3月3日。今日はひな祭りです。
女の子の健やかな成長を願う日として、長く受け継がれてきた伝統行事。
令和の現代、住宅事情やライフスタイルの変化により、かつてのような豪華なひな壇を見かける機会は減ったかもしれません。
それでも、この時期になると男雛と女雛を飾る習慣は、今も多くの家庭に根付いています。
先日、親戚に子どもが生まれたことをきっかけに、お祝いを探す機会がありました。
子ども用品店の店内には、ずらりと並ぶ雛人形。
その光景を眺めながら、私はあらためて、「ひな祭りとは、何のための行事なのだろうか」と、思いを巡らせました。
ひな祭りの起源は、1000年以上前の平安時代まで遡ります。
もともとは厄払いを目的とした行事であり、「流し雛」などの風習も、そこから生まれたといわれています。
「七歳までは神の子」地域によって言い回しは異なりますが、かつて子どもは七歳頃まで「神さまからの預かりもの」だと考えられていました。
それは同時に、常に死と隣り合わせの、危うい存在であることも意味していました。
医療や衛生環境が整っていなかった時代、子どもが無事に育つことは、決して当たり前のことではありませんでした。
だからこそ、そこには単なる「お祝い」以上に、「どうか生き抜いてほしい」という、切実な祈りが込められていたのです。
雛人形の起源には、自分の代わりに災厄を引き受けてもらう「身代わり」の人形(ひとがた)があります。
体を撫でて穢れを移し、それを川に流す儀式が、やがて人形遊びである「ひいな遊び」と結びつき、長い時間をかけて今の飾る形へと変化していったといわれています。
形は変われど、子どもの身代わりとなって災いを引き受ける存在。
それは華やかな飾りであると同時に、小さな命を守るための、純粋な「祈りのかたち」だったのではないでしょうか。
時代は進み、私たちは以前よりも物理的には生きやすくなりました。
けれど今もなお、子どもたちは別の形の生きにくさを抱えています。
そして、それは子どもだけの話ではありません。
大人になった私たちの中にいる「かつての子ども」たちもまた、無理をしたり、本当の気持ちを置き去りにしたまま、日々を懸命に生き抜いているのではないでしょうか。
そんなことを考えながら、私が手に取った一冊が、絵本『きみと ぎゅっ』(さく・え いぬい さえこ)でした。
この絵本には、小さな動物たちが、ただ寄り添い、抱きしめ合う姿が静かに描かれています。
ふわふわとした愛らしい動物たちが、ときに涙を流し、ときに励まし合う。
そのそばに添えられているのは、やさしく、まっすぐな言葉たちです。
中でも心に残ったのが、
「小さな いっぽでも、
りっぱな いっぽだよ。」
という一節でした。
大きな成果でなくていい。
誰かに誇れる歩みでなくていい。
今日をなんとか生き抜いた、その一歩を「立派だ」と認めてくれる眼差し。
そこには、自分をちっぽけに扱わなくていいのだという、深い肯定が満ちています。
この絵本には、動物たちの背景に何が起きたのかといった説明はありません。
ただ、かなしみも存在も、まるごと包み込むようなイラストと、言葉があるだけです。
その魅力は、目に留まり興味を引きやすいよう工夫された配色や動き、効果音などで彩られた動画やアニメとは、また少し違ったものかもしれません。
手に感じる紙の質感。
水彩や色鉛筆の柔らかな色合い。
読むスピードも、受け取り方も、その日の心の状態にゆだねられています。
ページをめくる間(ま)。
言葉と言葉のあいだにある余白。
そこには、自分自身の感覚が、静かに立ち上がってくる時間があります。
絵本は、子どものためだけのものではありません。
大人が読むことで、
「泣いてもいい」
「立ち止まってもいい」
「私はわたしでいい」
と、自分自身にそっと「許可」を出す時間にもなります。
ひな祭りというと、立派なひな壇やごちそうを思い浮かべる方もいるかもしれません。
けれど今年は、一冊の小さな絵本を、お守りのようにそばに置いてみるのはいかがでしょうか。
お子さんと一緒に。
あるいは、かつて子どもだった自分のために。
「ぎゅっ」と抱きしめる時間は、昔も今も、そしてこれからも、私たちが生き抜くための力を、そっと与えてくれるはずです。
大人の私と、子どもの私をつなぐ、ひな祭りのおともとして。
あなたにとって、今の自分と「小さな自分」をつないでくれる、心のお守りのような一冊に出会えることを願っています。
※引用出典:『きみと ぎゅっ』
さく・え いぬい さえこ /パイ インターナショナル
(公式ホームページには、この絵本の動画も掲載されています)