2017年2月14日

1人じゃなければ

心理学を学ぶようになってから、そこで出会った友人4人とグループLINEを作って、
色々な出来事を話すようになりました。
そのグループLINEが出来上がって、かれこれ3年くらい経ちます。

この3年の間に、私たちには様々な出来事が起こりました。
5人中4人は職業が変わりましたし、1人は新しくパートナーを見つけて結婚しました。
日常の悩みなどをお互いに話していると、その友人たちに対して、
私は家族のような親密感を感じるようになりました。

先日、その中の1人がグループLINEでこう言いました。

「朝からエアコンをめぐって夫とケンカしたので、プチ家出をしてアウトレットモールをうろうろ中」

その発言に対して、他の友人たちが返信します。

「それなら、うちにおいでよ?」
「嫌な気持ちはここで、全部吐き出しちゃえばいいよ」

1時間後、彼女から私たちに返信がありました。

「店員が歌を歌うアイスクリーム屋さんでアイス買ったら、なんかほんわかしてきた」
「アイス食べて満足したから、そろそろ帰ろ?!」

さらに、1時間後。

「無事仲直り出来ました。みんな、ありがとう!」

彼女が無事に旦那さんと仲直りが出来て、他の友人たちも「良かったね?」と、
安心したようでした。
私たちは、こんなやりとりを3年間、何度も繰り返してきたような気がします。

◇◇◇

人間の心理とは不思議なもので、どんなに辛いことがあってとしても、
それを分かってくれる人の存在を感じることができるだけで、心は劇的に軽くなったりします。

私は元々アルコールの問題を抱えてカウンセリングを受けるようになったのですが、
カウンセラーや心理学を学んでいる友人たちにいつも言われていたのは、
「アルコールの問題が爆発しそうになったら、とにかく1人になるな」ということでした。

心理学を勉強し始めて、アルコールの量が徐々に減ってきた時期に、
それまでの努力をすべて無駄にしてしまうくらいに、めちゃくちゃ飲んでしまう時がありました。
私が普段隠し持っている怒りや悲しみ、悔しさや寂しさを、日常のふとした瞬間に強く感じると、
私は大量のアルコールを飲んでいました。
それは、まるで自分の中のネガティブな感情をすべてかき消すかのような行為でした。

そんな時、私はいつも1人でした。
知らない飲み屋で人と話すことはたくさんありましたが、心理的な意味で、私は1人でした。
私は誰にも本当の自分を見せないようにしていましたし、見せたら嫌われると思っていました。

◇◇◇

そんな生活の中で、このグループLINEは私の心の支えになりました。
自分の中の見せたくない自分の姿も、その友人たちには少しずつ見せることができるようになりました。
ネガティブな気持ちが上がってきて、アルコールを飲みたい衝動にかられても、
その気持ちを聞いてもらえるだけで、心が落ち着く感じがしました。
自分の本当の気持ちを話して、それを受け入れてもらうことで、私は大きな安心感を感じていました。

そして、それぞれの友人たちの悩みや辛さを聞いているうちに、私たちはとても仲良くなっていきました。
それに伴い、私のアルコールの問題は解消されていきました。

心理学の有名な言葉で、「親密感はすべてを癒す」という言葉があります。
私はそれを実体験で感じることができたように思います。
自分の本当の気持ちを話すことはとても勇気のいることですが、そこを超えて人と関わると、
今まで感じたことがないような親密感が感じられるようになるのかもしれません。

◇◇◇

私と友人たちの人生には、これから先、たくさんの出来事が待っていると思います。
それはきっと、嬉しいことだけでなく、多くの辛いことも待っているでしょう。
しかし、今までのことを考えると、どんなに辛いことがあったとしても、1人じゃなければ、
結局何とかなるんじゃないかと思います。
旦那さんと仲直りして、嬉しそうにしている友人のLINEを読んで、そんなことを思いました。

森川陽介のプロフィールへ>>>

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2017年2月 7日

記憶と思い出を書き換えた、ちょっとドタバタな年末年始 ~想いは時空を飛び越える~

こんにちは、建部かずのぶです。

新年が明けて、1月余り経ちました。
古い暦では、2月4日ごろが正月だそうで、ちょうど今が新年とも言えますね。


今回のコラムでは、この年末年始の出来事を書いてみます。

年の瀬が押し迫ってきた、ある日のこと。
不意に、奥さまの電話が鳴ったのです。

聞こえてくるお話から、どうやら彼女のお兄さんからの様子。

私たちは、それぞれが親族の付き合いが薄い家柄ということもあり、
普段のやり取りも少ないので、何か緊急の出来事があったのだと分かりました。

後から聞けば、奥さまの叔母さんの容体が良くないとのこと。
なので年明け早々に、「みんなでお見舞いに行こう!」という話でした。

病院はやや遠方で、一度、奥さまのルーツと関係ある街として訪れたことはありましたが、
遠方故、奥さまもあまり訪れたことがなく、殆ど記憶もないそう。

そんな中での、急な連絡。
奥さまのご家族が、「大阪辺りに集合して、みんなで車で行く!」という流れでしたが、
何となく、私も一緒に行った方がいいかと思い、「こっちも車出すよ!」と答えてました。

もちろん叔母さんとは初対面なので、現地に到着してから車で待機してもいいかな?とも思いました。


その数日後、叔母さんの容体が急変したとの連絡がありました。
私たちは予定があって動けなかったのですが、奥さまの実家の方々がすぐに駆けつけたそうです。

危ないと聞いていたので、気になってはいましたが、まずは峠を越えたとのこと。

「お正月だし、それなら、今は行かなくてもいいかも・・・」と言う奥さまでしたが、
ホテルも予約してあるし、先方とも久々に連絡を取り合っているし・・・。
しかも、叔母さんのお世話をしている従姉妹さんが、奥さまが小さい頃は親しかったとのことで、
奥さまの実家の方々と入れ違いに、私たちだけで最初に決まっていた日に出かけました。

ちょうど、年末年始の大渋滞の時期です。
道路情報を気にしながら、直感を働かせながら何とかやり過ごし、目的の街に到着しました。

実は早く着きすぎてしまって、先方は慌ててましたが、2人でのんびりとランチをして過ごしてました。

待ち合わせの時間が決まり、病院へ。
「ほとんど何も知らずに行くのもどうかなぁ・・・、どうなることやら??」と思ってましたが、
従姉妹さんは、私たちを温かく出迎えてくださいました。

