2017年5月23日

ひとに無関心に見えちゃうわたし...

うまくいかない状況なとき、ほかの何よりも、うまくやれない自分はダメだなと感じたことはありませんか。
そうすると、悩みに自分を責める気持ちがくわわって、ほんとうに苦しくなりますよね。
そんなときカウンセリングでは、捉え方を変えるために"もしこの経験を、誰かを理解し許すため使えるなら?"という視点をもつことをオススメする場合があります。

自分で自分を許すって、なかなか難しいもの。
だからあんがい、視点を変えることが役に立ちます。
わたしたちの心は、自分を許していないときには、同じ要素をもった誰かを許すことができないのですね。
逆に、あなたが責めている誰かを理解して許すことは、自分自身を一緒に許すことにつながります。
自分を許せると、感情的には格段に楽になるんです。
状況に対しても冷静さを取り戻せるので、意外な気づきがあったり、取り組めることが増えたり、いい影響があることが多いんですね。

例えば、わたしの体験なのですが。
母校でプロカウンセラーになるための指導を受けたとき、先生からこんな指摘されたことがありました。
「キミね、基本的に無表情でしょ。なにを考えているかわからないって云われるでしょ」
「...はあ」
「その無表情はね、ひとに無関心に見えちゃうの。カウンセラーとしては大きなデメリットだからね」
この言葉、わたしには心当たりがありました。
わたしは不器用なので、一度にひとつのことしかできません。
何かに気をとられたり、緊張したり、どうしたらいいか考えていると、しぜんと顔が固まって無表情になります。
そうするととくに、わたしをよくご存じない方からみると、冷たくて近づきがたい感じを与えるらしいのです。

自分の課題を知るって大切だからね、という先生の声は愛のある温かいものでしたが、わたしは正直がーんとなりました。
だって、皆さんの癒しの役に立ちたいからカウンセラーをめざしているわけです。
カウンセラーという仕事への情熱はめっちゃあるんですよ!
なのに、ひとに無関心に見えちゃうなんて...。(-_-;)

落ち込みかけたものの、いつかのセミナーで、自分を責めるよりも捉え方を変えてなさいと教わったことを思い出しました。
わたしは、自分に尋ねてみました。
"もしこの経験を、誰かを理解し許すため使えるなら?"って。

答えは、すとんと見つかりました。
うちの父です。

うちの父は、無口で感情表現に乏しいタイプで、何を考えているのかよくわからないひとです。
基本的に仕事ばかりで家にいなかったし、大学生で実家をでてからは、年齢とともに接点が少なくなっていました。
仲は悪くないですが、遊んでもらった記憶もないし、話をする機会も少ないし、父娘間で距離があったんですね。
だからなんとなく、父は子供に関心がないんだと感じている部分がありました。
本音をいうと、父親としての愛情をあんまり与えてくれなかったって、ちょっと怒っていたのです。

でもですね、数年前に甥っ子が生まれまして。
ちょうど定年して家にいる時間が長くなった父が、なんとあっさり「イクジイ」になったのです。
相変わらず黙ってニコリともせず、でも車や電車のおもちゃを上手に動かして、甥っ子を飽きさせることなく遊ぶんですね。
わたしたち姉妹にとっては、ぽかーんとする光景です。
父は、子供と遊べるひとだったのか!!
そもそも、子供に興味があったんだ...
なんにも云わないから、知らなかったじゃないか。

わたしの父ですから、わたし以上の不器用です。
仕事が忙しくて大変な中では、余裕がなくて、子供たちに自分の想いをうまく伝えられなかったのかなと思います。
でも、伝えられないからといって、愛情や関心がないことではないんだって、今のわたしはよく分かります。
カウンセラーという仕事への情熱を、ひとにいまいち表現できないわたしも同じですから。
それにそもそも、あれだけ忙しく働いていたのは、まちがいなく家族のためだったと思います。
分かりにくいやり方ですが、それが、父の愛情の表現方法だったのでしょうね。

そこまで考えたら、気持ちがスッキリしてきたんですね。
たしかに愛情はあったんだから、分かりやすい愛情表現ができなかった父を許してあげよう。
たしかに情熱はあるんだから、ひとに無関心に見えちゃう自分を許してあげよう。
だからこそわたしは、自分の想いを表現できないもどかしい気持ちを理解してあげられる。
それに、文章を書くことなら苦にならないし。
コラムを書いて、みなさんに想いを伝えていく術もあるわけです。
どんなやり方でも伝えていけば、絶対届くだろうと思ったんですね。

いかがでしょうか。
捉え方を変えるって、結構使えると思いませんか。(笑)
捉え方がかわると新しい気づきを得て、楽にこの状況を乗り越えていくことが出来るかもしれません。
よかったら、試してみてくださいね。
みなさんの参考になれば、幸いです。(*'ω'*)

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2017年5月16日

レゴランドに学ぶ遊びの"遊び方"

今年4月、名古屋にオープンしたレゴランドへ早速行ってきました!
かつて大流行した「レゴ(LEGO)」をご存知の方も多いことでしょう。
私もレゴをみるのもさわるのも久々でしたので
「懐かしい~」と思わず口にしてしまうほどの空間でした。

さて、そのレゴランドにはアトラクションがいくつもあります。
その中の一つ、パイレーツ・ショアエリアにスプラッシュ・バトル
と呼ばれるアトラクションがあるのです。
海賊船にみたてた船に乗り航海する道中で、水鉄砲のようなものを使って
標的を撃つ、というアトラクションなんですね。
ただ単に的(まと)に水鉄砲を撃つだけではなく、外野のお客さんにも
水鉄砲を撃てるようになっているのです。
それだけではなく、外野のお客さん側にも水鉄砲が設置されており
撃ち合いができるようになっていたのです。

はじめのうちは遠慮して知らない人や子どもに外野から水鉄砲を撃つのは
ちょっと気が引けたのですが、そのアトラクションに乗ったとき
あることに気づいたのです。

自分たちが船に乗り航海する中で外野から誰も水鉄砲を撃ってくれないと
そのアトラクションがとてつもなく「つまらない」ものになったです。

私が遊びに行ったのは平日でしたのでお客さんも少なく
アトラクションは並ぶ時間もほとんどなく
同じように外野のお客さんも少なかったのです。

スプラッシュ・バトルを楽しみ切れず、他のアトラクションを回ってから
再びスプラッシュ・バトルの外野に行きました。

お客さんの乗った海賊船がやってきたとき、今度は遠慮せず思い切り
外野から水鉄砲を撃ちまくりました。
すると、船に乗った大人がキャーキャー言いながら笑っているのです。
子どもに向かって水鉄砲を撃つと一生懸命撃ち返してくれるのです。

