がんばってる自分、見せられますか?
その裏には、自信のなさや“本気を見せるのが怖い”という心の動きがあります。
なぜ人は努力を隠したくなるのか。
この記事では、「がんばってる感が恥ずかしい」と感じる理由と、その背景にある心の動きを解説します。
こんにちは、大門昌代です。 今回は、「がんばってる感を出すのが恥ずかしい心理」についてのお話です。
◆ がんばってないふりをしてしまう瞬間
たとえば、長時間かけて資料を仕上げたのに、「まあ、適当にまとめただけです」と言ってしまう。
何度もリハーサルを重ねた発表の前に、「ぶっつけ本番なんですけど」と前置きする。
周囲にどう思われるかよりも先に、自分自身が「本気の自分」を見せることに照れくささや居心地の悪さを感じてしまう。
それはなぜなのでしょうか?
◆「本気でやったのにダメだったら怖い」傷つきたくない気持ち
一生懸命にがんばったからこそ、うまくいかなかったときの落ち込みも大きくなる。 その心の痛みを先回りして避けるために、「そこまで本気じゃなかったことにしておく」 これは、人が自然にやっている心理的な防衛のひとつです。
本気でぶつかった結果が評価されなかったとき、
「全力でやったのに伝わらなかった」という事実は、とても苦しいものです。
だから無意識のうちに、「これは本気じゃなかったし」と曖昧にしておけば、失敗したとしても自分を守れる気がするのです。
言い換えれば、“がんばってない風”というのは、自分の心をやさしく包むクッションのようなものなのかもしれません。
◆「必死に見えるのがダサい」カッコ悪くなりたくない心の抵抗
いつの頃からか、がんばっている人を少し茶化すような空気がありませんでしたか? 「ガチ勢」や「意識高い系」という言葉が出てくるようになってから、本気で努力する姿を見せることが、どこかで「暑苦しいもの」扱いされるようになった感覚。
がんばってる人は“必死すぎてダサい”
余裕のある人こそスマート
天然でできる人の方が“センスがいい”
そうした無言の価値観の中で、がんばりを隠すこと=洗練された振る舞いのように思われるようになります。
これはとても日本的でもあり、また“優等生”として育ってきた人ほど、がんばりを表に出すことに対する抵抗感を強く持ちやすい傾向があります。
◆「承認欲求」が透けて見えるのが怖い
がんばっていることを見せると、「認められたい自分」も同時に見せることになります。 それが、なんとなく恥ずかしい。
たとえば、 「よく思われたくてやってると思われたらどうしよう」 「“頑張ってる私を見て!”ってアピールに思われたら嫌だな」
そんな思いが頭をよぎり、素直に努力を見せることが“あざとい”とか“必死すぎ”と思われるのでは?と身構えてしまうのです。
そして、「別に認められたいわけじゃないし」と自分に言い聞かせる。
でも本当は、誰かに気づいてほしい。できれば、ちゃんと見てもらいたい。
その“矛盾した気持ち”が、人をいちばん複雑に、そして苦しくさせます。
◆「努力しても報われない」を学んだ過去の記憶
小さなころ、がんばって描いた絵が、思ったほど褒めてもらえなかった。 一生懸命練習したのに、試合に出られなかった。 成績は良かったのに、「もっと上を目指せ」とだけ言われた。
そんな過去の体験は、大人になってからも、心の奥にしっかりと残っています。
そして私たちは無意識のうちに、こう学習してしまいます。
「がんばっても意味がない」
「むしろ、がんばったのに認められなかった方が恥ずかしい」
こうして、努力の“見せ方”にブレーキがかかるようになるのです。 そして、がんばってることほど誰にも言わなくなる。 心の中だけで、「がんばってる自分」を大切に抱えてしまう。
◆ がんばってないふりの奥にあるのは、誠実さと繊細さ
本当は、がんばってることを自慢したいわけじゃない。 ただ、自分が積み重ねてきたことを、少しだけ受け取ってもらえたら嬉しい。 でもそれをうまく伝えられない。
そんな自分に対して、 「なんで私は堂々とできないんだろう」 「もっとアピールできたら、楽なのに」 と責めたくなることもあるかもしれません。
でも実は、がんばってる自分をさらけ出すのが恥ずかしいのは、それだけあなたの心が、繊細で、誠実だからなのかもしれません。
「軽く見られたくない」
「期待を裏切りたくない」
「誰かを押しのけて目立つのはイヤだ」
そう思えるあなたの内側には、やさしさがちゃんとあるはずなのです。
◆ 最後に:誰にも言わなかった努力を、自分だけは知っている
誰にも見せなかったけれど、
がんばってきたことって、きっと誰にでもあると思うのです。
その時間が報われたかどうかにかかわらず、あなたが積み重ねてきたことは、確かにあなたの力になっています。
がんばってる自分を見せるのは、勇気がいること。
でも、見せるかどうかは置いておいて、まずは自分自身が知ってあげる。
それだけで、心は少しずつほどけていくのかもしれません。
簡単ですけれど、参考になりましたら幸いです。
(完)