最後に奥さまと会ったのも、もう10年以上前のことでした。

「叔母さんはほとんど動かないし、しゃべらない。でも峠は越えたから、大丈夫」
と主治医から聞いていると教えてくれました。

叔母さんの耳元に従姉妹さんが呼びかけますが、あまり反応がありません。
次に奥さまも声を掛けると、徐々に反応が出てきて、その姿を見て従姉妹さんは涙ぐんでいました。

以前はふっくらしていたそうでしたが、今はその面影もなく、その病気の大変さを感じます。

やがて3人で雑談タイムになり、当然、見ず知らずの私の話になります。
「結婚したとは聞いてたけど。」
あれ?そんなふうに伝わってたんだ、と今までのギャップを埋めるような話が続きました。

そこから思い出話に変わります。
約束の時間まで余裕があったので、プラプラと周り道をしたり、途中で道を間違えたりもしてたのですが、
皆さんの思い出がある場所が、少し前に通っていたその沿道にほとんどあったという驚きも。

神社守をしていたという従兄弟の弟さんも合流し、
全然知らなかった土地なのに、まるで知ってるかのように話が弾みます。


そんなやり取りの中で時間が流れ、そろそろ帰る時間に。

もう一度、奥さまが叔母さんにご挨拶すると、声にはならないけれど、口を動かしながらいっぱい反応してくれるんです。
「その口がありがとうと言ってくれてるね」とは、みんなの一致した意見でした。

奥さまは、どちらかと言えば、自分は役に立たないという思いが強い人。
でも、ただその場にいるだけで、周りの人を喜ばせる力があるのだと私は感じました。

従姉妹さんもすごく喜んで下さいましたし、後でご実家から報告の電話があったときにも、
遠方を駆けつけたということで、親族の皆さんがみんな喜んでくれていたと教えてくれたそうです。

ただ彼女がお見舞いに来ただけで・・・。
でも、そんな力があるなんて、彼女も全く自覚していなかった様子。

こういう機会に訪ねてみて、始めて分かったことがあります。
奥さまと久々に対面した従姉妹さんが言ってらしたのが、「ずっと妹みたいに思ってたんだ」。

2人が最後に会ったのは、云10年前のことだったのですけれどね。

これから新たな気持ちで、この街に訪れることがありそうだなぁ。
そう思いながら、キレイな夕陽を浴びながら、隣でスヤスヤ寝ている奥さまを見ていたのでした。


この年末年始、実家に帰省をして家族とお正月を迎えた方も多くいらっしゃるかと思います。
中にはイヤイヤ腰を上げた方、あえて用事を作って帰らなかった方も?

家族や親族との関係って、近しいが故にイロイロとあって難しい・・・とか、
一生懸命向き合いながらも、どうしても分かり合えないという声も聞きますね。

その一方で、遠い場所から、あなたのことをずっと想ってくれている誰かも、実はいるのかもしれません。

最近私が親しくなった、家庭環境が複雑なので、存在は知ってるけどずっと会ったことがない兄弟に初めて会えた、という人がいます。
半世紀も経って会ったけれど、ただ喜びしかなかったと聞きました。

長い年月をかけて創り上げられる"家族"、"親族"は、たとえ遠く離れていても、ふと思い出せば、一気にその時の自分自身に戻っていきます。
人は故郷に帰省することで、ココロのアルバムを開けて昔の自分を確認しながら、
周りとの関係性を結び直したり、もう一度原点に立ち返っていこうとする、とも言えますね。

もちろん人によっては、もう思い出すのもイヤになったと言いたくなることもあるでしょう。
ケースは様々ですが、自分の目にとまらない場所で、実は大切に思ってくれていたり、そっと応援してくれる誰かがいる。
たとえ今は会えなくても、その巡り合わせは、自分の居場所を再確認するための『ご縁』なのかもしれませんね。

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2017年1月31日

父の思い出

今年も間もなく父の命日がやって来ます。
人が生まれてから生きていくうえで、一番大きな影響力を持っているのは親だと言います。
それはそうでしょうね。
父が亡くなってから、もう20年近く経ちますが、今くらいの時期になると、どうしても父の思い出が胸をよぎります。

大正生まれの人でしたから、それこそ厳格で頑固一徹な"昔の日本男児"のようなイメージが思い浮かびそうですが、案外そうでもなかったのですよ。
戦前生まれゆえ、戦争中は長年兵隊として戦地へ行き、苦労もしたようです。
生きながらえて無事日本に帰って来てから、母と遅い結婚をしました。

父はその年代の人にしては、妻である母を大切にしていましたし、私たち子ども(姉と2人姉妹)にも、厳しいだけでなく優しく深い愛情をかけてくれていたと思います。
もし父が戦死していたら、私という人間はこの世に存在しなかったんだな、などと神妙に考えたこともあります。

父はさほど愛情表現に長けた人ではありませんでしたが、子どもの心情については、かなり的確に理解していたと今になって思うことがあります。
父の人生のどこで、どうやってそんなことを身に着けたのか不思議です。
私が大人になってから、何かの機会に母から聞いた話なのですが、
「子どもにウソを言ってはいけない。約束したことは必ず守らないといけない。」
と常に言っていたそうです。

この言葉だけをとらえると、しごく当然で当り前のことを言っています。
けれど実生活の中では、大人は大人の事情で結果的に言っていたこととは違うことをやっている場合があります。
それが子どもの目から見た時【大人は嘘つき】に見えてしまう、ということを父は言いたかったのではないかなと思います。

゜゚*☆゜゚

その昔、事情があって父母は父の兄の息子を預かって、育てていたことがあります。
つまり、父にとっては甥っ子で、私にとっては従兄ですね。
父の兄が早くに亡くなってしまったので、伯母の生活のメドがつくまでということで、しばらく預かることになったそうです。

従兄は子どもの頃、かなりのゴンタ坊主で、父親のような存在が必要だったというのも理由の一つのようでした。
私たち姉妹は従兄を「おにいちゃん。」と呼びましたし、
従兄は私の両親を「おとうちゃん、おかあちゃん。」と呼んでいました。

実の兄妹であっても、ちょっとしたことで親の愛情を取り合って、すねたりひがんだりするのは日常茶飯事です。
ですから、自分の子どもと甥っ子を分け隔てなく育てるということは、父母にとっても大変なことだったと思います。