そして、中には手を振ってくれる外国人も多数出現し、
水鉄砲の撃ち合いをみている観客さえも笑ってみているのです。

ひととおり遊び終えた頃には服がビショビショになっていました(笑)

さらには、海賊船から降りてきた外国人のお客さんに指をさされたり
手を振ってきたりしておもしろいことになってきたのです。

そこで、もう一度スプラッシュ・バトルに乗ることにしました。

休日と違って混雑のないテーマパークで並ばなくてよいという環境は
もう一度同じアトラクションを楽しみたいときには最高ですね!

今度はアトラクションの周りにお客さんも多く
外野には水鉄砲にスタンバイしているお客さんもみえました。

すると、一番最初の岩場の陰から、
先ほど私が水鉄砲を当てた外国人の女性が
今度は私を狙って水鉄砲を撃ってきました。

彼女は仕返しをしにきたのか!?と思いましたが、
こちらもひるまず水鉄砲を撃ちまくりました。

彼女も私も「キャーキャー」叫び笑いながら
私が手を振ると彼女もまた手を振り返してくれたのです。

最初は誰も相手にしてくれず楽しみ切れなかったアトラクションが
最終的には一番おもしろい思い出となって残りました。


実は、遊びには相手が必要なのです。
それがたとえ敵役だったり悪役だったりしても、です。

子どもの遊びには両極の役割があって成り立つものがあります。
ドロケイ(泥棒と刑事)(地域によってはケイドロとも呼ぶらしい)や
鬼ごっこはその代表的なものですね。

スプラッシュ・バトルと似たようなものとしては
ドッチボールや雪合戦といったものがあるでしょうか。

子どもたちはこういった遊びを通してルールやマナーを身につけたり
勝ったり負けたりする中で相手の気持ちを汲み取ったり考えたり
しているのかもしれませんね。

思いがけず、レゴランドで遊びについて学ぶ機会となりました。
なぜか、やたらと英語で話しかけてくれるクルーさんも多くて
自分が周りにどうみえているのか??と思う一日でした(笑)

大人の皆さんもときどき遊びに出掛けてみると
おもしろい発見があるかもしれませんよ。

仁和智美のプロフィールへ>>>

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2017年5月 9日

開けない紙袋たち

先日、「名古屋カウンセラーズフェスタ」というイベントがあり、7名の名古屋のカウンセラーたちが、30分ずつの講演をさせていただいたのですが、そこに参加していた、紙谷まみカウンセラーが講演中に、こんなことを言っていて、なるほどと思いました。

「自分の好きをみつけるために、クローゼットの中を見てみた」

というものです。私たちって、
「何が好きかわからない」とか
「何がしたいかわからない」って、
悩んでしまうことがあるものですが、よーく考えてみると、「わからない、わからない」と言いつつも、服を買って来て着ているし、お腹が空いたら、何かしら選んで食べているし、ヒマなら、その時間を何かで使っています。そこには、私なりの何か「好き」が隠れているのではないか、ということでした。

そして、今、一番時間を使っているものについても、着目してみるお話もされていました。
自分の「好き」をみつける、とても丁寧で繊細で、素敵な視点ですよね。

私も、カウンセリングをさせていただいていて、その方が何に一番エネルギーを使っているのかを、いろんな視点で考えることがあります。

例えば、彼との関係がうまくいっていない時、彼のことばかり考えて1日過ごしていることもありますよね。
メールを何度も打ち直しては、保存して、また読み返して、直して・・やっと送ったら送ったで、返事が遅いとか、来ないとか、来たら来たで、そっけないとか、短いとか、関係ないこと送ってきたとか・・エンドレスにぐるぐると彼とのことばかり考えてしまっている。
とにかく、彼のことに、エネルギーを使ってヘトヘトになっていることもあります。

逆に、彼との関係が、めちゃくちゃうまくいっていて、頭の中は、彼のことでいっぱい。彼以外のことは、大変おろそかになりますけど、ごめんなさーい、みたいな状態になることもあるかもしれません。

仕事があまりにも忙しくて、家のことも、パートナーとのことも、友人との約束も、何もかも後回しになってしまっている、なんてこともあるでしょう。短いスパンでそうなることもあれば、逆に長すぎて「忙しい人」という場所に定着してしまい、いろんな人とのつながりや、楽しいことから疎遠になってしまうなんてこともあります。

心が喜ぶことに夢中になっている時間は、心の赴くまま気の済むまで、それをさせてあげられるのが、大人の贅沢ですよね。満たされた心が、また新しい喜びをみつけていくでしょう。

カウンセリングにいらっしゃる方は、切羽詰まった状態という場合も多いものです。
そんな時は、まさに、エネルギーをほとんど全部、今起こっている「問題」に使っています。

私たちのエネルギーは、喜びと共にあるときは、どんどん湧いてきます。
例えば、仕事は大変だけど、すごくうまくいっている時、私たちは非常にエネルギッシュで、やる気に満ちています。考え方も前向きになりやすく、進むことに抵抗がありません。未来もうまくいくだろうと思えるのですね。

しかし、問題があり、そのことを考えざるを得ない時、日常に使うエネルギーまでも、問題に取られてしまうと、私たちは本当に、疲弊してしまいます。何をしようとしても、言えば「電池切れ」なのですから、動けない、うまく考えられない、選択も判断もできない、なんてことになります。

ましてや、この問題やこの状況を打破する、良い方法も出てこないのですね。

でも、「カウンセラーに相談してみよう」とふと思いついて、お話しする機会があると、こっち側からだけ見えていた「問題」のかたちとは違う、別の側面について聞けたりします。物事って、多面体なんですよね。光の当たるところもあれば、影になっているところもあるのです。

