2017年4月25日

思い出は音楽と共に♪

音楽が、人の心に与える影響は、かなり大きいものがありますね。
楽しい気分の時には楽しい曲を、悲しい時には悲しい曲を聞いて、その時の感情をしっかり感じた方がスッキリするといいます。

そしてまた、音楽は生活と密着しています。
どの曲が好きとか嫌い、というだけでなく、その頃の自分を思い出してしまうのです。

私は街角やお店のBGMとして、どこからともなく聞こえてくる"ある曲"に、たまらないほどの懐かしさを感じてしまいます。
その曲とは、スピッツの「ロビンソン」。
著作権の関係で、文中ではご紹介できないのが残念ですが、私にとっての名曲です。

この曲がリリースされたのは1995年。
1995年と言えば、今から22年も前のことです。
もう、そんなに時間が経ってしまったのかと思いますが、1月に"阪神・淡路大震災"が起きた年でもありました。

この震災で、私の生まれ育った神戸の我が家も、全壊してしまいました。
誰もが今日を生きることに精一杯。
震災当初は、気持が異常に高ぶっていましたから、命があっただけでありがたいと心底思っていました。

当時、父は脳こうそくの後遺症で右半身不随になり、車いす生活でした。
母と私で父を介護する日々でしたが、父が身体不自由では避難所に行くことも出来ません。
幸い、姉の住む地域は同じ神戸でも被害が少なかったので、両親を姉のところに預けて、私は職場に近いところで別に部屋を借りることにしました。

それまでにも家を出ていた時期はありましたが、一人暮らしは初めてのことです。
適当な物件を探し、引っ越しを済ませた頃には桜の舞い散る4月になっていました。
1月に震災が起きてから、約3ヶ月。
その間の、なんと慌ただしかったこと!

平日は仕事から帰ると、炊事や洗濯。
引っ越しの後片付けもありましたから、テレビはあっても見ている暇がありません。
そこで帰宅してから、まず一番にやったのはラジオのFM放送をつけることでした。
その頃、毎日のように流れていた曲が、スピッツの「ロビンソン」だったという訳です。
ちょうど、新生活を始めたばかりの私に相応しい曲のような気がして、いつも鼻歌交じりで聞いていました。

一人暮らしは気楽ですが、当然ながら何もかも一人でやらなくてはなりません。
風邪を引いた時など、冷蔵庫に買い置きの食材もなくて、這うようにしてコンビニに買いに行ったこともあります。

平日は家と職場の往復になりがちでしたが、少し落ち着いてくると、時には仕事仲間や友達を呼んでホームパーティーも開きました。
誰からも束縛されない生活を、楽しんでいた面もあったんですよね。

そして週末になれば、両親の待つ姉の家へ半日掛かりで帰ったものでした。
何しろ、まだまだ鉄道が復旧しておらず、大きく迂回して電車やバスを乗り継ぎ、がれきの中を通り抜けていくのです。
春の陽射しがいつの間にか、汗ばむ初夏の陽射しに変わっていきました。

その頃、自宅再建の話が持ち上がりました。
父はすでに80歳を過ぎており、身体不自由でもありましたから、仮住まいのまま終わらせるわけにもいきません。
残り少ない時間を、心穏やかに終の棲家(ついのすみか)で過ごさせてあげたい思いがあったのです。

どうせ建てるのなら、父が家の中でも車いすで移動できるように、そしてまた手すりなども不足のないように、お風呂やトイレなどは介護しやすいように、一所懸命考えました。
本当は一番相談したいのは父でしたが、脳こうそくの後遺症で言語も取られていましたから、それは出来ません。
母は「あんたが良いと思うようにやってくれたら、それでかまへん。」と言います。

一つ一つの決定を、私がする必要がありました。
良く言えば任せてもらっていたのですが、その責任の重圧感はかなりのものでした。
紆余曲折を経て、義兄や従兄など、建築のことに詳しい人たちの力を借りながら、年末には何とか自宅が完成したのでした。

新しい我が家に足を踏み入れた父は、車いすから降りて、私たちが支えながら手すりを使って部屋の中を見て歩きました。
元々好奇心の強い人でしたので、2階にも上がろうとします。
一瞬、大丈夫かな?と思いましたが、何と階段を一段一段上がりきって2階の部屋も見ることが出来たんです。
その時の父の、嬉しそうな顔!

゜゚*☆゜゚

スピッツの「ロビンソン」は、1995年のレコード大賞で優秀作品賞に選ばれました。
どうやら、「ロビンソン」に勇気づけられたのは、私だけではなかったようです。

先日、この曲のイントロを久しぶりに耳にした瞬間、一気によみがえった記憶を書かせてもらいました。
ああ、そうだった・・・

22年前の、あの頃の私を褒めてやりたいと思います。

「まゆみ、よくやったね!偉かったじゃん!」

佐藤まゆみのプロフィールへ>>>

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2017年4月18日

梅酒飲んどけばいいよ

私は普段、ブログやコラムを執筆する時は、家を出て、近くのサイゼリヤに行くことが多いです。
家で執筆できないこともないのですが、家にいると猫の構って攻撃についつい乗って一緒に遊んでしまうので、知らぬ間に時間が経ってしまいます。

だから、私はカウンセリング以外の時間は、結構サイゼリヤにいることが多いです。
仲の良いカウンセラーから、「あんた電話すると、いつもサイゼリヤにいるよね!」と、よくいじられたりしています。

サイゼリヤに行く私の楽しみは、2つあります。
1つは、大好きなイタリアンハンバーグを食べること(笑)、もう1つは、執筆に疲れた時に、サイゼリヤにいる人たちの人間模様をぼんやりと眺めることです。

どんな時間帯に行っても必ずいる50代くらいの女性、口論をしていたと思ったら突然キスを始めるカップル、ドリンクバーですべての炭酸ジュースを混ぜ合わせて謎の液体を作り上げる幼稚園児、いきなり1人で大掛かりな手品を始める60代くらいの男性、などなど。