ある時母が、従兄に何気なく言った言葉で父に叱られたことがあったそうです。
今だに時々思い出して言う話ですから、よほど印象に残っていたのだと思います。

それは、母が従兄と話をしていて、どこかに遊びに行きたいという話になった時
「そしたらそのうち、おとうちゃんに連れて行ってもらおうな。」
と、母が言ったのを父が聞いて、
「子どもにそんないい加減な約束をしてはいかん!」
と、たしなめられたのだそうな・・・。

よくある会話ですよね。

もちろん、大人としてはその話をしている時には、子どもに
『そうしてあげたい、喜んでもらいたい。』と思っている訳です。
子どもは大喜びで、連れて行ってもらえるものだと思って毎日ワクワクしながら待っています。

ところが、日々の忙しさにかまけて、具体的に"いつ"とも決めていなかった口約束は、
「ねぇ、いつ連れて行ってくれるのん?」
「そうやなぁ、そのうちにな。」
こんな会話を繰り返しているうちに、立ち消えになってしまうこともあります。

それこそ前記したように、大人は大人の事情で言っているのですが、子どもにとっては大きな失望なんですよね。
何度かそんなことが繰り返されると、大人に対する不信感につながってしまいそうです。
もしかしたら、父自身もどこかで子どもに対してそんな曖昧な対応をして「おっちゃんの嘘つき!」と言われたことがあったのかもしれません。

大人の事情を理解できない子どもには、小さなことでも誠意をもって対応すること。
小さなことに誠実な人は、大きなことにも誠実でいられるはず。
このような父の考えの元で育ち、約束事は必ず守ってもらってきました。
けれど、子どもの頃にはそのことがどれほどの価値のあることだったか、気付けていなかったような気がします。

゜゚*☆゜゚

従兄は中学校に上がるのを機に、伯母の元に戻っていきました。
その後も我が家にはしょっちゅう顔出しして、育ての親である父母を慕っていました。

時は流れて父も伯母も亡くなり、今やもう従兄自身がかなりな高齢者になってしまいましたが、時折
「今の自分があるのは、おとうちゃんのおかげや。」
などと言うことがあります。
本音だと思います。

親の深い思いには、年齢を重ねてようやく気付けるものも沢山あるようです。
今、改めて父に「ありがとう」の思いを込めて感謝したいと思っています。

お父さん、ありがとう。

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2017年1月24日

母を許す~「自分を生きる」ということ~

先日、NHKを見ていたら、新年に新しく始まるドラマの紹介をしていました。
『お母さん、娘をやめていいですか?』、この原稿を書いている現時点では、まだ放送は開始されていないのですが、ちょっと意味深なタイトルとその内容に思わず引き込まれてしまい、観たくなってしまいました。


このドラマは「母子癒着」をテーマにした作品のようですが、私にとっても「母子癒着」はライフワークともいうべき重要なテーマだと思っています。
私自身が娘たち――、とくに長女に対して無意識に強く依存していて、それが彼女を苦しめる一因となっていたことから、私は「母」と「娘」の関係にとても強い関心を持っていて、娘のように苦しい思いをする人を一人でも減らしたいと願って、カウンセラーとして活動して来ました。

それはもちろん、私の罪悪感からくる補償行為(間違ったことや都合の悪いことを隠したり、埋め合わせたりする行為のこと)という側面もあるでしょうけれど、決してそれだけではありません。
私自身もまた、多少なりともこの「母子癒着」に苦しんできた経験があるからです。
私だけでなく多分私の姉も、十数年前に亡くなった弟も、そうだったのだろうと思います。

特に弟は、両親にとっては遅くにやっと恵まれた待望の長男だったこともあり、その過保護や過干渉の対象となることが多く、相当に苦しかったはずです。
弟が亡くなった当時の私には今のような知識はありませんでしたが、それでも私は数年前まで、心の奥底では弟を死に追いやったのは両親だと固く信じていたように思います。
そして、もしも弟が生まれていなかったら、たぶんそうなっていたのは私だったはず、とも思っていました。

実際、弟が亡くなってからは余計に母の心配や過干渉が重苦しく感じられて、母と一緒に居るのが苦しかったり、怒りを抑えられなかったりもしました。
母にしてみれば、それが神なのか、運命なのかはわかりませんが、最愛の息子をその手から奪われてしまったことで、私や孫たちまで失う恐怖に耐えられなかったからなのだろうとは思うのですが、それが私には苦痛でたまらなかったのです。

心の距離が近すぎて、相手の感情と自分の感情の境目が付かなくなってしまうことを心理学では「癒着」と言います。
私が幼いころからすでに母はものすごく不安の強い人でしたから、母と「癒着」があった私は、ずっと母のネガティブな感情や思考に巻き込まれていましたし、母の影響を強く受けてしまうところがありました。

でも、子どもの時はいざ知らず、例え親子であっても、大人同士の関係で「癒着」は不自然なものです。
多くの「母子癒着」で悩む方たちと同様、私自身も母に対する怒りがどんどん大きくなっていき、実家に帰省するたびに些細なことで怒り、母に対してそれをぶつけたりしてしまっていました。
それでも、実家から家に帰るころには頭が冷えて、母にあたってしまった自分に自己嫌悪して、勝手に苦しくなっていたりしたのです。

なにしろ母の行動は、それがどれだけこちらにとって「ありがた迷惑」であり、「越権行為」だったとしても、元々はすべてが「好意」であり、「善意」です。
母なりに私たちのことを想い、良かれと思ってそれをしてくれるわけですから、それを受け取れないということは、まったくあちらに「悪意」がないだけに、こちらが一方的に「罪悪感」を引き受けなくてはいけないので、かなりしんどいのですね。

それに、今にして思えば母にとっては「愛」であるそれらも、昔の私にとっては、心の深い場所に人知れず創り上げた聖域を無理やりに暴かれて、土足でめちゃくちゃに踏み荒らされ、汚されるような感覚さえ感じられるものだったと思います。
もしかしたら大げさに聴こえるかもしれませんが――、でもこういったことは時に、子どもの心にとってとても大きな傷となったりもします。
それらが私の心に長い間積み重なり、怒りに変わって、これ以上抑えきれないくらいに大きくなっていたのですね。

本来、人に何かをしてあげたい、与えたい気持ちはそれ自体が「愛」でとても美しく、尊いものですし、喜んで受け取ってもらえたなら、私たちはとても大きな喜びを感じられるでしょう。
けれど、相手の状況や気持ちを考えず、自分自身の気持ちだけで、無理やり押し付けることはただの「欲求(ニーズ」であり、「愛」とは違います。
時にそれは、相手に「苦痛」をもたらすことにさえなりかねません。

