2017年8月22日

チャンスは欲しいだけやってくる!

7月は数年振りにカウンセリングサービスの母体である神戸メンタルサービスのヒーリングワークアドバンスに参加してきました。

わたしが神戸メンタルサービスの門を叩いたのが2005年の5月でしたので、もう、かれこれ12年、心について学んできたことになります。

カウンセラーを目指して入門した癒しの世界。
数年も経ってしまうと顔見知りはほとんどいないのですが、いつ来ても、まるで「ただいま!」と実家に帰省するかのような、温かな空間がそこにはあります。

学び始めた頃の私は「感情って厄介なものだな」って、どこか思っていたと思うんです。
でも、豊かな感情を取り戻せたことが、わたしにとっては何よりの恩恵でした。
だって幸せや喜び、充実感は感じるものですからね。


美味しいものは最後までとっておく!?

ひと通りのプロセスを終えてみて気づいたのですが、ここにもまだわたしの古いパターンが残っていようです(汗)

* * *

『チャンスは欲しいだけやってくる!』

受け取る機会が増えれば増えるほど、自分にとっての真実は、夢や希望を可能性のある未来へと変えていきます。
そしてそれがまた、信じる力になって夢を育て、私たちの人生を後押ししてくれるのが今ならわかるんです。

食べたらなくなってしまうお料理に「世の中には、わたしの知らないこんな美味しいものがまだあったなんて!?」と感動を与えてくれるように、心が動く経験は、生きている喜びと新しい経験に飛び込む意欲を掻き立ててくれます。
(わたしの場合)

どんな経験も、この初めて食べるお料理のような感動を一瞬、一瞬に感じることは本当は可能なのかもしれません。

それを邪魔しているのは、わかったつもりになっている自分だけなんですよね。

あぁ、なんともったいないことをしていたことか(笑)


怖れを抱いてしまうような想像よりも、幸せを感じれる今のわたしの課題は、欲しい未来をもっと明確にもっと具体的にしていくことなのかもしれません。

手始めに人生であきらめていたものを求めるものに変えていく。
そんなレッスンの始まりです。

なんだかワクワクしてくる、このワクワクがきっとそのまま進んでも大丈夫のサイン♪

自分の想いのあるところに自分の命や情熱をちゃんとかけたかどうかは自信になっていきます。

夢を叶えるときの秘訣があるとしたら、どれだけ強く思っているかではなくて、どれだけ純粋に想っているかなのではないかと特に最近感じています。

"純粋に"なるまで、余分な想いを手放したり、それを受け取るための環境を準備したり。

恋も仕事もときめきながら、大人にしかできない時間を仲間と共に楽しんで行きたいと思うのであります♪

ただいま、夢と幸せをクリエイトしていく仲間を募集中!
あなたも一緒にいかがでしょうか?

熊谷佐知恵のプロフィールへ>>>

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2017年8月15日

「私は嫌われてる」という思い込み 主人の実家編

「私は嫌われてる」という思い込みが誤解だったと気付けたこと、
それどころか、実は愛されていたんだと気付けたエピソードです。

私は主人の両親があまり好きではありませんでした。
私は実母との問題を抱えていたので、「親とはこうあるべき」という思いが強かったんですね。
だから義理の両親に対しても「親とはこうあるべき」と同じように思っていたんです。
なのですぐに不満が募っていきました。それはきっと私の態度に出ていたと思います。

同時に「私は嫌われてる」と思っていました。でも実は「私が先に義理の両親を嫌っていた」のです。
当時の私は全く気付きませんでした。「親とはこうあるべき」と厳しい目で見て嫌っていたのです。

子供の頃から対人関係に悩んでいた私は、自分は嫌われる存在だと思い込んでいました。
自分に自信がないくせに、自分は嫌われる存在、ということには絶対的な自信を持っていました。
なので主人の実家でも「どうせ私は嫌われ者」「どうせ私は邪魔者」といった被害者意識を強く持っていました。

そんな私には、何もかもが悪いようにしか見えませんでした。何かあると、
「ほら、やっぱり私は邪魔なんだ」と確信して卑屈になっていました。

ある日その思いは一杯になってしまい、私は"ストライキ"を起こしてしまいました。
その後、主人の実家には、主人と子供達3人で帰省し、私は自宅で留守番という状態が暫く続きました。
主人もそれを黙認してくれていました。今思うと、よく離婚されなかったと思います。

しかし。
ある日ふと思いました。
「今度主人の実家に帰るときは、お義母さんのお葬式...ってことになって、それで本当にいいのだろうか。」と。

私はその思いを主人に打ち明けました。
そして相談した結果、年に1回から、1泊からチャレンジすることを決めました。

数年ぶりの主人の実家。
今は独り暮らしをしているお義母さんは、私を温かく迎えてくれました。
最初はぎこちないように感じましたが、すぐに何もなかったかのように接してくれました。

その様子に、今までのことは何だったんだろう?と思いました。
おそらくお義母さんは、以前から何も変わってないのだろう、普段通りに接してくれただけなんだろう。
なのに「私は嫌われてる」という思い込みから、私がありのままを見てなかったからじゃないか?と思い始めました。
後から主人に聞いたのですが、電話で帰省する連絡をした際、私も一緒だと伝えると、とても喜んでいたというのです。