のんびりとそんな風景を見ていると、「今日もカオスだな」と思ったりします(笑)

◇◇◇

先日、私がサイゼリヤでブログを書いていると、私の横に3人組の女子大生が座りました。
ブログの執筆が一段落して、私はいつものようにぼんやりとサイゼリヤの景色を眺めていると、隣の女子大生たちの会話が聞こえてきました。

「やばい、どうしよう、超緊張してきた。。。」
「そうだよね、怖いよね」
「大丈夫だよ。なんとかなるって!」

どうやら3人の中の1人が、意中の彼と初デートに行くことになっていて、そのことを他の2人に相談している様子でした。
若い女性たちの恋バナを聞いてはいけないと思いつつも、ついついブログそっちのけで、私は彼女たちの会話を聞いてしまいました。

「何話せばいいのかな?」
「沈黙が続いたら、どうしよう。。。」

そんな彼女の不安に対して、他の女性たちもあまり恋愛経験がないらしく、「私もわかんないんだよね」という答えが続いていました。
彼女の相談はゆっくりと核心に迫っていきました。

「あと、私が一番不安なのはね、夜ご飯を一緒に食べている時に、お酒に酔ったらどうしようって思うんだけど、どうしたらいいと思う?」

彼女の質問に1人の女子大生が答えました。

「梅酒飲んどけばいいよ」

私は、心の中で「えっ!?」と思いました。
その女子大生は、自信満々に続けました。

「梅酒はアルコール度数低いから、絶対に酔っ払わないから、梅酒飲んどけばいいよ」

彼女の「梅酒は絶対に酔っ払わない論」は不思議と説得力があって、その話を聞いた他の2人は「そうなんだね」と、めちゃくちゃ納得している様子でした。
そして、私も彼女の話を聞いているうちに、梅酒って酔っ払わないんじゃないかなと思うようになりました(笑)

◇◇◇

心理的に、人は経験したことがないことをする時、強い不安を感じる傾向があると言われています。
大好きな彼との初デートは緊張するでしょうし、ましてや、それがあまり経験したことないことであるならば、不安を感じて当然だと思います。
しかし、人は不安な感情を他人に分かってもらうと、不安な気持ちは軽減したりします。

3人で考え出す結論は、時には的外れだったかもしれませんが、デートに行く友達の不安に寄り添い、何とかして問題を解決しようとする他の2人の姿勢は、とても素晴らしいものだと思いました。

「カウンセリングをする上で一番大切なことは、相手に何を言ってあげるかではなく、どれだけ相手のために親身になってあげれるかなんだ」

彼女たちを見ていると、私の師匠が何度も言っていたセリフを思い出しました。

森川陽介のプロフィールへ>>>

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2017年4月11日

震災から6年...力強くいきる魂②

~こころの癒しをもたらす不思議な魂のチカラ~

東日本大震災から6年経った今なお
語り継がれている一つの話があります。

それは、震災で亡くなった方の霊が現れては
各地での目撃情報があったというものです。
震災後すぐの頃は霊が現れるなんて不謹慎だと言われて
なかなか大っぴらにされることもなかったようですが、
数年前にはテレビでも取り上げられたり
現在ではインターネット上でも話題になったりしています。

亡くなった方の霊が現れるのかどうか本当のところはさておき、
復興にあたる地元の人にとってこの「心霊体験」は
心のわだかまりが解(ほど)けていく出来事でもあったようです。

一般的には、幽霊をみる体験は怖がられたり
タブー視されがちだったりするものです。
ところが、亡くなった方の霊の話は地元で語り継がれており、
霊でもいいから会いたい、魂は生きていることが感じられる、
などと言われて全く怖がることがなかったようなのです。

まるで、今も生きているかのごとく彷徨う霊の姿は
いつもと変わらない様子で地元の人に会いに来てくれたように
ごく自然と現れているのかもしれません。


ある日突然、失われてしまった命に対して
人は現実を受け止めることが難しくなってしまいます。

昨日までいつもと変わらず会っていた人がいなくなること。
数時間前まで話をしていた人がいなくなること。
今日まで暮らしていた自宅がなくなっていること。

なぜそうなってしまったのか・・・
納得できる理由はどこにも見つからず
本当に亡くなってしまったのかさえも信じることができません。

身近な人が亡くなってしまった事実を受け止めるのには
癒やしの時間を充分にとることが必要になります。

また、同じように身近な人を亡くしてしまった人同士で
その後の生活や時間を共有すること、
あるいは気持ちを分かち合う機会をもつことは
非常に重要なことであります。

避難生活や地域の復興にかける時間のなかで
霊をみた話が仲間との共通の話題となり
亡くなった方々とこころを通わせることで
生き残ってしまったという罪悪感が癒やされ
亡くなった方の魂とともにこの先
生きていく力をもらっているのかもしれません。

こころの癒やしをもたらす不思議なチカラは
これから先の復興にも多大なる恩恵を
もたらしてくれるかもしれませんね。

一日でも早く被災地の復興が進みますよう
応援しています。
私も一緒にがんばりますね!

