欠点は直すものではなく受け入れるもの(1)~欠点をあなたはどう扱ってる?~

私たちは自分の「欠点」を嫌い、そのままでは人に嫌われてしまう、と思って、何とかそれを直そうとしたり、隠そうとしたりしてしまいます。

しかし、そういう態度は私たちを完璧主義に仕立て、むしろ、人との間に壁を作ったり、遠ざけたりしてしまうようになるんです。
実は「欠点」そのものが問題ではなく、「欠点をどう扱っているのか?」がとっても大切なようです。つまり、隠すのではなく、オープンに、直すのではなく、受け入れることが、結果的に欠点を直す秘訣のようなんです。

オープンになれなるほど、その欠点は嫌われること無く、あなたのひとつの個性として受け入れられ、愛されるようになっていくんです。
そこで今回は、誰でもあるこの「欠点」に注目をして、どうしたら、オープンに受け入れていけるのかを考えて行きます。どうぞ、お楽しみ下さい。

欠点は誰にでもあるものです。(おそらく100万回は聞いていると思いますが)
でも、それを私たちは責めて、自己嫌悪してしまいます。
そして、その結果、人との間に壁を作ってしまうこともあります。

「自分の欠点を世界で一番嫌っているのは自分」という格言もありますが、分かっていてもなかなか扱いに困る「欠点」について、今回は4回シリーズでお届けしたいと思います。
少しでも、解放されることを願いながら、できるだけ例を取り入れながら分かり易くお話できたらと思っています。

さて、特に今回は“欠点を責める必要はない、欠点は受け入れるべきもので、受け入れていくことによって、欠点が直ることすらあるし、周りとの関係もよくなる”ということをお伝えしたいと思います。

さらに“自分の欠点は決して自分が扱えるものではない”ことに気付いてもらえたら嬉しいんです。“自分では何ともできない”から“欠点”であり、だからこそ、人の助けが必要なんですね。

そして、同時にあなたには、その欠点を補って余りある魅力がある、ということにも気付いていただけたら嬉しいんです。
たくさんこのテーマでカウンセリングやセラピーをさせていただいて、短所と長所の量は同じなんじゃないかと思いました。

だから、欠点に意識を取られてしまうと、肝心の長所が死んでしまうんですね。
それってすごく勿体無くないありません?

天才と呼ばれる人は、ものすごく強い長所・才能を持ってるわけですが、同時に、とても大きな人間的“欠陥”を持っていると言われています。

子供達はみんな天才であり、その成長形である私たちも、何かのジャンルにおいて天才な部分を必ず持っています。
でも、その分野に私は気がついていないことが多いんです。

先日も、ある友人と話をしてたんですね。
彼女は友だちがとても多く、友だちから誘われることでスケジュールが自然と埋まっていくわけです。別の友人との会話にも彼女はよく登場する人気者なんですね。
そんな彼女はとても付き合いがとってもよく、たとえ、3時間しか寝なくても友だちも仕事も裏切らないんです。
でも、本人に「それってすごいことなんだよ」と伝えたら、本人は目を丸くして驚いてたんです。
「知らなかった。ふつうのことだと思っていた」と。

ほんと私たちは自分の長所については無頓着なのかもしれません。
そうして、私たちの長所は皆「ふつう」のことであり、欠点は皆「私だけのもの」と思いこんでいるのかもしれません。

なお、今回は「欠点」と言う表記をしていますが、「短所」「苦手なこと」「自分が愛せないこと」「自分の嫌いなところ」もほぼ同じ意味で使っています。

 

●「欠点」に対して私たちが取る態度は?

私たちが誰でも持つ欠点に対して私たちは「否定的」になってしまいますよね。
そんな自分を嫌ってしまうわけなんです。

でも、心をよく見ていくと、実は、「欠点」そのものよりも、それを「嫌ってしまう」という態度・姿勢が問題だってことが分かってきます。

なぜ、欠点を嫌ってしまうのでしょう?

「え?そんなの当たり前じゃないの?」と思わずに、ちょっと考えてみてくださいね。

「欠点」って周りの人と“比べて”、劣っていると感じていたり、周りの人はできるのに自分にはできないことに多いんですね。

劣っていたり、できなかったりすると・・・自分が欠陥人間のように感じられます。

欠陥人間ってどういう目に合うんでしょう?
人から嫌われる?相手にされない?バカにされる?

それって嫌ですよね。
だから、欠点を嫌い、直そうとしたり、隠そうとしたりしたくなります。要は人から嫌われたくないから。

でも、そもそも何で周りの人と比べてしまうんでしょう?
そのひとつは、幼少期からの周りの人(特に親御さんや教育現場)の態度の影響が大きいかもしれません。

「○○ちゃんはできるのに、なんであんたは・・・」と怒られたことありません?○○ちゃんは同級生だったり、きょうだいだったり、いとこだったり。

そして、幼い頃から、そうした欠点は周りから「直そう」とされてきました。

育児書や教育書には「短所を直すよりも長所を伸ばせ」と書かれていることが多いんですが、どうしても大人の目に付くのは短所・欠点なんですね。
(なぜかというと、そういう大人も自分自身の短所・欠点に意識を取られるし、自分の親達からそういう態度で接して来られたから)

そして、「欠点を直さないと人に嫌われちゃうよ」とか言われてきたんです。
それが一種のトラウマとして心の中にズンと残っているのです。

そうすると、私たちはつい欠点を見つめると、焦り、自己嫌悪し、不安になります。だから、「直そう」「隠そう」としてしまうんです。

いわば、そうした“癖”から私たちは自分の欠点を嫌ってしまいます。

そして、自分がその欠点を嫌ってる分だけ、きっと人も自分のその欠点を嫌うだろう、と感じます(これを投影の法則と言いますね)。

でも、それは「投影」なんです。だから、自分がそこを嫌っていると思ったとしても、周りはあなた以上に嫌ってはいません。

まずは、そのことに気付くことがとても大切です。

すなわち、欠点を嫌わなくてもいい、ということなんです。
言い換えれば、欠点は直さなくてもいい、ということなんです。(それはすなわち、欠点も愛してあげましょう、という意味でもあります)

>>>『欠点は直すものではなく受け入れるもの(2)~欠点は自分では直せないもの~』につづく

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