そして、もうひとつ、こんなこともあります。
私自身の話なのですが、まだ子どもがいなくて、仕事に趣味にと、忙しくしていた時代のことです。

私は、仕事が終わると、名古屋の地下街やデパートをぶらぶらして帰るのが好きでした。可愛い小物やアクセサリー、洋服や食器、靴やバッグも見るのも好きでした。

ある時、ふと家にある、開けもしない紙袋に気がついたのです。
それは、私が仕事帰りに買ったものでした。開けていない紙袋にいったいどんな服が入っているのか、思い出せませんでした。小さな小袋に入っているアクセサリーが、ネックレスなのかピアスなのかも思い出せないのです。

私は、好きで気に入って買ったつもりでした。たしかに手に入れるまでは、私の全エネルギーはその素敵な物たちに注がれ、夢中になっていました。でも買ってしまったら、もう興味がなくなってしまったのでした。

そんな買い物ばかりしていた時代、私は自分のことを、単なる「買い物下手」だと思っていました。
でも、今、振り返るとわかります。私は、まっすぐ家に帰るのが寂しくていやだったのです。夫は、ハードワーカー真っ最中で、午前様ばかりでしたし、結婚して住むようになった家の周りには知り合いもいませんでした。

私は、「寂しい」という大問題を抱えていたにもかかわらず、「寂しい」と夫に言えずに、少し気に入ったものを手に入れることに、エネルギーを注いでは、気を逸らしていたのです。

私の買い物の目的は、好きな物を手に入れる、ということではなく、寂しさや夫とのつながりに直面しないということだったようです。買ってしまうと、どうでもよくなったのは、つかの間ではあるけれど、大本命の問題から「気を逸らす」という目的が達成されてしまったからだったのですね。

今、エネルギーを何に注ぎ込んでいるかは、一番好きなものに夢中な時と、何かから気を逸らすための時があるようです。

でも、じゃあ、気を逸らしているから、ダメじゃないかと思う必要はありません。
なぜなら、今は、時期じゃないからかもしれないからです。

私がそうだったように、その時は、むずかしかったんです。
開けない紙袋を眺めながら、なんでだろう・・と思えたことだけでもよかった。そうあの頃の私に言ってあげられたらいいのだと思います。

そして、時期が来たら、少しずつ取り組めるものです。
プロセスというのは、私にぴったりな速度で進んでいるようですよ。

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2017年5月 2日

「当たり前」は有り難い ~たったひとことの「ありがとう」が伝えてくれるもの~

子どもが成人したら、一人前の大人として認めて、尊重してあげることはとても大切なことだと思います。
いえ、本当は成人したらではなく、ある程度大きくなったら、なるべく大人と同様に扱ってあげられるのが理想かなとは思うのですが、残念ながらそれは結構難しい事も多いようです。

さて、この春、我が家の次女が無事、大学を卒業して社会人になりました。
娘もこのご時世で、就活に苦労していたことも知っているので、親とすればなかなか感慨深いものがあります。
もちろんそれだけでなく、生まれてからのあれやこれやを思い返して、つい涙ぐみそうになったりして(笑)。
私は本当に涙もろいので、こういうとき、次女にはよく笑われるのですが、世のお父さんお母さんには私の心情をご理解していただけるのではと思います。

でもここ数年、出来るだけ子離れをしていこう、私なりに娘たちを信頼して、一人前の大人の女性として尊重していこうと、私も努力していたのですが、そのおかげかな(笑)?
最近の彼女はとてもしっかりしてきて、わが娘ながら頼もしいなと目を細める親バカ全開の私です。
そして、そんな私に呆れたような目をして「ハイハイ、わかったわかった。良かったね」と体よくあしらうのが、次女のいつものパターンなのです(笑)。


さて、そんな次女ですが、新社会人となって数日め、入社三日ほど経ったあたりのことです。
いきなり、帰宅してこう言ってくれたのです。

「今朝、朝ご飯作ってくれてありがとう。朝、早く起きてくれてありがとう」

なんと!朝6時に起きて、7時の電車に乗る為に家を出る彼女にしてみれば、「朝、早く起きて、朝ご飯を出してくれるだけでありがたい」のだそうです。

そして次の日、お弁当を作って持たせたら、お昼過ぎにLINEのメッセージが入りました。
「お弁当ありがとう。卵焼きとかめっちゃ美味しかった」

さらに夜、帰宅して晩ごはんどきには、「帰って来て夕飯出してもらえるだけでありがたい」ですって?
うわー、こんなこと言われたの初めてですよ?びっくり。

「いやいや。そんな、大したモノつくってないやん。半分は前日の残りだし......」
答える私に、「そんなことないよ、いつも本当にありがとう」と返す娘。

なんだろう、これは......?
「ありがとう」の洪水です。
いや、「洪水」というのは大袈裟かもしれませんが、でもねえ......。
だって、今までこんなにマメに、こんなにたくさん「ありがとう」を言ってもらった記憶はないからなあ。
まあ、嬉しいですけど。

母とすれば、通勤ラッシュの中、1時間以上かけて都心まで通い、フルタイムで研修を受けて来る娘は、まだ若いとはいうものの、体力的には大変だろうなとか、いろいろ思うわけです。
となると、せめて朝はご飯くらい私が作ったものを食べさせて送り出そうとか、夜、疲れて帰って来るだろうから、すぐにあったかいご飯が食べられるようにしておいてあげようとかね。
そして、職場にお弁当を持って行ってもいいということが判明したので、早速お弁当を作って持たせたところだったのです。

でもさすがに朝は早いし、あまり手の込んだものは作れないので、若い女の子のお弁当箱にしては地味な感じも時々漂いますが、それでもすごく喜んでくれるんですね。
そのうえ、「そんなに手の込んだことしなくて、全部冷凍食品でもいいよー」なんて笑って言ってくれるのですが、さすがにそれはね、ちょっと申し訳ないので、出来るだけ頑張ってみたりもしています。
ちなみに今日のお弁当には旬の苺を入れてみたりしたので、見た目がすごく可愛くなり、大満足の母です。

という感じで、そういったことの一つ一つに、感謝を示してくれたりしたわけなので、これはもう、私としては本当に嬉しいものです。
もともと、どっちかというと中身は男っぽいところがあり、普段からおおざっぱでぶっきらぼうな彼女がそんな風に言ってくれるなんて、ホントに感動したんですね。
なんていい子なんだろう、どんな素敵なお母さんが育てたのかなって、......それは私か(笑)。