仁和(庭野)智美のプロフィールへ>>>

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2017年4月 4日

母からの愛

母が癌とわかったのは、二年近く前になります。父からの電話で私は、母の病気を知りました。
その当時私は、離婚し一人で生活をしており、自分自身を立て直すことで、精いっぱいでした。
自分の気持ちに、余裕が全くなく、両親にたいしては、遅れてきた反抗期真っ盛りで、私は両親とは連絡を、絶っている、そのような状態でした。
そんな私に対して、両親は心配、憤りもあったことでしょう、しかし両親から私への、連絡は殆どありませんでした。
その中での父からの電話は、母の癌発覚のものでした。父からの電話を切った後の、私の恐怖を感じた心は、昨日のことのように覚えています。
母の癌の知らせは、実家から遠ざかっていた私が、実家に戻るきっかけとなりました。
それほど、母の病気は私にとって、大きな出来事でした。
母の病気は決して、私には良い知らせではありませんでした。
しかし私が実家に、帰るきっかけを、私に勇気を、いやチャンスを神様がくれたように感じました。
もしかしたら、母が私に与えてくれた、愛だったのかもしれません。
母は、久しぶりにあった私を、いつものように「お帰り」と迎えてくれました。

そして1年前の、2回目の癌発覚の知らせは、母親からでした。
ちょうど私と旦那さんが、復縁しようかと話が出ていたときです。
その時の私は、母からの電話に、物凄く怒っていました。
母が私に言った言葉、、、
「一人にしないでくれ、早苗しかいなんだよ。。。」
とっても重たくて嫌な気持ちでしたね。
「私はあなたの旦那じゃないんだよ、お父さんに甘えて!」
と電話口で激怒したことを覚えています。
母に暴言を吐いた自分ですが、不思議と母に対する罪の意識は、ありませんでした。
それよりも、やっと口に出して、母に本音を言えた、という気持ちの方が大きかったです。
人は信頼しているからこそ、本音が言えるのではないでしょうか?
受け止めてもらえる、安心感があるからこそ、本音を言えるのかもしれませんね。
私は、母に本音を言えたということは、母が私を受け止めてくれた気持ちが、心の奥底であったのかもしれません。

そして3回目の癌発覚は昨年末でした。
2回目の癌発覚の時に、母に本音を言えるようになってから、私の癒しは促進されていきました。
母に本音を言えた気持ちが、私の癒しの促進に、なっていたのかもしれません。
久しぶりにあった母から「こんなになるまで自分をほっておいて」なんて言われても、母は寂しいだけなんだなと、思える自分がいました。
あれほど、嫌悪していた母の、攻撃を受け入れることができるなんて、人として成熟した、自分にびっくりでした。

年明けに祖母の1周忌がありました。実家に親戚の人たちが集まって、お茶を飲んだりします。
私が実家についてみると、近所の方々が、親戚の人にお茶を、出してくれていたんです。
病気の母の代わりにと、母が大変だろうという、思いから近所の方が手伝いに来てくれていました。 
話を聞くと、近所の両親の友達が、毎日のように両親の元に、お茶を飲みに、来ていることがわかりました。
そして、家事が大変だろうと、ちょっとしたおかずも毎日のように、両親に誰かが、届けてくれていたのでした。
そして、そのような友人がいる両親を、私は心から嬉しく思い、幸せを感じたんです。
「あーこの両親の元に生まれてよかった。こんなにも周りから愛されている両親で良かった。そして私はその娘で良かった。」
そして今まで、母が私にしてくれた数々の出来事が、思い浮かびました。
今まで当たり前に感じていたことが、当たり前ではなく母への感謝の気持ちになりました。
母の一日は、家族の中で、朝一番に起きて、私達家族のための朝食作りから始まっていました。
そして掃除、洗濯をしてフルタイムの仕事に出勤していきます。
そんな忙しい中、学校の行事にも、必ず参加してくれていました。
私の運動会の時は、私の大好きな太巻きを、母はいつも作ってくれました。
太巻きの話を、職場の同僚にすると「うちの母は、太巻きは一度も作ってくれなかったよ、優しいお母さんだね」なんて言われました。
寒い朝、アツアツのお味噌汁を、いつも作ってくれていました。そのお味噌汁は、体だけでなく、心まで温かくなるものでした。
特に、豆腐に刻んだ長ネギを、さっと入れたお味噌汁は、ネギの香りとともに、とっても美味しかったですよ。
そして最近母に、電話をよく私がかけますが、「無理しないように」と常に気遣ってくれます。
病気で辛いのは母なのに、娘の私を気遣ってくれる、私は、物凄く心が温かくなります。

母はとっても、愛情深くて、優しい女性なんだなと思いました。

母は3月9日に永眠しました。眠るような最期で、自宅に帰ってきた、母の顔は今にも起きそうな、穏やかな顔をしています。
母の人生を振り返り、母が幸せな人生であるかを、決めるのは母ですが、母の娘で良かったと思えることを、判断するのは私です。
私は今、母の娘でほんとに幸せだなと心から思えます。

「おかあちゃんの娘で良かった、私は幸せだよ!」

私にとって、母の病気は、母からの愛を、溢れるほどの愛を、与えてもらえるものになりました。
物理的に母と話をすることは、出来ませんが、姿はなくとも私のすぐそばに、母がいるような、見守ってくれているような気がします。
つながりや、愛とはそういう事なのかもしれませんね。


最後までお読みくださりありがとうございました。

高塚早苗のプロフィールへ>>>

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2017年3月28日

春の変化

3月も終わりですね。
春という季節は、寒い冬から暖かくなってきて、うきうきと楽しいものでもありますが、年度が変わり、卒業、入学、引越しや異動など、とにかく変化があちこちで起こる、そんな季節でもあります。

すると、うきうきと楽しいばかりではない「春」を経験する方もみえるかもしれません。
また、これまで何度か過ごしてきた「春」の中には、苦いものもあるのは、珍しいことではないかもしれませんね。

私の過ごしてきた「春」の中にも、そんな思い出深い「春」があります。
それは、私自身に起こった変化ではありませんでした。周りの変化についていけなかったというのが、本当のところでしょう。

就職して、2年目の春のことです。私の会社にも新入社員がたくさん入社してきました。例年よりも多かったようです。更衣室は、新入社員でいっぱいになりました。社会に出たばかりで、テンションの高い彼女たちが、普通にお喋りしているだけで大音量です。もともといた社員が小さくなって着替えるような感じでした。

