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2006年6月27日

●夢で逢えたら・・・

皆さん、こんにちは。
吉見 太一です(^^)v

小さいとき、皆さんも「こんな仕事をしたい!」と夢をみられたのではないでしょうか?

女性だったら・・・
「お花屋さん」「看護婦さん」「保母さん」などでしょうか?

また、男性だったら・・・
「プロ野球選手」「警察官」「お医者さん」などが多いでしょうか?

エッ・・・古いですか??(笑)

僕は、物心ついたときから電車が大好きでした。
だから、一番最初になりたかったのは電車の運転手です。

特に、阪急沿線に住んでいたので、阪急電車は見るのも乗るのも大好きでした。

電車の運転手さんの後ろに立って、まるで自分が電車を運転しているような気になって・・・それだけで幸せでした(^^)

また、梅田駅という阪急電車の主要駅がありますが、そこから出発したり、到着したりする電車を一日中眺めて、父親や母親を困らせていました。

でも、本当にそれだけで幸せだったんですね。

次になりたい職業は、「プロ野球選手」でした(^^)
もともと運動が好きだったボクは、兄のグローブを使って一人でボール遊びをしていました。

しかし、兄のグローブなので、兄の眼を盗んでグローブを使っているぼくを見るに見かねて、父親がぼくの誕生日のときにグローブを買ってくれました。

本当にうれしくって、大事に使ってました。

近くの友人と毎日のようにキャッチボールや野球をして遊んでいました。本当に、日が暮れてボールが見えなくなるまで野球をしていました。

それでも、飽きるどころか夜行性の虫のように、電灯の明かりに群がってボールを投げていました(笑)

もちろん、足しげくプロ野球をみたくて野球場にも通いました。

プロ野球選手の真似ごとをしては、その選手になりきっていました(笑)それだけで、本当に幸せでした。

野球が好きだから、いろんなことを試したくなります。
野球のいろんなことに、興味が出てきます。

うまくできるとうれしくなります。失敗すると、なぜ失敗したかを考えます。それくらいのめり込んでいました。

できないことなんて、なにもないと思っていました。
なれないものなんて、なにもないと信じていました。
すごくピュアでした。すべてに純粋でした。


でも、いつからでしょうか?

「これは、自分にはムリやわ。」
って、あきらめるようになってしまったのは。

「これやったらできるかな?」
と自分に恥をかかさなくなったり、傷つかないように用心してしまうようになったのは?

それどころか、自分に言い訳をしてみたり、我慢してたり、耐え難い感情にうずもれるようになったのは?

面倒くさくなって、投げやりになってしまったりしてるのは?


もし、あのときのすべてに熱中してた自分と、夢で逢えたとしたら、ぼくはどんなふうに思うんだろう??って思います。

きっと、不思議がられるでしょうね(笑)
「なんで、なにもしないのにできないって諦めちゃうの??」って。

もし、あのときの自分が、いまのボクをみて、なにかを語りかけてくれるとしたら、どんな言葉をかけてくれるのかな?って思います。

「もっと、楽しもうよ!さぁ、キャッチボールしようよ!!」
って、誘ってくれるのかもしれません。

大人に成長していくにしたがって、自分が傷つかないように、苦労しないように、悲しまないように、寂しくならないように・・・。

もし、すべての判断基準がネガティブなものを遠ざけるだけのものになっていたとしたら、きっと悲しいですよね。

ぼくが電車を見てただけでワクワクしてたような感じや、ただ、壁に向かってボールを投げていただけで、すごく幸せだった気持ちというのは、頭であれこれ考えるのではなくて、意外とシンプルでピュアなところにあるのかもしれませんね。

ただ、そんなところにあるわけないと決めつけていたり、信じていたりしているのかもしれません。

皆さんが、もし夢で逢うなら、いつの自分に逢いたいですか??


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投稿者 csadmin : 12:00

2006年6月24日

◇本当に欲しいものは何だろう?

最近、ついつい夜遅くまで夜更かしをしていまいます。
何をしているのかというと、車雑誌を片手に「次に乗る車探し」でウンウンう
なりながら悩んでいるのです。

僕は車が好きで、街行く車を眺めては、「あの車いいな〜」「あの人はなんで
この車を選んだんだろう?」と、次期愛車探しに勤しんでいます。

寝る前の一時に車の雑誌を読んでいい気分で寝ようと思い雑誌を読み始めるの
ですが、読み始めると悩み始めてしまい、寝れなくなってしまうのです。

先月我が家に車が新しい車がやってきたばかりだし、買い換える予定もないの
に、なんで毎晩こんなに寝不足になるまで悩んで悩んで悩み倒しているんだろ
うと、我ながら呆れてしまいます(笑)