と、まあ、くだらない冗談はさておき、でも、そんな風に言ってもらえると、もっと喜ばせてあげたい、頑張ってる娘のために私も頑張りたいなって思うようになります。
こう見えて私も、根がかなりの単純バカですからね(笑)。

でも、誰かが伝えるたった一言の「ありがとう」には、そんな力があるんです。


元々「ありがとう」という言葉が「有り難い」から来ていることは、ご存知の方も多いと思います。
「有り難い」は「あることが難しい」=「滅多にないこと」ですよね。
そうそうあることじゃないからこそ、それが得られる幸運に心から感謝して、そうして発する言葉だったはずなんです。

だから、私からすればそんな大したことないこと、して当たり前で、ちっとも「有り難い」ことではないと思っていたことを、娘が「有り難い」ことと思ってくれたこと、その価値を認めてくれたことが、私にはとても嬉しかったんですね。
私の方こそ、そんなに有り難がってくれてありがとう、って気持ちでした。

「当たり前」は「やって当然」ということなので、やれるのが、出来ているのが普通です。
つまり、「当たり前」は「通常」のことであり、その価値は「ゼロ」です。
でも「有り難い」ことは「通常」のことではないので、とっても価値がある。

誰かがしてくれる「当たり前」のことも、本当は全く当たり前では無いのですよね。
私たちはそれを「当たり前」と思った時点で、感謝をすることを止めているのかもしれません。

娘の「ありがとう」の言葉は、私に改めてそんなことを思い起こさせてくれました。
家族の問題が起きて、心理学やカウンセリングの世界と出会う前の私は、いろんなことを「当たり前」の一言で片づけて、ろくに感謝をして来ませんでした。
でも、本当なら、私たちの身の回りにあることはすべて「有り難い」ことであり、感謝できることはとてもたくさんあるようです。


例えば、私が子どもだった頃、私は母が家事をしてくれてもそれを当たり前だと思っていて、ちっとも感謝をして来ませんでした。
もちろん、母の日や誕生日、勤労感謝の日など、折々に感謝を伝えたことはたくさんあるけれど、次女が私に伝えてくれたように、本当の本当に心から母に感謝を伝えたことがあっただろうかと省みてみれば、「YES」とは全く言い切れない気がします。
心理学を学び始めて、母に対してはようやく葛藤が少しずつ解消されてきたように思いますし、折に触れ、感謝を伝えてはいますが、それでもまだまだ足りないなあと思うんですね。

私自身が娘たちとの間に問題を抱えていたように、私もまた、母との間に問題を抱えていました。
親子関係は悪くはなかったと思いますが、私の長女が今から7年ほど前に心の病気になった頃から、私の中に両親に対して「怒り」や、たくさんの「恨みつらみ」があることをはっきりと自覚するようになりました。
そしてそうした感情を持つことで、私は母からの愛情を拒絶し、また母を愛することをやめてしまったのだと思います。

母がしてくれたことを「親なんだから当たり前」としてしまうことは、母の愛を「ゼロ」と言ってしまうことになるのかもしれません。
でも、心からの感謝をもってそれを「有り難い」と思えたなら、私は今からでもたくさんの愛を受け取れたことになるのでしょう。
私が娘から「ありがとう」を伝えてもらって、本当に嬉しかったように、私からももっとたくさん「ありがとう」を伝えたなら、母も心から喜んでくれるはず。
偶の電話でさえも、とても嬉しそうにしてくれているのですから。


「子どもは3歳までに親の恩をすべて返している」という言葉があります。
それは、親からすれば本来、子どもは「可愛い」だけでその苦労に報いてくれるものであり、生まれて来てくれただけで「有り難い」、愛すべき存在だという意味なのでしょうね。

残念ながら、子どもたちが幼かったころに彼らにとって「いいお母さん」とは言い難かった私が、そんな風に子どもに対して思えるようになったのは、ここ数年のことです。
けれど、そのたった数年の間に、もう幼くはない娘たちを数え切れないほど「可愛い」「愛おしい」と思えたことが、本当に有難いことなのだと私は今、心から感じています。

だからきっと、私が両親のもとで育った子供時代、母も父も、私に対してそんな風に感じたことはきっとたくさんあったはずです。
そして、そのことが両親にとってどれほど幸せなことだったのかは、私自身の経験から推して知るべし、だとも。
そう――、長い時間をかけて、ようやく私もそう思えるようになったのです。
それは私にとってはとても嬉しいし、誇らしいことでもあります。

今でもまだ、「私は母に愛されていた」と私自身の心で感じることは難しいときもありますが、それでも私はこれから先、母からの愛を「無かったこと」にせず、「有り難い」ものとして受け取っていこうと思います。
娘たちを、いいお手本にして――。

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2017年4月25日

思い出は音楽と共に♪

音楽が、人の心に与える影響は、かなり大きいものがありますね。
楽しい気分の時には楽しい曲を、悲しい時には悲しい曲を聞いて、その時の感情をしっかり感じた方がスッキリするといいます。

そしてまた、音楽は生活と密着しています。
どの曲が好きとか嫌い、というだけでなく、その頃の自分を思い出してしまうのです。

私は街角やお店のBGMとして、どこからともなく聞こえてくる"ある曲"に、たまらないほどの懐かしさを感じてしまいます。
その曲とは、スピッツの「ロビンソン」。
著作権の関係で、文中ではご紹介できないのが残念ですが、私にとっての名曲です。

この曲がリリースされたのは1995年。
1995年と言えば、今から22年も前のことです。
もう、そんなに時間が経ってしまったのかと思いますが、1月に"阪神・淡路大震災"が起きた年でもありました。

この震災で、私の生まれ育った神戸の我が家も、全壊してしまいました。
誰もが今日を生きることに精一杯。
震災当初は、気持が異常に高ぶっていましたから、命があっただけでありがたいと心底思っていました。

当時、父は脳こうそくの後遺症で右半身不随になり、車いす生活でした。
母と私で父を介護する日々でしたが、父が身体不自由では避難所に行くことも出来ません。
幸い、姉の住む地域は同じ神戸でも被害が少なかったので、両親を姉のところに預けて、私は職場に近いところで別に部屋を借りることにしました。

それまでにも家を出ていた時期はありましたが、一人暮らしは初めてのことです。
適当な物件を探し、引っ越しを済ませた頃には桜の舞い散る4月になっていました。
1月に震災が起きてから、約3ヶ月。
その間の、なんと慌ただしかったこと!

