●心との出会い

カウンセリングルームにお客さまをご案内して、飲み物をご用意して、それからカウンセリングは始まるのですが、その時に既に目に涙を溜めていらっしゃる方も少なくありません。
「どうしてか分からないんですけど、ここに座っていたら、辛い気持ちや悲しい気持ちがすごくしてきて・・・」と。
カウンセリングルームは、たまの商談などを除けば、カウンセリング専用なんですよね。
だから、いつも色々な方が代わる代わる入ってこられて、色々なお話をして、そして、思い思いに感情を解放し、癒しを経験されていきます。
悲しみや痛み、怒り、罪悪感に無価値感。
そういったネガティブなものから、喜び、楽しみ、繋がり、安心感、解放感といった、ポジティブなものまで様々な感情が流れていきます。
ある意味、感情が出やすい場(フィールド)が作られているのかもしれないなあ・・・と思うんです。
もちろん、ここなら安心できる、何とかなるかもしれない、という気持ちもあります。
「ようやく、こちらに伺うことができたんです」
とおっしゃって下さる方も少なくありません。
今の問題を何とか解決したいと必死な思いでいらっしゃる方、
自分の心のケアのために通われる方、
遠方からほぼ1日かけてこられる方、
忙しい毎日の中で時間を作ってくださった方、
貴重な収入をやりくりされていらっしゃる方、
そんな様々な方の思いを大切に受け止めたいと感じるのは、僕達カウンセラーはもちろんだけど、この部屋も同じ思いなのかもしれません。
各カウンセリングルームには観葉植物を置いています。
緑があると気持ちが落ち着きやすいですし、ソファとテーブルとMD/CDデッキだけの殺風景な部屋に潤いを、という気持ちから。
時折、そんな植物がお客さまの話をお聞きする僕の傍らで、一緒にその思いを感じているような気がすることがあります。
ほんまに、気のせいかもしれないけれど、意志があって、思いがあるような、そんな感覚を受けることがあります。
だから、ちょくちょく気になって、彼らの方を見てしまいます。
そんな観葉植物を見ていたら、ふっと僕が心理学を学び始めた頃のことが思い出されました。
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僕が心理学を学び始めた頃はまだ理系の大学院に通う学生で、数学系の研究をしていたので、目に見えないもの、体系化、数値化できないものなんかは信じられない人間でした。
(だって、想像や感覚だけでは論文通りませんもの)
感性の重要さは認識していましたけど、感情とはコントロールすべきもの、理性が心を支配することが何より大切、と堅く信じ込んでいました。
怒りを感じることなんて恥ずべきこと、涙を流すのは弱い証拠、そう思ってました。
失恋が直接のきっかけだったんですけど、そこで体験したカウンセリング/セラピーで、「心」や「感情」の大切さに気付いたんです。
でも、気付いたところで感情なんて感じられません・・・っていうか、今どんな気持ちなのかもさっぱり分かりません。
震えてきたり、頭やお腹が痛くなったりはするけど、何が起きてるのかも分かりませんでした。
涙が出そうなときも、必死に我慢してましたしね。
まあ、今から思えば無理ないことです。
頭で考えることこそが大事で、まずは理屈で理解してなんぼ、の世界に住んでいたんですから、感情の全てを必死に抑圧していました。
だから、自分がセラピーを受け始めて、心や感情などの目に見えないものを感じることは、めっちゃ怖いし、びびりものでした。
女性ってそういうのを比較的容易に受け入れられる人が多いですよね、だから、「やっぱり女はよく分からん生き物や」と思ってました。
でも、そのうち、頭で考えることの多くに意味は無く、本当は心や感情が自分を支配しているんだ、と分かってきたときには、逆に焦りました。
今まで俺は何をしてきたんだ・・・と。
全部無駄なように感じましたし、何より自分が何を感じているのかが分からないわけで、とんでもない欠陥人間じゃないかと思ってしまいました。
実際はそんなことなくて、きちんと意味があって、今でも役に立っているんですけどね。
いわゆる“パラダイム転換”が起きていて、めっちゃ戸惑ってしまっていたんです。
感情が分からなきゃ女の子と上手に付き合えないじゃないか・・・、なんて思ってしまったんです。
それは一大事と慌てるものの、分からんものは分からん、で埒があきません。
それで『投影』を使い始めることにしたんです。
「自分の感情は自然のものに映し出されやすい」と聞いていたので、木々や空や川なんかを見て、自分の感情を探ろうとしたんですね。
そしたら、何を見ても「悲しそうだ」「辛そうだ」「かわいそうだ」「重たそう」みたいなものばかりが浮かんできたんです。
正直、愕然としました。