会社の雰囲気も、なんだか全然違いました。浮足立つようで、ざわざわと落ち着きません。
通勤電車も、4月は、すごい混みようです。慣れない新入社員や学生でいっぱい。これもまた、落ち着かないものでした。

月曜日のことをブルーマンデーなどと言いますが、その頃の私は、ブルーどころではないくらい、週末が明けた月曜日は気が重いものでした。思うことはひとつ。

「ああ、またあの混沌とした中で過ごすのか。」

月曜日が、雨だと必ず起こることがありました。
電車で貧血が起こってしまうのです。ふた駅前から乗ってくる友達が、いつも私の前に座っていて、彼女によく席を譲ってもらったものでした。

病院に行くと、自律神経失調症と言われました。
「何か、生活が大きく変化したこととか、ありますか?」
と先生に聞かれて、はたと気づいた、その「春」のさまざまな変化。

私自身が異動になったわけでも、入社したわけでもなかったんです。
それなのに、まるで当事者のように、変化の波に飲み込まれてしまい、心も身体も対処できなかったようでした。
変化というのは、自らが起こすものもあれば、この時の私のように、周りからの影響を受けるという場合もあって、知らず知らずのうちに大きなダメージになっていたりするもののようです。

私自身、周りから影響を受けるタイプどころか、大雑把なタイプでしたし、だいたいのことは、大丈夫ぅーと受け止めるようなところがありました。ですので、この時のことは、わたしの中では、非常に衝撃的な出来事でした。

そんな私はというと、その後、そういった症状はすぐ治まっていったのですが、その時の心理が、なかなか興味深いのでご紹介しておこうと思います。いち個人の体験談としてお読みいただけたらと思います。

病院では、雨の月曜の朝に、電車で倒れる私にお薬が出されました。
白い薬の袋を眺めながら、私は、先生の「変化」という言葉を思い出しました。

新入生がたくさん入ってきて雰囲気が変化しただけなのに、
4月の電車がとっても混んでいるというだけなのに、
月曜日というだけなのに、
雨が降っているだけなのに、

私はこんなにも、ダメージを受けていたなんて。
倒れちゃうほど。

なんでもないとやり過ごしてきたつもりでいた自分が、なんだか可笑しくなってきました。自分のことを「可哀想」と思うことも、「ダメなやつだ」と思うこともできたかもしれませんが、その時の私は、いろんなあたりまえのものから、ものすごく影響を受けていて、それを「なんでもないこと」だと、なんとかやり過ごそうとしていた自分のことを、「なんて一生懸命で、健気なんだ」と思い至ったのでした。

「こんなにがんばってたんだ、私」と、がんばっていた自分をみつけてあげたら、気が済んだような気分になったのです。

その後、朝の電車は5月のゴールデンウィーク辺りになると、学生が減り、空いてきました。賑わっていた新入社員も、だんだん落ち着いてきたのと、私自身も慣れてきたことで、新しい風景ではなくなりました。なんだかわからない塊のようになっていた新入社員ですが、そのひとりひとりと知り合っていくことで、未知の塊ではなくなっていきました。

新しい知らないものから、知っている慣れたものへと「変化」したようです。

この春、いろんな「変化」を体験される方もたくさんいらっしゃると思います。多かれ少なかれ私たちは、絶えずお互いに、影響を与えたり、受けたりして生きています。よい影響もあれば、ダメージになることもあるでしょう。
疲れてしまったり、放り出したくなる時もあるかもしれません。
いきなり身体に症状が出て、びっくりすることもあるでしょう。

周りのいろんなものに、折り合いをつけようとしていた自分を褒めてあげるところです。
お休みや、ご褒美をあげてください。

次には、よい「変化」がやってきますよ。

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2017年3月21日

国会議事堂を見学した話

映画好きつながりのお友達から「国会議事堂の見学に行きませんか」と誘ってもらったのは年明けすぐのころ。

「紙谷さんて、めちゃめちゃシンゴジラ好きでしょう」
「あれ、なんでバレたんですかね」
「つぶやき見てればわかります。今度、シンゴジラ好き集めて関係地点をうろうろする予定なんですが、紙谷さんも東京遊びに来ませんか」
「国会議事堂?内部に入れるんです?」
「見学コースがあるんですよ。官邸・内閣官房周辺を歩いて、国会議事堂を見学して、科学技術館でご飯する企画なんです。
 議事堂内は映画には出てこないけど、矢口蘭堂(主人公。職業:副官房長官)の職場だし、なかなか個人で見学する機会なんてないでしょう」
「行きます」

と、いうわけで。
快晴の一月末、わたしは国会議事堂裏口前にいました。

公式本を抱えたシンゴジラ好きの集団は、そこから見える景色を指でなぞって

「再上陸したゴジラが熱線吐いたとき、官邸と国会議事堂は破壊されたんですよね」
「外務省は壊れて、警察省はぎりぎり残ったってセリフがあるので」
「じゃ、ここからこう。真っすぐカアアッと」
「そうですね。そのまま、こっちの方向に進んで東京駅で停止したんですね。
 ちなみ皇居の向こうにある科学技術館屋上が、ラストシーンのロケ地です」
「ほー」

と、ひそひそ語りあいます。

見学開始を待ちながら、わたしはワクワクした気持ちを噛み締めていました。

癒しに取り組みはじめて大きく変わったことのひとつがフットワークの軽さです。
もともとは重度の出不精だったのですが、癒しが進んだいまでは、面白そうだな!と感じたときにはサラリと動けるようになりました。
無意識に禁止していた"楽しむこと"を自分に許可したぶん、"楽しむこと"に敏感になり能動的になったのですね。