主人が義母の代わりに地区の寄り合いに出席して留守の間、
私はお義母さんと一緒にテレビを観て、タレントさんの話をしたり、
お義母さんが畑に行くというと、素直についていき、長靴や軍手を借りて慣れない畑仕事を手伝いました。

それは、私が今までやらなかったことでした。
畑仕事の経験がない私は、どうせ役に立たないからと殆ど手伝うこともなく、
家族がテレビを見てるときも、どうせ私は邪魔だからと、何かと理由をつけては別室にいました。

私が実家に帰るだけで、お義母さんが喜んでくれる。帰り際に、お義母さんは
「また来てね。」と何度も言ってくれました。
結局年に1回どころか、この年、3回実家に帰りました。

何でお義母さんはこんなに優しくしてくれるのだろう?
私は当初「行為の返報性か?」と思いました。
好意の返報性とは、人に好意を与えれば好意が返ってくる、という意味です。

でもすぐに違うと思いました。お義母さんは初めから優しかったのです。
私が信じられなかっただけなのです。
私が愛させない態度をとっていただけなのです。
やっと気付いたのです。

この文章を書きながら、恥ずかしいやら有り難いやら。
気付くということはとても大切だとつくづく思いました。
その後、お義母さんにお詫びをしました。
その時も私をひと言も責めることなく、優しくしてくれました。

もう「私は嫌われてる」という思い込みはいらない。迷惑をかけるだけだから。
「お義母さんに愛されてる」それを素直に受け取ることが恩返しかもしれないと思います。
まだまだ至らない嫁ですが、また実家に帰るのが楽しみです。

前田薫のプロフィールへ>>>

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2017年8月 8日

ご機嫌の悪い私とのつきあい方

私たちは、ただ生きているだけで、いろんなことを感じるようにできています。
例えば、目の前にマグカップに注がれた、熱いコーヒーが運ばれてきたら、

「熱そうだなヽ(´o`;」

「美味しそう♪( ´▽`)」

「多過ぎるよ(; ̄ェ ̄)」

「舌を火傷したら痛いぞ( ;´Д`)」

「可愛いカップね(((o(*゚▽゚*)o)))」

こんなふうに勝手にいろいろ思うものですよね。
そして、勝手にいろいろ感じます。

「こんなに熱いの、気が利かないな」
「美味しいコーヒーありがとう。優しいなぁ」

今の心の状態や、もしかしたら、過去の記憶や習慣などから、目の前のコーヒーに対して、いい気分になってみたり、逆に機嫌を損ねてみたりしています。大きな感情が出てきて、振り回されてしまうようなこともあれば、ただ、ふっと浮かんで消えていくようなものもあります。

私たち自身も、いちいち全部キャッチできないくらい、たくさんの感情が、勝手に出てきているのです。
「人は、感情の生き物」
なんて言われるのも、そのせいです。

感情は、そうやって勝手に、コントロールしようにも、あまりうまくいかないほどにどんどん湧いているものですが、それを、キャッチして感じているかどうかには、やはり個人差があるようです。

例えば、女性は、自分の機嫌にとても敏感だと言われています。気分よく過ごせるよう、工夫したりします。
女性には生理があって、明らかにめんどくさい時期が毎月ありますよね。体調が悪くなったりすることもありますし、気分が落ち込んでみたり、イライラとご機嫌が悪い私をもてあますなんてことも、しょっちゅうあります。

でも、その機嫌がケロリと直ることも、女性はよく知っています。生理が終わると気分がいいというのも、毎月経験するわけです。それに、機嫌が悪い時でも、おやつを食べるとご機嫌になるとか、優しい言葉をかけてもらうと、笑顔になっちゃうとか、一瞬で、簡単に気分が変わることがあるのを知っているので、女性は、自分の機嫌を取ることも上手なんですね。

ところが、男性は、ちょっとこれが苦手のようです。自分のご機嫌に注意を払うということも、あまりしませんよね。どちらかと言えば、つねに冷静沈着であることを目指しているように見えます。男性が外で戦うイメージは、現代も、戦国武将の頃も、狩猟民族だった時代も、よく似ています。そうすると、自分の感情に振り回されていては、危険なわけですから、男性がいつも安定志向なのもわかる気がします。

しかしながら、そんな男性も、自覚はないけれど、これをしていると「楽」とか「楽しい」と感じることをしに出かけることはあります。例えば、休みになると、とても勝ってばかりいるわけではなさそうなパチンコに、いそいそ出かける夫を、何が楽しいのかと不思議に思う妻・・よくある光景です。これも、心のメンテナンスに一役買っているとも言えそうです。

おそらく夫にとっては、パチンコをしている間、「楽」とか「楽しい」とか感じているからなんです。
ひとりになれることで「楽」なのかもしれませんし、ひとつのことに没頭できることで「楽しい」と感じているのかもしれません。

私たちは、思考を止める時間を持てたり、リセット出来ることをすると、スッキリしますよね。
同じことばかり、長い時間続けているところに、休憩を入れると効率が上がるみたいに。

夫のパチンコも、目的としては同じ。かもしれませんが、目新しいものや、旬が好きな女性には、同じことをじっくりずっと続ける男性が不思議に思えるようです。

男性がひとりになる時間を取り上げてしまうのは、そこに、私たち女性も同じように求めている「自分をご機嫌にする」要素があるとすれば、おすすめできませんが、でも、もし妻が寂しくなってしまうほど、夫が出かけてしまうようなら、何か他の方法で、一緒に楽しめるものや、リラックスして楽になるものを体験させてあげるのもよいかもしれません。