なぜって、人は本来であれば誰でも、誰かに強制されることなく、自分の好きなように何かを感じたり、ものを考えたり、行動したりしたいはずだからです。
たとえそれが、自分のためでなく誰かのためにすることであっても、それを決めたのが自分自身の意思である限り、心だけは「自由」でいられる。
そしてそれは食べることや、水を飲むこと、呼吸をすることのように、ひとにとっては必要不可欠なことではないでしょうか。

「自分を生きる」ということ。。

しかしながら、「癒着」のある関係性は、それを私たちに許してはくれないのです。
自分の心や意思を殺して他人の思い通りに生きようとすること、つまりは子どもが自分の意思でなく、親の希望通りに生きようとすることは、とても辛いことです。
今、それを選んだのが自分自身だと私が知っているからこそ、私の中の母を責める気持ちはだいぶ無くなりましたが、数年前の私はそのことに対して激怒していました。

それでも、どれほど母が誰かを愛したかった人なのか、本当はどれほど人を喜ばせることが大好きな人なのか、今の私はとてもよく知っています。

母は本当は欲しいものを欲しいということが出来なかった人でした。
言えずに我慢して、我慢して、我慢し続けて来た人でした。
ですから、私たちも欲しいのに遠慮して言えないのだと、思いこんでいるようですなのですね。
私や娘たちの言葉を聞かず、強引に押し付けてくるようなお節介の数々も、母なりに私たちのためを思ってのことであり、かつての母が誰かにそうして欲しかったことなのでしょう。

そして、母が弟の死に対してどれほど自分を責め続けているのかということも、また弟だけでなく姉や私にも、「私が母親でごめんなさい」という思いを強く持っているのだということもわかるようになりました。
だからこそ、私は母をずっと許せなかったのだと。
娘をあんなにも苦しめてしまったと自分自身をどうしても許せず、罰したくてたまらなかった私は、私と同じように自分の子供たちを結果的に苦しめることになってしまった母を責めることで、自分の罪悪感から逃げていただけでした。

そう気づけたころには、長女はだいぶ元気になって来ていて、私はようやく「母を許したい」と思えるようになりました。
母を許そう、母を「子ども」としての、「娘」の目線でみるのでなく、ひとりの人間として、対等な「大人」としての目線から、母を見ていこうと思えるようになりました。

そうして私は、もしも私の目の前に母が赤の他人として現れたら、そして一人のクライアントとして彼女の話を聴く機会があったとしたら、私はどう答えるだろう、どう彼女を愛そうとするだろうと初めて考えたのです。

「あなたは悪くないですよ」
「あなたの所為じゃない」
「今までよく頑張って生きて来られましたね」

ごく自然にそんな言葉が出てきて、ゆっくりと胸に浸み込んでいく感覚がありました。
そこで私はようやく、母との「癒着」を少し手放せたのだと思います。
また、心理学の先生に母への怒りを扱っていただいたセッションで、私は母の、深い深い「悲しみ」に触れることがあり、またそこで大切な気づきがありました。

「悲しみの海」と表現されるその深い悲しみ、たぶんそれは誰の中にもあるものかもしれませんが、――私はそこで、母の「悲しみ」をただ、ひたひたと感じることで、母が私を縛っていたのではなく、「私が」癒着してまで母を何とかしたかったのだと、やっと気付くことが出来ました。
私の娘がそうであったように私もまた、母を心から愛していたということ、何とかして救いたいと願っていたこと、そのためには自分を省みなくてもいいと思っていたこと、母を救えなかった私が、母に対してひどい罪悪感をもっていたということを、ようやく認めることが出来たのです。

「罪悪感」を感じさせる相手からは、距離を取りたくなります。
そして「罪悪感」を感じているその相手に、私たちは「愛」を感じることは出来ません。

でも、「罪悪感」があるのは、そこに「愛」があるからです。
愛してあげたいのに愛せない――、そんな自分を責めているからこそ「罪悪感」を強く感じてしまうのです。

私はずっと無意識に自分自身を罰し、自分に終身刑を課していました。
母もまた、そうでした。
だから私は、母が自分を無罪にしてその牢獄から出て来なければ、私も絶対に出ないと誓いを立てていたのかもしれません。
幸運なことに私はその後、娘のおかげで、そこを自ら出てくることを選択できたのですけれど。


そんな風に自分を癒しながら母との関係を見つめ直していくうちに、以前は帰省して一日目にはもう母の言動にキレてしまっていた私も、ここ数年は一度も怒らずに帰って来られるようになりました(笑)。
もちろん、「私もまだまだだなあ、もっと優しくできたのになんでこうなっちゃうんだろう」って反省することも多いですが、けれどそれでも、母の毎回同じ話を笑顔で聴いてあげることが出来たり、母のお節介を喜んで受け取ることも出来るようになってきました。
少し子ども返りしてきた母に対して、幼稚園の子に話しかけるような感じで相手が出来ていることもあって、「私も大人になったなあ」ってこっそり自画自賛していたりもします(笑)。

昔の私は、母に、どんな人にでも自慢できる、尊敬できる母であって欲しかった。
「なんでこんなにこの人はこんなに幼いんだろう、性格が悪いんだろう」なんてよく思ってもいましたが、それもすべて、自分自身の投影でしかありませんでした(笑)。
今、母のいいところ、素晴らしいところが見えるようになって、私の素晴らしいところは母にもらったものだと素直に思えるようになりました。
「ありがとう」と母に心から言うことが出来て、とても楽になりました。

母を許すことが出来始めてようやく私は、ひとりの「大人」としてしっかりと、自分の足で立てるようになれた気がしています。
私自身がやっと、自分に「自分を生きる」ことを許せたのでしょう。


「許す」ということ――、もちろん、どうしても許せないことはたくさんあります。
もしかしたら参考にはしていただけるかもしれないけれど、あくまでこれは私個人の経験であり、誰かに強要するものでは無いですし、無理に自分の気持ちを殺してまで、あなたが誰かを許す必要はまったく無いと私は思います。

でも、もしも――、「今は無理でもいつかはそう出来たら」と願うことが出来たなら、あなたは自分自身を自由にしたい、終身刑から解放してあげたいと思い始めているのかもしれませんね。
そしてそれこそが「自分を生きる」ことであり、誰かを愛することなのではないでしょうか。