平日は仕事から帰ると、炊事や洗濯。
引っ越しの後片付けもありましたから、テレビはあっても見ている暇がありません。
そこで帰宅してから、まず一番にやったのはラジオのFM放送をつけることでした。
その頃、毎日のように流れていた曲が、スピッツの「ロビンソン」だったという訳です。
ちょうど、新生活を始めたばかりの私に相応しい曲のような気がして、いつも鼻歌交じりで聞いていました。

一人暮らしは気楽ですが、当然ながら何もかも一人でやらなくてはなりません。
風邪を引いた時など、冷蔵庫に買い置きの食材もなくて、這うようにしてコンビニに買いに行ったこともあります。

平日は家と職場の往復になりがちでしたが、少し落ち着いてくると、時には仕事仲間や友達を呼んでホームパーティーも開きました。
誰からも束縛されない生活を、楽しんでいた面もあったんですよね。

そして週末になれば、両親の待つ姉の家へ半日掛かりで帰ったものでした。
何しろ、まだまだ鉄道が復旧しておらず、大きく迂回して電車やバスを乗り継ぎ、がれきの中を通り抜けていくのです。
春の陽射しがいつの間にか、汗ばむ初夏の陽射しに変わっていきました。

その頃、自宅再建の話が持ち上がりました。
父はすでに80歳を過ぎており、身体不自由でもありましたから、仮住まいのまま終わらせるわけにもいきません。
残り少ない時間を、心穏やかに終の棲家(ついのすみか)で過ごさせてあげたい思いがあったのです。

どうせ建てるのなら、父が家の中でも車いすで移動できるように、そしてまた手すりなども不足のないように、お風呂やトイレなどは介護しやすいように、一所懸命考えました。
本当は一番相談したいのは父でしたが、脳こうそくの後遺症で言語も取られていましたから、それは出来ません。
母は「あんたが良いと思うようにやってくれたら、それでかまへん。」と言います。

一つ一つの決定を、私がする必要がありました。
良く言えば任せてもらっていたのですが、その責任の重圧感はかなりのものでした。
紆余曲折を経て、義兄や従兄など、建築のことに詳しい人たちの力を借りながら、年末には何とか自宅が完成したのでした。

新しい我が家に足を踏み入れた父は、車いすから降りて、私たちが支えながら手すりを使って部屋の中を見て歩きました。
元々好奇心の強い人でしたので、2階にも上がろうとします。
一瞬、大丈夫かな?と思いましたが、何と階段を一段一段上がりきって2階の部屋も見ることが出来たんです。
その時の父の、嬉しそうな顔!

゜゚*☆゜゚

スピッツの「ロビンソン」は、1995年のレコード大賞で優秀作品賞に選ばれました。
どうやら、「ロビンソン」に勇気づけられたのは、私だけではなかったようです。

先日、この曲のイントロを久しぶりに耳にした瞬間、一気によみがえった記憶を書かせてもらいました。
ああ、そうだった・・・

22年前の、あの頃の私を褒めてやりたいと思います。

「まゆみ、よくやったね!偉かったじゃん!」

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2017年4月18日

梅酒飲んどけばいいよ

私は普段、ブログやコラムを執筆する時は、家を出て、近くのサイゼリヤに行くことが多いです。
家で執筆できないこともないのですが、家にいると猫の構って攻撃についつい乗って一緒に遊んでしまうので、知らぬ間に時間が経ってしまいます。

だから、私はカウンセリング以外の時間は、結構サイゼリヤにいることが多いです。
仲の良いカウンセラーから、「あんた電話すると、いつもサイゼリヤにいるよね!」と、よくいじられたりしています。

サイゼリヤに行く私の楽しみは、2つあります。
1つは、大好きなイタリアンハンバーグを食べること(笑)、もう1つは、執筆に疲れた時に、サイゼリヤにいる人たちの人間模様をぼんやりと眺めることです。

どんな時間帯に行っても必ずいる50代くらいの女性、口論をしていたと思ったら突然キスを始めるカップル、ドリンクバーですべての炭酸ジュースを混ぜ合わせて謎の液体を作り上げる幼稚園児、いきなり1人で大掛かりな手品を始める60代くらいの男性、などなど。

のんびりとそんな風景を見ていると、「今日もカオスだな」と思ったりします(笑)

◇◇◇

先日、私がサイゼリヤでブログを書いていると、私の横に3人組の女子大生が座りました。
ブログの執筆が一段落して、私はいつものようにぼんやりとサイゼリヤの景色を眺めていると、隣の女子大生たちの会話が聞こえてきました。

「やばい、どうしよう、超緊張してきた。。。」
「そうだよね、怖いよね」
「大丈夫だよ。なんとかなるって!」

どうやら3人の中の1人が、意中の彼と初デートに行くことになっていて、そのことを他の2人に相談している様子でした。
若い女性たちの恋バナを聞いてはいけないと思いつつも、ついついブログそっちのけで、私は彼女たちの会話を聞いてしまいました。

「何話せばいいのかな?」
「沈黙が続いたら、どうしよう。。。」

そんな彼女の不安に対して、他の女性たちもあまり恋愛経験がないらしく、「私もわかんないんだよね」という答えが続いていました。
彼女の相談はゆっくりと核心に迫っていきました。

「あと、私が一番不安なのはね、夜ご飯を一緒に食べている時に、お酒に酔ったらどうしようって思うんだけど、どうしたらいいと思う?」

彼女の質問に1人の女子大生が答えました。

「梅酒飲んどけばいいよ」

私は、心の中で「えっ!?」と思いました。
その女子大生は、自信満々に続けました。

「梅酒はアルコール度数低いから、絶対に酔っ払わないから、梅酒飲んどけばいいよ」

彼女の「梅酒は絶対に酔っ払わない論」は不思議と説得力があって、その話を聞いた他の2人は「そうなんだね」と、めちゃくちゃ納得している様子でした。
そして、私も彼女の話を聞いているうちに、梅酒って酔っ払わないんじゃないかなと思うようになりました(笑)