お腹を満たせばよい食事も、眠れさえすればよい宿も、女性ならではのこだわりで選んだり、ゆったりと味わう体験を一緒にすることで、「楽」とか「楽しい」というのは、他にも方法があることを教えてあげるのはよいのでははいでしょうか。
また逆に、男性の楽しみ方を研究するのも面白いかもしれません。全く違う感覚の中で、楽さや楽しさを味わっているのを観察するのです。それが、妻の楽しみになるかどうかは、わかりませんけれど。

暑い日々、忙しい毎日の中で、それでも、自分を健康にしたり、ご機嫌にしておくためのものは、うまく日常に取り入れていきたいものですよね。さあ、この夏、何をしてみましょうか。ひとりでも、誰かとでも、ご機嫌な夏をお過ごしくださいね。

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2017年8月 1日

素の自分

先日、とあるボランティア仲間と集まることがありました。
ボランティア活動をするには、年齢も性別も職業も立場も
関係なく「何者でもない自分」でいることが必要だったりします。

自己紹介では名前だけ名乗ります。
職業や家族構成など、自分の周りについては敢えて語りません。

+++

その日、「なぜこのボランティアを続けているのか?」
という問いについて仲間同士で意見を共有しました。

その問いに対して、私はこう話しました。

「職場の人でもない、家族でもない、友達でもない、
敢えて知らない人同士と会うとホッとするんです。」

すると、こんな返しがきました。

「その"ホッとする感覚"って何なんでしょう?」

ホッとする感覚ってことは安心してるってことだよなぁと
考えながら、また語りました。

「仕事ではないから、それほど責任を負わなくていい
ということもあるでしょうし、お互いにお互いをよく知らなくても
声をかけてくれたり声をかけたりすることが安心なんでしょうか...
敢えて自分のことを言わないでいられる、というのも
好きなんですよね。」

今度はまた別の人からもこんな話がありました。

「それってきっと、職場の顔でもなく、家族の顔でもなく、
素の自分でいられるのがいいんでしょうね。」

うんうん、なるほど~!これが素の自分でいられる場所なのか。

+++

『何者でもない素の自分』という一面が私にもあり、
その居場所を求めていたのかもしれないなぁと感じる瞬間でした。

それにしても不思議なものですね。
ボランティア活動を通して、素の自分を大切にしているって
何がどうしてこうなっているのでしょう。


私たちは社会生活の中でいろんな仮面をつけているといわれています。

職場では上司・部下という立場、肩書、職種、
家では母・父の立場、妻・夫、嫁・婿、
近所では〇〇さんの奥様、〇〇ちゃんのママ、〇〇の仕事の人、
などなど。

さて、あなたはいったい「何者」になっているのでしょうか。

そこに「素の自分」の居場所はあるでしょうか。


『何者でもない素の自分』を一番大切にしてあげられたら
ホッとできる時間や場所がもっと増えるかもしれませんね。

仁和智美のプロフィールへ>>>

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2017年7月25日

親友の作り方~彼女と私と「フライドクリーントマト」~

私の好きな映画に「フライドグリーントマト」という作品があります。
長年にわたる女性同士の友情を描いた作品です。
ちょっとブラックですが、でも、とても素敵な作品なので、もしも機会があったら皆様にも観て頂きたいなと思うのですが、残念ながら今は吹き替え版が絶版のようで、私が観たのもだいぶ前のことです。

この作品ではもう一組、私と同年代らしき主演の女性と、とある年配の女性との友情も描かれているのですが、こちらもとっても素敵です。
この映画の後、最高齢でオスカーを獲得したジェシカ・タンディの可憐さもさることながら、主演のキャシー・ベイツが老女との交わりのなかで、どんどん変わっていく姿が最高に爽快なのです。
「心理学が人を癒すのではなく、人が人を癒す」というのは本当で、人はそれがたとえどんな出会いであっても、人と交わりあう中で変わってゆき、いずれは癒されてゆくものなのでしょう。


そういえば最近はあまり観ていませんが、昔から私は古い洋画を見るのが好きでした。
そして「フライドグリーントマト」の他にも、女同士の友情を描いた作品で好きなものがいくつかあって、以前の私は本当に「ほんものの友情」とか「同性の親友」というものに強い憧れがあったのだなあと笑ってしまいます。

そこでふと思いついてネットを検索してみると、あらら?「女同士の友情はハムより薄い」とか「ラップより薄い」なんて言われているようです。
女同士の強い友情にあれほど憧れながらも、昔の私はどちらかというと、そちらの意見を信用していたのかな(笑)。
思い返してみれば、以前の私はそれらを証明するかのように、ご縁があったママ友や、友人に対しても表面的な付き合いしかできず、家に帰ると愚痴や文句ばかり。
一緒にいる間は変に気を遣っていたり、自分を取り繕っていたりで、過度にストレスばかりを溜めて、体調を悪くするようなこともありました。

私にとって「本当の友だち」や「親友」という存在は、映画や小説の中でしかお目に掛かれないようなものだった気がします。


今でこそカウンセラーとして、お客様から悩みやご相談を聴かせていただく仕事をしている私ですが、カウンセラーになる前の私はずっとそんなふうで、子供のころから対人関係については悩み続けて来ました。
それはもちろん誰かの所為では全くなくて、本当は私自身が人を拒絶していたからなのですが、私がそれに気づくことが出来たのはつい最近、心理学を学ぶようになってからのことです。