あなたが、そしてこの世に生きるすべてのひとが、「自分を生きて」いくことができる世界でありますように......。
お読みいただいて、ありがとうございました(*^-^*)

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2017年1月17日

綺麗になることが怖かった

女性であれば、一度はあこがれる"マシュマロのようなつや肌"ってありますよね。
女性向けの雑誌にはいつも、綺麗な女優さんのドアップが表紙を飾っています。
雑誌だから綺麗なのは当たり前です。
何ともいえない屈辱や負けを感じるのは、実は、自分の周りにいる
肌のキレイな女性たちを近くで見るときだったりするんですね。

小学校6年生のときだったか、周りの子たちと比べて顔にニキビが出てくるのが
早かったと思います。
「お前、なんでそんなに赤いの?ギャハハ!」と男子にからかわれ、
嫌な顔をしていると、その男の子はさすがにしまった!と思ったのか、
「アトピー??」と聞き返してきました。
そのとき、思わず頷き、自分が嘘をついてごまかしたことを未だに覚えています。

そこから私の青春はニキビとの闘いとなりました。
中学生になるとますます症状がひどくなり、
見かねた母親が皮膚科へ連れて行ってくれました。
医者からは「年相応のホルモンバランスによる影響だから仕方ない」と言われ、
消毒薬と塗り薬、飲み薬をもらったものの、ある程度の年齢が来たら良くなるもの
だと信じていたので、それっきり皮膚科には行かず中学生を乗り切りました。

ところが、高校生になってもなかなか終息せず、
額ニキビから頬や顎の辺りに移動してきました。
額なら前髪で隠せるものが顔面の目立つところにできてしまうので、
毎日鏡を見るのが苦痛に感じ始めていました。
年頃の女の子でしたから(一応ね。笑)好きな人ができたとしても
私には付き合うことはムリだと思い、人を好きにならないように
気持ちを抑えていたのです。
なぜ、付き合うことがムリだったのか。
それは、近くで見られたら絶対に肌が汚いって
思われて嫌がられるだろうって思ったからです。

高校を卒業し、専門学校へ通うようになってからは
周りが女の子ばかりだったので、男性からの目線は
あまり気にならなくなっていました。
それと同時に、二十歳近くなっても一向に良くならないニキビを
治したいとも思わないようになっていました。
それは、女としてキレイになることを諦めた瞬間だったような気がします。

周りの子が化粧品を使って可愛くしたり綺麗にメイクしたりしていても、
自分には無縁のものだと思い込んでいました。
違う世界の話だから、自分が化粧品コーナーに行くことすら
場違いなことだと信じていました。
学生生活では勉学や実習があり強いストレスにさらされていたこともあり、
肌のことどころか体のことさえ大切にせず、暴飲暴食していた時期もあります。

社会人となり働き始めてからも、諦めたとはいえ、
やっぱり鏡を見るのがつらいことには変わりありませんでした。
自分の顔を見て特に顕著に感じる苦しさは、
彼氏ができないという現実を目の当たりにすることでした。
かといって、自分の顔を理由にすることは人前で簡単にいえることではなく、
ずっと平気なフリをしてきたのです。
友達からは「もうちょっとだけ痩せたらいいんじゃない」とか
「遅刻癖は直さないとだらしない女だと思われちゃうよ」とか
言われたこともあります。
でも、それは私には全くヒットしない言い訳でした。
どこか、私の苦しみはきっと誰にもわからない、
という思いもありずっと口をつぐんでいました。

社会人3年目の頃、経済的にも余裕が出てきた私にチャンスが訪れました。
ある時、友人がフェイシャルエステに誘ってくれたのです。
最初は少し警戒心がありましたし、値段も高いなぁとも思いました。
お試しだけで終わろうかなと思ったのですが、
なんだか「今しかできないかもしれない」という思いがわいてきました。

思い切って10回コースを申し込み、
月に2回ほどのペースで通うようになりました。
自分以外の人の手がわたしの顔を優しく触れてくれたことが
気恥ずかしい気持ちでいっぱいでした。始めのうちはニキビ
(というか、この頃はもう吹き出物ですかね。笑)が点在しており、
肌への蒸気や吸引機などの刺激もあって、
一時的に顔面が真っ赤になってしまいました。
それほどまでに敏感肌であることに、それまで全く自覚がありませんでした。

また、エステティシャンの方からも肌の手入れを教えてもらったり、
ちょっとした変化に対して一緒に一喜一憂してくれたりしました。
そうしていくうちに、自分の肌を丁寧にケアしていくことの
喜びを感じ始めていました。
そして、それは私が自分への自信を取り戻していくプロセスでもありました。

10回コースが終わる頃には肌の状態もずいぶんと改善し、
自宅でのセルフケアも手慣れたものになりました。
自分で自分を大切に扱う、ということは、
何か特別なことをするのではなく、普段から何気なくやっている
一つ一つの行動から変えていくことなのかなぁと思いました。

美容に何万円もかけている人を見てあまりいい印象をもっていなかった私が、
こんなに充実したお金の使い方をするとは思ってもみませんでした。
私は、自分が綺麗になれるなんて信じていなかったので、
そうなることが怖かっただけなのかもしれません。

一番怖いのは、ずっと諦め続けてしまうことなのかな、とも思います。
自分が欲しいものをもう一度認めてみると、案外願いは叶うのかもしれませんね。

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2017年1月10日

過去を振り返って

皆さま、こんにちは。源 やすこ(みなもと やすこ)です。
初めて「心理カウンセラーのコラム」を担当させていただきます。
どうぞよろしくお願いいたします。

新しい年を迎えましたね。
皆さま、どのような年末年始をお過ごしになられたでしょうか。
今年一年の計画を立てられたり、去年を振り返ったりされた方も多いでしょうね。

私の年末年始は色々と忙しくしていたのですが、去年、プロカウンセラーとしてデビューさせていただいたこともあり、プロカウンセラーになってから起きた出来事を思い返したり、出会った方々のことを思い出したり、カウンセラーになるまでの過去を振り返ったりもしていました。


かつての私は、自分のことが大嫌いでした。
私なんていなければ良いし、その方が周りの皆にとって幸せだとずっと思っていました。 
生きることが何だかとても苦しくて、自分ひとりで何とかしようと思って格闘していましたが、それも難しくなり、心理学の門を叩きました。

