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2017年2月28日

愛を受け取りませんか?

 「離婚届けにサインして!」

 半ば強制的に旦那さんに言い渡し、私が勝手に家を出ていってから、4年の月日が経ちました。


そして今、私達夫婦は再婚し、とても仲の良い夫婦となっております。(同じ方と再婚です)

それは私が、愛を受け取れるように、なったからだと思います。

今日は、私が愛を受け取れるようになるまでの、お話しをさせていただきます。


まず、 最初に我が家の話を少しさせてくだい。

 私の祖母は、私からみると、家族の問題児のような女性でした。
嫉妬深くて、執念深い、そして嫌味なところが私はすごく嫌いでした。

勿論、それは私の勝手な思いこみからの、祖母の姿です。


皆さんの中にも苦手な人っていますか?「あーはなりたくないな」って思う方とかね。


そこには私の罪悪感がありました。幼い私には大好きな両親や祖父が、
祖母のせいで、辛い思いをしているように見えたのです。


余りにも幼すぎた私は、大好きな祖父や両親を、助けることが出来ずにいる
辛すぎる自分の感情から、祖母が悪いからなんだと、思いこんでしまいました。

無論、それは私が勝手に作り上げた、祖母が加害者で、私が被害者でいる物語でしかありません。
 

私は、罪悪感の気持ちでいっぱいでした。

 罪悪感という感情は、自分は罰せられるにふさわしい、という思いから、
幸せになってはいけない、という思いに至るようです。

故に私は、人からの愛を、受け取ることを完全に拒否していました。
だって私は、幸せになってはいけないから、、、、


 そしてもう一つ、私は勝手な自分の思いこみがありました。
私の思うような形の愛ではないから、「その愛はいりません」とも思っていました。

皆さんはどうですか?自分の思うような形の愛でなくても、その愛を受け取れていますか?


 私が誰かと話をしていて、「そうなの、大変ね」と私の気持ちをわかって欲しいのに、
全く違うことを言われ、なんか嫌だなもうこの人とは、話したくないなと思ったりしていました。

その人はその人なりに、私の事を思って、話してくれているのに私は、
その人の気持ちを、その人の愛を、全く理解しようとはしませんでした。


 そんな私ですから、旦那さんとは、「私は悪くない」という、正しさの闘いを、日々繰り広げていたのです。

「今忙しいのに何故、家事手伝ってくれないの?」「子育てにもっと協力してよ」等
自分の思い通りに動いてくれない、私の思うような愛をくれない、旦那さんに私の不満は、募るばかりでした。


挙句に離婚までしてしまったのです。


 皆さんも「自分は悪くない」という、正しさの闘いってすることは、ありませんか?
この闘いって、恋愛に限らず、人間関係でよくありがちかもしれませんね。

そして自分の思うような愛の形ではないので、「そんな愛はいりません」と思ったりしていませんか?


今となってみると、旦那さんは仕事で疲れて、家でくつろいでいるだけだと、わかるのですが、当時の私は
「私のお願いを、旦那さんは聞いてくれない」「私の思うような愛をくれない」と、物凄く怒っていました。


日々の漠然とした生きづらさから、私はカウンセリングや、心理学のセミナーを、受けるようになりました。
そこでいかに、当時私がどれだけ、自分を責めていたのか、自分自身を大切に出来ていないのか、ということに気づかされたのです。


私は自分自身を、徹底的に癒すことに、専念することにしました。

だって今まで私がいた場所は、愛とは全く無縁の、孤独でとてもさみしい世界でしたから、もうそこの場所からは、卒業したかったのです。

自分が被害者でいる、物語からの脱出です。


自分を癒していくと、罪悪感という感情が軽減され、自分を大切にできるようになり、「私、幸せになってもいいんだ」と
思えるように、少しずつなっていきました。


 心理学の先生が、よく話されていることがあります。

「自分の欲しい感情は人に与えるといいですよ。そして与えれば与えるほど大きな愛の人になります。」

私の一番欲しい感情は、「自分をわかって欲しい」ことでした。
ですから私は色々な人を理解しよう、わかろうと思ったのです。

色んな人を理解しようと、意識して日々過ごしていくと、私に沢山の人が、愛を送ってくれていることに、気が付きました。

それは同僚だったり、家族だったり、友達だったり、それはもう沢山の人達です。


 私が勝手に嫌っていた、祖母も愛を送ってくれていた事に、気がつきました。
私が幼い頃に、一緒に写っていた写真の祖母は、満面の笑みでしたし、私が落ち込んでいる時も祖母は「頑張れ」なんて励ましてくれていたんですね。


