる自分を責めておられるのは、とても辛い気持ちではないかという事です。ひょっとしたら、何かに追われるような気持ちや焦りがあって、これも辛かったり、何か不安を感じる原因になっているのではと思います。
 さて、実は私達には気持や生活が安定すると、自動的に向上心のスイッチが入る仕組みになっています。例えば、食べるものも食べられずにいる状態では、生き延びる事が最優先課題になって、向上心のスイッチは入りません。
 めろんさんの場合、恐らく食べるものも食べられずに生き延びる事が優先課題となるような状況にはいらっしゃらないと思いますので、向上心のスイッチが入らないのだとすれば、気持ちに余裕をお持ちではないからではないか、と思います。
 私たちが気持ちに余裕が無くなるときは、基本的には心のどこかで自分を責めているときです。例えば、誰かから「あなたはきちんと仕事をするけど向上心が無いね」と言われたとしましょう。どんな気持ちがするでしょうか?
 いい気持ちがせず、ひょっとしたら怒りが湧いてくるのではないでしょうか?
 そして、心に余裕が無くなってこないでしょうか?
 それをめろんさんは“誰か”から言われるのではなく、“自分”で“自分”に対して常日頃から言って責めているのです。
 これでは、心に余裕が無くなってくるのも当たり前ではないでしょうか?
 心に余裕を作る為には、現在のありのままの自分を全面的に受け容れる事です。
 そこが先ずはスタート地点になります。
 その為には、
 ①“よい”“悪い”の2者択一的な判断をしない。
 ②人と競争しない。
 ③「~あるべき」という観念やルールを手放す
 という事を心がけてみてください。
 いずれも、めろんさんが自分で自分の価値を認められないがゆえに自己価値の証明をしようという気持ちから出てきているものです。
 その結果はというと、人に自分の価値評価を委ねる事になります。
 世の中には様々な価値観を持った多様な人間がいるわけですから、この方法では上手くいきません。
 自分で自分の価値を認めて初めて、気持ちが楽になるものです。
 次に、仕事の愚痴に関してですが、めろんさんは愚痴を言う自分が嫌いなのだろうと思います。しかし、愚痴が言いたくなる。
 もし、めろんさんが愚痴をいう自分を許せたとしたら、ご家族の愚痴も許せるのではないかと思います。
 先に書いた観念の手放しですね。
 ちなみに、近親者ほど酷く当たるのは、「許してもらえる」という気持ちがあり、また近親者に「こうあって欲しい」という期待があるからです。
 最後に、全般的にですが、自分を優しく扱ってください。誰か、大事な人を扱うように・・・それが一番のポイントではないかと覆います。
 回答がお役にたてれば幸甚です。ありがとうございました。
 |