「無駄なことをしているな〜」と思いつつも、楽しいんですね。
だからわかっていてもついつい同じことを繰り返してしまいます。

そんなことを繰り返しているうちに、「今の車が嫌なわけでもないのに、どう
して次の車にばかり目がいってしまうんだろう?」と思うようになりました。

思い返してみると、今の車が我が家にやってくるまでは、その日を指折り数え、
ずっとそのことばかり考えてはドキドキワクワクしていました。

あんなに僕の心を虜にしていた車がやってきた時、僕の歓びは最高潮に達し、
満足感でいっぱいでした。

今も満足には変わりないのですが、車がやってくるまでのあの高揚感はありま
せん。

そして、車雑誌を読んで悩みに悩んでウンウンうなっている時、僕はあの高揚
感に包まれていることに気がつきました。

思えば車以外でも、僕は欲しい物を手に入れる時、それを手に入れるまでとて
も時間をかけます。それなのに、それを手に入れた後は、次に手に入れるのは
どれにしようか?と悩み始めるのです。

悩む時間が長ければ長いほど苦しいのですが、長ければ長いほど楽しいし、実
際に手に入れた時の歓びも大きいので、わざわざ長い時間をかけて悩んでいる
ようです。


どうも、僕が本当に欲しいものは「物」ではなく、物が手に入るまでの「気分
の盛り上がり」と、実際に手に入った時の「達成感」や「満足感」であるよう
です。

この感情や感覚を得るために今までどれだけの時間とエネルギーを費やしてき
たのか?というのを改めて振り返ってみると、自分でもびっくりするくらいで
す。

この感情や感覚がよっぽど欲しいみたいですね。

「何でこんなに移り気で飽きっぽいんだろう…」と自分を責める部分もありま
したが、本当に欲しいものがわかったし、今の車が好きで満足している自分に
も気づけたので、ホッとして、心が軽くなりました。


ちなみに、「あの手に入れるまでの気分の高まりや、手にれた時の満足感がい
いみたい」「願わくば、欲しくて欲しくて手に入れたものを、もっともっと味
わって楽しめるようになりたい」という話を奥さんとしていると、奥さんが一
言。

「車に対する想いや扱いと、女の人に対する想いや扱いは同じだっていうから
ねー ( ̄ー ̄)ニヤリ」


・・・

今の車がどれだけ気に入っていて、今の車があることで、どれだけ僕が豊かで
いい気分になれるのか?ということや、いろんな車と比べるけれど、結局「自
分の車が一番!」という結論に達すること、これからも大切に乗り続けたいと
いうことなどを、念入りに説明しておきました。

時間を作って、念入りに洗車して、ピッカピカの愛車で奥さんとドライブにで
も行きましょうかね〜〜


投稿者 csadmin : 11:17

2006年6月20日

●「スコットランド国立美術館展」にて

この展覧会では、私の好きなモネの積み藁の絵が観られるということで、とても楽しみにしていました。
今回も、たくさんの素敵な絵と出会い、ゆったりとした時間を過ごすことができました。
その中から、特に印象に残った絵について、皆さんにお話したいと思います。

まず、シャルル=フランソワ・ドービニーの「馬車と夕暮れの風景」では、田園風景の美しさを堪能することができます。
夕暮れの少し赤く染まった雲と、雲の隙間から見える空が絵の約3分の2を占めています。
手前の中央からまっすぐに伸びる道、その道を馬車が通っています。
馬車が通った後の道が、キラキラとしているように見えます。
道の左手には原っぱ、右手には水田が見えます。
水田には周囲の緑が写っています。
水田の向こうには農家でしょうか、家が見えます。
のどかな風景です。
赤毛のアンのマシューもこんなふうだったのかなあと思いながら、この絵を観ました。

次に、クロード・モネの「積み藁、雪の効果」です。
この絵を観た時に、私は「本当に雪景色?」と目を疑ってしまいました。
中央に三角屋根の家のような形をした積み藁があります。
その左後ろにも小さく積み藁が見えます。
積み藁は雪をかぶっています。
周囲も雪で真っ白・・・なはずなのですが、太陽の光に照らされて、淡いピンクとベージュをしています。
私が「本当に雪景色?」と目を疑ってしまったのは、この色使いが理由です。
積み藁の影はブルーで描かれ、冷たさを感じます。
地面は、淡いピンクとベージュ、ブルーの微妙な色使いで凹凸があるのがわかります。
ほわんとした感じの絵です。
積み藁がとてもかわいらしく、私はまたモネの積み藁の絵がとても好きになりました。

最後に、デイヴィッド・ヤング・キャメロンの「青白い光」です。
この絵は、3分の1が薄いブルーの空、その下に青緑色の丘、向こうには青い山が見えます。
手前には、青く白く澄んだ川が広がり、奥へ流れています。
岸にある木々が川の水面に映っています。
川の水がとても澄んでいるのがわかります。
はっとするような美しい風景です。
空気も澄んでいるような気がします。
全てを浄化する青白い光を感じるような絵です。
この絵を観ていると、とてもすっきりとした気持ちのよさを感じられます。