見学を開始しまーす、との警備員さんの呼ぶ声に慌てて通路に並びます。
議事堂内は暗いらしく、足元に気をつけるように注意を受けて見学が始まりました。

赤絨毯。階段の木製の手すり。
本当に暗い廊下を抜けたさきに、深緑のクッションが貼られた椅子がならぶ部屋に入ります。
衆議院議場です。

「すごい...」
「ホンモノだ...。国会中継で観たことある...」
「意外と狭い...」

思わず、ため息が出るわたしたち。

議場の天井はイギリス製のステンドグラスが貼られていて、磨り硝子越しの柔らかい光が手もとに落ちてきます。

「議場内もけっこう暗い。これは、気持ちとしては眠くなるの分かる」
「矢口先生は寝ないでしょう。泉先生は寝てそう」(映画の登場人物)
「赤坂先生は上手に寝そう」(映画の登場人物)

現実と虚構の入り混じった会話を交わしながら、警備員さんの後に着いて赤絨毯の階段を上がります。
急に視界がひらける場所にでると、警備員さんは、こちらが中央広間です、と言って吹き抜けの天井を指さしました。

「四隅をご覧ください。春夏秋冬の日本の四季を描いた油絵があり...」

正直、政治も歴史も建築も詳しくないわたしは、国会議事堂がこんなに美しい建物であることを知りませんでした。
派手過ぎず素朴過ぎない品のあるデザイン。
ここに国の中枢があるのだという見えない重みを感じながら、ぽかんと広間を見渡します。

「現在は立ち入り禁止になっていますが、この天井の上の7階はダンスホールになっています。
 数あるエレベーターの中で、このダンスホールに通じているエレベーターは一機だけです」

ダ、ダンスホール!!

ぴくっと背筋を伸ばすと、同じくぴくっと顔を挙げた仲間と目が合いました。
この辺りが、創作を愛するひとたちの集まりで。
浪漫の匂いに敏感だなあ、と他人事のように可笑しくなりました。

見学終了後に、ダビデの星の散る科学技術館でご飯にしつつ、スマートフォンでおめあての画像を探して頭を寄せ合います。

「ダンスホールの画像ありましたよ。数年前にマスコミに公開されたことがあるみたいです」
「マジですか、どれ?」
「おおお、本当にダンスホールだ。しかも中央の螺旋階段がある。カッコイイ!!」
「良いことを知れて嬉しい。いや、国会議事堂の7階にダンスホールがあることを知ったからといって、日々の生活に役に立つわけじゃないんだけど」
「でも、ダンスホールの存在を知っている人生と知らない人生なら、知っている人生のほうが何となく豊かじゃないですか」

詭弁を言いながら小さな画面を覗いて、あ、自由だ、とわたしは思いました。
知らないものを知ったとき、美しいものを目の当たりにしたとき、わたしは心の底から湧き上がるような自由を感じます。
世界の広さや奥行きの深さの一端に触れることで、自分を縛る窮屈な観念がゆるむからです。

それにはやっぱり、動くことって大事ですね。
おっくうがらずに日常からぬけだしてみてはじめて出会えるものがあるんだなあと、
そんなことを改めて再確認したひと時でした。

読んでくださってありがとうございました。

紙谷まみのプロフィールへ>>>

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2017年3月14日

「人生は旅」を地で行く人

『クレイジージャーニー』というテレビ番組が好きです。

毎週、独自の価値感やこだわりで日本や世界を飛び回るちょっと(だいぶ?)クレイジーな人たちがスタジオに現れて、MCたちに体験を語ってもらったり、スタッフが同行して撮った本人のビデオを視るというスタイルのバラエティ番組です。
(MCはダウンタウンの松本人志・小池栄子・バナナマンの設楽統)

今まで誰も入ったことのない洞窟に潜っていって地図を作っている人や、真冬のアラスカで5ヶ月間たった一人でキャンプをしている写真家など、ちょっと常人には理解しがたい人たちが出てきて、規格外の凄まじい体験を話してくれるのですが・・・

その価値感やこだわりは、かなり一般の感覚とはかけ離れていて、観るたびに私は「自分の知ってる世界ってホントにちっぽけだったんだなあ」と思い知らされています。

その衝撃は「驚き」というより、「驚愕」と言った方がピッタリきますね。

ただ、その一方でちょっとだけ(ホントにちょっとだけですが)憧れる部分や、共感できる部分もあるんですね。
それは、出演する人たちがみんな「自分の『好き』に本当に正直」なところです。

私にも、心のどこかに「こんな生き方がしてみたい」「自分の『好き』を徹底的に追及してみたい」。そんな想いがあって、無意識のうちに彼らに魅かれている気がします。

私たちが夢として、あるいは憧れとして抱えながら実現を諦めていることを、出演している狂気の旅人(クレイジージャーニー)たちは諦めることなど考えもせずに突き進んでいる姿のカッコイイこと。

とは言え、その突き詰めかたが半端なく徹底しているので、とてもマネのできるものではないなあとも思ってしまいますね。当たり前ですが。

ふつうの『好き』のレベルを遥かに超えた「自分だけの生き方」。だからこそ、引きつけられてしまうのかもしれません。

私はこれまでほぼ全ての放送を見てきましたが、中でもダントツに魅了されてしまった旅人が一人います。

その人は永瀬忠志さんといって、通称「リヤカーマン」と呼ばれているかたです。

リヤカーに必要な荷物をすべて積んで、それを引きながら歩いて旅をしているのですが、やってきたことが常軌を逸していると言う他ないくらいの内容なのです。

砂漠やジャングルや高地を、200キロくらいの荷をつんだリヤカーを引いて旅すること40年以上。

世界で一番暑い場所と言われる、アメリカ・デスバレーを歩いたり、
アフリカからフランスのパリまで約1万4千キロを1年以上かけて歩いたり
とにかく歩きたおして、その総距離は40年で地球一周をとっくに超えているとのこと。

新婚旅行すら歩いて旅したそうです。(奥様は普通にバスや電車で先に移動している)

放送を見たときのご本人の印象は、ちょっと日焼けしたごく普通のオジサンだと思ったのですが、じつは冒険家にとっての憧れであり、勲章でもある『植村直己冒険賞』を受賞しているのです。

