共依存から抜け出して対等な関係になるには

いつも何らかの問題を起こす人と、その人を「私がいなくちゃ」と支える人の関係が、共依存です。

問題は、浮気、借金、ギャンブル、アルコール、暴力、暴言、薬物など様々ですが、本来ならその人自身が解決していかなくてはいけない問題を、自分が犠牲してまで助けようとしてしまう人がいる限り、その人が起こす問題を自分で解決していくことができません。支える側の人も、自分が幸せでない状態であっても、支えることで自分の価値を得ようとしているので、離れてしまっては価値を得ることができなくなってしまいます。そうして、お互いが、お互いに依存しあっているのです。依存が悪いわけではないのですが、共依存はお互いが決して幸せにはなれない関係性なのです。

◎リクエストを頂きました◎
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(一部を編集させていただいています。)
支配欲の強い夫、すぐにかっとなって攻撃で怖がらせて相手を動かそうとする。
共依存であった自分にも責任があると、自分を変えようと思っています。
力で支配する夫、お母さんに甘やかされていて「自分の要求するものは、やってもらえて当然」と思っている相手に、私の方から100%与え尽くすという方法をとるというのは、本当に適切なんだろうかと疑問に思っています。
共依存の関係から抜け出して、対等に慈しみあっていくには、どうすればいいのでしょうか。
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まず、共依存についてご説明いたします。
共依存の典型的な例は、アルコール依存症の夫と、その夫の世話をする妻という関係ですね。
この場合は、夫はアルコールに依存していて、妻に面倒を見てもらうことで妻にも依存していて、自立していないわけです。
そして、一見世話を焼いて、自立しているように見える妻も、実はアルコールに依存して、自分に面倒を見させる夫に、依存しているのです。

他にも問題を起こす人と、その人を支える人(問題を代わりに解決しようとしてあげる)という関係性も、共依存と言えます。
問題を起こす側は、問題を起こし誰かに解決してもらう、または解決しようとしてもらうことで、自分の世話をしてもらおうとしているわけです。
そして、その人を支える側(問題を解決しようとする側)は、「私がいないとこの人はダメなのよ」という立場に相手を置いておくことで、自分の存在価値を得ようとします。
ですから、相手が問題を起こさないと、困ってしまうというおかしな事態になってしまいます。
相手が問題を起こさないと「何だか必要とされていない気がする」と感じる人もいます。

作り出す問題は、浮気、借金、ギャンブル、アルコール、暴力、暴言、薬物など様々ですが、意外と知らず知らずのうちに、共依存関係になっている場合が多くあります。
上記のような問題だけでなくても、とにかく困ったことを繰り返す人というのもいます。
共依存は、夫婦間の問題だけではなく、親子でも起こりますし、兄弟や友達関係などでも起こります。

リクエスト下さった方の場合も、相手を怖がらせる言葉で、誰かを支配しようとする問題をご主人が持っています。
この問題を解決していこうとすると、ご主人本人が自分の言動を反省し、「やってもらえて当然」という思いを改善していき、自分でできることは、自分でやっていく必要があります。

共依存から抜け出すには、問題を作る側は、自分の問題は自分のこととして、責任をもって解決していき、そして自立していく必要があるのです。

ですが、支える人(問題を代わりに解決しようとしてくれる人)がいる以上、自分で解決する必要性に迫られませんから、問題を解決する側が、問題を作る側から離れる必要も出てきます。
「そんなことをすると、もっと大変なことになる」と、おっしゃる方もいらっしゃいますが、それこそが供依存であると気付く必要があるのです。

アルコール依存症の人に、暴れるからとお酒を与え続けたらどうなるでしょうか?
余計に、アルコールから抜け出すことができなくなります。
それと同じで、様々な問題やトラブルを起こす人の面倒を見続けることは、共依存を強くしていくだけなのです。