こうやって展覧会に行くと、お気に入りの画家以外の絵をたくさん観ます。
その中で、今回のシャルル=フランソワ・ドービニーの「馬車と夕暮れの風景」や、デイヴィッド・ヤング・キャメロンの「青白い光」のように素晴らしい絵に出会います。
また、クロード・モネの「積み藁、雪の効果」のように、他の積み藁の絵とは違った描き方をしているモネに、これまでとは違った一面を見たような気がしたりします。
毎回新たな出会いや発見があり、それが私に新鮮さを与えてくれます。
そうやって私は、リフレッシュしているんだなあと思います。

私は最近、ブログに自分が撮った写真を載せるようになりました。
私が心地よいと感じたものを写真に撮ってブログに載せることで、皆さんがリフレッシュするお役に立てればいいなあと思っています。

上田紘美のプロフィールへ>>>

投稿者 csadmin : 12:00

2006年6月17日

◇過去の記念碑たち

最近、家の中のいらない物整理にハマっています。
結構楽しいんです。これが。(^-^)

きっかけは、何でも物を大切にとっておく主人が、急に「身軽になるねん。」
と言って、家の中のガラクタを整理し始めたこと。
あれだけ「捨てたら?」と何度いっても「まだ使えるから。いつか役にたつ
よ」といっていた主人がそんなことを言い出すなんて。

ちょうど前日にTVのある番組で、ゲスト出演していた俳優さんが「いつも身
軽でいる」ようなことを話されていて、私自身なんとなくひっかかっていた言
葉だったんです。
そしたら主人が急に同じことを言い出したので、びっくり!です。

元々、私自身も主人もそんなに物を所有するのが好きではなく、結婚して二人
で住むようになってからも、家に(マンションということもあるけれど)それ
程物は多い方ではないと思うんですね。

収納は今あるもので収めて、新しく物を入れる棚やボックスも買わないように
していたし、家に遊びにきた家族や友人も「物少ないねー。片付いてるねー」
とよく言われていたほどです。

何故そんなに物が少ないのかというと、両親が物を沢山所有していて、それを
維持したり管理したりするのにすごい労力と時間を費やしているのを間近で見
ていたから。(^^;)
「物を持つって大変なことだなぁ。疲れるなぁ。」というイメージがあったん
ですよね。
だから、物はあまり持たないように、溜めないようにしてきたつもり?でし
た。

でもでも!何年も経って家の中にある物を改めてじっくり観察してみると…、
あるんですね。。もうすっかり使わなくなったり、出番のない物たちが。

一見、物は溜め込んでいないように見えても、上手に収納されていても、
「物は大切に。捨てるなんてもったいない!」という親から受け継いだ感覚
は、やはり健在のようです。(笑)

確かに、小さい頃は究極に物が捨てられない“片付けられない女”でしたか
ら。
片付けられない私はすっかり卒業したつもりでも、その癖はまだ残っている
ようです。

いつか要るかもしれないからと、とっておいた仕事の書類。
すごく役にたったから、また読むだろうと思って本棚に大切に並べておいた
本。
お気に入りの雑誌。
今年は着なかったけれど来年は着るだろうと思い、タンスの多くを占めてい
る服。
お祝いに買ってもらい二度ほど着た高価なスーツ。
始めて自分で働いたお金で買ったお気に入りの上着。
大切な人から貰ったプレゼントや手紙の山。
懐かしい友人の住所録。
父が亡くなった時にもらった思い出の品。

などなど。。どれも私にとっては大切なものばかりです。

でも、、、今は見ることも触れることもなくなった物たちなんですよね。

タンスの奥からは、どこにしまっておいたの??と思う昔のバックの山まで
でてきました!(驚)
存在していることすらすっかり忘れ去られているなんて、思えばかわいそうな
バックたちですよね。

自分では大事にしているつもりでも、とっくに要らないとわかっているのに
捨てるのはかわいそうだからという自分の気持ちを納得させるために、ひっ
そりと見えない所に隠しておいただけなのかもしれません。

もうすっかり型は古くなって着ることも使うこともないのに…。
時代も変わって自分も変わって、今は読むことも影響を受けることも
ない本なのに…。
すっかり住所も変わっているアドレス帳なのに…。
生前父が愛用していただけで自分が使うことはないのに…。

改めて、自分が多くの思い出に取り囲まれて暮らしていたんだなぁと
気づかされます。

ただ「もったいないから」だけではなくて、私にとって大切なもの、
良い影響を与えてくれたものも多いんですよね。
だからこそ、大切に残しておこうととっておいたものです。

ちょっと大袈裟な言い方をすると、私の生きてきた、頑張ってやってきた
過去の記念碑のようなものです。
これがあったから今の私があるのよ、て堂々といえるような。
誰に見せびらかすわけでもないのに。(笑)

