“変われない”理由が見えてきたら、自立ははじまります
共依存をほどく第2回は「助けられる側」の視点から。
共依存という言葉を聞くと、多くの人は「支える側」の頑張りに注目しがちです。
けれどその関係を成り立たせているのは、もう一方の「助けられる側」の存在でもあります。
たとえば、こんな状態に心当たりはないでしょうか?
・何度も仕事を変えているけれど、どこも長く続かない
・定職に就けず、家族やパートナーの収入に頼っている
・家事や手続きが苦手で、生活の細かい部分をいつも誰かが肩代わりしてくれている
表面上は「本当にありがたい」と感じている。 でも、どこかで「私なんて…」「また迷惑をかけてしまった」と罪悪感を抱えている。 そして、申し訳なさを感じながらも、「この人だけは離れていかない」と、どこか安心している自分もいる。
このように、助けられる側の人は、「頼ることに安心を感じながらも、自立に対する恐れや不安を抱えている」ことが多いのです。 これは意志の弱さや甘えだけでなく、深い心理的背景があります。
■ 助けてもらえる=大切にされている証?
誰かに助けてもらうこと、守ってもらうこと。
それは安心につながる経験です。
とくに過去に、見捨てられたと感じた体験があった人ほど、「この人は見捨てない」「こんな自分でも離れない」という事実が、心の支えになります。
ただし、この安心が強くなりすぎると——「ダメな私でいれば、相手との関係が続く」「頼っている状態が、つながりを維持する手段になってしまう」という形に変わっていきます。
■ 変わるのが怖い理由
「このままじゃダメだ」と思っていても、変わることは簡単ではありません。 なぜなら、変わることには“代償”が伴うと感じているからです。
たとえば——
・自分で仕事をしてお金を稼げるようになったら、「もう助けなくていいね」と突き放されるかもしれない
・できるようになったら、優しくされる理由がなくなるかもしれない
・問題を起こさなくなったら、「あの人」にとって私は必要じゃなくなるのではないか
そんな不安が、自立の一歩を止めてしまいます。 「助けてもらうことで保ってきた関係が壊れるかもしれない」と思うと、動けなくなるのです。
■ 助けられる側にある、罪悪感
もうひとつ大きな感情としてあるのが、“罪悪感”です。
「何年も生活費をもらってばかり」
「家事も満足にできなくて申し訳ない」
「自分が変わらないせいで、相手に負担をかけ続けている」
このような気持ちを抱えている人はたくさんいます。
ただ、罪悪感を持てば自立できるかというと、そう単純ではありません。
むしろその罪悪感は、「私はやっぱりダメだ」という思い込みを強め、行動へのエネルギーを奪ってしまうことすらあります。
結果として、変わりたい気持ちと諦めが同居するようになり、「どうせまた迷惑をかけるんだから」と、挑戦することそのものを避けてしまうのです。
■ 自分を責めないことが、変化のはじまり
助けられてきたこと自体を否定する必要はありません。
それは必要な助けであり、あなたが過去の状況のなかで最善を尽くしてきた証でもあります。
だからこそ、自立に向かおうとするときに一番大切なのは、「今までの自分を責めないこと」です。
今までやってこられなかったことに対して、「できなかった自分はダメだ」と決めつけない
「これから変わってもいい」と、自分に言ってあげる。
小さな挑戦を、成功とは別の視点(勇気・一歩)で評価してあげる。
変わることに必要なのは、責めることではなく、自分への信頼を少しずつ積み重ねていくことです。
■ 頼ることと、依存することは違う
大切なのは、誰にも頼らないことではありません。 「頼る」と「依存」は似ているようで、大きく違います。
・依存は「自分では何もしない」「責任を他人に預ける」こと
・頼るとは「自分でできることはやり、できないことをお願いする」こと
自分の意思と選択を持ったうえで、「お願い」として誰かに助けを求めること。
それは立派な“関係性の力”です。
助けてもらうことに、後ろめたさではなく、自分の意志と感謝が含まれているか。
そこが、“共依存”と“健全なつながり”の境目になります。
変われない自分を責めすぎず、
それでも変わりたいと願う気持ちを大切にしてみてください。
その気持ちがある限り、いつでも、“自分の人生”を取り戻すことができるのです。
次回は、共依存の中で「境界線」があいまいになっていく理由を扱います。
相手の問題と自分の問題が混ざってしまうとき、どんな背景があるのか。
そして、自分の心を守るために必要な「距離」について、一緒に考えていきましょう。
(続)