全ては私が、「愛をいりません」と、みんなからの愛を、拒否していたのです。


 自分の癒しが進み、今まで皆からの、愛を受けとれていない事に、気づいた私は、
旦那さんと話し合いを、することにしたのです。


それは旦那さんの言動を、振り返った時に、旦那さんも沢山の愛を送ってくれていた事に、気づいたからです。
旦那さんは、言葉で私を労うことは、あまりありませんでしたが、私に対する不満の言葉もなく、穏やかに毎日いてくれていました。


そして優しい旦那さんは、私と会うことに快くOKしてくれました。


そこから旦那さんとは、どんどん愛が深まり復縁する事になったのです。
快く今の私を受け入れてくれた、旦那さんに感謝しかありません。


 自分が被害者でいる、世界から抜け出したいという強い思い、そして自分の思うような、愛の形ではなくてもいいので
、愛を受け取ろうと思うことが、幸せなパートナーシップを築く、一番の近道のように私自身は思います。

もしかしたらそれは、人間関係全般にも、いえることかもしれませんね。


最後までお読みくださりありがとうございました。

高塚早苗のプロフィールへ>>>

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2017年2月21日

「大切な人の障害や病気」に「ショックや絶望」を感じるのは「深い愛」が隠れているから

最近、年下の友達が出産することが重なっています。フェイスブックなどにアップされている「赤ちゃん」の写真を見ると、わが子が赤ん坊だった頃のことを思い出します。

思い出すのは赤ん坊だった息子のかわいいしぐさや表情ばかりなのですが、友人たちの「初めての子育て」での奮闘ぶりや、不安な気持ちが書かれた文章を読むと、「あぁ、わたしもそうだったよなぁ・・」と、普段はすっかり忘れてしまっている「不安でいっぱいだった頃」の気持ちや出来事が思い出されます。

24時間以上かかった出産で、体力を消耗したのでしょうか?息子は、体は大きく生まれたのですが、産声を発するまでに少し時間がかかったうえ、数時間ではありますが保育器で過ごしました。

「保育器に入る」と聞いて、わたしが真っ先に思ったのは、
「わたしが上手に生んであげられなかったから、弱らせてしまったんだ。お母さんなのに・・、息子をそんな目にあわせるなんて情けない。」ということでした。

1か月検診で、先天性の心臓疾患が見つかったときには
「生まれるのに時間がかかりすぎて、本来なら生まれたときにちゃんとふさがるはずの心臓の穴がふさがらなかったんだ・・。お母さんのせいで、ごめんなさい」と思いました。
(実際にそうかどうかはわからないのですが、その当時「赤ちゃんの心臓はお腹の中に居るときには小さな穴が残っていて、生まれて産声を上げたときに、その穴もふさがるらしい」という話を聞いたことがあったので、こんなふうに思ってしまったんです。)

日々の生活の中でも、赤ちゃんが泣いている原因がわからないときや上手にあやせないとき、「お母さんなのに・・」「ダメなお母さんでごめんなさい。」と感じていました。

息子になにかあれば、全部自分のせいのように思っていたんですね。

そんな心理状態だった私にとって「心臓疾患の告知」や「手術の必要性の説明」は、自分の無力感で打ちのめされる出来事でした。

母親である自分ががんばってなんとかなることなら、頑張ればいい。でも、心臓の穴は、わたしにはふさぐこともできないし、息子の代わりになることもできません。どんなに小さくても、手術を受けるのは息子なのです。

どんなに大切でも、いとおしくても、息子の感じる苦しみや痛みは息子のもので、母親だからといって交代することはできない。そう思えば思うほど、「ちゃんと生んであげられなかった」と自分を責め続けました。

当時のわたしと同じように子どもに何かあれば、「自分のせいだ」と自分を責めてしまうお母さんは多いのではないかと思います。

心理学を学んで気がついたこと。
それは、「自分のせいだ」と責める気持ちと同じくらい、「この子が大切だ」と思う気持ちがある、ということでした。

「大切なわが子」なのに、その子がつらい思いをする、だなんて耐えられない!!
「大切なわが子」にそんな思いをさせてしまう自分はなんて非力で無力でちっぽけな存在なのか・・。そう感じてしまうのは、「大切だからこそ、無力な自分が許せない」からなのです。

