なぜ、炭治郎は無惨が許せないのか
こんばんは
神戸メンタルサービスの平です。
『鬼滅の刃』。コミックスが大人気を博し、テレビアニメや劇場版の作品にもなり、劇場版は国内で公開されたすべての洋画・邦画の興行成績の記録を塗り替えていますね。
今日のテーマは、この『鬼滅の刃』の主人公・竈門炭治郎の心理分析です。
最初に、この作品をご存じない方のために炭治郎のことをちょっとお話ししますね。
炭治郎は10代の少年です。山奥で炭焼きをして暮らしていましたが、ある日、鬼に家族を殺されてしまいます。
唯一、妹の禰豆子が生き残りましたが、傷口から鬼の血が入り、鬼に変身してしまいました。ただ、鬼でありながら人間の心を忘れておらず、意識の混濁した状態で存在しています。
炭治郎はこの禰豆子を人間に戻す術を求めて、また、自分のように鬼に大事な人を奪われるということがもうこれ以上起こらないようにと、鬼を退治するための組織である“鬼滅隊”の戦士となります。
そして、多くの仲間とともに戦い、最後には鬼の大親分・鬼舞辻無惨を倒すというのがこの物語の骨格となっています。
この炭治郎は心優しい少年で、敵である鬼を退治するときもけっして虫けらを殺すような態度はとりません。彼ら一人ひとりにも、鬼にならざるを得なかった悲しい物語があることを知っているからです。
ただ、その炭治郎が、唯一、許せない相手が鬼舞辻無惨なのであります。
なぜ、炭治郎にはこの無惨が許せないのでしょうか。
人間とは「人を愛したい」と思っている生き物です。もし、だれかのことを愛せなくなったとしたら、“愛せない自分”を許せなくなるものです。
そして、どのような鬼にも慈悲をかけることができる炭治郎が、たった一人、愛せないのがこの無惨です。
炭治郎の心理でいえば、「この私が愛を止めなければいけないぐらい、おまえはひどいやつなんだ」ということになります。それは、「あんなひどいことをしたり、こんなひどいことをしたんだよ」と、許せない理由を100万通りも述べたくなるほどです。
炭治郎と仲間たちはこの大親分の無惨を退治し、鬼のいない世界をつくり上げ、平和な暮らしへと戻っていきます。
その世界は、炭治郎的には「僕が許せない人が誰もいない世界」ということができそうです。言い換えれば、「すべてのものを僕が愛する世界」ということになるでしょう。
また、鬼は炭治郎に怒りを感じさせるものであり、炭治郎にとって鬼のいない世界は「まったく怒りを感じることのない世界」ということもできます。
心理学で、怒りは分離感情といわれます。愛は絆をつくりますが、怒りは孤立を生みます。
幸せやよろこびが愛し合い、つながり合うことによって生まれるとしたら、すべての苦しみや悲しみは、愛し合えない、つながり合えないことから生じてくるわけです。
とするならば、炭治郎が鬼舞辻無惨に対してもっていた怒りの正体は、こういうことではないでしょうか。
「おまえがそんなふうだから、僕はおまえのことを愛することができない。おまえを愛することができないのは、こんなに苦しいことなんだよーーー!」
つまり、炭治郎は一体どれほど鬼舞辻無惨を愛したかったのか、ということになります。
一方の無惨は「こんなに凶悪で最悪な俺を愛してくれる人なんているわけがない」という世界観をもっています。
その無惨と「すべての人は愛し合えるんだよ」という炭治郎がぶつかりあうわけですから、それはまさしく愛とエゴの戦いということになります。
最終回、無惨は炭治郎に「おまえは世界一の鬼になる素質がある」というようなことを言います。
それは、炭治郎が無惨に対してもっている怒りが、無惨の中にある怒り以上のものだということを示しているともいえるでしょう。
が、その怒りの正体こそが「世界で唯一、僕の愛を止めさせるおまえを許せない」というものなのですから、心理分析すると二人の関係はややこしくなりますね。
来週の恋愛心理学もお楽しみに!!
(完)