ほかの旅人たちの放送を見ると、それぞれの活動を紹介する映像は楽しそうだったり、ハイテンションだったり、張り詰めるような集中力を見せていたりするのですが、永瀬さんはちょっと違っていて、毎朝「また朝が来ちゃったなあ。歩きたくないなあ」とか、歩きながら「ああ~、ヤダヤダ」とか愚痴が多いんですよね。

一度アフリカで旅の途中にリヤカーを盗まれた時には「やったあ~!これでもう歩かなくて済むぞ!!」と思ったそうです。
でも日本に変える日に盗まれた場所へ行ってみたところ「やっぱりもう一度ここへ来よう」という気持ちが湧いてきて、数年後にもう一度チャレンジして今度は歩ききっているのです。

なんだかちょっと不思議な雰囲気の人だなあ、でもなんだか妙に気になるなあ。そんな気持ちで画面を見ていたことを思い出します。

永瀬さん自身「なんでこんなことしているのかなあ?」と言ったり、「でも最初にリヤカーを引いて歩いちゃったから、しょうがないんですよねえ。」と笑いながら話す顔は、本当に好きでやっていることが滲み出ているのが分かってしまうんですよね。

「何にも変わったこと、特別なことはしていない」
「そのうち歩けなくなるのだから、歩けるうちに歩いておきたい」
「旅をする理由は・・・分からない」

飾り気のない語り口にのって出てくる、もはや哲学的とも言える言葉を聞いているうちに、いつの間にか地味に見える冒険がとてもカッコイイものに感じられてしまいました。

永瀬さんのことを調べていて出てきたエピソードです。

「旅をしていて砂嵐で思い通りに進まないとき、
風に向かって『この野郎。もういい加減にしろ』と怒鳴る。  
2分か3分、風に全身で怒って居ると、また自然に心が静まってくる。又それで作業を続ける。
旅の途上で振り返ったときに『俺はこんなときにこんなことを思うんだなと。あんな時のあんな行動をするんだなと。自分でも知らない自分に出会う楽しみを見つけた 』」

旅が自分の気づいていなかった自分に光を当ててくれる。
一歩踏み出してみると、新しい世界が見えてくる。

人生を旅に例えることはとっくに使い古された言い回しですが、永瀬さんの姿を見ているとそれが何の違和感もなく受け入れられてしまうのです。

理屈も理解も超えている旅のように見えてしまいますが、地道に文字通り一歩ずつ進めていく歩みは、私たちが人生という長旅で踏み出す一歩と何も変わらないようにも思えます。

その旅の辿りつく先に何があるのか?よりも、じつは
歩き続けるという行為と、そのプロセスで出会う体験が
生きるということそのものなのかもしれません。

私がこれまで心の世界を旅することを選んでこれたのも、たくさんの人との出会いがたくさんの「私の知らなかった私」を教えてくれたおかげだったことに気づきました。

いつの日か後を振り返って、それまでの道のりを眺めるときまで、私もこの旅を歩けるだけ歩いてみようと思うのでした。

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2017年3月 7日

震災から6年...力強くいきる魂①

東日本大震災とよばれるようになった未曽有の大災害から
丸6年をむかえようとしています。
震災の後、今なお長期にわたり起こっている二つの話題について
「力強くいきる魂」と題してお送りします。

~ターゲットとなった子どもたちの、いきる力~

震災後ほどなくして福島では原発から放射能漏れがおこり、
その周辺はひろい範囲で今も立ち入り禁止となっています。
立ち退きを余儀なくされ、親戚や知り合いを頼って
別の地域に転居した家族も全国にたくさんいます。
なかでも、子どもたちは友達同士が離ればなれになってしまったのです。

新たな地域で暮らしている子どもたちですが、
残念なことに全国各地で「福島いじめ」という現状がおこっているのです。

どういうことかというと、福島から転居してきた子どもたちをターゲットにして
「福島へ帰れ!きたない!汚染される!」などという言葉を浴びせられるようなのです。
こんな現状が全国各地で、しかも同じようなことが子どもたちの間で...
それにしてもなぜ、福島の子がターゲットになってしまうのか。

そこにはさまざまな要素が絡み合っているように感じられます。
その要素とは、ニュースなどで取りだたされている
原発そのものに対する報道や原発被災者への支援に関する情報です。
大人が目にする情報は子どもたちにも入ってきます。
そして、子どもたちは大人の受け止め方をマネすることがあります。

そもそも、震災直後から現在に至るまで一貫して
「不安や恐れ」という人間の心理があります。
程度の差はあれど、日本中の人々がこの不安や恐れを抱いてきたともいえます。

例えば、震災直後であれば、被災地から遠く離れた場所で「買占め」が起こったり、
原発に関するニュースが流れると野菜や米の売れ行きが伸び悩んだり・・・
こんな現象が日本各地で起こったわけです。
この現象を引き起こす心理が人のもつ不安や恐れといわれるものなのですね。
そして、人はわからないものに対して不安や恐れを抱きやすいものです。

さて、そんな不安や恐れは福島から転居してきた家族や
その子どもたちにも向けられることがあります。

「原発ってこわいものだ。そんなこわい所にいた人たちがやってくる!」
という恐怖がいじめという形で表れてしまいます。
子どもたちは時に残酷でストレートにものを言ってしまいます。

また、こんな情報も子どもたちはよく見ています。

「原発被災者には国から支援金が出ている。なんだか恵まれているようだ!」
という歪んだ認知がいじめにつながってしまいます。
自分たちは恵まれていないと思っている子どもたちは、この言葉を言ってしまいます。

そんな福島の子どもたちですが、実はいじめられてばかりではないようなのです。
福島から転居した子どもたちの周りには
いじめを制する正義の味方を担ってくれる勇敢な子もたくさんいます。

「帰りたくても帰れないんだから、そんなこと言わないの!」

そうなんです。「帰りたくても帰れない」
・・・そんな悲しさ、くやしさ、憤り、理不尽さ・・・

福島の人が一番理解してもらいたい気持ちとは
本当は帰りたい、そんな故郷への思いなのかもしれません。


どうか、日本中の人々が福島の人のいきる魂を大切にしてあげられますように。

どうか、日本中の人々がもっていた不安や恐怖を、誰かを理解してあげる愛に変えられますように。

仁和(庭野)智美のプロフィールへ>>>

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2017年2月28日

愛を受け取りませんか?

