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2016年6月28日

スマホ、持ってますか?

みなさんは、スマホ、持ってますか?

実は私は、まだ持ってません。
いまだにガラケーを使っています。あの、2つ折りの、パカパカ開くやつです。

「まだガラケーなんだよね」という話をすると、「へーそうなんだ」というぐらいの反応もあれば、びっくりされる事もあります。
「えっ、なんでスマホにしないの!?」と驚かれたり、「ポリシーとして使っているの??」とか、珍しい人だと思われる事もたまにあるようです。

別に特別な理由があって買わない訳ではないのですが、「今のところは必要ないかなぁ」などと言っているうちに、どんどんスマホが普及し、いつのまにか時代に乗り遅れてしまったようです。

私の感覚では、「携帯電話を持ってるだけで、結構ハイテクな感じ」「こんなに小さいのに写真も撮れるなんて、すごいなぁ」と驚いていたのが、まだわりと最近の事のような気がしていました。
なので、スマホといわれると、「もう次のやつが出るの?」という感じで、「まだ必要ないよ」とつい思ってしまうのでした。


ところで、急に心理学のお話になりますが、人間には「変化を恐れる気持ち」というのがあります。
「変化したい気持ち」というのも、もちろんあるのですが、それと同時に「変わるのが嫌だなという感覚」もなぜか存在しています。

新しい環境とか、新しい製品とか、「きっと便利だろうなー、楽しいんだろうな~」と思っても、
「でも、なんとなく今のままでいたいな」「変えたくないな」という感覚が、私たちの中には存在しているんです。

そしてこの「変わりたくない感覚」は、「今まで変えてこなかった長さ」に比例するので、若者よりも年配の人やお年寄りの方が、より強くこの感覚を持ちやすい傾向にあるようです。
自分の慣れ親しんだ、安心できる環境が、ずっとそのまま続いて欲しい・・・という感覚かも知れませんね。


ということは、私の中にもひょっとしたらそういう感覚があって、スマホにしたくないと思っているのかな??とか考えてみたりもしましたが、やっぱり「まだ必要ないんじゃないかなぁ?」という意識が勝ってしまうのでした。


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そんなある日、実家に帰って弟と話していると、こんな事を聞かれました。
「ねぇねぇ、スイカって知ってる?あれってすごい便利なんだよ!」

みなさんは、スイカ(Suica)はご存知でしょうか。
電車に乗るときに、切符を買わなくても「ピッ」とやって乗る事ができるカードの事です。

私は、昔からたまたま電車移動が多い環境が続いていたので、スイカに関してはずっと前から知っていました。
なので、「今ごろ気がついたのか!そりゃ便利だよ!」と、びっくりしてしまいました。
弟は、自動車関係の仕事をしているので、車の移動が多く、電車に乗る事は少なかったので、知らなかったようなのです。


そしてしばらくして、今度は別の人にこんな事を聞かれました。
「なぁなぁ、スイカって知ってるか?あれってすごい便利なんだぞ!!」

父でした。
父もまた、車の移動がほとんどの人なので、最近まで持ってなかったようなのです。
何となく、そういうものが存在している事は知っていたようですが、実際に使ってみて、その便利さに感動したようでした。

そういえば、父も弟も、いまだにガラケーを使っています。環境の変化に鈍感な一家なのかも知れません。
私は自分のことをたなにあげて、「こんな便利なスイカを今まで知らなかったなんて、もったいない」と思いました。


しかし、そう考えてみると、私に「えっ、なんでスマホにしないの!?」と言っていた人も、「こんな便利なものを知らないなんて、もったいない!」という気持ちだったのかも知れません。
確かに、スイカの便利さを語る父の様子を見ていると、何故かちょっと自慢気で、楽しそうでした。
便利なものや楽しいものを知った時は、人に教えたり、話したくなるものです。
私の周囲の人たちも、スマホの楽しさや便利さを、感じてもらいたいと思ったのかも知れないと思いました。


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みなさんは、スマホやスイカは持ってますか?
DVDレコーダーや、ブルーレイはどうでしょうか。自動食洗器や、ドラム式洗濯機は?
ツイッターやフェイスブックはどうです?ブルートゥースなんてのはご存知ですか?

