こんにちは、永瀬玲子です。
 ずいぶん前の出来事になりまが、この春から中学生になった息子が、5歳の幼稚園児だった頃の出来事をお話したいと思います。
 当時の私が、5歳児である息子を前にぶち切れした時の話です。
 息子の「つまんなかった。」という一言で。
 ここで少しさかのぼって、ぶち切れるまでの経緯をお話したいと思います。
 幼稚園の春の遠足で、遊園地に行った時のことです。
 遠足自体は、14時前に現地で解散になりました。
 解散後はもちろん自由なので、私達親子は、他の親子と一緒に遊園地で閉園の17時まで遊んで行くことにしました。
 仲のいいお友達と、おおはしゃぎしながら乗り物に乗っている姿は、本当に楽しそうに見えました。
 ところがです。
 閉園時間となり、遊園地を後にしながら息子が言った一言は・・・
 「つまんなかった。」
 私は耳を疑いました。
 「あんなに楽しそうだったのに?」
 「途中で帰らなくてはいけない子もいる中で、最後まで遊んだのに?」
 心の中でそうつぶやきながら、「そう? 楽しそうだったけど。」と息子に言葉をかけて、この話題は終わりました。
 そして別のある日。
 そう、私がブチ切れしたあの日です。
 その日は、親子4組で東京ディズニーランドへ行きました。
 みんなで色々なアトラクションに乗って楽しみました。
 中には息子ひとりだけが乗りたがらないアトラクションもあり、その時間は別行動をしたりもしましたが、とても楽しい一日を過ごしました。
 いえ、楽しい一日を過ごせたと私は思っていました。
 と言い換えた方がいいかもしれません。
 帰り際、息子が言いました。
 「つまんなかった。」
 前回の件があったので、私は「またかぁ・・・」と思いましたが、みんなも一緒だったので、「楽しそうだったけどね。」と言ってその場は終わりました。
 ところが、帰宅してからまたも息子が言うのです。
 「つまんなかった。」と。
 そこで、私はブチ切れました!
 「この前といい、今日といい、あんなに楽しそうにしていて、一体何がつまらないのよ!(怒)」と。
 5歳児を前に、大人げないと思っていても止まりません。
 そして、言ってはいけない一言まで言ってしまうのです。
 「自分だけ別行動して、やりたいようにやってたくせに」と。
 息子は泣き出しました。
 こうなると、もう話どころではありません。
 私は友人に電話で話を聞いてもらいました。
 友人には、うちよりも大きいふたりのお子さんがいて、母としての器の大きさを尊敬すると共に、子どもの目線で物事を見て考えられるということでは、本当にたくさんのことを学ばせてもらっています。
 ここまであったことを友人に全て伝えました。
 すると友人は一言。
 「私は、Sくん(うちの息子)の気持ち、わかる気がするよ。」と言うのです。
 私はつかさず聞きました。
 「なんで? どんなところが?」
 「たぶんだけど、Sくんは、こう言いたいんじゃないかな?
  『本当に楽しくてずっといたいのに、帰らなきゃいけないなんてつまんない』って。」と友人は言うのです。
 そして、「Sくん本人に聞いてみたら?」と言ってくれました。
 翌日、私は早速息子に聞きました。
 「昨日のことだけど、『つまんなかった』って言ってたけど、何がつまらなかったの?」と。
 息子は「ただ、つまんなかっただけ。」と答えたので、昨日の友人のアドバイスを織り交ぜてもう一回聞いてみました。
 「違ったらごめんねなんだけど、もしかして、すごく楽しい遊園地を帰らないといけないことがつまらなかったの?」と。
 すると息子は即答。
 「昨日、そう言ったじゃん。」
 心の中で、「君はそんなにわかりやすく言ってくれてはいないぞ。」と思いましたが、その瞬間、私は息子を抱きしめていました。
 「君が、本当に伝えたかったことを、お母さんはわかってなかったね。」と言いながら。
 実は、主人とも似たような出来事がありました。
 主人が転職をして、お給料がすごく下がり、我が家が節約をしながら毎月を乗り切っていた頃のことです。
 夏休みを前に、「今年の夏休みはどうする?」と夫婦で話をしていました。
 私が「楽しい夏休みにしたいな。」と言うと主人が一言「そんなに贅沢がしたいのか!」と怒りながら言うのです。
 贅沢がしたいなんて、一言も言ってないのに。
 主人の中には、「楽しむ=贅沢をする」という公式があるのかもしれません。
 自分が伝えたいことが、伝えたいとおりに相手に伝わるとは限らない。
 そう考えると、伝えるための言葉だけれど、表現にはたくさんの工夫と配慮が必要なのかもしれません。
 「伝えるって難しい」改めてそう感じた出来事、そして私自身が学んだ出来事でした。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。