昔、夜中にふと目が醒めてなかなか寝つけずテレビを点けて、見るともなくボーっと眺めることが、時々あった。
 今は、一度寝ると夜中に起きることはほとんどなく、朝、目覚ましが鳴ってもなかなか起きれないけれど。
 夜中のテレビは、お笑い番組が多いかと思う。
 若しくは、昔の映画だったりドキュメンタリーだったり。
 今年二十歳になる息子が、まだ2歳にもなっていなかった頃だったと思う。
 ふと目が醒めてなかなか寝付けずテレビを点けてみると
 『私たち人間が犯す最も罪なこと。それは、殺人でも盗みでもなく、自分に正直に生きないことです』
 と見知らぬオジサンが話していて、吃驚した。
 これはかなりの衝撃であった。
 「え”っ!?人間の最たる罪が、自分に正直に生きないことなの?そして、それは殺人や盗みよりも罪深い事なのかッ!?」
 確か、NHKか教育テレビだったと思う。
 自分に正直に生きてさえいれば、人を殺したり盗みを働いたりしてもよい、などとこのオジサンが言いたいわけではないことは、モチロン理解できたけれど。
 それにしても、国営放送でそんなこと堂々と言い切るなんて、大丈夫なのか?と要らぬ心配もしたりして。
 そのオジサンはアナウンサーだったのか、宗教家だったのか哲学者だったのかわからないけど、なぜ、そう言えるのかの説明もしていた、と思う。
 説明をしていたと思うのだけど、あまりの衝撃に説明の部分は私の記憶に、無い。
 だけど、なんとなくそのオジサンの言わんとしていることも解るような気がした。
 私たちの心の土台には “愛と親密感” があります。
 それは見えるわけでもないし、そんなものあるように感じなかったとしても、です。
 『すべての問題は分離感から』
 そして
 『この世に産まれた時から、分離感を感じている』
 と言われます。
 私たちは、漏れなく母親から産まれてきているわけです。
 そしてある時、お母さんのお腹から一生懸命、産道を通ってこの世に産まれ出てきたわけです。
 産まれ出て来た時には、まだ繋がっていたへその緒が先ず切られます。
 母親と一体だった自分がそこから産まれ出て、それぞれの“個”となり、繋がっていたへその緒も切られるわけですから、その時に初めて分離感が芽生えたとしても不思議ではありません。
 そして、その分離感があらゆる問題の元になるのだとすれば、私たちの根底にある
 “愛と親密感”に素直に正直に在れば、そうそう問題を抱えることは無い、と言えることが出来ます。
 しかし、私たちは成長過程で
 ・親から認められていない
 ・こんな自分ではダメなんだ
 ・誰も私を解ってくれない
 ・自分は迷惑な存在
 など、色んな“誤解”や“思い込み”をします。
 けれど、そんな風に感じるのはとても辛い。
 そもそも、“愛と親密感” で繋がっていたものが、「そんなものはハナからなかったのではないのか?」と疑い、誤解し思い込んでしまうわけですから、分離感や寂しさはますます強化されていくように感じます。
 あるはずの愛が見えず、「自分にはなにも与えるものが無い」「自分は誰からも何も与えられなかった」「誰とも親密になれず、理解し合えることなど無いだろう」と思い込むと、あちこちで問題が発生します。
 「自分には愛を与えられてきたし、誰かに愛を与えることもできる」
 「人との関係で親密感を感じることも出来るし、人を理解しようとすることも出来る」
 なぜなら、 “愛と親密感” が土台にあるからです。
 これに疑いを持たず、正直に欲しいものを欲しいと言え、与えれるものを与えていると、さして問題になることは無い。
 だから、人殺しや盗みを犯す前に
 『自分に正直に生きる』
 ことは、なによりも大切なことなのだ、と、あのオジサンは言いたかったのだと思うのです。
 しかし、正直に生きて来たつもりが実は、「怖くて自分を誤魔化していただけだった」と言うことも人生の中にはあります。
 そんな時は、愛と勇気を持って、自分を赦してあげたいですね。
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