このことに気づいたとき、わたしにとっての「長年の謎」が解けました。

わたしにとっての「長年の謎」というのは、「わが子に障害がある、と知った時、どうして両親は絶望するんだろう?障害があるということは、両親を絶望させるほど『悪いこと』なんだろうか?」ということでした。

知的な障害を持つ妹とともに育った私にとって、「障害がある」ことは特別なことではなかったのだと思います。もちろん、その障害のために「理不尽な仕打ち」や「差別」に苦しみ、悲しみ、怒る妹を身近に見てきた分、社会に対する「怒り」は人一倍感じてきたのですが、それと同時に、わたしにはない「心の美しさ」を持った妹に嫉妬をしたこともあるし、妹の人生を、すぐそばで見ていた分、「なんとかなるよ」と思えていたんですね。

だから、絶望する両親の姿を見るたびに、「そんなに絶望しなくてもいいんじゃない?」と思っていたし、「障害を持っていたら、愛せないの?」とも思っていました。

両親の絶望は、
自分たちの望んでいた子どもではない、という絶望
こんな子供がほしかったわけじゃない、という絶望
そんなふうに思い込んでもいたのです。

でも・・・。
そういう問題じゃなかったんだな・・とわかったんです。

大切でいとおしい存在だから、「この子を幸せに育てられるんだろうか?」と不安になるんですよね。かわいくて大事だから、「どんなにちいさな傷」であっても、「けがなんてしてほしくない」「痛い思いなんてさせたくない」と思うんですよね。

それほど大切でいとおしい存在の「わが子」なのに、親である自分たちの力が及ばないレベルで「わが子が苦しむかもしれない」という現実を突きつけられたら・・。
そして、そんなわが子を「どう支え、どう育てたらいいかわからない」と感じたら・・・
目の前が真っ暗になるほどの絶望感を感じるんじゃないでしょうか?

幸せにしてあげたいのに・・・
どんな苦労もさせたくないのに・・

障害や病気があるから「その子を愛せない」と思っているのではなくて、「かわいくて、いとおしいからこそ、その悲しみも大きいのだ」ということにやっと気づけたんです。

絶望せずにはいられないほどの「深くて大きな愛」。

もし、あなたが誰かのことを「愛することができない」と悩んでいるのなら、あなたは、どれほど「人を愛したい」と願っている人なのでしょうか?

そんな「優しいあなた」に、穏やかな時間が訪れますように・・。

那賀まきのプロフィールへ>>>

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2017年2月14日

1人じゃなければ

心理学を学ぶようになってから、そこで出会った友人4人とグループLINEを作って、
色々な出来事を話すようになりました。
そのグループLINEが出来上がって、かれこれ3年くらい経ちます。

この3年の間に、私たちには様々な出来事が起こりました。
5人中4人は職業が変わりましたし、1人は新しくパートナーを見つけて結婚しました。
日常の悩みなどをお互いに話していると、その友人たちに対して、
私は家族のような親密感を感じるようになりました。

先日、その中の1人がグループLINEでこう言いました。

「朝からエアコンをめぐって夫とケンカしたので、プチ家出をしてアウトレットモールをうろうろ中」

その発言に対して、他の友人たちが返信します。

「それなら、うちにおいでよ?」
「嫌な気持ちはここで、全部吐き出しちゃえばいいよ」

1時間後、彼女から私たちに返信がありました。

「店員が歌を歌うアイスクリーム屋さんでアイス買ったら、なんかほんわかしてきた」
「アイス食べて満足したから、そろそろ帰ろ?!」

さらに、1時間後。

「無事仲直り出来ました。みんな、ありがとう!」

彼女が無事に旦那さんと仲直りが出来て、他の友人たちも「良かったね?」と、
安心したようでした。
私たちは、こんなやりとりを3年間、何度も繰り返してきたような気がします。

◇◇◇

人間の心理とは不思議なもので、どんなに辛いことがあってとしても、
それを分かってくれる人の存在を感じることができるだけで、心は劇的に軽くなったりします。

私は元々アルコールの問題を抱えてカウンセリングを受けるようになったのですが、
カウンセラーや心理学を学んでいる友人たちにいつも言われていたのは、
「アルコールの問題が爆発しそうになったら、とにかく1人になるな」ということでした。