ついつい、「そんなの、別に必要ないよ~」と思ってしまう事もありますが、ひょっとしたら感動的な出会いがあるかも知れません。
私と同じように、まだガラケーの人は、もしかすると変化する事や新しいモノに抵抗があるタイプかも知れません。
時にはちょっと勇気を出して、新しいものに挑戦してみると、世界が開けるかも知れませんよ。
私もちょっと勇気を出して、スマホとか考えてみようと思いました。

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2016年6月21日

履歴書に書きえぬ才能

例えば、寝つきがいいとか、やたら動物に好かれるとか、なんでもおいしく食べられるとか。
数値化できない、もしくは、具体的に役に立つわけじゃない、履歴書に書きえぬ才能ってありますよね。
わたしは、そんな話を聞くのが好きです。
数値化できないからこそ、よりいっそう、そのひとらしさを表している気がするからです。(^-^)

わたしの履歴書に書きえぬ才能は、よく道を聞かれること。
スマホの普及で最近はだいぶ減りましたが、学生時代は京都という土地柄もあってか、しょっちゅう道を聞かれました。
聞いてくる相手は、家族連れからサラリーマン、お年寄り、外国の方にいたるまで性別も年齢層もばらばら。
音楽を聴きながら本を読んでいたり、乗り換えのために速足で歩いていたり、決して声をかけやすい状況じゃないはずなのに呼び止められるんですね。(^^;
そういえば、山科駅から二条駅までのほんの20分のあいだに、3組に道を聞かれた日もありました。
聞かれること自体には慣れていたものの、3組はさすがに困惑して、今日はそんなに暇そうにみえるのか?と思ったっけ...。

ちなみにこの才能は、あきらかに母からの遺伝です。
それも姉妹のうち、わたしだけに受け継がれたようです。
母とあるある話(自転車で走っていたひとが急停止して道を聞いてくる、旅行先でこっちが道に迷っているのに道を聞かれるetc)をしていたら、妹に、私はそもそも道を聞かれる機会なんてないけどなぁと首をひねられたからです。

長年、大勢のひとが行き交うなかで、何故わたしを選ぶのだろうと疑問に思っていたんですね。
本当に急いでいるときもあるし、知らないひとに急に話しかけられるとビックリするし、方向が苦手で地図がよめないから答えられないし、ちょっと煩わしいなとも感じていたのです。

そんなおり、あるコラムで「道聞かれ顔」なる言葉を知りました。
文字通りよく道を聞かれる人相のこと。
この言葉に出会ったとき、おおお!これだ!!わたしは「道聞かれ顔」だったのか!!!と妙に納得しました。
納得すると、それからは道を聞かれることが自分の「道聞かれ顔」を証明しているみたいで、楽しく感じるようになりました。

聞く側の立場に立ってみると、知らないひとに道を教えてもらうなんて緊張しますよね。
機嫌の悪そうなひと避けるだろうし、周囲から浮いた雰囲気のひとにも声をかけにくいと思います。
そう考えると「道聞かれ顔」というのは、顔立ちの如何ではなく、ある程度の親近感と信頼感を与える、話しやすい雰囲気を指すのではないでしょうか。
誰に声をかけようかキョロキョロしているときに、向こうから「道聞かれ顔」のひとが歩いてきたらホッとするかもしれません。
こっちはただ街を歩いているだけなのに、一瞬で相手にそんな印象を与えられるなんて、素敵な才能に思えてきたのです。
よく道を聞かれるひとは運のよいひとだ、という説もあるみたいですし。(笑)

さてさて。
履歴書に書きえぬ才能をお持ちのみなさん。

皆さんも、その才能がひそかにまわりに与えているものを、考えてみてはいかがでしょうか。
例えば、寝つきのよさは、家族に物音の気を遣わせないですよね。
やたら動物に好かれるひとはペットのいる家に呼びやすいし、なんでもおいしく食べられる才能は、パートナーの料理下手のコンプレックスを救っていたりして。
具体的に役に立つ才能だけが、まわりの役に立っているわけじゃないのです。
そんな小さなことって思うかも知れませんが、でも毎日積み重なったら結構な影響になるでしょう。
なにより、自分が知らないうちに世界をほんのり平和にしているなんて、愉快な想像じゃないでしょうか。

うっかり自分を見直すきっかけになったらいいなと思います。
思いつかなかったら誰かに尋ねてみてくださいね。
それこそ、話しやすい「道聞かれ顔」の誰かに。(笑)

読んでくださって、ありがとうございました。

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2016年6月14日

楽しんで仕事をしていますか?

