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2015年3月31日

新しい旅立ちの季節

時折冷たい風が吹くことがあっても、晴れた日は心地良い春の陽射しを感じますね。
学生の方は春休みを過ごされていると思います。
私は“春休み”というと、そこから連想するのは、自分の誕生日です。
3月26日生まれなので、子どもの頃はたいがい三学期の終業式翌日に友達を招いて、お祝いをしたものでした。

今はトシを取りたくない年齢になってしまいましたが、その頃は春休みと共にひとつ年齢を重ねていくことが嬉しく感じられたものです。

春休みが終われば進級や進学が待っているので、いろんなものがリセットされる時期でもありますね。

今までで一番印象に残っている春休みは、高校3年生の時の春休みです。
私は高校を卒業したあと短大に進んだのですが、卒業式から入学式までの期間が約1か月ありました。
夏休み以外でそんなに長い休みは初めてだったので、何だかとてもウキウキしていました。

何よりも変化として大きかったのが、この時期に、みんながお化粧を本格的に始めたこと。
それまでも、目立たない口紅を塗ったり、眉を整えたりというようなことはしていました。
でも、実際に化粧品の美容部員さんなどに指導を受けながら基礎から始めてみると、今まであまり目立たず地味な印象だった友達が見事に化粧映えして綺麗になっていったのには驚きました。
まるで、さなぎから蝶になったような感じでした。

人間不思議なもので、いろんな人から「綺麗になったね。」とか「化粧映えしてるよ。」などと言われると、自信が出てくるんでしょうね。
友達の性格まで明るくなったように感じられ、着るものや髪型にも気を使うようになって、みるみるあか抜けていきました。

私もお化粧を始めてみましたが、最初の頃は慣れなくて、せっせと下地クリームやファンデーションを塗って、鏡を見ると顔だけが真っ白で首との色の違いがクッキリ!
なんていう始末でした。
それならと、ナチュラルメイクを心がけてみたら、お化粧しているのに、「化粧してないの?」なんて言われガックリしてしまいました。
歳月を経た今では、すっかり手抜きメイクです(^^;

ともかく入学式で久しぶりに会った友人たちの変化の程は、目を見張るものがありました。
皆、本当に輝いていましたよ。


それから、短大を卒業して社会人になった時のこと。
これはもう、未知の世界に飛びこむための大きな勇気が要りました。
入社式が4月1日だったのですが、式の最後に記念撮影をする時、ちょうど桜が満開でした。

暖かな春の陽射しと、満開の桜。

私たちの入社を祝ってくれているかのような気持ちになったことを、それから40年近く経った今でもよく覚えています。


今はもう、春休みとは関係のない生活をしていますが、それでも3月から4月に切り替わる時は、年度変わりということで、いつも気分一新で気持ちが引き締まります。

この時期、新しい環境に身をおかれる方は期待と不安が入り混じったような気持ちでいらっしゃることでしょう。
でも、まずは自分を信じて一歩踏み出してみてくださいね。

これから歩いていく新しい道が、あなたにとって最良のものでありますように!

そう願っています。

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2015年3月24日

感覚で思い出した愛された記憶

私は、幼少期の記憶が少ない。アラフォーとなれば、自然なことと言えば自然なことかもしれないけれど、アラフォーになるずーっと前からそうなのである。その記憶のなさといえば、家族一同がびっくりするほどで、私のから語られる幼少期の出来事のほどんどは、家族や親せきとの間で繰り返し交わされる思い出話によって構成されたものである。そんな記憶力に乏しい私が最近感じることは、記憶は肌(感覚)が覚えているということ。なぜ、それを感じたかというと、最近、年齢を重ねたせいもあると思うけれど、10年以上ぶりの再会を果たすことが増えると度にそう感じることも増えていったように感じる。

