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2017年2月21日

『「大切な人の障害や病気」に「ショックや絶望」を感じるのは「深い愛」が隠れているから』 那賀まき

最近、年下の友達が出産することが重なっています。フェイスブックなどにアップされている「赤ちゃん」の写真を見ると、わが子が赤ん坊だった頃のことを思い出します。

思い出すのは赤ん坊だった息子のかわいいしぐさや表情ばかりなのですが、友人たちの「初めての子育て」での奮闘ぶりや、不安な気持ちが書かれた文章を読むと、「あぁ、わたしもそうだったよなぁ・・」と、普段はすっかり忘れてしまっている「不安でいっぱいだった頃」の気持ちや出来事が思い出されます。

24時間以上かかった出産で、体力を消耗したのでしょうか?息子は、体は大きく生まれたのですが、産声を発するまでに少し時間がかかったうえ、数時間ではありますが保育器で過ごしました。

「保育器に入る」と聞いて、わたしが真っ先に思ったのは、
「わたしが上手に生んであげられなかったから、弱らせてしまったんだ。お母さんなのに・・、息子をそんな目にあわせるなんて情けない。」ということでした。

1か月検診で、先天性の心臓疾患が見つかったときには
「生まれるのに時間がかかりすぎて、本来なら生まれたときにちゃんとふさがるはずの心臓の穴がふさがらなかったんだ・・。お母さんのせいで、ごめんなさい」と思いました。
(実際にそうかどうかはわからないのですが、その当時「赤ちゃんの心臓はお腹の中に居るときには小さな穴が残っていて、生まれて産声を上げたときに、その穴もふさがるらしい」という話を聞いたことがあったので、こんなふうに思ってしまったんです。)

日々の生活の中でも、赤ちゃんが泣いている原因がわからないときや上手にあやせないとき、「お母さんなのに・・」「ダメなお母さんでごめんなさい。」と感じていました。

息子になにかあれば、全部自分のせいのように思っていたんですね。

そんな心理状態だった私にとって「心臓疾患の告知」や「手術の必要性の説明」は、自分の無力感で打ちのめされる出来事でした。

母親である自分ががんばってなんとかなることなら、頑張ればいい。でも、心臓の穴は、わたしにはふさぐこともできないし、息子の代わりになることもできません。どんなに小さくても、手術を受けるのは息子なのです。

どんなに大切でも、いとおしくても、息子の感じる苦しみや痛みは息子のもので、母親だからといって交代することはできない。そう思えば思うほど、「ちゃんと生んであげられなかった」と自分を責め続けました。

当時のわたしと同じように子どもに何かあれば、「自分のせいだ」と自分を責めてしまうお母さんは多いのではないかと思います。

心理学を学んで気がついたこと。
それは、「自分のせいだ」と責める気持ちと同じくらい、「この子が大切だ」と思う気持ちがある、ということでした。

「大切なわが子」なのに、その子がつらい思いをする、だなんて耐えられない!!
「大切なわが子」にそんな思いをさせてしまう自分はなんて非力で無力でちっぽけな存在なのか・・。そう感じてしまうのは、「大切だからこそ、無力な自分が許せない」からなのです。

このことに気づいたとき、わたしにとっての「長年の謎」が解けました。

わたしにとっての「長年の謎」というのは、「わが子に障害がある、と知った時、どうして両親は絶望するんだろう?障害があるということは、両親を絶望させるほど『悪いこと』なんだろうか?」ということでした。

知的な障害を持つ妹とともに育った私にとって、「障害がある」ことは特別なことではなかったのだと思います。もちろん、その障害のために「理不尽な仕打ち」や「差別」に苦しみ、悲しみ、怒る妹を身近に見てきた分、社会に対する「怒り」は人一倍感じてきたのですが、それと同時に、わたしにはない「心の美しさ」を持った妹に嫉妬をしたこともあるし、妹の人生を、すぐそばで見ていた分、「なんとかなるよ」と思えていたんですね。

だから、絶望する両親の姿を見るたびに、「そんなに絶望しなくてもいいんじゃない?」と思っていたし、「障害を持っていたら、愛せないの?」とも思っていました。

両親の絶望は、
自分たちの望んでいた子どもではない、という絶望
こんな子供がほしかったわけじゃない、という絶望
そんなふうに思い込んでもいたのです。

でも・・・。
そういう問題じゃなかったんだな・・とわかったんです。

大切でいとおしい存在だから、「この子を幸せに育てられるんだろうか?」と不安になるんですよね。かわいくて大事だから、「どんなにちいさな傷」であっても、「けがなんてしてほしくない」「痛い思いなんてさせたくない」と思うんですよね。

それほど大切でいとおしい存在の「わが子」なのに、親である自分たちの力が及ばないレベルで「わが子が苦しむかもしれない」という現実を突きつけられたら・・。
そして、そんなわが子を「どう支え、どう育てたらいいかわからない」と感じたら・・・
目の前が真っ暗になるほどの絶望感を感じるんじゃないでしょうか?

幸せにしてあげたいのに・・・
どんな苦労もさせたくないのに・・

障害や病気があるから「その子を愛せない」と思っているのではなくて、「かわいくて、いとおしいからこそ、その悲しみも大きいのだ」ということにやっと気づけたんです。

絶望せずにはいられないほどの「深くて大きな愛」。

もし、あなたが誰かのことを「愛することができない」と悩んでいるのなら、あなたは、どれほど「人を愛したい」と願っている人なのでしょうか?

そんな「優しいあなた」に、穏やかな時間が訪れますように・・。

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投稿者 cseditor : 2017年2月21日 00:00

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