カウンセリングサービスの母体の神戸メンタルサービスのカウンセラー養成コースに入り、心理学を学び始めて間もなく、「自己嫌悪」をテーマとした講座を受講しました。
自己嫌悪とは、文字通り、自分を嫌うことです。
これって自分のことだなあと思い、その講座が始まる前からとても楽しみにしていました。
講座が始まると、講師の話はとても面白く、あっという間に時間が経ちました。
そして、講座の終わりに、講師は「自分の良いところを思い付くだけ書くように」と言いました。

冷や汗が出ました。
私に良いところなんてどこにもない。
すごく悩んで自分の良いところを考えている中、周囲の受講生たちはたくさん自分の良いところを書いていきます。人によっては何十個も。
とても焦りました。
そして最後に、近くに座っている人たちとグループになって、書き出した内容を発表し合う時間があったのですが、私には発表できる自分の良いところが何もなくて、制限時間を全て使っても、良いところを一つも思い浮かべることができなくて、講座が終わった後、情けなくて、とても悲しくて、一人で泣きました。

そこから、学びと癒しを深めてちょうど一年後。
偶然、同じ講師による同じ講座が開催されました。そして、講座の終わりに、講師は課題を出しました。
「自分の良いところを思い付くだけ書くように」

一年後の私は違っていました。
5つ、自分の良いところを書くことができました。
他の人はもっとたくさん書いていました。けれど、自分にとっては充分。
良いところを5つも書けたことに、胸に熱いものが込み上げてきて、それを他の受講生に言ったら、皆が笑顔で喜んでくれました。
皆が喜んでくれたことも、そして何より、良いところが書けたことが嬉しくて、涙が流れました。

一年前と一年後、講座で泣いていた事実は同じだけれど、悲しみの涙が、喜びの涙に変わっていました。

その一年間で、そしてそれ以降も時間をかけて、私は、本来の私を発見し、見つめ、見方を変え、自分を好きになっていきました。
本来の私自身と出会う旅に出ていたのです。


そんな過去の諸々を振り返った年末年始でした。

今、自分に良いところなんてないと思っている人も、そうでもないけれど自分の悪いところばかり見えてしまっている人も、きっと、変わっていくことはできると信じています。
私ができたように。

今、私は、自分の良いところを5個よりもずっと多く書けます。

あなたは自分の良いところをいくつ書けますか?

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2016年12月27日

どんな自分になりたいですか?

ありがとうございます。
岡田郁美(おかだいくみ)です。

もう少しで今年も終わり、新しい年になりますね。
今までの自分を振り返り、ご自身の変化を感じていただき、
来年、どんな自分になりたいか、思い描いてみませんか?


私の話になりますが、
カウンセラーになりたくて、4年前にカウンセリングサービスの母体、
神戸メンタルサービスのカウンセラー養成コースに入会し、
昨年、念願のプロカウンセラーになりました。


私は、普段は看護師をしています。
この4年間に、離職と復職を経験しました。

私は子供の頃から、自分の感情を感じないようにしてきたようでした。
それに気づいたのは、心理学を学び始め、
ヒーリングワークというものに参加したのがきっかけでした。

ヒーリングワークとは、
カウンセラー養成コースのカリキュラムにある癒しを体感するセミナーです。


頭では、寂しいや悲しい、嬉しいや楽しいなどの感情を理解できていましたが、
心で感じるということが、出来ていなかったようなのです。

ヒーリングワークに初めて参加した時は、なんだかわからないけれど、
とても感情が高ぶっていて、「また、行きたい」と思いました。

何回かヒーリングワークに参加しているうちに、
「仕事を辞めたい」と思うようになりました。


職場では、1年に何人もの方が、いろんなかたちでお亡くなりになります。

事故で亡くなられる方、
長い闘病生活の末に亡くなられる方、
ご家族に看取られ,亡くなられる方、
お一人で亡くなられる方、
本当にさまざまです。

感情を、心で感じるようになってからは、それに耐えられなくなったようでした。


病院を退職してからは、デイサービスで働いていました。
デイサービスは、お元気な高齢者の方が、主にご利用になります。

実際に看取ることはありませんでしたが、1年半の間に、数名の方の訃報がありました。
「どこで働いていても、私の仕事は、人の生死と関わることなのだ」と感じました。

哲学的な話になりますが、
自分の生まれてきた目的や使命みたいなものを受け容れたという感じです。

今年デイサービスを退職し、新規オープンのサ高住という高齢者施設に就職し、
訪問看護師として、施設のスタッフとして、入所者さまのケアをさせていただいております。

そこのスタッフはみんな転職組です。
そこで、スタッフが気持ちよく働けるようサポートしたいと思っています。

新しい職場で、カウンセラーとしての経験も活かせ、人の役に立てることがとても嬉しいです。

心理学を学び始めた頃、感情を抑える自分のパターンが、
子供の頃の親子関係にルーツがあると知り、親を恨んだこともありました。

心理学を学ぶだけでなく、実際にカウンセリングを受け、癒しをすすめていき、
時間はかかりましたが、親を許せるようになりました。

感情を感じないように抑えるパターンは、
感性の繊細さや優しい心を、辛い経験から守るためであったようです。


仕事柄、感覚というものがとても大切になってきます。
もちろん、人を思いやる優しさも。

癒しをすすめて、自分の持っているよいものを、ずいぶん受け容られるようになりました。

また、感情を抑えて仕事をすることは、
緊急時に、冷静な判断ができるというメリットがあるということも、最近実感しました。


このようなことを、「問題の向こうにギフトがある」といいます。

この「ギフト」というのは、その人の持っている個性や才能のことです。


私は、紆余曲折しながらも、癒しをすすめ、自分の個性や才能を受け取り、
「仕事が楽しくてしょうがない」と思えるようになりました。


私の幸せは、
まわりの人が幸せを感じて、笑顔でいてくれること。
その人が、その人らしく生きるために、役に立てること。


心から、そう思えるようになったことに、本当に、感謝しています。


今、辛い状況におられる方、
自分が苦しいのを何とかしたいと思われている方、

必ず、そこから抜けられます。


そして、あなたの素晴しいギフトを受け取り、
幸せを感じられるようになると、信じてください。


どうか、あきらめないでくださいね。


自分の使命みたいなものを受け容れる時、
「私は、どうしたいか?」
を考えました。けれど、迷いが出てきました。

次に、
「私は、どうありたいか?」
を考えました。

・ご機嫌でいること
・笑顔でいること
・自分から、挨拶する
・してほしいことは、自分からする
・自分に正直でいる
・自分を受け入れる
・自分を信頼する
・目の前の人を喜ばせる
・あきらめない
など、
自分のあり方について、書き出しました。


そして、
「自分のまわりの人を幸せにしたい」
「そのために、自分が幸せを連鎖させる人になろう!」
そうコミット(覚悟を決める)ことができました。

すると、まわりから頼りにされるようになりました。
なりたい自分に近づいていきました。

あなたは、どんな自分になりたいですか?