そして支える側の人も、面倒をみさせる人に依存するのではなく、自立していくことが大切です。

問題を起こす側は、どんどん依存度合いが強くなっていき、自分の人生を崩壊させてしまうこともありますし、それを支える側の人も、苦しく辛いが離れられないし、自分の人生を崩壊させてまで、その人を支えようとしてしまうのです。両者が幸せになれないのが、共依存なのです。

そんな状態から抜け出して、お互いに対等に慈しみ合っていくには、まず共依存関係を断ち切ることが、大前提になります。

問題を起こす相手と、距離をとっていくことは、とても大切なことなのです。
その時に、相手を見捨てるような感じがすることもありますし、相手の問題を解決しようとしない、要求にこたえないようにしはじめると、もう片方は余計に問題を大きくしたり、「要求を聞いてくれないなら、もういい」と、悪い態度になることもあります。
でもそこで、相手との距離を縮めてしまうと、元の状態に戻ってしまうのです。

問題を起こす側の人は、助けてもらうこと、自分の欲求を叶えてもらうことに依存していますが、支える側の人も相手を支えることで、自分の価値を得ようとしている部分もあります。
ですからある意味、問題を起こす人がいないと自分の価値を証明できなくて、困ってしまうわけです。
つまり、問題を起こす人に依存してしまっているということになります。

ですから、共依存から本当の意味で抜け出していくには、お互いが自立するということが必要なのです。

依存状態から抜け出して自立していくには、与えるということが、とても大切になってきます。
「愛してほしい」だけの状態が依存ですから、与えるということをしていくと、自立に向かっていくことができるわけです。
ですから、相手を100パーセント愛し、与えつくすということは、自立していくには必要なことではあるのです。

しかし、ここで引っかかってしまう罠があります。
「犠牲」という罠です。

与えるというのは、相手が喜ぶこと、相手に本当に必要なことをしてあげることです。
そして、相手が喜ぶことが、自らの喜びになるということがポイントです。
相手が要求することを、あなたがしてあげることが与えることではなく、あなたがしてあげることが、相手の喜びになったり、相手のためになったりし、そのうえで自分自身も幸せだと感じることが、与えるということなのです。

相手は喜んでいるし、相手の為になるけど、自分自身は嬉しいと感じないのであれば、それは犠牲です。
犠牲は愛ではないのです。

もう一つの罠は、いくら与えようとしても、相手が受け取らない場合です。
そんな時、「どうして受け取ってくれないの」という気持ちになりますが、それは与えるということではなくなってしまいます。
与えるというのは、相手が喜ぶこと、相手に本当に必要なことをしてあげることで、なおかつ、相手が喜ぶことが、自らの喜びになることですから、あなたの愛を相手が受け取ることを喜びと感じられないのであれば、その意思を尊重してあげることが与えるということになってくるのです。

対等に慈しみ合っていける関係になるには、お互いに自立することと、お互いが与え、そして受け取ることができる状態になったときに、手に入るのです。
どちらか一方だけの努力では、なかなか実現が難しいものではあります。
でも、まずはどちらか一方だけでも、自分を変えることにチャレンジし、100パーセント本当の意味で与えていくことは、とても意味のあることです。
もしも、相手が変わらなかったとしても、それだけ誰かを100パーセント愛せる自分を誇らしく思うこともできるでしょうし、何よりも確実に魅力アップすることができます。

そうやって自信を取り戻していくことで、支える側の人が持っている問題(誰かを支えることで、価値を得ようとする)を、解決していくことができ、共依存から抜け出していくことができるのです。

この記事を書いたカウンセラー

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恋愛や結婚、浮気や離婚など男女関係、対人関係やビジネス関係、家族関係や子育て、子供の反抗期、子離れ、親離れ問題など幅広いジャンルを得意とし、お客様からの支持が厚い。 女性ならではの視点と優しさ、母としての厳しさと懐の深さのあるカウンセリングが好評である。PHP研究所より3冊出版。