私はそれこそ小学校に上がる前からずっと、「親友」と呼べる存在が欲しかったのです。
でも「欲しい」と思っていたころ、どんなに頑張ってもそんな存在を得ることは出来ませんでした。
そして、何故か「欲しい」と思わなくなったころに、いつの間にか私を「親友」と呼んでくれる友人が私の傍らにいてくれるようになりました。


私の親友はとっても個性的というか、面白いというか、まあ、どちらかというと「バカ」が付くくらいの「天然」です(笑)。
とは言え、彼女も私に対して全く同じことを言うんだろうなと想像がつくのが、私にとっては少しばかり腹立たしいやら、笑っちゃうやらなのですが(^^;

そして口と態度は相当に悪いけど、実は気のいい彼女は、今回も「ねー、今、ちょうどいいネタが無いからあんたのこと、コラムに書いてもいい~?」と電話した私に、笑って「いいよ」と答えてくれたのでした。


私の親友は、高校生のとき、紙袋二つだけを両手に下げて、家出当然で上京したのだそうです。
四国出身の彼女と関東出身の私、「同性」で「同年代」で「子供が二人」、という以外何の共通点も無かった彼女と私は、数年前のある日、心理学を学ぶスクールの受講生としてこの東京で出会ったのでした。

初めて会った時、私よりも二つ年下の彼女を「ずいぶんと態度の悪いおばちゃんだな」と、自分がおばちゃんなのを棚に上げて思った私でした。
第一印象はお互いそんな感じで、けれど他人に全く興味のなかった彼女が私に気付いたのは、もっとずっと後のことだったようです。
私はと言えば、その他には「あんまりお近づきになりたくないタイプだなあ」としか思いませんでしたが、それから数か月後のある日、全く違う印象を彼女に抱くようになったのです。

私たちが心理学を学んでいる神戸メンタルサービス(カウンセリングサービスの母体である心理学のスクールです)では、ヒーリングワークと呼ばれるグループセミナーを毎月行っています。
ヒーリングワークではくじ引きで対象者を選び、ミュージックセラピーやロールプレイなどの手法を組み合わせた公開カウンセリングのようなセッションを何本か行っているのですが、あるときそのくじ引きで、彼女が選ばれたのです。

そうしてそのセッション中、私にとってはとても驚くことがありました。
私たちの心理学の先生でもある講師(トレーナー)の先生が、その中で彼女にとあることを言ったのですが、実はそれと全く同じことをその前の週に、私はその先生に言われたばかりだったからです。

私にとってはとても大きな気づきでもあったその言葉、そしてそれと全く同じことを言われている彼女自身に、私は興味を抱きました。
それで私はその日の夜の打ち上げで、彼女に初めて話しかけたのです。


ずっと後になって聴いたのですが、彼女はその時、私のことを「メンドクサイな」「しつこいな」「あっち行かないかな」と思っていたそうです。
彼女には今でも時々、「あの頃は『話しかけるなオーラ』を前面に出してたのに、全然気づかずに会うたびに寄って来るから、めっちゃウザいと思ってた」と笑いながら言われます。
でも、そんな彼女も今では「そのおかげでスクールの中で居場所が出来た」「みきさんの傍にいるといろんな人がいっぱい寄って来るから、付き合いが増えた」なんて言ってくれるようにもなりました。

今では彼女はスクールを卒業してしまい、裏方で勉強をさせてもらっている私と一緒にヒーリングワークに出ることはあまりありません。
それでも、私と彼女の関係をよく知る人たちには「いいなあ」「羨ましい」「私もみきさんと〇〇さんのような親友が欲しい」って、いまだに言われることがあるくらいなんですね。
そんな友達がいて、ずっと繋がっていられるのは、文字通り本当に「有難い」ことです。
恥ずかしいから、面と向かってお礼はなかなか言えないけれど、大きな愛情を持っていて、いつでも笑って私を受け止めてくれる彼女には、本当に心から感謝しているんですよね。

会えばいつもバカな話をして、お互いにふざけ合ったり貶し合ったり、笑いの絶えない私たちですが、私はなにかしんどいことがあったときには、彼女に電話して受け止めてもらったりします。
また、会った時には遠慮せずに言いたいことはなんでも言い合い、時にはかなりきついことをストレートに言ったりもするけれど、どんな時もお互いの言葉で私たちが傷つくことは無いようにも思います。
それはたぶん、私の中に、「彼女は私のためにならないことは絶対にしない」とか、「なにかあったときには絶対にすぐに駆けつけてくれる」という「信頼」があり、私もまた、彼女のために当たり前のようにそうするだろうと知っているからです。


最初は「ウザい」と思われていた私がなぜ、どちらかと言えば「人嫌い」なところのあった彼女の方から「親友」と呼んでくれるまでの関係を築けたのか、よく訊かれます。
どうしたら、彼女と私のような関係の友人を作れますか?と真剣に訊かれることもあります。
たしかに、かつて私が切望していたように、心から信頼し合える友人を欲しいと思う人はたくさんいるはずですものね。

でも、そんな人たちからの問いに私が答えられることはたったひとつ――、私自身を振り返ってみて思うことは、心から信頼し合える関係性を築くには「自分自身の『期待や欲(ニーズ)を手放す』こと」が必要なのじゃないかなということです。