私が勤めている会社では朝礼があり、毎日交代でみんなの前で2,3分程度の話をします。季節の話や自分が興味を持っていること、
仕事上での連絡やお願いなど、話題は人それぞれ、どんなことでもかまいません。
その日は上司が朝礼の当番で、「楽しんで仕事をしていますか?」という投げかけがありました。

私は会社へ行くのが嫌だとは思ってないけど、楽しんで仕事をしているかと言われたら、素直に「はい」とは言えないなあと
考えていると、上司は「そう思っている人は手を挙げてもらえますか?」と言葉を続けました。
手を挙げる人なんているのかしら??と思っていると、一人の方が元気よく手を挙げられました。 
上司は、「予想はしてたけど、Aさんだけですか。他にはいませんか。」との声に、私もみんなも納得です。

Aさんは、年齢は60代で、書類を他社へ届けたり、受け取ったり、手続きをしたりする仕事をされていて、日中はずっと車で
外を回っていらっしゃいます。毎朝、「おはようございます」と元気な声が響きます。 ハキハキされていて、60代とは
思えないくらいフットーワークが軽く、よく動かれます。見た目は少し強面ですが、誰にでも愛想よく気さくに声をかけ、
お互いに気持ちよく仕事を出来るよう気遣いもされる方です。
仕事に対しては真面目でプロ意識も高く、時には厳しく、新しい人が入ると細かなことでも指摘して、
仕事が円滑に進むやり方をアドバイスしてくださったりもします。 特に相手先の仕事については、相手がやりやすいように考え、
お客様が気持ちがいいようにと配慮し対応されます。その一方で、「○○へ行って書類をとってきてください」など急なお願いにも
快く応えて下さったり、部内のみんなへ飲み物を差し入れてくれたり、みんなが仲良く仕事をできるようにと部内のムードメーカー
でもあります。外回りの届け先にも、同じように心遣いをされるAさんですから、どこへ行っても信頼は厚いようです。 

プライベートではゴルフや野球が好きで楽しんでおられます。野球は応援団もなさっているとかで、シーズン中は毎日のように
球場へ行かれます。 私は今の部署に異動して3年ほどですが、Aさんの疲れた顔や元気がない姿を見たことがありません。
「嫌だなと思うことほど、やるんだよ」なんてこともサラリとおっしゃるので、本当に公私ともに人生を楽しんでいらっしゃる
ようです。 
そんなAさんを見ながら、羨ましいなあという気持ちと同時に、Aさんのようにイキイキと仕事をして、楽しむということを
日々の忙しさで忘れていたことに気づかされました。

朝礼後、上司が席(私の隣です)に着いてからも仕事を楽しむという話になりました。上司が言うには、
いつも1時間かかる仕事なら、今日はそれよりも早く済まそうとか、自分なりに目標を持って以前はしていたが、最近は
こなすだけで仕事をしていて、そんな気持ちをつい忘れているということで自戒をこめての話だったそうです。

私の仕事は事務職でルーティンワークも多いのですが、それが嫌いではありません。ただ、慣れてくるとなんとなく仕事を
こなすだけになっていたりします。仕事が重なると、気持ちに余裕もありませんから、黙々とそれを片付けるということだけで
毎日を終えてしまいます。
以前は私も、この仕事を前回より5分でも早く終わらせると自分の中で競争してみたり、どう段取りすれば無駄なく時間を
使えるかと考えたりしていました。いろんなことを覚えたいという気持ちもたくさんあったので、常にアンテナを張って、
人の話や電話を仕事をしながら聞いていました。 
このお客さん(取引先)は誰の担当、とか、さっきもこのお客さんから○○さんに電話があったけどトラブルで緊急の要件らしい
とか、そんなことをわかるのがおもしろくて頑張っていたんですよね。
でも、最近は自分の仕事に関係がなければ、面倒でついスルーしようとしている自分がいました。 自分がやっていることの枠の
中だけにいるような感じです。 本当にこなすという状態で心も閉じてしまいます。そうすると、仕事への興味も面白みも
なくなっていきますし、モチベーションもあがりませんよね。 
やっていることは以前と同じでも、ただなんとなくだけで、上辺だけでやってしまっていたようです。
自分では、そこまでとは感じていなかったのですが、どうやらそんな状態だったようです。気づかされてしまいました。(苦笑)

さて、どうしましょうか。まずはAさんのように元気な声で挨拶から始めてみようかな。(今もやってるはずだけど、あえて意識
して元気よく挨拶にトライ!)そして、今までと同じことをするにしても、流されてやっているのではなく、もっと意識して
仕事をしていこう、と改めて思っています。 
だって、意識の持ち方で、心は変わっていくのですからね。 ^^

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2016年6月 7日

お手伝いする子は損なの、得なの?

