離れることはやさしさでもある
母を想う気持ちと自分を大切にすることは矛盾しません。心の境界線を考えるヒントをお届けします。
◆「離れたい」と思うのは、悪いこと?
母との距離をとりたい。
そう思うことに罪悪感を持つ方はとても多いです。
「母が寂しがるかもしれない」
「冷たい娘だと思われたくない」
「母を一人にするなんて申し訳ない気がする」
こんな思いが心にあると、自分の本音に気づいても、そこから動けなくなってしまいます。
特に、母子癒着の傾向が強い人ほど、母を優先することが“当たり前”になっています。だから、「母から距離をとりたい」と思うこと自体に、強い罪悪感が出てくるのです。
でも、本当に「距離をとること=母を見捨てること」なのでしょうか?
じつはこれは、まったくの別物です。距離をとるとは、冷たく突き放すことではなく、「自分の心を守るための選択」をするということ。
母を傷つけようとしているわけではなく、自分の人生を大切にするための自然な反応なのです。
◆自分の人生を生きるということ
私たちは大人になると、自分の人生を自分で選び、歩いていく存在になります。けれど、母の影響が心の奥深くまで染み込んでいると、どこまでが自分の気持ちで、どこからが母の影響なのかが曖昧になってしまうのです。
たとえば、何かを決めるとき、母の反応を先回りして想像してしまう。母が寂しそうにしていると、「自分が悪いのでは?」と責任を感じてしまう。母に意見を伝えたあと、モヤモヤしたり後悔したりする。
これらはすべて、「母に合わせることが私の役目」と思い込んできた証です。でも、他人の感情のすべてに責任を持つことは、本来できません。
母の気持ちは、母自身のものであり、あなたがすべて引き受ける必要はないのです。自分の人生を生きるというのは、自分の気持ちや考えを優先していい、という許可を自分に出すこと。
それが、「私は私」という心の土台をつくっていく第一歩になります。
◆罪悪感の裏側にあるもの
罪悪感は、「悪いことをしている」と感じたときに出てくる自然な感情です。母から離れることに罪悪感を持つということは、それだけ「母を大切にしたい」「母に嫌われたくない」という思いが強いということ。
だから、罪悪感が出てきたからといって、自分を責めなくていいのです。むしろ、それだけ愛情深くてやさしい心を持っている証拠です。
ただ、その愛情が自分を縛るものであっては、本当にもったいない。「母を大切に思うこと」と「自分の気持ちを大事にすること」は、どちらもあっていいのです。どちらか一方を選ばなければいけないわけではありません。
ある方は、母との癒着に気づいたあとも長い間、「母がひとりぼっちになるのでは」と怖くて行動できませんでした。でも、少しずつ自分に問いかけるようになったのです。
「私が我慢すれば、母は本当に幸せなの?」
「私が笑っていない人生を、母は望んでいるの?」
そう問いかけたとき、「私が私を幸せにすることが、母への恩返しでもあるのかもしれない」と気づいたと言います。そこから、その方は罪悪感を感じながらも、少しずつ自分の時間や考えを優先できるようになっていきました。
◆離れることはやさしさでもある
母との距離をとることは、関係を断ち切ることではありません。むしろ、「適切な距離を持つことで、より自然な関係に変わっていく」こともあります。
人間関係には、それぞれにちょうどいい距離感があります。親子も例外ではありません。
・頻繁に連絡を取るのではなく、必要なときだけ
・同居ではなく、適度に会える距離に住む
・母の話をすべて聞くのではなく、自分の心が疲れない範囲で受け止める
こうした小さな「調整」が、心の安心感を生んでくれるのです。
そして、何より大事なのは、「母にどう思われるか」よりも、「私がどう感じているか」を軸にすること。自分を大切にすることが、結果的に、母との関係もやわらかく、心地よいものに変えていくのです。
罪悪感が出てきたときは、こう問いかけてみてください。
「私は本当はどうしたい?」
「私は誰の人生を生きているの?」
「私は、私をちゃんと大切にできている?」
その答えは、あなたの心の奥にちゃんとあります。
母との関係を見直すことは、母を否定することではありません。むしろ、あなたがあなたの人生を生きていくための、大切な一歩なのです。
次回はシリーズ最終回。「私は私の人生を生きていい」というテーマで、癒着を手放したその先の生き方についてお話します。
(続)