そのストレスの感じやすさの裏には、“犠牲アレルギー”があるのかもしれません。
犠牲アレルギーを癒し、克服していくことで、心は少しずつストレスから解放されていくでしょう。
■犠牲を求められるシーンは、日常の中にたくさんある
社会生活では、犠牲を求められるようなシーンがあります。
例えば…
・休みの日も仕事のLINEに対応する
・懇親会・忘年会に出なければいけない
・町内会行事に参加を求められる
・サービス残業を当たり前とする文化
・家族のために趣味を減らすことを求められる
これらのシーンも、人によればそれを犠牲と捉える人もいれば、愛情からしていると捉える人もいるかと思います。
例えば、“家族のために趣味を減らすことを求められる”というシーンで、「家族のために、自分が我慢をしいられるのはつらい」と犠牲感を感じる人もいれば、「家族のためになるなら喜んでしよう」と思い、家族のためになっている充実感を感じながらしているという人もいるかと思います。
それぞれの感じ方に正解・不正解はありません。
どちらの感じ方も、その人が大切にしている価値観の表れです。
ですので、挙げられた例を読んで「これって犠牲なの?」とご自身にとって当てはまらない場合もあるかと思いますが、当てはまらない方は、あなたにとって社会生活の中で犠牲を求められるようなシーンを思い浮かべていただけませんでしょうか?
皆さんの社会生活(恋人関係、友人関係、家族関係、職場、その他コミュニティー等々)で、犠牲を求めるようなシーンはありませんか?
犠牲度合いが大きい、小さい、頻度が多い、少ないはあれども、社会生活で犠牲を求められるようなシーンは多くの方にあるのではないでしょうか?
そんな犠牲を求められるようなシーンでは、あなたの心の動きはどんな動きをしていますか?
1・あまり気にしない
2・ちょっと嫌だけど、まぁいいかと思える
3・犠牲を受け入れるけど、心の中は結構ストレス
4・犠牲はしたくないので断る。断った後は気にならない。
5・犠牲はしたくないので断る。断った後も犠牲を求められたことに対してストレス。
3番、5番の方は、もしかしたら犠牲アレルギーなのかもしれません。
(犠牲はストレスを伴いやすいので、3番は犠牲アレルギーではなく、シンプルに犠牲をしているからストレスになっている場合もあります)
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■犠牲に感じる度合いは人それぞれ――ストレスの感じ方にも違いがある
犠牲を求められるようなシーンで、ストレスが強めになってしまうというお話をお聞きすることがあります。
例えば、休暇中に職場から電話が入ったので電話に出る。
「ごめん。〇〇関係の資料って、どこにあるか知ってる?」
そんな問い合わせの電話。
「資料棚の1番上の棚の左端のほうにありますよ」
と1分弱の会話をした。
その電話を切ったあと、
「なんで休みの日の時間に仕事をさせるの」
と、その後長い時間怒りが止まらない。
プリプリ怒るというよりも、プリプリプリプリプリプリプリプリプリプリプリプリと続く。
「なんで休みの日の時間に仕事をさせるの」
というのは全くそうですし、犠牲を求める方に改善してもらいたいことではあると思います。
なのですが、人によっては「休みの日だけど、ちょっとくらいいいか」と思う人もいれば、「めんどくさいなぁ、もう」と一瞬思って終わる人もいれば、この例のように、長い間ストレスが収まらないという人もいます。
いろんな感じ方があるのですが、犠牲を求められるようなシーンがあると、なぜあなたの場合は過度にストレスになってしまうのでしょうね?
ということをカウンセリングでクライアントさんと話し合っていくと、過去に犠牲でつらい思いをしたという体験が、犠牲に関してのアレルギー反応を作ってしまっていたということがわかることがあります。
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■過去の体験が“犠牲アレルギー”という心理メカニズムをつくていた
例えば、犠牲してしんどかったことというと、こんなケースがあります。
子どもの頃、ご両親の仲が悪く、お母さんからお父さんの愚痴を聞かされていたというお話をカウンセリングでお聞きすることがあります。
愚痴が始まると、30分、1時間、1時間半、2時間・・・と毎回長く、いつ終わるかわからない愚痴をしょっちゅう聞かされる。
子どもとしては、お父さんのことは嫌いじゃないのに、お父さんの愚痴を聞かなきゃいけないのはしんどかったこと。
また、お母さんの愚痴に対してお父さんを弁護しようものなら、たちまちお母さんは不機嫌になってしまうので、言葉の選び方に気をつけなきゃいけないのもしんどい。
結果、お父さんのことを嫌いじゃないのに、お母さんの味方になるような発言をしなきゃいけない(そうじゃないと、お母さんが不機嫌になるので)。
そんな、聞きたくもない話を聞かなきゃいけないという犠牲が、何年も何年も続くという話をお聞きすることがあります。
「それは本当にしんどかっただろうな」と思いながら過去の体験をお聞きさせてもらうことがあります。
そんなつらかったご経験のお話をしてくださると、クライアントさんの目からぽろぽろ涙がこぼれてくることがあります。
涙が出てくるというのは、まだ癒えていない痛みがある印です。
その癒えていない痛みが、「もうこれ以上犠牲は嫌だ」というアレルギー反応を作っていたのです。
そのつらかった思いを話したり、涙を流したりして浄化していくと、アレルギー反応が弱まっていくケースがたくさんあります。
浄化していき癒されていくにつれて、アレルギー反応が
100% → 80% → 60% → 40% → 20%・・・
という具合に、一気にアレルギー反応がなくなるというよりも、弱くなっていき、やがて犠牲を求められるようなシーンでも気にならなくなるような形で、アレルギー反応がなくなっていく形で変化していくことが多いです。
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■癒して、犠牲アレルギーをやわらげていく
もし、あなたが
「私にも犠牲アレルギーがあるような気がする」
とか、
「私は犠牲の“ぎ”の字くらいのレベルの小さい犠牲でもアレルギー反応がある」
などであれば、もしかしたら犠牲をしてつらかった体験が関係するのかもしれません。
そして、その時の痛みがまだ癒えきれていないのかもしれません。
もし、そうであればつらかったですね。
つらかった思いを誰かに話して浄化していくと、アレルギー反応が弱まって、より生きやすくなるかもしれません。
あなたの犠牲アレルギーがなくなっていくといいですね。
あなたが犠牲アレルギーから解き放たれ、人生が、より楽に、自由に、生きやすくなりますように。
(完)