たとえば、私が彼女に話しかけたとき、私は彼女に対して何の期待も持っていませんでした。
私を好きになって欲しいとも、友達になって欲しいとも全く思っていませんでした。
私はただ純粋に、彼女自身に興味があったのです。

「相手に興味を持つ」、ということは「相手を知りたい」「理解したい」と思うことであり、実は相手を愛する第一歩です。
なぜなら、人は誰でも心の底では「誰か」に「自分をわかって欲しい」という欲求を持っているからです。
だとするなら、あのとき私がしたことは――、彼女を「愛してあげようとした」のだと言えるのかもしれません。

そして、心理学には「好意の返報性」という言葉があります。
人は誰かに「愛」をもらったら、同じ様に「愛」してあげたい、という想いを持つようなのですね。

つまり、私が彼女に興味を持ったように、当時の彼女も「こんなに邪険にしているのに、なんで寄って来るんだろう?」と、私自身にささやかではあっても興味が湧いたのではないかと思います。
そしてそれが、私たちの始まりだったのじゃないかなって、私は思うんです。

また、もう一方で「ニーズ(欲求)」、つまり「して欲しい」と言う気持ちを持って相手に近づくと、相手になんとなくそれが伝わってしまうことがあります。
「愛して欲しい」というニーズを隠し持ったまま近づかれると、人はなんとなく「奪われる」ような感じがするんですね。
よく言う「重い人」というヤツです。

そんな人と一緒に居るのは疲れますし、どうしても相手からは距離を取られてしまいます。
子どもの頃の私は、そんな風にものすごく大きな自分の「ニーズ」を持ったまま、人に相対していたので、うまく対人関係を築くことが出来なかったのでしょうね。

「手放すと手に入る」と心理学ではよく言われますが、本当にその通りだったようです。
不思議なもので、本当の友達が欲しくてたまらなかったときにはどうしても出来なかったのに、「欲しい」という気持ちを意識しなくなったときに初めて、私はたくさんの友達を持つことが出来るようになり、彼女という「親友」を得ることが出来たのです。


このコラムの最初でも書いたように、「女同士の友情はラップよりも薄い」とか、「すぐ壊れる」「ガラスのように脆い」なんて言われます。
でもなんだかんだと、彼女と私の友情――「腐れ縁」と愛をこめて私たちは呼んでいますが(笑)――は未だに続いています。

私と彼女は「親友」であり、「相棒」であり、そして一時期は「戦友」でもありました。
そんな存在と巡り会えたことは、私にとっては本当に僥倖であり、もしかしたら「奇跡」と言えるのかも知れません。

でもきっと、どんな人であっても、それが友人であれ、パートナーであれ、もしもあなたが本当に心から求めているのなら、出会いはあるのだと思います。
「期待」を手放し、あなたのほうから先に相手を愛する事が出来たのなら、あるいは相手の愛を受け入れることが出来たなら、きっと「本物の関係」を手に入れることが出来ると私は信じています。


「神様は一つの扉を閉ざしても、別の扉を開けておいて下さる」

「フライドグリーントマト」の中の、私が大好きな台詞です。

閉ざされた扉の前で駄々を捏ねるより、開いている扉を探し、感謝してそこを通り抜けること。
私が欲しかった関係性は、かつての閉ざされた扉を諦めて振り返ったとき、新しいの扉の向こうで待っていてくれたのかも知れません。


+++++

お読みいただいて、ありがとうございました。
このコラムが、少しでもあなたのお役に立てたなら幸いです。

どうかあなたが、誰かと「本物の関係」を築いていけますように☆彡
ずっと、応援していますね。

三枝みきのプロフィールへ>>>

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2017年7月18日

私にとっての「豊かさ」

みなさんにとっての「豊かさ」とは、どんなことでしょうか。

お金をたくさん持つことでしょうか。

幸せなパートナーシップを育むことでしょうか。

それとも、自分のキャリアを積み、地位や名誉を得ることでしょうか。

私にとっての「豊かさ」とは、私が幸せを号泣するほど喜べる仲間がたくさんいること、そして、私の幸せを号泣するほど喜んでくれる仲間もたくさんいることです。

私は感受性が強い方なので、映画やドラマに感情移入し、ほろりと泣くことは多々あります。特に大人になってからは、 " ハチ公物語 " のように動物が健気に人を愛する姿や、" はじめてのおつかい " のように一生懸命に小さい子どもが頑張る姿を見て、泣くことが増えたように思います。

友達の子どもが参加する小学校の運動会に行った時も、クラス別対抗のリレーを見て泣いてる自分がいました。正直、いくらなんでも涙腺弱すぎるのでは...と思いました(笑)

それぐらい、私はよく泣くのです。

でも、身近な人の幸せを泣くほど喜んだ経験はありませんでした。もちろん、「よかったなぁ」とか、「幸せそうで何よりだな」とは思ったことはあります。でも、泣いたことはありませんでした。

私は本格的に心理学を学び始めて、今年で丸5年が経つんですね。その間、たくさんの出会いがありました。おかげさまで、たくさんの友達もできました。

弊社の母体である、神戸メンタルサービスのカウンセラー養成スクールでは、受講生時代にたくさんの臨床経験を積むんですね。受講生でグループを作り、実習形式でいろんな課題に取り組んだりもします。