この機会に、思い描いてみてくださいね。


上手くイメージができない時や、迷った時は、

「自分は、どうしたい?」
「自分は、どうありたい?」

と、ご自身に問いかけてみてくださいね。


自分の幸せにコミットできるかもしれませんよ。


最後までお読みいただき、ありがとうございます。

よいお年をお迎えくださいませ。

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2016年12月20日

部屋の片づけに想う

みなさん、お部屋の片づけは得意ですか?
お部屋の片づけに関する相談を受ける事は時々あったりしますが、みなさんはどのようなお部屋にお過ごしでしょうか。

実は私は、あまり片付けは得意ではありません。
もう少し言えば、ちょっと散らかっているぐらいが好きです。

たまに何かの拍子にやる気を出して、「よし、今日は片付けをするか!」とやり始めると、これは結構楽しいのですが、30分もするとすぐに片付いてしまいます。
でも、片付いた後の部屋は、なんだか妙にサッパリしていまっていて、「前の方が落ち着くなぁ・・・」なんて思ったりする事もあります。
しまったばかりの本やCDを、「あ、まだ読みかけだったんだ。どうせまた出すから、近くに置いておこう」なんて、また出してしまう事なんかもあったりします。


よく、テレビドラマなどで、山のように書類の積まれたデスクで仕事をしている記者さんや刑事さんなどが出てきて、同僚にデスクの事を言われると、「俺はこの状態が一番仕事がしやすいんだ!」なんて言っているシーンを見かける事があります。

私はそういうシーンを見ると、「ああ、わかるわかる」とちょっと思ってしまいます。
多分、その人にとっては、どこに何があるのかわかっていて、すぐに手の届く所においてあるんだろうなーとか、片付けに使う時間も惜しいぐらい仕事をしたいんだろうなーとか、その人なりのポリシーがあるのだろうなと思います。


考えてみると、個人のお部屋の中というのは、その人の最もプライベートな空間で、その人の個性が最も反映される場所と言えます。
お部屋の中においてあるモノは、自分が買ってきたものであったり、もらってきたモノであったり、あるいはたまたま捨てていないだけであったとしても、みんなどこかに「自分の意志」が反映されている事になります。

少し大げさに言えば、「お部屋の中は、自分の心の中」みたいだと言ってもいいかも知れません。
キッチリと片付いたお部屋に住みたい人は、人生もキッチリと片付いていて欲しい、と思いやすそうです。
どこに何があるかすぐにわかるのがいい、という人は、人生に対してもそうかも知れません。


最近では、お片付けに関する本なども沢山出ているようですが、読んでみるとなかなか面白かったりします。
お片付けのプロから見ても、片付けは単なるテクニックの話ではなく、心の中の状態と関係がある、という見解を持っている人が多いようです。

そういう本を目にすると、「うーん、この本の作者さんは、人間心理をよくわかってらっしゃるなぁ!」と感心してしまいます。
そして、少し散らかっている自分の部屋を見て、「この部屋は、私のどんな心理をあらわしているのだろうか・・・」なんて自己分析をしてみたりもします。


***


ところで皆さんは、家族やお友達のお部屋に入った時に、自分の部屋と全然違っていてびっくりした事は無いでしょうか?
私は、結構よくあります。

たとえば、私の弟の部屋は、モノが少なくて、デスクとパソコンとベッドがあるだけ、床の上にも何も落ちていない、シンプルな部屋です。
私は、自分の部屋の事を棚に上げて、「よくこんな部屋に住めるなぁ」と思ってしまいます。

妹の部屋は、どこの国のものだかよくわからない民芸品とか、全然かわいくないマスコットキャラとか、何に使うのか分からないインテリアグッズみたいなものが置いてあったりします。
これにも、びっくりしてしまいます。

父の部屋も、なかなかです。
職人なので、工具などが壁一面にかけられており、お部屋というよりは工場の中のような様子です。匂いも、生活臭が無く、機械の油のような、自動車修理工場のような匂いがします。

父の実家のおばあちゃんの家は、家全体にモノが何もなく、「本当に人が住んでるのか?」というぐらい生活感がありません。しかも、そんな状態が、私が子供の頃から、ずっとそのまま続いています。

どの部屋を見ても、「よくこんな部屋に住めるなぁ」と思ってしまいます。

でも、きっと、他の人が私の部屋を見ても、同じように思うのかなと思います。
部屋の中は、その人の個性そのもの。人がそれぞれ違っているように、お部屋の中の様子も違っていて当然なのでしょう。
ついつい、「片付けなくては!」とか「もっとオシャレでなくては!」と思ってしまいそうですが、あなたにとって居心地の良い部屋であれば、それでいいのかも知れませんね。


みなさんは、どんなお部屋に住んでいるでしょうか?
片付いている?ちょっと散らかっている?漫画がたくさんとか、ゲームが沢山?
美容器具や健康器具でいっぱい?インテリアグッズなどは使う方、一切使わない方?必要なものが、すぐに取り出せる?