でも、それが今の自分に必要なものか?これからなりたい自分に必要な
ものか?と言われるとNOなんですよね。

そんな風に自分の存在価値を一生懸命証明しなくても、過去に良い
影響を受けたものはきちんと今の自分の一部になっているはずだし、
だから今の自分があるわけで。

そう思えるのも、それだけありのままの自分を愛してあげられるように
なったのかもしれませんね。すごいことです。^^

だから、思い切って過去の記念碑たちを処分することにしました!
過去ではなく、新しい未来に囲まれるように。
良い思い出も手放して、変化を受け入れられるように。

最初はもったいないかな〜と思い、少しずつ処分していたのですが、
一旦処分して手を放れると意外とスッキリするもので、
「ありがとう〜!」と一人怪しく言いながら、最後の'90sファッション
ショーをしながら(歳がバレる…)やってます。(^^)

また、やりだすと次々と出てくるんですよね。面白いくらいに。
これがひと段落するのはいつになるのだろうか。。。。

皆さんの心の中にも過去の記念碑はありませんか?

良い思い出も辛い思い出も、自分にとって大切だから、意味があるから、
今まで大事にしてきたのかもしれません。
それは素敵なことです。

でも、今の自分にはもう必要ないのだとしたら、思い切って手放して
みると心も自然と軽くなるのかもしれません。


塩田 純子のプロフィールへ>>>

投稿者 csadmin : 12:14

2006年6月13日

●紫陽花の頃〜〜〜生まれた季節〜〜〜

 紫陽花があちらこちらに咲く季節です。この季節、梅雨時の6月は私と、年子の弟の生まれた月でもありますが、じめじめして鬱陶しいとか、出かけるのが億劫だとか、大人になってからのこの季節の印象はそんな感じです。でも、紫陽花に似合うのはやっぱり青空より雨だれや水たまりやな、とも思うんです。また紫陽花は私の生まれ育った神戸市の市花でもあります。なので神戸に来ると紫陽花を模したタイルなどがアクセントとして見られたりします。私にとってはとても身近な花なのですが、いざ紫陽花について書こうと思ったら案外何も知らないことに気がつきました。で、ちょっと調べてみたんです。
 
「学名−Hydrangea(ハイドランゲア。『水の容器』の意。)、原産地は日本。毬状に小花が咲く。花の色は薄緑から白になり、赤系、青系へと変化をする。青は土壌が酸性に傾いたとき、赤はアルカリ性に傾いたとき。」

ドイツ人の医師・シーボルトは古代種のシチダンカ(七段花、と書きます。)を愛したともここには書いてありました。そうか、原産地が日本・・・。日本的な色彩と言うか微妙なあの色は私にとってもとても魅力的です。桜も好きですが、紫陽花も秋桜も好きですね。花はどれも一生懸命な気がして好きですが、この季節はやっぱり紫陽花に魅力を感じます。古い記憶の紫陽花と言うと、何と言ってもお気に入りの傘とレインシューズで友達と雨の中を出かけては、ちょっとした空き地なんかに植わっている紫陽花を覗き込んで葉っぱの裏のデンデンムシを見つけるのが楽しみだったこと。童謡のままにツノに触れては引っ込む様子やそろりそろりと草の上と言わず裏と言わず這う様子を飽きもせずに眺めていたこと。そして、咲く場所により花の色が違うかもしれない、と思いつつも自分の家の花は青でとても残念な気分だったこと・・・などなど。そして、もっと幼い頃にはナメクジにもいつか殻が生えて?来ると信じてやまなかったので、ナメクジにお塩をかける母に涙で抗議をしたこと、など、鮮烈なイメージで覚えています。しかし因果応報というか・・・保育所時代に息子たちが得意満面な笑顔で、「おかあさん、良いものあげるよ!」と差し出したのが、彼らの掌の塩分でへたれているナメクジだったり、一掴みのダンゴムシだったり、彼らの言うところの「ピカピカのお団子」・・・あまりにも美しく仕上がった泥団子だったりと・・・子供の頃見えていた世界って本当に今見えているものよりも何倍も美しいものだったに違いありません。そんな風に思うと、自分が幼い頃に感じていた世界で少しだけ遊びたくなりました。

春、母が植えたチューリップに露を見つけ、おやゆび姫を探したこと。まだ裏山があった頃にたくさんいたアマガエルのどれかがかの王子様に違いない、と思ったこと。夜中に鏡を見たら鏡の世界に入ってしまう、と年上の幼馴染に教えられそれが怖くて夜中にひとりでトイレに行けなくなったこと。高熱を出した夜、ぐるぐる天井が回り投げ出されそうに感じて母の手にしがみついたこと。天井板の木目を凝視しながら昼間に読んだお話を思い出していたら母が驚いて揺り起こしたこと。亡くなった祖母が大事にしていた古い絵を、そこに描かれている川のほとりにつながれた屋形船の中を想像しながらいつも見上げていたこと。飼っていた犬たちが「わんわん物語」の1シーンのようにスパゲティを食べたらどうだろう、と想像したこと。安寿と厨子王のお話の理不尽さに毎晩泣いたこと。買ってもらった大きなパンダのぬいぐるみを独りぼっちにするのがかわいそうで、両親に頼み込んで一緒に帰省したこと。小さなお地蔵さんがいたに違いない祠を小人の家だと長い間信じていたこと。家の前の坂道から見える山の中腹にある、夕暮れ時に鮮やかに光る窓がるお寺を、読んだお話の中に出てくる「ひなたが丘」だと考えたこと。