その中で、友達の生い立ちや、過去に辛い経験があった話など、プライベートな話を聞く機会がとても多いのです。そして、その辛い過去を乗り越え、幸せになっていく友達の話を聞く機会や、実際に結婚式に出席してお祝いする機会もとても多いのです。

失恋して人生に絶望していた友達が、また人を好きになり、結婚し、親になる。そんなドラマのようなことが、私のまわりでは往々にして起こります。

「もうずっとこの先、私は1人なのかもしれない...」と言っていた友達が、「彼に出会って、もう一度人を愛してもいいかなと思えるようになった」と照れくさそうに話してくれたことがありました。

私は彼女が辛い思いをしていた時期の話を何度も聞いたことがあったので、パートナーと幸せになることがその子にとってどういうことなのか、どんなに幸せなことなのかがよくわかったのです。だからこそ、本当に嬉しくて、自然と涙が溢れてきました。

そんな時、友達の幸せで泣ける私の人生は、本当に豊かになったなぁとしみじみ思います。

私は学生時代、いじめられていた経験があります。蔑まれたり、虐げられたことも沢山ありました。ですから、そんな私にとって、ここまで幸せを喜べる仲間ができたことは奇跡に他ならないのです。

私も、これから先の人生、幸せな出来事がやってくるたびに仲間が喜んでくれると思います。それは、それだけ日々私の幸せを願ってくれていることを知っているからです。そのことを想うだけで、嬉しくて涙が出てきます。

ですから私は、私の幸せを願ってくれる人のためにも、毎日幸せに生きようと日々思っています。

あなたの幸せは、あなただけの幸せではありません。

あなたの幸せは、あなたの幸せを願ってきた人の幸せでもあるのです。

どうか、あなたの毎日が幸せでありますように。

私もあなたの幸せを心から願っています。

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2017年7月11日

ウノで負けて泣く!

先日、私の祖母が亡くなったので、すべての葬儀の後、親戚一同が実家に集まりました。
久しぶりに会う面々も多かったために、昔の思い出話をしながら、私は大変リラックスした時間を過ごすことができました。

私には4つ下の妹がいて、彼女には小学校2年生の娘と幼稚園の年長の息子、さらに2歳の息子がいます。
びっくりするくらい元気に走り回る3人の子どもたちを見ていると、「1つの命は終わったけれど、新しい命が始まっているんだな」という気持ちになりました。

私たち大人が楽しげに話をしていると、幼稚園生の甥っ子が私に話しかけてきました。

「オレさ、ウノできるよ!」

私はそれを聞いて、こう答えました。

「そんな小さいのにすごいね。おじちゃんはウノめちゃくちゃ強いよ!」

すると、甥っ子は嬉しそうに言いました。

「え、そうなの!じゃあさ、ウノやろうよ!」

いきなりテンションが上がった甥っ子は、すごい勢いで2階にウノを取りにいきました。

◇◇◇

ニコニコした表情でウノを持ってきた甥っ子と、一番上の姪っ子、そして私の3人でウノをすることになりました。

ウノを始めてしばらくすると、親戚たちが、「陽介、大人だからわかっているよな」ということを私に言ってきました。
どうやらそれは、「子供たちがウノに負けると、機嫌が悪くなったりして面倒だから、あなたがわざと負けてあげなさいよ」というメッセージでした。

しかし、私は思いました。
「このままわざと負けてあげることが、果たしてこの子たちのためになるだろうか?むしろここで、本気の大人の力を発揮することで、社会の壁を体験した方が彼らのためじゃないか?」

私は自らの歪んだ信念(笑)に従い、ガンガン手持ちの札を減らしていきました。
親戚一同のがっかりした視線を背中に感じながらも、私は大人の思考力のすべてを使い、一番に上がりました。

「おじちゃんって、ウノ強いでしょ?」

そんな私の問いかけを子供たちは完全にスルーして(笑)、ウノに集中していました。
なぜなら、姉対弟の真剣対決が始まっていたからです。

2人の対決は一進一退の攻防が繰り広げられていました。
お互いに、残り一枚になってから、なかなか上がれないという緊張状態が5分ほど続きました。
2人のあまりの真剣さに、見ているこっちもドキドキしていました。

「やった!」

甥っ子は雄叫びとともに、最後の一枚を自慢げに出しました。
勝負は、甥っ子の勝ちで幕を閉じました。

その瞬間、姪っ子は猛スピードで自分のお父さんの方に走っていきました。
そして、お父さんの胸に顔をうずめると、「負けて嫌だ!」と大きな声で号泣してしまいました。

◇◇◇

私たち人間は大人になるにつれて、彼女のように人前で泣くことはなくなっていきます。
なぜなら、社会に出て生きていく上で、感情を感じ過ぎてしまうことは、とてもリスキーなことだからです。

例えば、上司に怒られたからといって、その場で、「怒られて嫌だ!」と号泣することはなかなかできなかったりします(笑)
そのため、私たちは悲しいことや辛いこと、悔しいことをなるべく心の奥にしまっておくようになります。

「本当は嫌だ!」

そんな気持ちが少しずつ心の奥深くに蓄積されていきます。
すると、ある現象が起こったりします。

「何が楽しくて、何が嬉しいのかわからないんです」

カウンセリングをしていて、そんなご相談を伺うことがあります。
このような場合、自分の中にある「嫌だ!」という感情を抑圧し過ぎて、ポジティブな感情まで感じられなくなってしまっていることが考えられます。

