匿名希望さん、こんにちは。 ご相談を担当させていただく大谷です。 よろしくお願いします。自尊心が低いということは、自分を尊ぶ気持ちが余りないということです。 尊ぶような私ではないという気持ちがありますから、そこには自己攻撃や自己嫌悪が潜んでいます。 自分の事が嫌いであれば、「きっと私は嫌われている」あるいは「ありのままの私は嫌われる存在」という気持ちになります。自分が思っている事は人も思っていると思う“投影の法則”ですね。 そうすると、誰かの普通の発言も「私を攻撃する悪意」と捉えて反撃したり、ありのままの私では受け入れられないと思い仮面を被った状態でがまんしたり犠牲的な行動になったりします。前者は自分の痛みばかりに気を取られ、パートナーの気持ちなどが見えなくなってパートナーへの信頼ができない状態を作ります。後者は、がまんしている状態と我慢している事に対する報酬を求める気持ちが働き、「こんなに頑張っているのにどうして私の事認めてくれないの!」などと怒りが爆発して関係性を壊してしまいます。 そしてその結果がパートナーシップの崩壊につながります。 もっとも、パートナーシップは二人の問題が共鳴して現れるので、自分が良い、相手が悪いというどちらかの問題ではなく、お二人のパターンがそこに絡んできます。 もし仮に、自尊心が低いパートナーがいたとしても、それを包み込めるような自分であれば、お互いに理解を深め、信頼を築きながら前に向かって進めるかもしれません。 過食行為は、心に空いた穴に何かを詰め込み、それを満たそうという気持ちです。 自己攻撃や様々なストレスがあると、食べる事によって喜びを感じたい、満足感を味わいたい、そして不快な気分を緩和したいという気持ちになります。 しかし、脳の機能がストレスにより影響を受けているので、食べても食べても満足感が得られなく、ついつい度を越して食べてしまうという状況になります。 嘔吐という行為は、過食した罪悪感からからのものです。食べ過ぎる私を懲罰的に捉えたり、太るであろう自分を戒めたりする行為です。そしてそこに共通する認識は、自分への罰です。 過食の補償行為(自分の罪を補う行為)はある種の自傷行為です。 自傷行為と言えばリストカットを思い浮かべる方も多いと思いますが、それだけではありません。 肉体的な自傷行為もあれば、心から血を流すような行為もあります。 いかに自分が愚かか、いかに自分が罰を受けるにふさわしい人間かの自己概念(心の中で思っている自己の姿)がその行動を引き起こしてしまうのです。 このような問題は、深刻さに囚われ、自分の問題ばかりを見てしまう傾向があるので、周りの状況を見ることができなくなり、パートナーとの適切なコミュニケーションや信頼関係を損なう可能性が高くなります。 私たちは何か問題を抱えると、そこに意識を集中させます。 この問題を何とかしてやろうと肩に力が入り、必死になるのですね。 しかし、それは問題解決に当たって必ずしもいい方法ではありません。 先ずは問題があることを「ある」と素直に受け容れる事、そして「問題があってもいいんだ」と問題を抱えている自分を認める事です。 そうする事によって問題と自身との適切な距離を保つことができます。 この適切な距離・・・近すぎもせず、遠すぎもせずという距離感こそが、問題解消への第1歩なのです。 回答がお役に立てば幸甚です。 ありがとうございました。 |