事実を知っている今の自分なら、何ていうことはないことばかりなのですが、ありふれた日常の中にたくさんの夢と輝きがあったことを思います。実際に変わっていった景色もあれば、心の中の「風景」としてしまいこんでいたものもあるのですが、あの頃の鮮やかさはもう取り戻せないものなのかもしれません。それは成長の証でもあるのですが、現実を生きる厳しさとあいまってさらに懐かしく感じるのは私だけなのでしょうか。いや、そうじゃないな、きっと。トトロに逢いたい。ミッキーマウスたちと仲良くなりたい。スヌーピーと一緒に遊びたい。今の科学の力では行くことができない古代の世界や、まず普通には生きていないだろう未来の世界に行ってみたい。そんな思いが誰の中にもあるからこそ、映画やお芝居、ミュージカルにテーマパーク・・・そう言ったものが廃れることはなく、続いているのでしょう。

人の心は本当に計り知れません。脳についての解剖的な研究がいくら進んだとしても、それぞれの中にある「心」は自分だけのエリアを持ち続けるのかもしれません。でも、それを表現してみたい、と思う心が文学や美術や音楽や、様々なエンタテイメントとしてまた新しく想像の世界を拡げていく。そして、いろんな変化をし続けて科学や芸術や、いろんな形になってまた私たちのところに届くのでしょうね。

この季節、私はまた一つ年を重ねるのですが、子供の頃に感じていたイメージや楽しさや、いろんなことへの好奇心をこれからも持ち続けていくことになると思います。それはもしかしたら、身の周りの人たちにはちょっと迷惑だったり(笑)、変わってるなぁ、と感じられることになるのかもしれないのですが。でもね、実は 生まれたこの季節、梅雨は以前はあまり好きではなかったんです。出かけるのが面倒だったり、湿気が多かったり、少し前のきれいな空は隠れてしまうし。子供の頃、傘を持ってたくさん雨が降る中を出かけるのはとってもイヤだった記憶があります。何でイヤなんだろう?とふと思ってみると、まず濡れるのが嫌だった、とか、濡れた洋服が嫌だった、とか、そんなことより、たぶん、「母に悪い」と言うちょっとあり得ないような答えが自分の中から出てきました。変なの・・・。

 「母に悪い」と言うのはそれくらい慢性的な感覚になっている気がします。女の子に生まれてきたこと自体、母を傷つけている気がずっとしていたと感じているんです。年子の弟がいて、もちろん私とは性別だけではなく個性も全く違うのですが、「お姉ちゃんがお腹の中に忘れてきたものを持ってきた」とずっと言われてきて、ほんまにそうや・・・という感覚が随分長くありました。もしかしたら、今でも残っているかも知れないのですが・・・。
 
 これは、エレクトラコンプレックスのとても典型的な影響です。なので私は「忘れてきたもの」以上の何かを手に入れるべく、頑張ってきたのかもしれません。ところが、3歳の時の事故で、私は健康な脚を手放すことになります。これを心理的に考えていくと、3歳にして既に「デッドゾーン」に入っていた、と言うことになります。つまり、「もう無理だ」「何もできない」と3歳にして感じていたと言うことになるのですが、現実の私は満1歳の直前にして姉になったので、たぶん赤ちゃんとしては満ち足りた感覚は持っていなかったのでは、と言う推測ができます。実際自分の行動を振り返りカウンセラーとして眺めて見ると、「さもありなん・・・」と思うのです。ほぼ1歳の年の差、と言うと物心ついた頃にはすでに「一人っ子」ではなかったということは、長子であると必ずあるはずの「一人っ子時代」が殆どなく、体の大きさなどの面からも双子に近い状態です。実際やや早産で生まれてきたと聞いている弟より私はさらに小柄で、足に負傷したすぐ後に家の中でおめかしして貰って二人並んでいる写真の裏には、母の字で「まだ(私の方が)少し大きい」と書かれてあり、後に抜かれて今に至ります。なので、近所の小児科の先生には私の方が妹だと思われていたり、そうですね、父の取引先の方にもそう思われていた、と言うことをうっすら覚えていますが、おそらく弟にこの記憶はないと思われます。そんな環境下で子供時代をすごしていた私は、3歳にして何かに関して「もう無理だ・・・」と思ったようなのです。いやもしかしたらもっと幼い頃からだったかも、とも思います。

 幼少期の私は引っ込み思案でちょっと恐い先生に何か言われるとすぐ泣き、先生に「この子は泣き虫だ」と言われた記憶もあります。もう、40年近くも前のことですが、場面まで覚えていたりする。まさに三つ子の魂・・・でございます(笑)。雨の記憶の多くに、4年生以前のイメージがあるのは、幼い頃の心の中の自分自身へのイメージなのかもしれません。