◇◇◇

心理的に、人は経験したことがないことをする時、強い不安を感じる傾向があると言われています。
大好きな彼との初デートは緊張するでしょうし、ましてや、それがあまり経験したことないことであるならば、不安を感じて当然だと思います。
しかし、人は不安な感情を他人に分かってもらうと、不安な気持ちは軽減したりします。

3人で考え出す結論は、時には的外れだったかもしれませんが、デートに行く友達の不安に寄り添い、何とかして問題を解決しようとする他の2人の姿勢は、とても素晴らしいものだと思いました。

「カウンセリングをする上で一番大切なことは、相手に何を言ってあげるかではなく、どれだけ相手のために親身になってあげれるかなんだ」

彼女たちを見ていると、私の師匠が何度も言っていたセリフを思い出しました。

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2017年4月11日

震災から6年...力強くいきる魂②

~こころの癒しをもたらす不思議な魂のチカラ~

東日本大震災から6年経った今なお
語り継がれている一つの話があります。

それは、震災で亡くなった方の霊が現れては
各地での目撃情報があったというものです。
震災後すぐの頃は霊が現れるなんて不謹慎だと言われて
なかなか大っぴらにされることもなかったようですが、
数年前にはテレビでも取り上げられたり
現在ではインターネット上でも話題になったりしています。

亡くなった方の霊が現れるのかどうか本当のところはさておき、
復興にあたる地元の人にとってこの「心霊体験」は
心のわだかまりが解(ほど)けていく出来事でもあったようです。

一般的には、幽霊をみる体験は怖がられたり
タブー視されがちだったりするものです。
ところが、亡くなった方の霊の話は地元で語り継がれており、
霊でもいいから会いたい、魂は生きていることが感じられる、
などと言われて全く怖がることがなかったようなのです。

まるで、今も生きているかのごとく彷徨う霊の姿は
いつもと変わらない様子で地元の人に会いに来てくれたように
ごく自然と現れているのかもしれません。


ある日突然、失われてしまった命に対して
人は現実を受け止めることが難しくなってしまいます。

昨日までいつもと変わらず会っていた人がいなくなること。
数時間前まで話をしていた人がいなくなること。
今日まで暮らしていた自宅がなくなっていること。

なぜそうなってしまったのか・・・
納得できる理由はどこにも見つからず
本当に亡くなってしまったのかさえも信じることができません。

身近な人が亡くなってしまった事実を受け止めるのには
癒やしの時間を充分にとることが必要になります。

また、同じように身近な人を亡くしてしまった人同士で
その後の生活や時間を共有すること、
あるいは気持ちを分かち合う機会をもつことは
非常に重要なことであります。

避難生活や地域の復興にかける時間のなかで
霊をみた話が仲間との共通の話題となり
亡くなった方々とこころを通わせることで
生き残ってしまったという罪悪感が癒やされ
亡くなった方の魂とともにこの先
生きていく力をもらっているのかもしれません。

こころの癒やしをもたらす不思議なチカラは
これから先の復興にも多大なる恩恵を
もたらしてくれるかもしれませんね。

一日でも早く被災地の復興が進みますよう
応援しています。
私も一緒にがんばりますね!

仁和(庭野)智美のプロフィールへ>>>

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2017年4月 4日

母からの愛

母が癌とわかったのは、二年近く前になります。父からの電話で私は、母の病気を知りました。
その当時私は、離婚し一人で生活をしており、自分自身を立て直すことで、精いっぱいでした。
自分の気持ちに、余裕が全くなく、両親にたいしては、遅れてきた反抗期真っ盛りで、私は両親とは連絡を、絶っている、そのような状態でした。
そんな私に対して、両親は心配、憤りもあったことでしょう、しかし両親から私への、連絡は殆どありませんでした。
その中での父からの電話は、母の癌発覚のものでした。父からの電話を切った後の、私の恐怖を感じた心は、昨日のことのように覚えています。
母の癌の知らせは、実家から遠ざかっていた私が、実家に戻るきっかけとなりました。
それほど、母の病気は私にとって、大きな出来事でした。
母の病気は決して、私には良い知らせではありませんでした。
しかし私が実家に、帰るきっかけを、私に勇気を、いやチャンスを神様がくれたように感じました。
もしかしたら、母が私に与えてくれた、愛だったのかもしれません。
母は、久しぶりにあった私を、いつものように「お帰り」と迎えてくれました。

そして1年前の、2回目の癌発覚の知らせは、母親からでした。
ちょうど私と旦那さんが、復縁しようかと話が出ていたときです。
その時の私は、母からの電話に、物凄く怒っていました。
母が私に言った言葉、、、
「一人にしないでくれ、早苗しかいなんだよ。。。」
とっても重たくて嫌な気持ちでしたね。
「私はあなたの旦那じゃないんだよ、お父さんに甘えて!」
と電話口で激怒したことを覚えています。
母に暴言を吐いた自分ですが、不思議と母に対する罪の意識は、ありませんでした。
それよりも、やっと口に出して、母に本音を言えた、という気持ちの方が大きかったです。
人は信頼しているからこそ、本音が言えるのではないでしょうか?
受け止めてもらえる、安心感があるからこそ、本音を言えるのかもしれませんね。
私は、母に本音を言えたということは、母が私を受け止めてくれた気持ちが、心の奥底であったのかもしれません。

そして3回目の癌発覚は昨年末でした。
2回目の癌発覚の時に、母に本音を言えるようになってから、私の癒しは促進されていきました。
母に本音を言えた気持ちが、私の癒しの促進に、なっていたのかもしれません。
久しぶりにあった母から「こんなになるまで自分をほっておいて」なんて言われても、母は寂しいだけなんだなと、思える自分がいました。
あれほど、嫌悪していた母の、攻撃を受け入れることができるなんて、人として成熟した、自分にびっくりでした。

