先日、いとこに会いました。いとこは数年にわたる不妊治療で、心身ともにボロボロに傷ついているのが一目でわかりました。そのいとこは涙ぐみながら
「不妊治療は本当に傷つくことも多い。それでも、やっぱりこども欲しい。こども産んでよかったこと、教えて? 希望が欲しい」
と、言いました。
私の胸に深く響いたこの質問。カウンセリングや友人と話していても、時々聞かれることがあります。今日はその話を綴りたいと思います。
その瞬間、世界が変わった
「私さえ快適なら、それでいい」「他人は他人」「人をモノ扱いしてしまう」
自分勝手さと冷たい価値観で生きてきました。心に鍵をかけ、誰にも、そして自分自身にも立ち入らせないようにしていたのです。
その私にとって
「私を超えて、愛したい」
と強烈に思える存在に初めて出会いました。世界が、変わった瞬間です。
・人生で一番幸せな瞬間
出産の日。10月10日、ずっと待ち望んだ我が子に出会うために、必死でいきみました。
「早く会いたい! 顔が見たい! 抱きしめたい!」
痛みなんてどうでもよかった。赤ちゃんの産声が響いた瞬間、痛みを忘れ、ただただ歓喜に満たされました。
「あぁ、私はこの子に出会うために産まれてきたのかもしれない」
と、思ったものです。人生で一番幸せな瞬間でした。
小さな命に教えられたのは・・
赤ちゃんの寝顔は天使そのもの。でも、泣きやまない赤ちゃんに、
「小悪魔なのじゃ・・」
と、冗談半分、本音半分、思ったこともあります。
それでも、どうしようもなく可愛く愛おしい。
我が子が笑っていると、心から嬉しい。幸せ。こどもが辛そうなら、自分のことのように心が痛み、その苦しみを変わってあげたいと心から思います。
こどもの喜びを願い、祈り、ただただ一生懸命に日々を重ねる。
「あなたは血も涙もない」
とまで言われたことのある私にとって、今まで想像もできなかった生き方でした。
・愛の力の大きさ
かつて私は、少しでも苦しいことがあるとすぐに諦めて逃げていました。責任も、人間関係も、痛みも。躊躇のない逃げ足はとんでもなく速かった。そのことで人を傷つけたことも、いっぱいありました。
でも、こどもを持ったら逃げられない場面に何度も直面します。そこでどう誠実に向き合うか。自分のためだけには越えられなかった壁。「我が子のため」と思えば乗り越えられる。愛の力の大きさを知りました。
無条件の愛
なによりも、こどもから惜しみなく注がれる無条件の愛。
「どんなお母さんも、愛している。どんなお母さんだって、私のお母さん。一緒に、生きよう。お母さんが、生きて笑っていて欲しい。お母さん、大好き」
その眼差しを、私はどれほど受け取ったことでしょうか。
でも、私は長い間、自分が生きていいのかわからずにいました。
「自分は邪魔じゃないか? 迷惑じゃないのか?」
この疑問が、心のどこかで消えませんでした。
・命に光を灯してくれた
「子育ても上手にできない。こんなお母さんで、ごめん」
迷い、悩み、苦しんだこともあります。そんなとき、私を救ってくれたのは、私の母の存在でした。母に、本当にたくさん助けてもらいました。
私は改めて、母がどんなに大きな存在かを思い知りました。母が今、この瞬間も生きていてくれるというだけで、声を聞けるだけで、顔を見るだけで満たされる瞬間がある。40歳を超えた私がそうなのだから。未成年のこどもたちにとって、母という存在がどれほど必要で、大きなものなのだろうと、思うのです。
「私も、生きなきゃ。私に変わりはいないのだから」
こどもに愛され、こどもを愛しているからこそ。命は尊いのだということも知りました。生きているということが誰かを喜ばせ、誰かの希望になり、光になり、愛になる。こどもたちの無条件の愛が、私の命に光を灯し続けてくれたのです。
あなたは愛そのもの
もちろん、こどもを授かることが人生のすべてではありません。こどもがいてもいなくても、人を深く愛し、命の輝きに触れることはできます。
そして、不妊治療を続けているいとこが今、赤ちゃんを待ち望み、祈り、願う時間。その時間そのものが、すでに深い愛の時間だと私は思うのです。
時には絶望し、自分や誰かを責めたくなるかもしれません。神様や運命を恨みたくなることもあるでしょう。でも、それほどまでに待ち望んでいる命があるということ。もうすでに、どれだけ傷つこうとも、自分を超えて愛している命があるのだと思います。
そして同時に、この世に生まれたあなたもまた、同じ「愛の存在」なのです。
・愛を思い出す
あなたが産まれてくることを、どれほど親御さんが切望したか。あなたが産まれてきて、どれほど幸せで満ち足りたか。その深いと愛と喜びがあったからこそ、あなたは今、同じように赤ちゃんを産みたい、愛したいと願うのではないでしょうか。
「抱きしめたい。会いたい。愛そのものに、出会いたい」
と願うのは、あなた自身が愛の存在だからです。
命は、愛。人は愛を知り、愛と出会い、愛そのものであることを思い出すために生きているのかもしれません。
それほどまでに、あなたが生きていることそのものが、誰かにとって光であり、希望であり、愛なのです。
来週は、池尾千里カウンセラーです。
どうぞお楽しみに。