私は私でいいと言える人生へ
そのためには「私は私」として生きる決意が必要です。癒着を手放した先にある、自由と心のあたたかさを見つめます。
◆母のために生きてきた私
「母をがっかりさせたくなかった」
「母が笑ってくれるように生きてきた」
気づけば、自分の選択のすべてが「母の反応」を軸に回っていた。
そんなふうに感じることはありませんか?
母を大切に思う気持ちそのものは、とても尊いものです。けれど、もしそれが「自分の気持ちを押し殺してでも母に合わせる」という形になっているとしたら、それは母のためではなく、自分の自由を差し出すことになってしまいます。
癒着とは、母との距離が“近すぎて境界があいまい”な状態。心の中に、母の価値観がしみ込んでいて、「私はどうしたい?」ではなく「お母さんが喜ぶのはどれだろう?」と無意識に考えてしまう。
それは、生きづらさや息苦しさの原因になりやすいのです。でも、そこに気づいたあなたは、すでに大きな一歩を踏み出しています。
気づくことでようやく、自分の人生に自分を立たせる準備が始まります。
◆自分の気持ちを基準にしていい
母の期待に応えることが愛だった。
「いい子」として生きることが安心につながっていた。
そうやってがんばってきた自分はけなげで、よくやってきたと思います。でも、大人になった今、少しずつ「自分の基準」で物事を選び始めてもいいのです。
最初は、「自分の気持ちって何?」「本音ってどれ?」と戸惑うかもしれません。でも、大丈夫。少しずつでいいのです。
たとえば、今日の予定を「本当はどうしたい?」と考えてみる。食べたいもの、行きたい場所、話したい人。小さな選択のなかに、自分の感覚を取り戻すヒントがたくさんあります。
母がどう思うかよりも、「私は何を感じているか」を大切にすること。それが、“私の人生”を生きることのスタートになります。
この「私基準」に戻るプロセスでは、心の中で母の声が何度もよぎるかもしれません。「そんなの、わがままなんじゃない?」「ちゃんとしなきゃダメよ」と。
そのたびに、あなたはやさしく自分に言ってあげてください。「私は、私のままでいていい」「私は、もうがんばりすぎなくていい」と。
◆自立とは、冷たくなることじゃない
「母から離れる=冷たくなる」
そんなふうに感じている方も多いかもしれません。
けれど、自立とは母を突き放すことではありません。母と自分を分けて、「お互いがそれぞれの人生を生きている」と認め合うことです。
癒着の関係にあるときは、母の感情に自分が巻き込まれやすくなります。母が元気だと安心し、母が不機嫌だと自分まで落ち込んでしまう。まるで“感情がつながりすぎている”ような状態です。
この状態から抜け出すには、感情の境界線をはっきりさせる必要があります。たとえば、母が悲しそうにしていても、「私が責任を負う必要はない」と心でつぶやいてみる。母の話を聞いていても、必要以上に抱え込まないようにする。
そうした心の距離が、少しずつ「私」を守ってくれるようになります。そして不思議なことに、自分を守れるようになると、母との関係も穏やかになっていくことが多いのです。無理して合わせていたときよりも、素直に接することができるようになるからです。
母と健全な距離が取れるようになることで、母の側も“娘に依存しすぎない”関係に自然と変わっていくケースもあります。一見、離れていくように見えるそのプロセスは、むしろ新しい関係を育てるきっかけになるのです。
◆私は私でいいと言える人生へ
「私は私の人生を生きていい」
この言葉を自分に許すことは、とても大きな意味を持っています。
母の価値観や期待からそっと距離を取り、「私はどう感じる?」「私は何を望んでいる?」と自分に問いかけること。それは、誰かに許可をもらう必要のない、大人の女性としての自立の証です。
自分の幸せを自分で選ぶ。誰かの評価より、自分の気持ちに誠実である。たとえ母が納得してくれなかったとしても、「私はこれでいい」と言える自分になる。
その姿こそが、本当の意味で母を安心させる“娘の成熟した姿”なのかもしれません。
あるクライアントさんはこう言いました。「母のために生きていた私が、自分のために選びはじめたとき、ようやく人生が色づきはじめた気がしました」と。その一歩は、恐れもあるけれど、同時にとてもあたたかく、誇らしいものでした。
母子癒着を手放すというのは、母を嫌うことでも否定することでもなく、「母を思いやるように、自分を思いやる」そんな生き方にシフトしていくことなのです。あなたにも、その力があります。
これまで誰かのためにがんばってきたあなたへ。
これからは、自分のためにやさしく生きてみませんか?
私は、あなたのその一歩を心から応援しています。
(完)