皆さんは小さいころ、家でお手伝いはしていましたか?
私は小学校の高学年ごろから、夕食の後の食器洗いを担当していました。
そのお仕事自体はそんなにイヤではなかったのです。

ただ、私には二つ年上に兄がいるのですが、彼は私が食器洗いをしていても何もせずにテレビを見て笑っているのです。
そのことが納得できず、ずっとモヤモヤした怒りを感じていました。

だって、同じ兄弟なのに私だけがお手伝いをさせられるのです。
そのことを何度か母に抗議しましたが、母から帰ってくる答えはいつも同じ。
だってお兄ちゃんは男の子でしょ、あなたは女の子なんだから。

多分、今から思えば、兄は黙っていうことを聞くタイプではなかったので、
お手伝いをさせたくても、言いつけた途端に怒って暴れて面倒な展開になる。
だったら最初から頼むのはやめとこう、というのが母の本音だったと思います。
でも、娘の私にそんなに正直に理由を言えなかったのでしょう。
そこで登場するのが、お兄ちゃんは男の子、あんたは女の子だから。

それを聞いた私は、女というだけで不平等な待遇をされる悔しさ、地位の低さのようなものをたっぷり感じながら育っていきました。

そして、時を経て私にも二人子どもができました。
上が長女、二つ下に長男、そして、見事に私と兄の関係性を再現するような光景が繰り広げられるのです。
それは、ソファーにふんぞり返って何もしない長女、いそいそと私を手伝う長男。

これではマズイと思うのですが、娘に何か頼んでも癇癪をおこしたり、二階に閉じこもったり、とにかく一筋縄ではいきません。
忙しいときなどは、そんなやり取りに時間をかけていられないので、ついつい私も夫も息子をあてにするようになりました。

昔の私と違うところは、長男はその役割を嫌がっていないのです。
お手伝いをすると褒めてもらったり、時々お小遣いをもらったり、彼にとってはお手伝いをすることで得していることも多かったようでした。

一方、そんな息子を横目に、娘はますますゴネて文句を言うようになり、兄弟の仲も、親子の仲も目に見えて悪くなっていきました。

娘からすると、私は何もしないから悪い子で愛されない、弟はいい子だから自分よりもたくさん親から愛されている、そんな寂しさを感じていたようです。(もちろん誤解なのですが)
そこで、娘が小学校5年生、息子が3年生の時に、今までその場その場で頼んでいたお手伝いの役割を決め、それができたら一か月分のおこづかいをもらえる事に決めました。

最初はしぶっていた娘も、おこづかいはもらえないと困るのでしぶしぶながら賛同してくれました。
ちなみに、彼女の役割は猫のトイレ掃除でしたが、お小遣いがもっと欲しいからと、自分から夕食の後のお皿洗いもやるから、お小遣いをあげてくれと言ってきました。 
そして、意外なことにキチンと仕事をこなしました。
はっきりと役割と責任を決めたことで、余計なトラブルがぐっと減り、娘の口からも余り
文句が出てこなくなりました。
きっと、何もしていない罪悪感から解放されて、彼女も楽になった部分があったのだと思います。そんな娘も今は中学生になりました。

今回このコラムを書きながら、当時の兄のことを思い出しました。
兄はどちらかというと問題児でしたが、彼が感じていたであろう罪悪感は、小学生の私には見えませんでした。
ずっと私ばかり損している、そう思っていました。
でも、お手伝いをしない罪悪感、あてにされない無価値観を兄もたっぷり感じていたのではないかと思います。
もしかしたら、兄も私の方が親から愛されていると感じていたかもしれません。
そんな誤解をもし兄がしていたとしたら、お手伝いをしない兄が一方的に得をしていたとも言えないなと思いました。
兄は兄でしんどかったみたいよ。
当時口をとがらせて悔しがって洗い物をしていた私に、そんな事をそっと教えてあげたくなる気分なのでした。


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