私の子どもたちは、小学生まで、かかりつけの小児科がありました。
子どもたちがお世話になった小児科の先生は、私の母ほどの年齢の女性で、子どもたちからしたら、おばあちゃん先生でした。
そう聞くと誰もが、絵に描いたような、まるで絵本や映画に出てくるようなやさしい先生を想像するでしょうか?
でも、その先生のやさしさは、そんな想像とは少し違うかもしれません。
まず先生は、はっきりと厳しく、人によっては、きついと感じるような物言いをしました。
小さな子どもにだって、声色や口調を変えることはありません、親に対しては、「こんなんじゃダメだ」と、ピシャリと言いました。
そんな感じの先生なので、いつ行っても、看護師さんや受付の人はピリピリして、待合室で子どもが騒がないように、診察の順番が迫ってきたら「すぐに診察室に入る準備をしておいて」と、クリニックの中は常に緊張感に包まれていました。
その雰囲気が噂になるほど、苦手とするママさんたちも結構いたほどです。
だけど私は、その先生が好きでした。
待合室の雰囲気は、確かにちょっとこわかったけど、先生の厳しさには、子どもの病気を治すこと、子どもの病気を親がよく知ること、それが子育てだ、それが大切なんだと一貫したものがありました。
小児科医としての自信はもちろん、子どもも親も信じているから、裏表なく、嘘なく、厳しく物が言えるのだと思えたし、時々しみじみと言ってくれる、「大きくなったね」の言葉にとても愛を感じて、私はそんな先生の強さ、たくましさ、カッコ良さが好きで、息子も娘も随分とお世話になりました。
*
ある日、娘が2才くらいのことです。
自転車の後ろに娘を乗せて、漕ぎ出してすぐ、「痛い」と言って娘が泣き出しました。
驚いて見てみると、自転車の車輪に足巻き込んだのか、足を切って血が流れていました。
ちょっと押さえてみても止まらない、流れ出る血に動揺した私は、すぐに小児科に自転車を走らせました。
時間はお昼の12時を過ぎたころ、午前中の診察が終わって、看護師さんが入口を閉めようとしているところでした。
「たった今、娘がケガをして、先生に診てもらいたい」と言うと、看護師さんは「午前中の診察は終わりです。午後の診察で・・・」と言いました。当然のことでした。
だけど私は、「先生いますか?」「先生に、ちょっと診てもらいたいんです」と建物の中に向かって、大きな声で言って、娘を抱えて中に入ろうとしました。
すると、私の声に気づいた先生が出てきて、娘の足を見てすぐ、私たちを中に招き入れてくれました。
「先生、足をケガしちゃった、どうしよう・・・」と言うと、娘の足を触ってくれて、「ここじゃレントゲン撮れないから、今すぐ、〇〇整形外科に行きなさい。私が〇〇先生に電話して診てくれるようにするから、すぐ行きなさい。」と言ってくれました。
それから、「お母さん、大丈夫だよ。私が言えば、すぐ診てくれるから。」と、私の背中に手を当てて、にっこりと笑って送り出してくれました。
その後すぐ、娘は、整形外科でも手厚く診察してもらうことができました。
幸いにも娘のケガは大したことはなく、ただの切り傷で、骨に異常もなく、絆創膏を数日貼っておけばすっかり治ってしまう程度のものでした。
私はホッとしたと同時に、まるで子どもに言うように「お母さん、よかったね」「傷が治ったか、また見せにおいで」と声を掛けられて我にかえり、ここまでの非常識で図々しい自分の行動に、「やってしまったー」と、情けないやら、恥ずかしいやら、顔から火がでる思いをしたのをよく覚えています。
今となっては、懐かしい笑い話、先生たちにやさしくされたいい思い出、私を成長させてくれた素晴らしい、感謝すべき出来事です。
あの頃の私は、子どもの切り傷で動揺してしまうほど心配性で、非常識に自分勝手に他人に甘えてしまうほど依存的で、人としても、母親としても、とてもとても未熟でした。
今も大して成長はしていないかもしれないけど、この経験から、もう少し冷静になること、子どものケガや病気、色んなことに心配しすぎないことを覚えたように思います。
それとこの出来事で、人は本当に困った時、信頼している人には、素直に「助けて」が言えるのだということ、人と人は、同じ思いや目的があれば、すぐに繋がれるということを教えてもらいました。
それは、私が子育てをする上で、自分が親として成長する上で、とても大きな学びだったと思っています。
今も、これからも、この学びは私を育て続けてくれると思っています。
あの日、血が止まるまで泣き止まなかった娘は、高校生になりました。
ケガをしても、血が出ても、もう泣きませんし、小児科にかかることもありません。
私があの先生とお話しする機会も、助けてもらうことも、すっかりなくなってしまいました。
だけど私は、今でもあの先生が好きです。
小児科の前を通るたびに、この出来事を思い出すたびに、心があたたかくなります。
「おかげさまで、こんなに大きくなりました。」
そんな思いを、心の中で呟きます。
そして、「先生のように」と、愛ある女性になりたいと思うのです。
*
あなたには、どんな心あたたまるエピソードがありますか?
そのエピソードに、誰がいますか?
どんな気づきや学びがありましたか?
または、あなたの心があたたまる時、そこにはどんな愛が、誰の愛がありますか?
その答えは、きっとあなたの心を癒してくれるでしょう。
「おかげさまで」と、より大きくなったあなたを、「〜のように」と、より良くなりたいあなたを感じさせてくれるでしょう。
このコラムが、そんなひらめきを与えることができたら嬉しく思います。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。