 「離婚届けにサインして!」

 半ば強制的に旦那さんに言い渡し、私が勝手に家を出ていってから、4年の月日が経ちました。


そして今、私達夫婦は再婚し、とても仲の良い夫婦となっております。(同じ方と再婚です)

それは私が、愛を受け取れるように、なったからだと思います。

今日は、私が愛を受け取れるようになるまでの、お話しをさせていただきます。


まず、 最初に我が家の話を少しさせてくだい。

 私の祖母は、私からみると、家族の問題児のような女性でした。
嫉妬深くて、執念深い、そして嫌味なところが私はすごく嫌いでした。

勿論、それは私の勝手な思いこみからの、祖母の姿です。


皆さんの中にも苦手な人っていますか?「あーはなりたくないな」って思う方とかね。


そこには私の罪悪感がありました。幼い私には大好きな両親や祖父が、
祖母のせいで、辛い思いをしているように見えたのです。


余りにも幼すぎた私は、大好きな祖父や両親を、助けることが出来ずにいる
辛すぎる自分の感情から、祖母が悪いからなんだと、思いこんでしまいました。

無論、それは私が勝手に作り上げた、祖母が加害者で、私が被害者でいる物語でしかありません。
 

私は、罪悪感の気持ちでいっぱいでした。

 罪悪感という感情は、自分は罰せられるにふさわしい、という思いから、
幸せになってはいけない、という思いに至るようです。

故に私は、人からの愛を、受け取ることを完全に拒否していました。
だって私は、幸せになってはいけないから、、、、


 そしてもう一つ、私は勝手な自分の思いこみがありました。
私の思うような形の愛ではないから、「その愛はいりません」とも思っていました。

皆さんはどうですか?自分の思うような形の愛でなくても、その愛を受け取れていますか?


 私が誰かと話をしていて、「そうなの、大変ね」と私の気持ちをわかって欲しいのに、
全く違うことを言われ、なんか嫌だなもうこの人とは、話したくないなと思ったりしていました。

その人はその人なりに、私の事を思って、話してくれているのに私は、
その人の気持ちを、その人の愛を、全く理解しようとはしませんでした。


 そんな私ですから、旦那さんとは、「私は悪くない」という、正しさの闘いを、日々繰り広げていたのです。

「今忙しいのに何故、家事手伝ってくれないの?」「子育てにもっと協力してよ」等
自分の思い通りに動いてくれない、私の思うような愛をくれない、旦那さんに私の不満は、募るばかりでした。


挙句に離婚までしてしまったのです。


 皆さんも「自分は悪くない」という、正しさの闘いってすることは、ありませんか?
この闘いって、恋愛に限らず、人間関係でよくありがちかもしれませんね。

そして自分の思うような愛の形ではないので、「そんな愛はいりません」と思ったりしていませんか?


今となってみると、旦那さんは仕事で疲れて、家でくつろいでいるだけだと、わかるのですが、当時の私は
「私のお願いを、旦那さんは聞いてくれない」「私の思うような愛をくれない」と、物凄く怒っていました。


日々の漠然とした生きづらさから、私はカウンセリングや、心理学のセミナーを、受けるようになりました。
そこでいかに、当時私がどれだけ、自分を責めていたのか、自分自身を大切に出来ていないのか、ということに気づかされたのです。


私は自分自身を、徹底的に癒すことに、専念することにしました。

だって今まで私がいた場所は、愛とは全く無縁の、孤独でとてもさみしい世界でしたから、もうそこの場所からは、卒業したかったのです。

自分が被害者でいる、物語からの脱出です。


自分を癒していくと、罪悪感という感情が軽減され、自分を大切にできるようになり、「私、幸せになってもいいんだ」と
思えるように、少しずつなっていきました。


 心理学の先生が、よく話されていることがあります。

「自分の欲しい感情は人に与えるといいですよ。そして与えれば与えるほど大きな愛の人になります。」

私の一番欲しい感情は、「自分をわかって欲しい」ことでした。
ですから私は色々な人を理解しよう、わかろうと思ったのです。

色んな人を理解しようと、意識して日々過ごしていくと、私に沢山の人が、愛を送ってくれていることに、気が付きました。

それは同僚だったり、家族だったり、友達だったり、それはもう沢山の人達です。


 私が勝手に嫌っていた、祖母も愛を送ってくれていた事に、気がつきました。
私が幼い頃に、一緒に写っていた写真の祖母は、満面の笑みでしたし、私が落ち込んでいる時も祖母は「頑張れ」なんて励ましてくれていたんですね。


全ては私が、「愛をいりません」と、みんなからの愛を、拒否していたのです。


 自分の癒しが進み、今まで皆からの、愛を受けとれていない事に、気づいた私は、
旦那さんと話し合いを、することにしたのです。


それは旦那さんの言動を、振り返った時に、旦那さんも沢山の愛を送ってくれていた事に、気づいたからです。
旦那さんは、言葉で私を労うことは、あまりありませんでしたが、私に対する不満の言葉もなく、穏やかに毎日いてくれていました。


そして優しい旦那さんは、私と会うことに快くOKしてくれました。


そこから旦那さんとは、どんどん愛が深まり復縁する事になったのです。
快く今の私を受け入れてくれた、旦那さんに感謝しかありません。


 自分が被害者でいる、世界から抜け出したいという強い思い、そして自分の思うような、愛の形ではなくてもいいので
、愛を受け取ろうと思うことが、幸せなパートナーシップを築く、一番の近道のように私自身は思います。

