被害者ストーリーについて

自分をちっぽけに扱うことが、最大の自己攻撃

神戸メンタルサービスの平です。

心理学の法則の一つに、「成功者、過去を語らず」というものがあります。

現在、幸せでうまくいっている人は、過去の出来事を恨んだり、根にもったり、だれかのせいにしたりしないということを意味します。

反対に、「許せないだれか」がいる、過去のことを非常に気にする、両親または自分の面倒を見てくれただれかに対して恨みつらみが強くあるというような場合は、いま現在があまり幸せとはいえない状況であることが多いようです。

たしかに、あなたの過去は厳しく、つらい状態で、それがいまの失敗の原因になっているのかもしれません。

しかし、大事なことは、その状況を超える力がいまのあなたにあるかどうかということであり、超えることができるのであれば、あなたの過去はあなたに対してそれほどの影響を及ぼしたことにはならないようです。

一方、あなたが過去のいろいろな出来事をいまだに超えることができていないのだとしたら、その原因となる出来事は、あなたにとってとても不快なものになっています。

つまり、「あれがなかったら、これがなかったら、いま、こんなに苦しんでいなかっただろう」ということになるでしょう。

私たちの人生にはいろいろな出来事が起こります。

自分はそれを超えていけるという自信があるとしたら、そのときどきに「どうやって超えていこう」と考えることができます。

現在の自分にそれだけの力がないのだとしても、「それならだれに頼ろうか」とか、「どのような援助をしてもらうことが必要だろうか」といったことが見えるようになります。

一方、無価値感と呼ばれる感覚があると、「自分にはそんな力はないし」、「自分はそれほど強くないし」と思いがちです。すると、「超える力のない私には、なにも降りかかってほしくない、なんの出来事も起こらないでもらいたい」としか考えられません。

それが、私たちが”被害者ストーリー”と呼んでいるものです。大なり小なり、私たちは”被害者”となり、そして、自分を苦しめる”加害者”をつくります。

しかしながら、心理的にこの考え方を見ていくと、「自分はものすごく弱い存在であり、愛され、援助されるにふさわしい。にもかかわらず、だれも自分を愛してくれないし、援助もしてくれない」と考え、文句を言っているといえそうです。

でも、果たして、自分はほんとうに弱い存在なのでしょうか?

もしかしたら、自分は力が弱く、なにもできない存在だと見ていること自体が、自分をひどく扱っているということにならないでしょうか?

私たちが悲劇を嘆くとき、そこには「超えていくことのできない現実がある」と考えています。

たとえば、きょうは大好きな彼とのデートだというのに大雨だとしたら、あなたはそれを嘆くばかりではないですか?

しかし、たしかに街を歩いたり、ハイキングに行ったりするには向いていないかもしれませんが、それなら彼か私の部屋でしっぽりとした時間を過ごそうという考え方もできますよね。

あなたの人生に起こる出来事のすべては、それがよくないことであったとしても、「これは、私を強くしてくれる試練であり、超えられない試練は与えられないはず」と向き合うことが大切です。

あなたには、いままでとは違うものごとの見方や考え方をすることが求められており、それはこの試練がなかったとしたらけっして思いつかないことであったりすることも多いようなのです。

自分自身をちっぽけに扱うこと。それこそが、じつは最大の自己攻撃になっていることは多いようですよ。

来週の恋愛心理学もお楽しみに!!

(完)

この記事を書いたカウンセラー

About Author

神戸メンタルサービス/カウンセリングサービス代表。 恋愛、ビジネス、家族、人生で起こるありとあらゆる問題に心理学を応用し問題を解決に導く。年間60回以上のグループ・セラピーと、約4万件の個人カウンセリングを行う実践派。 100名規模のグループワークをリードできる数少ない日本人のセラピストの1人。