 雨はいろんな物をもたらします。乾いた大地に潤いを。植物や野生の動物にはまさに天からの恵。私たちにとってもとても大切なライフラインで、水そのものだけでなく、水の持つエネルギーを利用しているのが水力発電ですものね。物理的なものだけではなく、なんとも言えない美しい世界を見せてもくれます。雨を歌った数々の素敵な曲も多いですし。クラシックには「雨の庭」(ドビュッシー)や「雨だれ」(ショパン)、と言う名曲もありますね。紫陽花を引き立てる背景となり、苔や石灯籠に味わいを添えたり、毎日通っているアスファルトの道さえも、玉虫のように輝かせたり・・・虹を見つけるチャンスも増やしてくれる、素敵な季節。

 今年は自分の生まれたこの季節をもっと楽しんでみよう、と思っています。「楽しむ」と言うことは、いろんなできごとを・・・雨のように美しく素敵なものに、きっと変えていくのでしょうね。

投稿者 csadmin : 12:00

2006年6月10日

◇観念の作られ方

何気ない会話の中で「なるほど〜」と思わせられたり、偶然目についた出来
事の中に気づきがあったりすることってありますよね。
先日、私もそういった気づきがありました。

ちょうど遊びに出かけることになってて、いつもとは違う電車に乗り込んで
待ち合わせ場所に向かっていたんです。
その電車は少し込み合っていたので座席の前の窓の方を向き、つり革を握っ
て立っていました。その前の席には2・3歳ぐらいの女の子と年配の男性が
座ってます。多分その女の子のおじいちゃんになるんだろうな・・とぼんや
り考えてたんです。

おじいちゃんはその子にいろいろと声をかけていました。女の子はまだ幼く
てちゃんと話が出来るまでにはなっていないようで、おじいちゃんが話すこ
とにきゃっきゃと喜んでいます。とてもほほえましい感じでした。

しばらくすると、窓の外には特急なのか、後ろから来た電車が追いついて来
て一緒に走っている状態になりました。そして私が乗っている電車を少しず
つ追い越していたんですね。それを見たその子は「うきゃ〜♪」と楽しそう
にしています。
すると、おじいちゃんはこんな風に子供に話しかけていました。

「あ〜、負けちゃったね〜。負けちゃった負けちゃった・・」


ん?負けちゃった?


あ〜、なるほどなあ・・って思ったんです。

というのは、まだそのくらいの子供っていうのはただ目に映るもの全てが新
鮮で、動きがあるものが楽しいだけ。
でもそのおじいちゃんはこの電車の状況を「負けちゃった」と言っている。
そういった言葉をその子が初めて知った言葉だとすれば、その女の子にとっ
て「これが負けるってことなんだ」と教え込まれることになる・・と思った
んです。
知らず知らずのうちに子供たちは、次第に自分を取り巻く環境や状況の中で
競争して勝つこと、負けることを教わっていきます。
学校での運動会がいい例なのかもしれません。
そして、競争で勝つことは良いことで負けることはいけないことなんだ、
駄目なことなんだ・・って思うようになっていきます。
今回の「負けちゃったね」という言葉は、私たちの日常でも結構使われる何
気ない言葉だと思うんですが、改めて「後ろから越されると負け」という大
人の観念から吐き出される言葉なんだな〜とつくづく感じてしまいました。
そしていかにもそれが当たり前のように、です。

今の世の中でも「勝ち組」「負け組」などが作られて、私自身もなんだか嫌
だなあ・・と感じています。
勝ちなのか?負けなのか?の判断基準も本当に正しいのかどうかも疑問に感
じます。

また、こんなお話があります。
あるの小学校のことなんですが、ある特定の地域の学校では「喧嘩」をする
子供たちがいなかったそうです。みんなが仲良しで平和な子供たちでした。

ある時、その学校の一人を違う小学校に連れて行きました。そこのクラスと
いうのは子供同士で殴り合いをしてしまうようなとても危ないクラスだった
そうです。
そしてある時、男の子同士が取っ組み合いの喧嘩を始めてしまったところ、
その連れて来られた子供は近くの子供にこんな風に言いました。

「ねえねえ、あれは何の遊びなの?」と。

実際に喧嘩する現場を見たことがないところでは、その光景はまるで声をあ
げてじゃれあっている遊びにしか見えないんですね。


そういったことがあってから、仕事柄もあって言葉を発する重みをひしひし
と感じさせています。

何気ない言葉で相手を傷つけることもあるかもしれない。それが相手とって
新たな観念として意識の中に刷り込まれていくこともある。
幼い頃の両親からの言葉、というものこれにあたります。