年明けに祖母の1周忌がありました。実家に親戚の人たちが集まって、お茶を飲んだりします。
私が実家についてみると、近所の方々が、親戚の人にお茶を、出してくれていたんです。
病気の母の代わりにと、母が大変だろうという、思いから近所の方が手伝いに来てくれていました。 
話を聞くと、近所の両親の友達が、毎日のように両親の元に、お茶を飲みに、来ていることがわかりました。
そして、家事が大変だろうと、ちょっとしたおかずも毎日のように、両親に誰かが、届けてくれていたのでした。
そして、そのような友人がいる両親を、私は心から嬉しく思い、幸せを感じたんです。
「あーこの両親の元に生まれてよかった。こんなにも周りから愛されている両親で良かった。そして私はその娘で良かった。」
そして今まで、母が私にしてくれた数々の出来事が、思い浮かびました。
今まで当たり前に感じていたことが、当たり前ではなく母への感謝の気持ちになりました。
母の一日は、家族の中で、朝一番に起きて、私達家族のための朝食作りから始まっていました。
そして掃除、洗濯をしてフルタイムの仕事に出勤していきます。
そんな忙しい中、学校の行事にも、必ず参加してくれていました。
私の運動会の時は、私の大好きな太巻きを、母はいつも作ってくれました。
太巻きの話を、職場の同僚にすると「うちの母は、太巻きは一度も作ってくれなかったよ、優しいお母さんだね」なんて言われました。
寒い朝、アツアツのお味噌汁を、いつも作ってくれていました。そのお味噌汁は、体だけでなく、心まで温かくなるものでした。
特に、豆腐に刻んだ長ネギを、さっと入れたお味噌汁は、ネギの香りとともに、とっても美味しかったですよ。
そして最近母に、電話をよく私がかけますが、「無理しないように」と常に気遣ってくれます。
病気で辛いのは母なのに、娘の私を気遣ってくれる、私は、物凄く心が温かくなります。

母はとっても、愛情深くて、優しい女性なんだなと思いました。

母は3月9日に永眠しました。眠るような最期で、自宅に帰ってきた、母の顔は今にも起きそうな、穏やかな顔をしています。
母の人生を振り返り、母が幸せな人生であるかを、決めるのは母ですが、母の娘で良かったと思えることを、判断するのは私です。
私は今、母の娘でほんとに幸せだなと心から思えます。

「おかあちゃんの娘で良かった、私は幸せだよ!」

私にとって、母の病気は、母からの愛を、溢れるほどの愛を、与えてもらえるものになりました。
物理的に母と話をすることは、出来ませんが、姿はなくとも私のすぐそばに、母がいるような、見守ってくれているような気がします。
つながりや、愛とはそういう事なのかもしれませんね。


最後までお読みくださりありがとうございました。

高塚早苗のプロフィールへ>>>

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2017年3月28日

春の変化

3月も終わりですね。
春という季節は、寒い冬から暖かくなってきて、うきうきと楽しいものでもありますが、年度が変わり、卒業、入学、引越しや異動など、とにかく変化があちこちで起こる、そんな季節でもあります。

すると、うきうきと楽しいばかりではない「春」を経験する方もみえるかもしれません。
また、これまで何度か過ごしてきた「春」の中には、苦いものもあるのは、珍しいことではないかもしれませんね。

私の過ごしてきた「春」の中にも、そんな思い出深い「春」があります。
それは、私自身に起こった変化ではありませんでした。周りの変化についていけなかったというのが、本当のところでしょう。

就職して、2年目の春のことです。私の会社にも新入社員がたくさん入社してきました。例年よりも多かったようです。更衣室は、新入社員でいっぱいになりました。社会に出たばかりで、テンションの高い彼女たちが、普通にお喋りしているだけで大音量です。もともといた社員が小さくなって着替えるような感じでした。

会社の雰囲気も、なんだか全然違いました。浮足立つようで、ざわざわと落ち着きません。
通勤電車も、4月は、すごい混みようです。慣れない新入社員や学生でいっぱい。これもまた、落ち着かないものでした。

月曜日のことをブルーマンデーなどと言いますが、その頃の私は、ブルーどころではないくらい、週末が明けた月曜日は気が重いものでした。思うことはひとつ。

「ああ、またあの混沌とした中で過ごすのか。」

月曜日が、雨だと必ず起こることがありました。
電車で貧血が起こってしまうのです。ふた駅前から乗ってくる友達が、いつも私の前に座っていて、彼女によく席を譲ってもらったものでした。

病院に行くと、自律神経失調症と言われました。
「何か、生活が大きく変化したこととか、ありますか?」
と先生に聞かれて、はたと気づいた、その「春」のさまざまな変化。

私自身が異動になったわけでも、入社したわけでもなかったんです。
それなのに、まるで当事者のように、変化の波に飲み込まれてしまい、心も身体も対処できなかったようでした。
変化というのは、自らが起こすものもあれば、この時の私のように、周りからの影響を受けるという場合もあって、知らず知らずのうちに大きなダメージになっていたりするもののようです。

私自身、周りから影響を受けるタイプどころか、大雑把なタイプでしたし、だいたいのことは、大丈夫ぅーと受け止めるようなところがありました。ですので、この時のことは、わたしの中では、非常に衝撃的な出来事でした。

そんな私はというと、その後、そういった症状はすぐ治まっていったのですが、その時の心理が、なかなか興味深いのでご紹介しておこうと思います。いち個人の体験談としてお読みいただけたらと思います。

病院では、雨の月曜の朝に、電車で倒れる私にお薬が出されました。
白い薬の袋を眺めながら、私は、先生の「変化」という言葉を思い出しました。

新入生がたくさん入ってきて雰囲気が変化しただけなのに、
4月の電車がとっても混んでいるというだけなのに、
月曜日というだけなのに、
雨が降っているだけなのに、

私はこんなにも、ダメージを受けていたなんて。
倒れちゃうほど。

なんでもないとやり過ごしてきたつもりでいた自分が、なんだか可笑しくなってきました。自分のことを「可哀想」と思うことも、「ダメなやつだ」と思うこともできたかもしれませんが、その時の私は、いろんなあたりまえのものから、ものすごく影響を受けていて、それを「なんでもないこと」だと、なんとかやり過ごそうとしていた自分のことを、「なんて一生懸命で、健気なんだ」と思い至ったのでした。

