比較が止まらない(2)〜SNS時代の劣等感と自己価値〜

SNSの中で失いやすいのは、“つながり”ではなく“自分の感覚”

SNSを見ていると、誰かの幸せや成功がまぶしく感じて落ち込む。
この「SNS劣等感」は、他人の“良い瞬間”だけが切り取られて見える仕組みの中で、
私たちの心が“他人の評価”に軸を奪われていく心理を表しています。

SNSを開くと、たくさんの“キラキラした日常”が流れてきます。
友人の結婚報告、旅行の写真、昇進のお祝い。
どれも素敵な投稿のはずなのに、なぜか胸がザワつく。
スクロールする指を止めながら、ふとため息をつく自分がいるかもしれませんね。

「なんで、私はこうなんだろう」。
心の中でそうつぶやく瞬間。
それは、私たちの“承認欲求”が刺激されているサインなのかもしれません。

私たちは、他人の反応にとても敏感です。
表情、言葉、声のトーン。
周囲の人がどう感じているかを察知し、調和しようとするのは、 集団の中で生き延びてきた人間の自然な知恵でした。

つまり、誰かに見られている・評価されているという意識は、本来「つながりを維持する力」でもあります。
けれどSNSでは、その感覚が何倍にも拡張されてしまいます。

画面の向こうにいる“誰か”は、友人かもしれないし、知らない人かもしれない。
でも、私たちの心は「見られている」という意識に反応します。
そして同時に、他人の投稿を見ながら「見比べてしまう」という自動反応も起こります。

SNSの世界は、現実のようでいて、現実ではありません。
そこに映るのは「編集された現実」です。
写真はベストな一枚、文章は一番伝えたい部分だけ。
私たちは、他人のハイライト集と、自分の“途中経過”を比べているのです。

仕事で失敗した日、家事が山積みの日、泣きたくなる夜。
そうした現実は投稿されません。
でも、自分にはそれがある。
だからこそ、完璧に見える他人を見て、
「どうして私はこうなんだろう」と感じてしまうのです。

この「SNS劣等感」がやっかいなのは、比較の相手が“見えない多数”であること。
現実の友人なら「この人にはこういう面もある」と知っています。
けれどSNSでは、誰もが“良い瞬間”だけを共有するため、欠けている部分が見えず、全員が“自分より上”に見えてしまう。
それが、心に慢性的な劣等感を生み出してしまうのです。

私たちは気づかないうちに、「いいね」の数や反応の多さで、他人の価値、ひいては自分の価値までも測るようになっていきます。
まるで「見られる」ことが存在価値の証明になってしまったように。

「承認されたい」それは、人間の根源的な欲求です。
決して悪いことではありません。
けれど、承認が“心の酸素”のようになりすぎると、少しの反応の変化にも呼吸が浅くなってしまう。
「いいねがつかない」「コメントがない」だけで、自分の存在まで否定されたように感じてしまう。

それは、他人の手の中に自分のリモコンを渡しているようなものです。
誰かの指先ひとつで、気分が上がったり下がったりする。
本当は、そんなに揺れなくてもいいのにです。

では、どうすればこの“評価の渦”の中で、自分を見失わずにいられるのでしょうか。

まず大切なのは、「評価」と「価値」を分けて考えることです。
評価とは、他人の目から見た印象。
価値とは、自分が大切にしたいもの。
この二つを混同すると、心が常に“外の声”に振り回されてしまいます。

いいねの数やコメントの多さは、「今、他人にどう映っているか」の一側面にすぎません。
でも私たちは、それを“存在の証”にしてしまう。
だからこそ、意識的に軸を戻す必要があります。

「私は今、何を感じている?」「本当は、どんな瞬間を大切にしたい?」
たったそれだけの問いを自分に投げかけるだけでも、心の重心は、他人の中から自分の中へと少しずつ戻ってきます。

誰かの投稿を見てモヤモヤしたときは、それを“自分へのメッセージ”として受け取ってみるといいかもしれません。

羨ましいと感じたなら、それはあなたの中にも“それを望む力”があるということ。
苛立ちを感じたなら、あなたが“無理している領域”かもしれません。
「なんとも思わない」ときは、あなたがそのテーマをもう手放しているサインです。

SNSでの感情反応は、あなたを映す鏡でもあるのです。
他人に心を奪われているように見えて、実は、自分の中の願いや痛みが反応しているだけ。
そのことを知るだけでも、SNSとの距離が変わっていきます。

SNSは、本来「つながるための場所」ですが、気づけば「比べる場所」になってしまうことがあります。
けれど、本当に失いやすいのは“つながり”ではなく、“自分の感覚”です。

誰かの笑顔を見て、素直に「いいな」と思えたなら、それはあなたの心がまだ温かい証。
落ち込んでしまったときは、無理に元気を出す必要はありません。
「今の私は、少し疲れているんだな」と認めて、そっとスマホを伏せるだけで十分です。

大切なのは、他人の世界から戻ってきたあとに、「自分の世界に戻る時間」を持つこと。

どんなに情報があふれても、あなたの価値は数字では測れません。
“誰かに見せる私”よりも、“自分で感じる私”を大切にする。
その感覚を取り戻したとき、SNSはもうあなたを苦しめる場所ではなく、自分の内面を映す鏡に変わります。

そしてその鏡の中で、あなたがほんの少し笑顔を取り戻したとき、それは“他人の反応”よりも、ずっと確かな自己価値の証なのです。

(続)

 

心理学講座4回シリーズ/同シリーズ記事はこちら
    1. 比較が止まらない(1)〜比べずにいられない心理〜
    2. 比較が止まらない(2)〜SNS時代の劣等感と自己価値〜
    3. 比較が止まらない(3)〜“あの人みたいになりたい”の使い方〜
    4. 比較が止まらない(4)〜比べても揺れない自分へ〜
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この記事を書いたカウンセラー

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