どんなお部屋でも、あなたにとって居心地の良い、住みやすいお部屋であるといいですね。
そして、気分を変えたいときや人生を変えたいとき、まずはお部屋の中を変えてみるのも、ひとつの方法かも知れません。

私も、まずはゴミを出して、床の掃除をして、出しっぱなしの本やCDを片付けようと思いました。
でも、今日はちょっと疲れたので、また今度やろうと思います・・・^^

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2016年12月13日

一冊の雑誌が、私にもたらしたもの

今年の春から秋にかけての半年間、NHKの朝の連続ドラマは「とと姉ちゃん」で、雑誌「あなたの暮し」を刊行した女性の物語でした。
私はこのドラマをずっと見続けたわけではありませんが、この雑誌のモデルが「暮しの手帖」と聞いて、とても懐かしい思いに駆られました。

「暮しの手帖」は長い間、母が定期購読していた雑誌でした。
昭和30年代あたりからの本が、我が家の本棚に並んでいたのを覚えています。
母の読んでいた雑誌ですから、その頃小学生だった私には何の興味もなかったのですが、ふとしたことから私も読むようになりました。

それは小学校4年生の冬休み。
私は元々扁桃腺が弱くて風邪を引くとすぐに高熱を出していたので、冬休みの間に扁桃腺の手術をすることになりました。
「クリスマス前に手術すれば、お正月は家で過ごせるよ。」
そう言われていました。

私はやんちゃな子どもだったので、しょっちゅう叱られていましたが、入院なんてすると急に母が優しく接してくれたので、それは何だか嬉しく感じました。
普段は「勉強できんようになるから、マンガは読んだらあかん。」と言われていましたが、入院中は"少女フレンド"だとか"マーガレット""りぼん"など大好きな少女マンガをいろいろ買ってくれたものでした。

ところが、だんだん飽きてくるんですよね。
『もう、これも読んだしあれも読んだ、つまんないな~!』

ふと、サイドテーブルを見ると付き添いの母が家から持ってきていた「暮しの手帖」がありました。
『大人の雑誌って、何が書いてあるんやろ?』
好奇心に駆られて、ペラペラとめくってみました。

日々の暮しに必要な、さまざまな商品のテストを重ねて、徹底的に調べ、検証していくことで有名な雑誌ですが、その頃の私はそんなことなど知りません。
その時見た特集記事は"火事"でした。
おりしも季節は、火事の多発する冬。
何と、家一軒を燃やして実験し、家庭で火が出た時の対処法について、こと細かく書いてありました。
子ども心に、食い入るように見てしまいました。
『ずごいなぁ、こんなこと実験してるんや~。』

このコラムを書くに当たって、本当にそんな記事が載っていたのか調べてみました。
もしかしたら私の記憶違いかもしれませんから。
すると、確かに昭和41年発売の第87号に「火事をテストする」というタイトルで載っていました。
子どもの時の記憶って、すごいですね。
それ以来、私はすっかり「暮しの手帖」のファンになってしまいました。

その後もずっと、我が家ではこの雑誌を購読していましたが、そこに書かれていることは集約すれば【日々の暮しの大切さ】ということに尽きるのではないかと思うのです。
当たり前の日常を大切にすることは、自分を大切にすることにつながります。
自分を大切にする人は、自分以外の人をも大切に出来ます。

先日、本当に久しぶりに最新号を手にしてみました。
表紙を開くと、創刊号から変わることなく書かれている一文があります。

「これは あなたの手帖です
 いろいろのことが ここには書きつけてある
 この中の どれか 一つ二つは
 すぐ今日 あなたの暮しに役立ち
 せめて どれか もう一つ二つは
 すぐには役に立たないように見えても
 やがて こころの底ふかく沈んで
 いつか あなたの暮し方を変えてしまう
 そんなふうな
 これは あなたの暮しの手帖です 」

天才編集者と呼ばれた花森安治氏の言葉です。

豊かな暮しとは、豪邸に住んでセレブな暮らしをすることだけを言うのではなく、日常のホンの小さなことにスポットを当てて、大きく喜べることではないのかな?
と、今の私が思うのは、この雑誌の影響が少なからずあるなと改めて感じます。

長年愛読してきた雑誌でしたが、阪神大震災の時に自宅が全壊し、取り壊さざるを得なくなった時、「暮しの手帖」も処分してしまいました。
それ以来、たまに手にする程度になってしまいましたが、私の日々の暮らしの中に、【こころの底ふかく沈んだ】考え方は生かされているようです。

人でも物でも、長く関わってきたものには、大きな意味と影響力がある・・・

私はそう、思っています。

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2016年12月 6日

100万分の1の奇跡

超自立で生きている時はわからなかったこと、見えなかったことが見えてきたり感じられるようになって、ちょっと前の無知だった自分を恥ずかしく、それでいて愛おしく感じることが多々あります。

それはそれで自分なりに「私が何とかしなかれば!」とがんばった証に違いないのですが、「あら、まあ」といった具合に、受け止めることができるようになった時のお話です。

今でも時々、無駄に肩に力が入ってしまうことはあるのですが、本当にあの頃は、自分がどれだけ肩に力が入っているのかさえ気づけないほど、夢中で駆け抜けてきたのだと思います。

たとえそれが試練でも、自分にとって受け取ることが当然の試練だと思っていると、もっと楽で簡単に抜けられる方法をたとえ誰かに教えてもらったとしてもなかなか受け取れないものです。

当時の私は、逆境にも負けずに困難を乗り越えてひたすら進んで行くのが自分らしいと信じて疑わなかったんでしょうね(笑)

「自分の現実は自分が創造している」とはよく言ったものです(汗)

「止まったら動けなくなるのではないか?」
そんな恐怖心とストレスをいっぱい抱えて生きていたんだと思います。

* * *

では、その意味が少しばかり理解できるようになった今の私は、その頃と何が違うのだろうかと、少し振り返ってみました。

昔の私は、自分の限界がすべての限界だと思っていたけど、今の私は、あの頃にはなかった『奇跡』というものを信じれるようになっているのだと思います。

そう、自分のパワーだけが頼りだったあの頃は、自分の可能性と能力を試したりできる代わりに自分自身がその限界にもなっていました。

心理学やスピリチュアルを学びはじめて私に起こった変化は、これまでの限界を打ち破り、別の可能性への道を開いてくれました。

それそのものが今思えば、私にとっての奇跡のような体験でした。

「ひとりでがんばらなくてもいいんだよ」

この言葉にどれだけ励まされたことか。

* * *

「ひとりでがんばらなくてもいいんだよ」

少し後になってからのことですが、実際は、日常の中でもこんな風に手を差し伸べようとしてくれていた人が、沢山たくさんいたことを思い出して、涙が溢れるようなときもありました。


この限界を認めるのって本当に辛くて苦しくて悔しいのだけど、今思えば、もっとサッサと抜けても良かったのに・・・と思うところなのであります。


もし、今、あなたが、何らかの限界を感じて、行き詰っているのなら・・・。
もし、今、あなたが、絶望のふちにいて、動けないでいるのなら・・・。
もし、今、あなたが、悲しみの海に溺れかけているのなら・・・。
もし、今、あなたが、怒りの炎の中にいて自らを丸焦げにしそうなら・・・。

100万分の1でいいから、奇跡を信じてみませんか?

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