大切な人を失っても幸せにならなければならない理由

ここ数年続く猛暑の夏が、今年はいつにも増して堪えた夏だった。
暑さとは別の、なんともやりきれない、胸の奥から静かに悲しみが染み渡るような季節になった。

夏のはじめころ、名古屋に向かう途中で子どもの頃よく一緒に遊んだ兄の親友の”ケンくん”の訃報が届いた。
小学生のころケンくんが我が家に泊まりにきたときは、兄と私の3人でよく「人生ゲーム」をした。

「人生ゲーム」とはルーレットを回してマスを進めるすごろくゲームのことで、就職・結婚・出産など人生でのイベントを擬似体験しつつ億万長者を目指すゲームだ。
車を模したコマに自分やパートナー、子どもを乗せて目指すは大富豪。

あるときその「人生ゲーム」で大勝ちしていたケンくんが最後の最後で大逆転し、大負けして呆然とした顔をしていたのが可笑しくて、お腹がちぎれるんじゃないかと思うくらい大笑いしたことがある。
やさぐれたケンくんは悪態をつきはじめ、それがまた可笑しくて3人で笑い転げた。
小学3年生だった私はなぜか「この楽しい場面は忘れないでおこう」と思った。
なので、今でもはっきりとそのときの場面を覚えている。

ケンくんが不治の病に侵されていると聞いたのは一昨年だった。
ずいぶん昔に、就職で関東に引っ越したと聞いていたケンくんが去年の夏、兄に会いにきたときその風貌はすっかり変わっていたが、優しい目と穏やかで柔らかな話し方は40年の時を経ても全く変わっていなかった。

「いつまでこの暑い夏が続くんだろう」

早く涼しくなって欲しいと願うころ、従弟が亡くなった。
私よりも7つ歳下の彼とはそこまで親しい間柄ではなかったけれど、自分でも驚くほどショックだった。
彼もまた寡黙でシャイな人だった。
数年前に叔母が亡くなり、ひとりでは寂しいだろうと兄の家に集まるときは声をかけたりもしていたが「遠慮しておきます」との返事。
無理にでもこちらから押しかけた方がよかったのか、今でもわからない。

従弟の訃報の翌々日に元夫の妹である義妹が逝った。
元夫とその弟妹たちとは今でも交流がある。
元夫には弟妹が多い。
弟妹たちは、たまに連絡をくれたり遊びにきてくれたりする。

逝ってしまった義妹との出会いは最悪で「結婚式?出ないから」と言い放たれた私は愕然とした。
初対面でそんなことを言われた私は「なんて感じの悪い妹なんだ」と憤慨した。
が、元夫は前の彼女と別れたことを知らせずに私を結婚相手として紹介したものだから、前の彼女と仲良くしていた義妹としては私のことは「誰?この女」状態だったということは後から知った。
とはいえ私はそのことを根に持ち、義妹についた最悪な印象はしばらくのあいだ拭えなかった。

出会いは最悪だったけれど付き合いが深まるうちに義妹とは気が合い、よく飲んだ。
少々口は悪いけど長女である彼女は、弟や妹たちの面倒をよくみるしっかり者。

そんな彼女が余命5年を宣告されたのは10年前だった。

元夫と離婚したとき「あのオヤジ(元夫)とおねえちゃんが離婚しても、私とおねえちゃんの関係は変わらんから」と言ってくれた言葉に、どう形容していいかわからない感情が胸に広がった。

その言葉通り、離婚後も彼女とはときどき飲んだ。
飲みだすとくだらないどうでもいい話しでよく笑い、弟妹達について、子ども達について、家族や友達、人生についてなど、“朝まで徹底生討論”ばりに話題は尽きず、寝るのはいつも朝日が昇ってからになった。
裏表がなく真っ直ぐで、ぶっきらぼうのように見えてその実は少女のような可愛らしさを持つ、笑顔が魅力的な女性だった。

「いつかは、、、」と覚悟はしていたものの、そのときは現実味がなかった。
が、少しづつ病が彼女の体を蝕み、意識ははっきりしながらも体が動けなくなって9年の月日が流れていたことを思うと、穏やかな彼女の顔を見たとき、心から労いと感謝の気持ちが涙とともに溢れた。

僧侶が「故人はあなたの胸の中で今も生きています。だから、一日一日を大切に生きて残された者は幸せにならなければなりません。そうすれば、先に逝った人もあなたの中で幸せを感じられるのですから。共に生きたことに感謝を」というようなことを言った。
私の心にすんなりその言葉が入ってきたのは、心理学でも同じようなものの見方、捉え方をするからだ。

どんな形であれ、大切な人を失うという出来事は私たちの人生の中で最も深い痛みのひとつだと思う。
その出来事を受け止めるのに時間を要するかもしれない。
また、日々の生活に紛れて悲しみが薄れていっても、ふと思い出して寂しさが湧き上がってくることもあるだろう。

けれど、出会えたことや一緒に過ごした時間を思うと、たくさんのものをもらっていたことに気づく。
楽しさや嬉しさや喜び。
怒りや悲しみや寂しさでさえ分かち合って、支え合っていたのだな、と。

そうやって私の心が感謝の気持ちで満たされると私の胸の中に生きている彼らも、幸せに満たされた笑顔でいてくれるのを感じる。
なぜなら、彼らは私の幸せを願ってくれているだろうから。

僧侶が言ったように、人はみな幸せにならなければいけないと思う。
自分のためだけじゃなく、自分の幸せを願ってくれている人のためにも。

そんな人は必ず、誰の周りにもいるのだから。

この記事を書いたカウンセラー

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恋愛や夫婦、浮気、離婚などのパートナーシップから対人関係、子育て、また、死や自己受容のテーマなど幅広いジャンルを得意とする。 女性的で包容力があり、安心して頼れる姉貴的な存在。クライアントからは「話しをすると元気になる」「いつも安心させてくれる」などの絶大なる支持を得ている。