今日は、その再会の中から20年以上ぶりの再会について書きたいと思う。
今からは、誰も想像つかないかもしれないけど、幼少期の私は人みしりの激しい子どもだったように思う。
そんな私の昔を知っている広島に住んでいるおばさんに去年の夏、再会した。最後に会ったがいつかも定かではないけれど、もしかしたら、四半世紀経っているかもしれない。このおばさんは、親戚ではなく、父の親友の奥さんである。幼少期から、家族ぐるみのつきあいしていて、福岡と広島でお互いの家をよく行き来したものである。だから、初めて新幹線に乗った旅をしたのも広島だし、広島で年を越したことだってある。おばさんは、父の親友であるおじさんと私の弟と同じ年の息子さんとその息子さんの3歳くらい下に娘さんがいる。本当によく行き来した関係も、おばさんの子どもや私たち兄弟の成長とともに、それぞれの部活や受験、反抗期などとともに会うこともすっかりなくなってしまっていた。それにも加え、宮本家では両親の不仲による別居問題も勃発しており、電話で話しすることもなくなっていた。そんな状況の中、私は父とのたわいのない会話の中で、おばさんが喫茶店を開店したことを耳にした。子育てがひと段落してから、予てからおばさんの中で温めていた夢がかなったことを聞いて、会ってはいないけれど誇らしくかっこいいと感じていた。いつかいってみたいなという思いを私の心のなかでも温めていた。

そんな思いをかなえるチャンスに恵まれる。カウンセリングサービスの講座が広島で開催されることになったのだ。私は、その講座のゲストカウンセラーとして参加させていただき、広島に行くことになった。これはチャンスと思い、予定を早めて広島に入ることにした。会わなくなってあまりに時間が経っていたので、いたずら心も手伝ってサプライズでおばさんの喫茶店を訪ねることにした。大人になってから初めて訪問する広島は、1時間強というびっくりするほどの近さに、今まで訪問しなかったことを後悔するほどだった。そして、おばさんのやっている喫茶店に向かう。携帯電話の地図アプリとにらめっこしながら、右往左往しつつ無事に到着し、どきどきしながら扉を開く。何も言葉を発していないのに、おばさんはこういった。

おばさん:「めぐみちゃん??」

おばさんがお店に入ってからすぐに私を認識したことにもびっくり!!そんなに変わってないかなぁと思いつつ、おばさんのなつかしい広島弁に心が和んだ。
そして、おばさんの注いでくれたおいしいコーヒー共に、今までの会わなかった時間を埋めるように喫茶店を開店するまでの経緯やおばさんに孫ができたこと、私がカウンセラーになったことなどなどお互いの近況や家族の近況を話した。そして、おばさんはお話をしならも、私が講座が終わるまでおなかが空くだろうと、おむすびを握ってくれた。おばさんが握ってくれたおむすびはすごくおいしかった。時間が経つのはあっというまで、時計針は講座の準備に入る時間を指そうとしていた。

私:「もう、そろそろいくね。お代はいくらですか?」

と尋ねると、

おばさん:「めぐみちゃんから、とるわけないやろー」

と当然のように言う。
いやいや、甘えちゃいかんとおもいつつ…

私:「ちゃんと働いているし、払えるよ。」

と言ってみると、

おばさん:「いいから、そのお金はほかに使いなさい。」

間髪入れずに返ってきた。

私:「じゃあ、お言葉に甘えて、ごちそうさまでした。ありがとう。」

そんなやり取りを経て、再会を約束し店をでた。
きっと、おばさんにとっては、自分の子ども同様にいつまで経っても私は子どもなんだと思う。すごく長居したわけではないのに、私の中に残ったのは言葉がみつからないほどの見守られているような安心感と温もりだった。そして、この見守られているような安心感と温もりは、幼少期に受けたおばさんから愛された記憶なんだと思う。

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2015年3月17日

blessing in disguise ~変装した祝福~

英語の言い回しに blessing in disguise (ブレッシング・イン・ディスガイズ) というのがあるそうです。

直訳すると 
“変装して隠れている祝福” 
となるそうですが
「悪い事が起こった時、一見わからないけれど変装を解くと、祝福や恵み、幸せが現れる」 
という意味だそうです。

日本でも
・禍を転じて福と為す
・雨降って地固まる
・怪我の功名
などのことわざが近い意味で存在しますね。


生きていれば、なんらかの壁にぶつかることがあります。


失恋やいじめ、倒産、失業、病気や怪我、大切な人との死別、離婚、借金。
大きな、高く分厚い壁が目の前に立ちはだかり、途方に暮れる時があります。
前に立ちはだかっているだけでなく、四方を壁に囲まれてしまった様に感じる時もあるかもしれません。

「どうやって乗り越えればよいのだろう」
「どうやって抜け出せばよいのだろう」

このように考えられている間はまだ、良いかもしれません。

「死んでしまいたい」
「消えてしまいたい」

こんな風に考え出すと、辛くて苦しくて堪りません。


私の場合は、元夫との別れの辛さから抜け出すことにかなり時間も要したし、苦しみもがきました。
そして、その私の苦しみ以上に悲しみと絶望を感じていたのは子供たちではないかと最近、思います。