「お前は出来が悪いから・・」
「何をやっても駄目な子だね」

なんて言われ続けてしまったらどうでしょう?
間違いなく自分は駄目な子なんだ、と信じてしまって当たり前なんです。

でも本当はそうじゃない。
両親が作っている観念の基準から外れているから駄目、ということであって
、その観念も本当に正しいかどうかもわからないんですよね。

両親から受けた言葉で傷ついてきた方たちが沢山いらっしゃいます。
お話を聞かせていただくたびに私も心が痛い悲しい気持ちになったりするこ
とが沢山あります。

そういった方たちに、本当はそうじゃないよ、誤解だよ、って伝えていくこ
とが私たちの役割でもあります。
少しでも気持ちをほぐせるように、間違った観念から抜け出せるように、
心から生まれる言葉というものを改めて大事にしていきたいと思いました。


中野 知枝のプロフィールへ>>>

投稿者 csadmin : 11:54

2006年6月 6日

●母 〜この偉大でもありやっかいなもの〜

5月の第2週の日曜日。
5月に入るとともに、この時期まである想いで私の身体にはある意味プレッシャーがかかります。
「母の日」。
確かにこどもの日もありますし、とってつけたように「父の日」も存在するのですが、このなんというのでしょうか、感謝せねばならぬプレッシャーに毎年なんとなく気が重くなったり、色んな事を思い出して彼女の偉大さを思うのは私だけなのでしょうか・・・?

確実にこの人が居なければ、
この人が父という人と夫婦になるという選択をしなかったら
存在し得なかった私。

母は山陰の海近い機織りでよく名が通っている町に生まれた人です。
母の父は、戦争に行き彼女が4つになる頃まで終戦後シベリアに抑留され癌に侵されこの世に別れを告げるまでずっと「戦友記」の話と軍歌を歌い続けた人です。
母の母は、ひたすらにひたすらに祖父の帰還を信じ物言わずに舞鶴港に通いつめたということを言葉少ないながら、時折りお話してくれた人です。

母はカトリックの高校で当時の女性としては身長が高かったということでバレーボールで活躍していたことが自慢でした。
母はお見合いで父と結ばれました。
母の笑顔は幼い私にとって太陽のようでした。
母は、上西の家で私の曽祖父、祖父、父の実母(父には母が二人居ます)の父、と20代で数人の方の最期を面倒を見た人です。
寝たきりになった曽祖父の足を和らぐまでいつも揉んでいたとよく母以外の人から聞かされました。
母はいつも働いている人でした。
とてもシャイな人で褒められるのが本当に苦手。
とても、心配性。

私は小さい頃から、母からずっと相談をされていました。
今にして思うと、幼い私に相談をしていたわけではなかったのかもしれません。
小学校にあがるかあがらないかの子に、夫婦関係がなぜうまくいかないのかなんて、本当のところ聞いても実際には分かりませんものね。(^_^;)
ただ、聞いてくれる人が欲しかったのかもしれませんね。
私はその度ごとに、必死になって励ますことを考えたのですけどね。

私の目から見た母の歴史は
身体の不調の繰り返しと苦労の繰り返しでもあったように思っていました。

子宮頸がん・・・
胆嚢摘出・・・
紫斑病に近いレベルで血小板が足りない・・・
肋骨の骨折、大腿部の損傷、
膝関節の障害・・・
膝関節の障害に伴っての腰痛・・・

なぜか母とその親族は常に誰かが入院しているような状態でした。

実家にたくさんの問題が内包していることを知りつつも実家を離れ仕事に専念していた30代初めの夏が過ぎようとしている晩のことでした。
いつものように、夜遅くまでの友人との電話でのお喋りを終えた私は、明日の東京出張に備えワンルームマンションのユニットバスにたまにはお湯をたっぷり溜めて漬かろうとしていたときの事です。
突然。
何かに押しつぶされそうな全身の痛みにのた打ち回ることになりました。
1時間程すぎ、なんのことだったのかも分からぬままに全ての痛みが消え床につくことができました。
朝寝坊の私なのに明朝はいやに早くに目覚めたことを覚えています。
夜以外はあまり鳴ることがない固定電話が鳴り、母が交通事故で大阪にある救命救急センターに運ばれたことを知りました。
損傷の大きかった部位から順番に整形外科、呼吸器外科、脳外科のドクターが次々に到着してくださり、処置と説明をほぼ同時進行で続けてくださり、九死に一生を得た母。
数年のリハビリと、入院生活を終え自宅にて療養を続けている母。

まさかとは思いましたが、その後も胃に癌が見つかり胃も摘出し今は抗がん剤の治療を受けています。

死線を渡りかけたことは何度もあると思うのです。
その度ごとに母の身体は人様の力を借りて生活せざるを得ない状況になります。
ただ、その度ごとに母は生きることを選択したんだなとも思います。
切ないかな、彼女の執念にも近い生きる原動力が姉と私の存在にあると気が付いたのは、彼女の胃切除後の療養中の病室でした。

