ありえないほど幸福になる〈許し〉の法則(1)~誰かに言い忘れた「ありがとう」~

本当は言いたい「ありがとう」 言えずにいる罪悪感

私たちの問題を作っているのは「罪悪感」という感情です。
「罪悪感」が強いと、「自分は愛されるのにふさわしくない」と思うので、人生がいい方向に行こうとするとそれを押しとどめるかのように失敗や挫折を招くようなことをします。
私たちの最大の罪悪感は、「愛を受け取らなかった」というもの。
あなたは誰に、「ありがとう」を言い忘れているのでしょうか?そろそろ、その「ありがとう」を伝えてみませんか?

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こんにちは。みずがきひろみです。

今春は、元号も変わりますし、どこか、大きくリフレッシュして、新しいスタートを切れるような空気を感じておられる方も多いのではないでしょうか。

過去を断捨離して、スムーズに再出発するのには、〈許し〉の法則を使うのが最も効果的です。

あなたが、過去の重荷を下ろして、軽やかに前に向かって歩みだしたとき、きっとありえないほどの幸福があなたの心の扉をノックすることでしょう。

そんな、心機一転、ここからまき直しを期するあなたのための、〈許し〉のポイントを解説する4回シリーズです。


●もしあなたが幸福だと感じられないとしたら、そこには「罪悪感」があります。

人生、いつだって、うまくいかないことの一つや二つ、ありますよね。

それでも、いきなり雨が降ってきたときに、たまたま折畳み傘を入れっ放しにしていたバッグで出てきていたからずぶ濡れにならずに済んだとか、乗りたかった電車に間一髪で飛び込めたとか、「私、運がいいかも」って思えることだってあるはずです。

うまくいっていないこともあるけれど、「よかった」と思えることも何かしらあって、そんな「よかった」こと、「ラッキー」と思えることに感謝できる人は、幸せになりやすい人です。

でも、もし、あなたが、夜、家で1日を振り返って、「幸せ~!」って言えないとしたら、それはうまくいかない問題で頭と心がいっぱいいっぱいになっているから。

ずっとうまくいかないことばかり考えているのってしんどいですよね。しかも、大概は、自分ではどうにもできないことで、悶々と悩んでいませんか?

このように「問題」に絡め取られてしまい、過去の出来事を悔やみ、将来を心配し、「なぜこんなことになってしまったんだ!」とうしろめたく思い、自分を責める感情を「罪悪感」と言います。

そんな風に心の中で自分を叩き続けると、心は、「私ってそんなものだから幸せになる資格なんかない」と思い込んでしまいます。

自分ではそのつもりがなくても、心の奥底で「私は幸せになる資格がない」と思い込んでいると、肝心なところで失敗する、病気になる、と、まるで自分を罰しているかのように新しい問題が次々と起こることがあります。

私たちが「幸せだ~!」と思えないとしたら、そこには「罪悪感」があります。この罪悪感が、問題を引き起こして、この問題につい気持ちが取られてしまうので、「いい」ことがあっても心に残らず、幸せって思いにくくなります。

●あなたが「うしろめたい」のは何故でしょう?
罪悪感には二種類あるんです。

私たちが「自分は罰せられるにふさわしい」と思うほど、「うしろめたい」気持ちになる理由は二つあります。つまり、罪悪感には二種類あるのです。

一つは、「やってしまってごめんなさい」という罪悪感で、「あの時、ついむかっ腹を立てて、あなたにひどいことを言ってしまって、ごめんなさい!カッとなって『二度と顔も見たくない!』なんて言っちゃった」という時の「ごめんなさい」で、「彼を叩き出してしまった」ことや、「罵ってしまったこと」に対する罪悪感です。

自分のせいでこんなことになってしまった、という居ても立っても居られない気持ち、ですね。

もう一つは、「やらなくてごめんなさい」という罪悪感で、「本当は、もっとあなたに優しくしたかったのに、大切にできなかったわ」という、愛したかったのに愛せなかった、うしろめたさです。

本当は、「ヤキモチを焼いてごめんなさい」って言いたかった(のに言えなかった)こと、「あなたのおかげで幸せ!」って飛びつきたかったのに動けなかったこと、「私を選んでくれてありがとう」って言いたかったのに恥ずかしすぎて言えなかったこと、などなど。

本当は、あなたを笑顔にしてあげたかったのにできなかった。
本当は、あなたがいっぱいの花を抱えて私の前に立ってくれていたのに、恥ずかしすぎて、まっすぐに「ありがとう」が言えずに、茶化してジョークにしてしまったこと。

あなたの愛を大したものではないものにしちゃったこと。そんな「愛さなかった」罪悪感で、こちらの方が、ン万倍も多いもの、です。

私たちには、そんな言い忘れた、言いそびれた「ごめんなさい」や「ありがとう」がゴマンとあって、心の奥底で、そんな自分を「臆病でちっぽけだ!」と蹴飛ばし続けているのです。

だとするならば、その言い忘れている「ありがとう」を一つでも、二つでも、言えると心の重荷は少しは軽くなるのではありませんか。

●愛を受け取ってもらえなかったから傷ついた。だから、愛を受け取らないことにした?

私たちは、誰かを愛そうとする時、自分のハートをそっと差し出します。

その差し出したハートを相手が大切に扱ってくれなかったり、それで笑顔になってくれないと、自分は「つまらないもの」だと思えて傷つきます。そんなハートブレイクの繰り返しの末に、人を自分から「愛そう」としなくなりますし、人から差し出された「愛」も、「お世辞でしょ?」「ギリでしょ?」って疑ってかかるようになります。

その人のことを大好きなら、大好きな分だけ余計に「本当に私のことを愛してくれているのかしら?」と疑ぐり深くなって、人の愛を試そうとします。

「だって、もう二度と傷つきたくないもの」と思う気持ちは、ごもっともですが、それはかつてあなたの「愛」を受け取ってもらえなかったことの復讐になっていませんか?もちろん、あなたにそんなつもりはなくて、ただ、ただ、「怖い」からそうなってしまうだけなのですが。

一番大切な人にこそ、言いそびれている「ありがとう」はたくさんありそうです。

でも、そんな、本当は言いたい「ありがとう」を言えずにいる罪悪感が、あなたの人生がスムーズにうまくいくことを押しとどめているとしたら、そろそろ、その罪悪感を手放してもいいのではありませんか?

まずは、その言い忘れている「ありがとう」を一つ、一つ、伝えるところから始めましょう。あなたが受け取りそびれていた「愛」を拾い始めた時、幸せは、堰を切ったように、あなたの人生に流れ込んできます。

>>>『ありえないほど幸福になる〈許し〉の法則(2)〜怒りの下には願いがある〜』へ続く

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