元夫との別れを決めた時、息子は中学2年生、娘は小学校3年生でした。
そのことを学校から帰って来た息子に告げると、「なんで?」と聞かれ、元夫の女性関係や、会社の負債のことや今までの経緯を説明すると何も言わずに2階の自室にこもってしまいました。

娘には、しばらく言えずにいました。
どこまでどう伝えてよいものか、考えあぐねていたのです。

ある夜、娘と一緒の布団に入り、眠る前
「トッピン(娘は父親のことをこう呼んでいました) とママ、離婚することになってん」
彼女は出来る限りの声で泣き叫びました。
「離婚したらいややぁ~~~」

今でも思い出すと、泣けてきます。
辛く悲しい思いをさせてしまったと思います。


それから、息子はほとんど自分から父親のことに触れる事はありませんでしたが、
娘は中学校から学校に行かない日が増えてゆき、なぜ学校に行かないのか?の問いに
「宿題をしていないから」
「頭が痛い」
「学校嫌い」
「先生ウザイ」
「おもしろくない」
「メンドクサイ」
「勉強嫌い」
色んな言い訳を並べ立てていましたが
いつからか
「うちにはお父さんが居てないから」
と言うようになりました。


娘は現在高1ですが、つい夏ころまで父親のことを
「彼氏みたい」
と言うほどに好きだったのです。
洋服を買ってもらったり、ドライブに連れて行ってもらったり、美味しいものを食べに連れて行ってもらったりと、デートの様に楽しんでいました。
元夫も、息子や娘のことは大事にしてくれていました。


娘が学校に行かない理由は、周りと比べて感じる劣等感やコンプレックスもあったと思います。
しかし、それだけではなく
「みんなにはお父さんが居てるのに、私には居てない」
と、感じる事が友達との会話の中であったのだろう、そしてそれを感じるたびに、強烈な寂しさを感じていたのだろうと思うのです。


元夫が、新たな家庭を築いているということを1年ほど前に聞きました。
私は、そうであっても不思議ではない、と思っていたのでさして驚かなかったのですが、子供達にいつ、どうやって伝えるか?については少々悩みました。


高校生になってから学校も 「メンドクサイ~」 と言いながらも休まなくなっていたし、せっかく落ち着いているのに、ショックを与えるのではないか?など、色々考えましたがキチンと元夫との口から伝えてもらうことにしました。
もちろん息子にも。


息子はいつもの様に反応が薄かったのですが娘は思いの外、半分血が繋がっている小さな兄弟がいることに喜んでいて、アレコレなやんだ私が拍子抜けするほどでした。
娘は元々小さな子供が好きですが、あまりのすんなり受け入れ態勢にビックリでした。

が、つい先日 「仕事でベトナムに行くから」 と父親に誘われ娘が連れて行ってもらったのですが、帰って来てから3日程 「頭痛い」 と塞ぎこみました。

久しぶりの、学校おサボりさんです。
いえ、私にはサボっているように見えたのです。

「頭痛い」と言いつつ、大声で歌を歌い食欲もあり、熱は無い。
サボりも3日目になると、私も黙って見てられず
「熱も無く、フツーに生活してるのに学校に行かないのなら二度と行かなくて結構です」と告げると
「もう自分がいややねん!!あのくそじじぃもいややねん!!」
と言うではないですか。


話しを聞くと、旅行先で父親から
・私のことなど、どうでもいいんだ
・私のことなんて大事じゃないんだ
と、感じさせられることがあったようです。

「う~~~ん、あんたのことがどうでもよくて大事じゃない訳ないと思うけどなぁ」
と言うと
「そんなことない!もう二度と関わりたくないわ、あんな奴!介護だって絶対せぇへんし小遣いだって一銭もあげへん!!」
と言うのでかなりウケましたが、3日も塞ぎこむほど、頭が痛くなるくらい、娘にとっては辛く悲しい事だったのです。
この世の終わりのような、絶望的な気持ちで過ごしていたようです。
誤解なのですが・・・・・。


【親の離婚】と言うことで、子供達には辛く寂しい思いをさせてしまった、と思います。

「私は孤独で愛されるべき人間ではない」という壁が、娘を取り囲んでいるのかもしれません。

ですが、これも “blessing in disguise” 