そりゃ、彼女に振られてまだ1ヶ月ちょっとでまだまだ引きずってるし、研究もなかなか進まなくて少々焦ってはいました。
でも、頑張って次の彼女を作ろうとしてるし、研究の方だって教授のサポートを受けてるし、それほど悲観的な状況だとは思っていなかったんですね。
で、僕はそこで悩みました。
その自然のものを見て分かった心と、僕が普段感じているものとどちらが正しいのか?と。
以前の僕だったら、間違いなく「俺が正しい」と後者を選んでいたところですが、パラダイム転換が起きて、見えないものの存在や大きさに圧倒され、そんな見えない世界に憧れすら持ち始めていた僕は渋々前者を選びました。
実際は“どっちが正しい”なんてのはナンセンスで、どちらも正しいのが本当だと今なら思えるんですけどね。
でも、そうして「理論が全て」「俺が正しい」路線を変更し、見えないものの存在を信頼し始めると色んな変化が出てきました。
皆さんも「頭では分かるけど出来ない」ってこと、たくさんあると思います。
「あれもしなきゃ」「これもしなきゃ」と思ってるんだけど、遅々として進まない行動もたくさんありました。
論文(英語)を読まなければ、シミュレーションのためのプログラムを作らなければ、フィットネスクラブに通ってダイエットしなきゃ(うーん、随分前からこの目標はあったんですね・・・)、きちんとスケジュール通りに研究を進めて成果を発表しなければ、家のことも放っておいたらあかん、きちんとせねば、とか。
「やらなきゃいけないのに出来ない」のは当時の僕的に「そんな甘さは絶対許せないこと」だったので、自分に厳しく叱咤しながら、行動させようとするんですけど、結局ダメだったり、長続きしないんですね。
でも、あるとき、何でできないのか?を思い巡らしてみたんです。
考えてもなかなか分からないので、「何でやろなあ?」とぼーっと思ってみたんですね。
そしたら、結局「やりたくないんや」という結論に至りました。
なんて単純、っていうか、当たり前の理由なんだろう?と思ったんですね。
論文なんて読みたくねーよ。
プログラムなんてまだやりたくねーよ。
フィットネス?何が面白いねん。
研究?まだまだ余裕やろ?
家のこと?そんな気にはなれんな。
それが素直な心の声だったわけです。
その声をどう克服するかを悩んでも答えは出ないので、時間はあるし、とりあえず好きなことでもしようと思い立ったんですね。
それで、友達を誘って、カウンセラーの先生宅に遊びに行って心理学の話や色んな裏話を聴いたり、摩訶不思議な女心を理解したいと思って小説を読んだり、色んな女の子と話をしたり、そういう生活を始めました。
そしたら、不思議。
遅々としてではあったけど、コピーだけしていた英語の論文も読み始めることができたし、プログラムの作成も開始され、ほぼ毎日フィットネスクラブに通うこともできたし、家の片付けもスムーズに出来るようになりました。
おまけに親友も新たに出来たり、毎日が重たく暗いものから、徐々に明るいものに変化して行きました。
色んなアイデアも浮かぶし、楽しくなってきたんですね。
なんで?
僕自身、理性や意志の力で感情をねじ伏せて来たみたいです。
「こうせなあかん」をきちんと実行することだけを考えてきたので、いわば、心・感情がストライキを起こしたような状態になっていたみたいです。
だから、「しなければならないことほど出来ない」状態に陥り、無気力になったり、自己嫌悪ばかりが募る毎日になってたんです。
そこで、心を受け入れようと、したいこと(でも、我慢してたこと)をちょっとずつやり始めると、心も「そうかいそうかい、漸く言うことを聞いてくれたな。そしたら、おいらもあんたの言うことを少しはきいたるわ」と思ったのかもしれません。
そんな風にすっかり目には見えない心の持つ力に魅了された僕は、ますます、その世界を知るべく色々な心の旅を経験していくことになったわけです。
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実際にカウンセリングルームに置いてある観葉植物が何かを答えてくれたりすることはありません。
(もしかしたら、何かを饒舌に語っているのかもしれないけれど、僕にはまだ聴くことはできないみたいです)
でも、生きているものが傍にいるっていうだけで、何かしらの安心感があることも事実だと思うんですね。
だって、これが実際の植物じゃなくて作り物だったとしたら、こんな気持ちにはならないと思うから。
そういうわけで、今日もカウンセリングルームに入ると観葉植物をちょっと見やってご機嫌を伺ってます。
部屋に潤いをもたらしてくれるものですから、大切にしたいですし、会話ができたら・・・また世界が広がるかも、と思うから(笑)
根本裕幸

この記事を書いたカウンセラー

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