そのため、カウンセリングの現場では普段抑圧しているネガティブな感情を解放してもらうということがあります。

「本当は怒ってる!」
「本当は寂しい!」
「本当は悲しい!」

そんな風にネガティブな感情を解放させていくと、少しずつ「嬉しい」、「楽しい」というポジティブな感情が感じることができるようになったりします。
さっきまで泣いていた姪っ子が、私のお尻フリフリダンスを見て、信じられないくらい笑っている姿を見ると、「あれだけ素直に悲しみを感じられるから、こんなにたくさん喜べるんだな」と思いました。

森川陽介のプロフィールへ>>>

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2017年7月 4日

壮大な宇宙と星々の美しさに思いを馳せる ~キラキラひかる お空の星よ~

こんにちは、建部かずのぶです。

7月に入りました。
今年の夏は、暑くなるらしいですね。

数年前から世界の気候が気になっていまして、
何とかバランスが保たれるように、と願う私なのです。
そのせいか、時々空を眺めているんですね。

私は子どもの頃から、星空を見るのが好きでした。

田舎育ちもあって、自然と星や星座の名前も覚えました。
たまたま買ってもらった絵本、『星座を見つけよう』が、とても見やすい本だったのもあり、
気付けば、一等星の名前は全て暗記していました。

それが高校生になったころから、乱視がひどくなり、
月を見てもスタンプを押したような状態で、
星空も見えにくくなってしまったので、自然と遠のくようになっていたのです。

それが今の家の近所に、天体望遠鏡とプラネタリウムを見られる施設があるのを知ってからは、
年に数回、奥さまと行っては「あっプロキオン!、レグルス!」なんてプチ発見しています。
望遠鏡で、ぎょしゃ座のカペラを見つけて喜んでいたら、職員さんに「マニアですね~」と言われたことも。
つい幼心が騒ぐのですよね。

そんな私に、「個人宅で、宇宙についてのお話会があるよ」とお誘いをいただきました。
でもそのお宅は、車で2時間程度と、やや遠くの場所です。

お話をする方は、学者さんでもありながら、なぜか精神世界にも精通しています。

「遠いところから、ようこそ~」と言われながらの参加でしたが、
すっかり打ち解けて、以来ちょくちょく通うようになりました。

ただここでも思わず先走ってしまい、奥さまからお注意を受けることも。
もし乱視にならなかったら、天体関係の道に進んでいたかも知れませんね。


さて、もうすぐ七夕(たなばた)ですね。
天の川を隔てて織姫と彦星が引き離されてしまい、年に一度、7月7日の七夕の夜にだけ再会できる。
という物語は、誰も一度は聞いたことがあるかと思います。

8月上旬ごろになると、天気が良ければ天の川や夏の大三角形がよく見えます。
夏の大三角形は、はくちょう座のデネブ、こと座のベガ、わし座のアルタイルの3星を結んで描かれますが、
ベガは織姫でアルタイルは彦星に当たります。

古代の人たちは、夜空に思いを馳せて星々をつなげて、多彩な星座をイメージしていたのでしょうね。

壮大な宇宙から見れば、100年を生きられるか分からない、ちっぽけな私たち。
でも、私たちの命は光輝いています。
そして周りにも、いろいろな命が独自の光を放ち、それらが星座のようにつながりあっています。


最近、なぜか「調和」や「和合」という言葉をよく耳にするんですね。

光を放っている星々が、いろいろな形に見立てられて、夜空を彩る星座になるように
一人ひとりがイキイキとして、本来持っている才能を存分に発揮できるようになるために、
誰かと誰かがつながりあい、自分も全体もバランスよく調和する世界。
私は、そんなコミュニティをアシストしていきたいのです。


七夕は、いつもその年限りのイベントです。
でもコラムをお読みの皆さまの、尊い命を輝かせる機会はたくさんあります。

あなたの命が、今日もキラキラと輝く一日でありますように!

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2017年6月27日

私が不思議に思うこと

私が不思議に思うことの一つに、姉のことがあります。私の姉は私が生まれてくる前に 天に旅立ちました。

それなのに、私には助けられなかった罪の意識があるようなんです。不思議でしょうがないんです。両親から「あなたのせいよ」と言われたことはないし、姉の話をよく聞かされたわけでもありません。

特に気にとめていたわけではありませんが、最近姉のことを言われ、気持ちが必要以上に動き、自分でも不思議に思って気になりました。そして、その気持ちに何があるんだろうと思って集中してみました。やはりそこにあるのは姉を助けられなかった罪の意識のようなのです。

私の姉は生まれて間もなく腸の病気が見つかりました。腸重積という病気です。父方の祖母は看護師をしていました。恐らく医師と話をして助からない状況と分かったんだと思います。

そして祖母は父と母に助からない状況と、助からないのであれば赤ちゃんを手術して苦しめない方が良いのではということを伝えたようです。そして父も母も手術しないという選択をしたようです。

父と母はどんなに苦しい思いをしたのか、想像もつきません。ただ相当な苦しみを味わったのだと思いますし、何年もその気持ちを引きづってきたのだと思います。でも、私は両親から姉のことをよく聞かされていたわけではありません。また、口に出さないものの態度に出ていたというわけでもありません。

では何故、私の気持ちの中に姉を助けられなかった罪の意識があるのでしょう。色々考えてみましたが、恐らく両親の気が心の波動となって伝わってきたからではないかという考えにいきつきました。