生活の面では私の姉は自立という状態ではありません。
母が生きている限りは、何がしかの方法で私が家族を抱えなくてもすむ、私に迷惑をかけなくてもすむ・・・。
この想いがどんなことがあってもこの人に生きるということを選択させているらしい。
手術後の母の寝顔を見ながら、やっと彼女の思いを理解できたように思います。

才能も問題も性格も思考も身体も長所も欠点も
この人から貰ったものがたくさんあります。
彼女から引き継いだ私の人生における課題もたくさんあるようです。

ただ、
どうやら私が幸せになること、
私が自分の人生を生きること、
私が彼女の感じた限界を超えていくこと、

これがこのやっかいで偉大な母からのなによりものプレゼントであり願いであり祈りであるようです。
周囲の人を幸せにしたければ、まず自分が幸せになることを選択すること・・・
よく言われる言葉ですが、こんなドラマチックな形で教えてくれなくても、なんて愚痴りたくなっちゃいます。

大好きで大好きで大好きで、そしてとっても厄介なお母様へ。
母の日を越えてしまいましたが、許してくださいね。
今も、あまり会わなくても、愛しています。

投稿者 csadmin : 12:00

2006年6月 3日

◇仕事だから・・・

大人になるとほとんどの人が、一日の大半の時間を仕事で使っています。
当たり前ですが、生活の第一優先が「仕事」になりますよね。

小さな子供がいる我が家でも、よくこんな言葉を吐いている自分に気付きま
す。
「お父さん、お仕事だからね・・・」
少し反抗期の三歳になる息子も、「仕事」という言葉だけには逆らいません。
一番「大切」で、自分よりも優先されるものだと理解しているのでしょう。

もちろん間違いではないし、家族の命や豊かな生活を守るための仕事でもあ
ります。
仕事が無くなったら、たちまち今の生活は脅かされてしまうでしょう。

何よりも優先される「仕事」。
よく考えてみると僕達は「仕事だから」と言う言葉を、
小さな子供に対してだけに使っているわけでも無いようです。

家事を手伝って欲しいという妻に。
もっと一緒に過したいと言う彼に。
いつもいつも自分を誘ってくれる友に。

「仕事だから・・・」

家族や周りの人達だけでもなく、自分自身にも使います。

旅行に行きたいのに。
どうしても観たい映画があるのに。
もっと家族と過したいのに。

「仕事だから・・・」と言い聞かせています。

実のところ息子に「仕事だからね・・・」と言い聞かせている僕のこころ片
隅に、いつもこんな疑問が残ってしまいます。「僕は間違ってるんじゃない
か???」


先日フリーで仕事をしている僕のところに、大きな仕事の話が舞い込みまし
た。
引き受ければ、今の収入が倍ほどになるような仕事です。

だけど僕は一日悩み込んでしまったんです。
こころの中を覗いてみると、二人の僕が葛藤しています。

「家族のために、もっと収入を増やすために、大きなチャンスだ引き受ける
べきだ」
「今、自分がやりたい仕事ではないし、引き受けたら本当にやりたい事が出
来なくなる」
こころの中に二人の僕が居て、身動き取れなくなってしまったんです。
家族の生活のために、何よりも優先される「仕事」なのだったら、
もちろん引き受けて、収入を増やす事が正解です。
だけど、引き受けたら今本当にしたい仕事が削られてしまう。

一人で答えが出せず、思い切って妻に相談しました。
長い時間、話し合いが続きましたが妻も答えが出せずにいました。

もちろん妻にとっては、収入は何よりも大切なものでしょう。
だけど彼女の心の中にも、「僕にやりたい仕事をやらせてあげたい」
という気持ちとの葛藤があったのです。

そんな彼女の気持ちを知ったとき、
僕は「はっ」と気付かされてしまいます。
今まで僕は、自分や家族のために「仕事」を優先してきたと感じてきたので
すが、本当はそうじゃなかったんだと。

いつも自分は、自分がやりたいことを選択していただけだったのです。
それを家族や子供に、解ってもらうがために「仕事」という言葉を使ってい
たのです。
自分がやりたいことをやっていることに、どこか後ろめたさも感じていたの
でしょう。

そんな自分に気付いた僕はその仕事を断って、やりたい仕事を優先すること
にしました。

考えてみれば、僕達は自分の意思でいつも「やりたい事」を選んでいます。
そしてそれは決して周りの人に悪い事でも、傷つけることでもありません。
やりたい事の中に「仕事」も含まれているだけなのです。

今、目の前にある「仕事」。
それが本当に自分がやりたい事なのか、そしてやりたい事だとしたら、
誰かのためでなく、自分の意思でやりたい事を選択していることに気付けま
す。
そうすればもっともっと仕事も楽しくなるでしょう。

そして、僕はこれから子供に「お父さん、仕事だからね・・・」という言葉
を、
「お父さん、今したいことがあるからね」と言う言葉に変えようと思ってい
ます。


※吉原 直人は2007/6月でカウンセリングサービスを退会しました。

投稿者 csadmin : 10:29