もしかしたらそれは、人間関係全般にも、いえることかもしれませんね。


最後までお読みくださりありがとうございました。

高塚早苗のプロフィールへ>>>

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2017年2月21日

「大切な人の障害や病気」に「ショックや絶望」を感じるのは「深い愛」が隠れているから

最近、年下の友達が出産することが重なっています。フェイスブックなどにアップされている「赤ちゃん」の写真を見ると、わが子が赤ん坊だった頃のことを思い出します。

思い出すのは赤ん坊だった息子のかわいいしぐさや表情ばかりなのですが、友人たちの「初めての子育て」での奮闘ぶりや、不安な気持ちが書かれた文章を読むと、「あぁ、わたしもそうだったよなぁ・・」と、普段はすっかり忘れてしまっている「不安でいっぱいだった頃」の気持ちや出来事が思い出されます。

24時間以上かかった出産で、体力を消耗したのでしょうか?息子は、体は大きく生まれたのですが、産声を発するまでに少し時間がかかったうえ、数時間ではありますが保育器で過ごしました。

「保育器に入る」と聞いて、わたしが真っ先に思ったのは、
「わたしが上手に生んであげられなかったから、弱らせてしまったんだ。お母さんなのに・・、息子をそんな目にあわせるなんて情けない。」ということでした。

1か月検診で、先天性の心臓疾患が見つかったときには
「生まれるのに時間がかかりすぎて、本来なら生まれたときにちゃんとふさがるはずの心臓の穴がふさがらなかったんだ・・。お母さんのせいで、ごめんなさい」と思いました。
(実際にそうかどうかはわからないのですが、その当時「赤ちゃんの心臓はお腹の中に居るときには小さな穴が残っていて、生まれて産声を上げたときに、その穴もふさがるらしい」という話を聞いたことがあったので、こんなふうに思ってしまったんです。)

日々の生活の中でも、赤ちゃんが泣いている原因がわからないときや上手にあやせないとき、「お母さんなのに・・」「ダメなお母さんでごめんなさい。」と感じていました。

息子になにかあれば、全部自分のせいのように思っていたんですね。

そんな心理状態だった私にとって「心臓疾患の告知」や「手術の必要性の説明」は、自分の無力感で打ちのめされる出来事でした。

母親である自分ががんばってなんとかなることなら、頑張ればいい。でも、心臓の穴は、わたしにはふさぐこともできないし、息子の代わりになることもできません。どんなに小さくても、手術を受けるのは息子なのです。

どんなに大切でも、いとおしくても、息子の感じる苦しみや痛みは息子のもので、母親だからといって交代することはできない。そう思えば思うほど、「ちゃんと生んであげられなかった」と自分を責め続けました。

当時のわたしと同じように子どもに何かあれば、「自分のせいだ」と自分を責めてしまうお母さんは多いのではないかと思います。

心理学を学んで気がついたこと。
それは、「自分のせいだ」と責める気持ちと同じくらい、「この子が大切だ」と思う気持ちがある、ということでした。

「大切なわが子」なのに、その子がつらい思いをする、だなんて耐えられない!!
「大切なわが子」にそんな思いをさせてしまう自分はなんて非力で無力でちっぽけな存在なのか・・。そう感じてしまうのは、「大切だからこそ、無力な自分が許せない」からなのです。

このことに気づいたとき、わたしにとっての「長年の謎」が解けました。

わたしにとっての「長年の謎」というのは、「わが子に障害がある、と知った時、どうして両親は絶望するんだろう?障害があるということは、両親を絶望させるほど『悪いこと』なんだろうか?」ということでした。

知的な障害を持つ妹とともに育った私にとって、「障害がある」ことは特別なことではなかったのだと思います。もちろん、その障害のために「理不尽な仕打ち」や「差別」に苦しみ、悲しみ、怒る妹を身近に見てきた分、社会に対する「怒り」は人一倍感じてきたのですが、それと同時に、わたしにはない「心の美しさ」を持った妹に嫉妬をしたこともあるし、妹の人生を、すぐそばで見ていた分、「なんとかなるよ」と思えていたんですね。

だから、絶望する両親の姿を見るたびに、「そんなに絶望しなくてもいいんじゃない?」と思っていたし、「障害を持っていたら、愛せないの?」とも思っていました。

両親の絶望は、
自分たちの望んでいた子どもではない、という絶望
こんな子供がほしかったわけじゃない、という絶望
そんなふうに思い込んでもいたのです。

でも・・・。
そういう問題じゃなかったんだな・・とわかったんです。

大切でいとおしい存在だから、「この子を幸せに育てられるんだろうか?」と不安になるんですよね。かわいくて大事だから、「どんなにちいさな傷」であっても、「けがなんてしてほしくない」「痛い思いなんてさせたくない」と思うんですよね。

それほど大切でいとおしい存在の「わが子」なのに、親である自分たちの力が及ばないレベルで「わが子が苦しむかもしれない」という現実を突きつけられたら・・。
そして、そんなわが子を「どう支え、どう育てたらいいかわからない」と感じたら・・・
目の前が真っ暗になるほどの絶望感を感じるんじゃないでしょうか?

幸せにしてあげたいのに・・・
どんな苦労もさせたくないのに・・

障害や病気があるから「その子を愛せない」と思っているのではなくて、「かわいくて、いとおしいからこそ、その悲しみも大きいのだ」ということにやっと気づけたんです。

絶望せずにはいられないほどの「深くて大きな愛」。

もし、あなたが誰かのことを「愛することができない」と悩んでいるのなら、あなたは、どれほど「人を愛したい」と願っている人なのでしょうか?

そんな「優しいあなた」に、穏やかな時間が訪れますように・・。

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