私は以前、気を導く合気道というものをやっていたことがあります。それは相手の力を導くというよりは気を導くというものです。例えば相手の殴ろうとする動作の前に、気持ちが動きます。その気を導いて投げます。この経験があるので、相手の気というのが実体験として理解できているようです。私は両親の心の中にある姉を助けられなかった気持ちを感じ取っていたのではと思います。

私は祈りも波動で伝わっていくのではと思っています。そして祈りには不思議な力があるようです。うろ覚えのところもありますがこんな記事を読んだことがあります。ある医療機関に入院されている重度の癌の患者さんに祈りを捧げる患者さんのグループと、そうでないグループを20人ずつに分けて、祈りを半年続けたそうです。その結果、何もしないグループの患者さんは7割以上の方が亡くなったそうで、祈りを捧げたグループの方は2割の方が亡くなられたということを何かの記事で読んだことがあります。やはり思いというのは時空を超えていくのでしょうか。

また、子供の時のこんな理科の実験を思い出しました。同じ周波数の音叉を2つ用意し、片方だけを鳴らします。そうすると鳴らしていない音叉が次第に共鳴して音がなっていきます。子どもながらに共鳴作用の凄さを感じました。

理屈でうまく説明が出来ませんが、恐らく両親の心の中にある姉を助けられなかった気持ちが波動となって、引き継いでしまったのではと思いました。

でもそれはネガティブに受け取っていません。私が生まれる前に天国に旅立ちはしましたが、私の心の中に姉がいてくれるような気がしています。

そう思うと、私は思いというものを大切にしていきたいと思います。

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2017年6月20日

人も職場も慣れてくると・・・

6月も後半になりましたね。

6月に祝日があれば良いなと思うのは私だけでしょうか?

この4月から、新しい環境になったという方も多いのではないかと思います。

私たちが、新しい環境になれる、「適応」するのには、大体3か月ぐらいかかるそうです。

4月は緊張感でいっぱいで、5月のゴールデンウィークでほっと一息、
そして、ちょうど新しい環境になれてくるのが、この6月。

「思っていたような仕事ではなかった」
「こんなことがしたかったわけではない」

こんな風に感じていらっしゃる方もいらっしゃるかもしれませんね。

ふと、数年前にきいた言葉を思い出しました。

夫の仕事の都合で、海外のある都市に住んでいたことがあります。

その街がすごく気にいっていた私は、
ずっとこんなところに住めたら、どんなにかいいだろうと思っていました。

なので、その街にずっと住んでいるという日本人の方に、
「こんなところにずっと住めていいですね、うらやましいです」
というような話をしていました。

すると、その方は、
「1年目は、ほんとになんてすばらしい街なんだと思って大好きになる。
でも、2年目に入ると、いやなところが目についてきて、何できちゃったんだろうと思う。
そして、3年目になると、いまさら日本に帰って仕事もないだろうしな、と思ってあきらめる人が多いんですよ、
だから3年目が正念場なんですよ。
ここで、なんとなく惰性で居続けるか、それともこの街に根をはっていくか。」
というようなことを言われていたのを覚えています。

その当時の私は、「そんなものかなあ」と思って、その話はそのまま終わりました。

これは、心理学を学ぶ前のお話しなんですが、
その人のお話しは、パートナーシップのプロセスのお話しにとても似ています。

パートナーシップでも、
大好きな人とお付き合いがはじまって、相手の良いところばかりが見えるロマンスの時代、
やがて、相手のいやなところが目について、お互いに不満がでてきて、ケンカが増えるパワーストラグルの時代、
そして、けんかにつかれて、あきらめてしまうデッドゾーンの時代、というプロセスをたどるという考え方があります。

そして、もちろん、このデッドゾーンで終わりというわけではないく、
これを超えることをができると、前よりもすばらしいロマンスがやってきて、
本当の意味でのパートナーシップがとれるようになるといわれています。

このような、ロマンス→パワーストラグル→デッドゾーンのようなプロセスは、
関係性が近くなると、どんな関係性でも起こるようです。
例えば、パートナーシップはもちろん、親しい友人、職場、
そして、先程お話しした場所、街についても。

人でも、物でも、場所でも、
はじめは理想的だと思っていいところばかりがみえていても、
深くかかわればかかわるほど、色んな面がみえてくるものです。

もちろん、いい面ばかりではありません。
色んな、悪い面もみえてきます。

そういうこちらも、当初の緊張感がなくなって、
態度が変わっていることも多いのです。

でも、これが良くないかといわれれば、そういうわけでもありません。
それだけ、関係性が近くなった、親密になったからこそだといえます。

だとすれば、ここで「こんなはずではなかった」と関係性を終わらせてしまったり、
あきらめるという選択肢もあるかとおもいますが、
そのままにしておくのは、もったいないな、とも思ってしまいます。

もう一度いいところをみようとしてみる、
できるだけのことをやってみる、
信頼できる誰かに助けを求めてみる、
など、ここを超えるための方法は色々あります。

もちろん、うんざりしている時なので、あまり無理はできないとは思いますし、
期限をきめてでないと、もたないかもしれません。

でも、自分にとって、この関係性が本物かどうか知りたいと思って、
少しでも見方を変えてたり、
少しでも行動を変えてみることで、
本当にこの関係性を続けるのかどうか、みえてくることが多いのです。

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