心理学を勉強し始めて、アルコールの量が徐々に減ってきた時期に、
それまでの努力をすべて無駄にしてしまうくらいに、めちゃくちゃ飲んでしまう時がありました。
私が普段隠し持っている怒りや悲しみ、悔しさや寂しさを、日常のふとした瞬間に強く感じると、
私は大量のアルコールを飲んでいました。
それは、まるで自分の中のネガティブな感情をすべてかき消すかのような行為でした。

そんな時、私はいつも1人でした。
知らない飲み屋で人と話すことはたくさんありましたが、心理的な意味で、私は1人でした。
私は誰にも本当の自分を見せないようにしていましたし、見せたら嫌われると思っていました。

◇◇◇

そんな生活の中で、このグループLINEは私の心の支えになりました。
自分の中の見せたくない自分の姿も、その友人たちには少しずつ見せることができるようになりました。
ネガティブな気持ちが上がってきて、アルコールを飲みたい衝動にかられても、
その気持ちを聞いてもらえるだけで、心が落ち着く感じがしました。
自分の本当の気持ちを話して、それを受け入れてもらうことで、私は大きな安心感を感じていました。

そして、それぞれの友人たちの悩みや辛さを聞いているうちに、私たちはとても仲良くなっていきました。
それに伴い、私のアルコールの問題は解消されていきました。

心理学の有名な言葉で、「親密感はすべてを癒す」という言葉があります。
私はそれを実体験で感じることができたように思います。
自分の本当の気持ちを話すことはとても勇気のいることですが、そこを超えて人と関わると、
今まで感じたことがないような親密感が感じられるようになるのかもしれません。

◇◇◇

私と友人たちの人生には、これから先、たくさんの出来事が待っていると思います。
それはきっと、嬉しいことだけでなく、多くの辛いことも待っているでしょう。
しかし、今までのことを考えると、どんなに辛いことがあったとしても、1人じゃなければ、
結局何とかなるんじゃないかと思います。
旦那さんと仲直りして、嬉しそうにしている友人のLINEを読んで、そんなことを思いました。

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2017年2月 7日

記憶と思い出を書き換えた、ちょっとドタバタな年末年始 ~想いは時空を飛び越える~

こんにちは、建部かずのぶです。

新年が明けて、1月余り経ちました。
古い暦では、2月4日ごろが正月だそうで、ちょうど今が新年とも言えますね。


今回のコラムでは、この年末年始の出来事を書いてみます。

年の瀬が押し迫ってきた、ある日のこと。
不意に、奥さまの電話が鳴ったのです。

聞こえてくるお話から、どうやら彼女のお兄さんからの様子。

私たちは、それぞれが親族の付き合いが薄い家柄ということもあり、
普段のやり取りも少ないので、何か緊急の出来事があったのだと分かりました。

後から聞けば、奥さまの叔母さんの容体が良くないとのこと。
なので年明け早々に、「みんなでお見舞いに行こう!」という話でした。

病院はやや遠方で、一度、奥さまのルーツと関係ある街として訪れたことはありましたが、
遠方故、奥さまもあまり訪れたことがなく、殆ど記憶もないそう。

そんな中での、急な連絡。
奥さまのご家族が、「大阪辺りに集合して、みんなで車で行く!」という流れでしたが、
何となく、私も一緒に行った方がいいかと思い、「こっちも車出すよ!」と答えてました。

もちろん叔母さんとは初対面なので、現地に到着してから車で待機してもいいかな?とも思いました。


その数日後、叔母さんの容体が急変したとの連絡がありました。
私たちは予定があって動けなかったのですが、奥さまの実家の方々がすぐに駆けつけたそうです。

危ないと聞いていたので、気になってはいましたが、まずは峠を越えたとのこと。

「お正月だし、それなら、今は行かなくてもいいかも・・・」と言う奥さまでしたが、
ホテルも予約してあるし、先方とも久々に連絡を取り合っているし・・・。
しかも、叔母さんのお世話をしている従姉妹さんが、奥さまが小さい頃は親しかったとのことで、
奥さまの実家の方々と入れ違いに、私たちだけで最初に決まっていた日に出かけました。