「こんなにがんばってたんだ、私」と、がんばっていた自分をみつけてあげたら、気が済んだような気分になったのです。

その後、朝の電車は5月のゴールデンウィーク辺りになると、学生が減り、空いてきました。賑わっていた新入社員も、だんだん落ち着いてきたのと、私自身も慣れてきたことで、新しい風景ではなくなりました。なんだかわからない塊のようになっていた新入社員ですが、そのひとりひとりと知り合っていくことで、未知の塊ではなくなっていきました。

新しい知らないものから、知っている慣れたものへと「変化」したようです。

この春、いろんな「変化」を体験される方もたくさんいらっしゃると思います。多かれ少なかれ私たちは、絶えずお互いに、影響を与えたり、受けたりして生きています。よい影響もあれば、ダメージになることもあるでしょう。
疲れてしまったり、放り出したくなる時もあるかもしれません。
いきなり身体に症状が出て、びっくりすることもあるでしょう。

周りのいろんなものに、折り合いをつけようとしていた自分を褒めてあげるところです。
お休みや、ご褒美をあげてください。

次には、よい「変化」がやってきますよ。

池尾千里のプロフィールへ>>>

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2017年3月21日

国会議事堂を見学した話

映画好きつながりのお友達から「国会議事堂の見学に行きませんか」と誘ってもらったのは年明けすぐのころ。

「紙谷さんて、めちゃめちゃシンゴジラ好きでしょう」
「あれ、なんでバレたんですかね」
「つぶやき見てればわかります。今度、シンゴジラ好き集めて関係地点をうろうろする予定なんですが、紙谷さんも東京遊びに来ませんか」
「国会議事堂?内部に入れるんです?」
「見学コースがあるんですよ。官邸・内閣官房周辺を歩いて、国会議事堂を見学して、科学技術館でご飯する企画なんです。
 議事堂内は映画には出てこないけど、矢口蘭堂(主人公。職業:副官房長官)の職場だし、なかなか個人で見学する機会なんてないでしょう」
「行きます」

と、いうわけで。
快晴の一月末、わたしは国会議事堂裏口前にいました。

公式本を抱えたシンゴジラ好きの集団は、そこから見える景色を指でなぞって

「再上陸したゴジラが熱線吐いたとき、官邸と国会議事堂は破壊されたんですよね」
「外務省は壊れて、警察省はぎりぎり残ったってセリフがあるので」
「じゃ、ここからこう。真っすぐカアアッと」
「そうですね。そのまま、こっちの方向に進んで東京駅で停止したんですね。
 ちなみ皇居の向こうにある科学技術館屋上が、ラストシーンのロケ地です」
「ほー」

と、ひそひそ語りあいます。

見学開始を待ちながら、わたしはワクワクした気持ちを噛み締めていました。

癒しに取り組みはじめて大きく変わったことのひとつがフットワークの軽さです。
もともとは重度の出不精だったのですが、癒しが進んだいまでは、面白そうだな!と感じたときにはサラリと動けるようになりました。
無意識に禁止していた"楽しむこと"を自分に許可したぶん、"楽しむこと"に敏感になり能動的になったのですね。

見学を開始しまーす、との警備員さんの呼ぶ声に慌てて通路に並びます。
議事堂内は暗いらしく、足元に気をつけるように注意を受けて見学が始まりました。

赤絨毯。階段の木製の手すり。
本当に暗い廊下を抜けたさきに、深緑のクッションが貼られた椅子がならぶ部屋に入ります。
衆議院議場です。

「すごい...」
「ホンモノだ...。国会中継で観たことある...」
「意外と狭い...」

思わず、ため息が出るわたしたち。

議場の天井はイギリス製のステンドグラスが貼られていて、磨り硝子越しの柔らかい光が手もとに落ちてきます。

「議場内もけっこう暗い。これは、気持ちとしては眠くなるの分かる」
「矢口先生は寝ないでしょう。泉先生は寝てそう」(映画の登場人物)
「赤坂先生は上手に寝そう」(映画の登場人物)

現実と虚構の入り混じった会話を交わしながら、警備員さんの後に着いて赤絨毯の階段を上がります。
急に視界がひらける場所にでると、警備員さんは、こちらが中央広間です、と言って吹き抜けの天井を指さしました。

「四隅をご覧ください。春夏秋冬の日本の四季を描いた油絵があり...」

正直、政治も歴史も建築も詳しくないわたしは、国会議事堂がこんなに美しい建物であることを知りませんでした。
派手過ぎず素朴過ぎない品のあるデザイン。
ここに国の中枢があるのだという見えない重みを感じながら、ぽかんと広間を見渡します。

「現在は立ち入り禁止になっていますが、この天井の上の7階はダンスホールになっています。
 数あるエレベーターの中で、このダンスホールに通じているエレベーターは一機だけです」

ダ、ダンスホール!!

ぴくっと背筋を伸ばすと、同じくぴくっと顔を挙げた仲間と目が合いました。
この辺りが、創作を愛するひとたちの集まりで。
浪漫の匂いに敏感だなあ、と他人事のように可笑しくなりました。

見学終了後に、ダビデの星の散る科学技術館でご飯にしつつ、スマートフォンでおめあての画像を探して頭を寄せ合います。

「ダンスホールの画像ありましたよ。数年前にマスコミに公開されたことがあるみたいです」
「マジですか、どれ?」
「おおお、本当にダンスホールだ。しかも中央の螺旋階段がある。カッコイイ!!」
「良いことを知れて嬉しい。いや、国会議事堂の7階にダンスホールがあることを知ったからといって、日々の生活に役に立つわけじゃないんだけど」
「でも、ダンスホールの存在を知っている人生と知らない人生なら、知っている人生のほうが何となく豊かじゃないですか」

詭弁を言いながら小さな画面を覗いて、あ、自由だ、とわたしは思いました。
知らないものを知ったとき、美しいものを目の当たりにしたとき、わたしは心の底から湧き上がるような自由を感じます。
世界の広さや奥行きの深さの一端に触れることで、自分を縛る窮屈な観念がゆるむからです。

それにはやっぱり、動くことって大事ですね。
おっくうがらずに日常からぬけだしてみてはじめて出会えるものがあるんだなあと、
そんなことを改めて再確認したひと時でした。

読んでくださってありがとうございました。

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