ちょうど、年末年始の大渋滞の時期です。
道路情報を気にしながら、直感を働かせながら何とかやり過ごし、目的の街に到着しました。

実は早く着きすぎてしまって、先方は慌ててましたが、2人でのんびりとランチをして過ごしてました。

待ち合わせの時間が決まり、病院へ。
「ほとんど何も知らずに行くのもどうかなぁ・・・、どうなることやら??」と思ってましたが、
従姉妹さんは、私たちを温かく出迎えてくださいました。

最後に奥さまと会ったのも、もう10年以上前のことでした。

「叔母さんはほとんど動かないし、しゃべらない。でも峠は越えたから、大丈夫」
と主治医から聞いていると教えてくれました。

叔母さんの耳元に従姉妹さんが呼びかけますが、あまり反応がありません。
次に奥さまも声を掛けると、徐々に反応が出てきて、その姿を見て従姉妹さんは涙ぐんでいました。

以前はふっくらしていたそうでしたが、今はその面影もなく、その病気の大変さを感じます。

やがて3人で雑談タイムになり、当然、見ず知らずの私の話になります。
「結婚したとは聞いてたけど。」
あれ?そんなふうに伝わってたんだ、と今までのギャップを埋めるような話が続きました。

そこから思い出話に変わります。
約束の時間まで余裕があったので、プラプラと周り道をしたり、途中で道を間違えたりもしてたのですが、
皆さんの思い出がある場所が、少し前に通っていたその沿道にほとんどあったという驚きも。

神社守をしていたという従兄弟の弟さんも合流し、
全然知らなかった土地なのに、まるで知ってるかのように話が弾みます。


そんなやり取りの中で時間が流れ、そろそろ帰る時間に。

もう一度、奥さまが叔母さんにご挨拶すると、声にはならないけれど、口を動かしながらいっぱい反応してくれるんです。
「その口がありがとうと言ってくれてるね」とは、みんなの一致した意見でした。

奥さまは、どちらかと言えば、自分は役に立たないという思いが強い人。
でも、ただその場にいるだけで、周りの人を喜ばせる力があるのだと私は感じました。

従姉妹さんもすごく喜んで下さいましたし、後でご実家から報告の電話があったときにも、
遠方を駆けつけたということで、親族の皆さんがみんな喜んでくれていたと教えてくれたそうです。

ただ彼女がお見舞いに来ただけで・・・。
でも、そんな力があるなんて、彼女も全く自覚していなかった様子。

こういう機会に訪ねてみて、始めて分かったことがあります。
奥さまと久々に対面した従姉妹さんが言ってらしたのが、「ずっと妹みたいに思ってたんだ」。

2人が最後に会ったのは、云10年前のことだったのですけれどね。

これから新たな気持ちで、この街に訪れることがありそうだなぁ。
そう思いながら、キレイな夕陽を浴びながら、隣でスヤスヤ寝ている奥さまを見ていたのでした。


この年末年始、実家に帰省をして家族とお正月を迎えた方も多くいらっしゃるかと思います。
中にはイヤイヤ腰を上げた方、あえて用事を作って帰らなかった方も?

家族や親族との関係って、近しいが故にイロイロとあって難しい・・・とか、
一生懸命向き合いながらも、どうしても分かり合えないという声も聞きますね。

その一方で、遠い場所から、あなたのことをずっと想ってくれている誰かも、実はいるのかもしれません。

最近私が親しくなった、家庭環境が複雑なので、存在は知ってるけどずっと会ったことがない兄弟に初めて会えた、という人がいます。
半世紀も経って会ったけれど、ただ喜びしかなかったと聞きました。

長い年月をかけて創り上げられる"家族"、"親族"は、たとえ遠く離れていても、ふと思い出せば、一気にその時の自分自身に戻っていきます。
人は故郷に帰省することで、ココロのアルバムを開けて昔の自分を確認しながら、
周りとの関係性を結び直したり、もう一度原点に立ち返っていこうとする、とも言えますね。

もちろん人によっては、もう思い出すのもイヤになったと言いたくなることもあるでしょう。
ケースは様々ですが、自分の目にとまらない場所で、実は大切に思ってくれていたり、そっと応援してくれる誰かがいる。
たとえ今は会えなくても、その巡り合わせは、自分の居場所を再確認するための『ご縁』なのかもしれませんね。

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