愛の深い優しい幸せな人になってくれると信じています。

吉村ひろえのプロフィールへ>>>

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2015年3月10日

自分の人生を生きよう

カウンセリングでは、彼氏と上手くいきません、結婚に踏み切れません、夫婦関係が悪いですなど、パートナーシップのご相談を受けることがよくあります。

もちろん、クライアントさんの事情は様々で、カウンセリングも様々なものになるのですが、問題の裏には、同じような構図があるかもしれないと思えることがよくあります。

その構図とは、「クライアントさんが自らその問題を選択しているかもしれない」ということです。これは、もちろん、クライアントさんが意識的に選択していることではなく、無意識的な選択なので、クライアントさんが原因であるとか、悪いと言っているわけではありません。


例えば、今の彼と付き合ってもう3年になり、彼は結婚したいと言っている。彼のことは好きだし別れたくないけれど、私はまだ結婚したくないので、彼とケンカになってしまう、というご相談があったとしましょう。

結婚したくない彼女には、結婚したくない理由があるはずですよね。このようなご相談の時は、私は、なぜ結婚したくないのか、また、もし結婚してしまったら、どんな問題が発生してしまうと思っているかを、クライアントさんに伺います。

結婚したくないわけですから、言い方を変えると、結婚にネガティブなイメージを持っているということですね。結婚してしまうと、大変なことになる、辛いことがあるという感覚があり、結婚に踏み切れないかもしれないのです。


結婚したことがない方にとって、結婚のイメージを形作る最も身近な結婚は、一般的には、やはりご両親であることが多いでしょう。

もし、ご両親の仲がとても良く、とても幸せそうで、結婚がとても素晴らしいものであるという雰囲気がご両親から感じられたとしたら、結婚にいいイメージをもつことが多いと思います。逆に、結婚したくないということは、ご両親の結婚生活に、なんらかの問題があったのかもしれません。


でも、ここで客観的に考えてみると、ご両親の結婚生活に問題があったからといって、それだけを理由として、同じように自分の結婚生活で問題が発生することにはならないですよね。

頭では、結婚するのは私と彼であり、自分の両親とは違うということはわかります。でも、心は不思議なもので、自分の中にネガティブな結婚のイメージを持っていると、自分の結婚もそうなってしまうのではないかと、無意識的に思ってしまうんですね。

このようなときは、カウンセリングなどで、結婚に対するネガティブなイメージを変えていくと、結婚したくなってくることもあるかもしれません。ご両親は結婚で苦労したかもしれませんが、両親ではなく「自分の人生を生きる」ことを選択すれば、幸せな結婚生活が待っているかもしれませんね。


もうひとつ、「自分の人生を生きる」ということについて、私自身の経験をお伝えしたいと思います。私の両親は、私が10歳の時に離婚しました。私の母は、一生懸命働きながら、私と妹を育ててくれました。

私と妹は、母にとても愛されて、3人で仲良く暮らしてきました。それはとてもいいのですが、私たち兄妹は、母にとって、子供たちが生き甲斐であるということを身に染みて感じていたのです。

母にとって、私たち兄妹が結婚してしまうと、母から離れることになってしまいますよね。そうすると、母に寂しい思いをさせてしまうと、私は無意識的に思ってしまったようなのです。

母に寂しい思いをさせないためには、私が結婚しなければいいわけです。以前はそんなことは全く思いもしませんでしたが、今から考えると、無意識で、私は結婚をしない選択をしていたようです。具体的には、結婚している女性と何度か付き合ったことがありました。

私が初めて結婚したのは、40歳を過ぎてからでした。しかし、私の結婚生活は、わずか2年で終わってしまいました。パートナーシップはある意味イコールで、私だけに離婚の原因があったわけではありませんが、もしかしたら、母を見捨ててしまって、母を寂しがらせてしまったという罪悪感を感じていたために、結局離婚してしまったという部分があったかもしれないと、今では思っています。


その後、心理学やカウンセリングを学んで、あるとき、私自身も、母に関係なく「自分の人生を生きる」ことを選択しようと思いました。自分の人生を生きることと、母を寂しがらせることは関係がない、むしろ、私が幸せになることは、母にとっての喜びになると思えるようになってきたのです。

仮に結婚したとしても、母を見捨てることにはならない、むしろ、家族が増えて、みんなでさらに幸せになれると思っても、おかしくないと思ったのです。

そう思えたからなのかは分かりませんが、離婚後1年もしないうちに新たなパートナーができて、今は再婚しました。そのパートナーとの結婚式のとき、母はとても祝福してくれました。


今まで述べてきた、「自分の人生を生きていない」ことがある、というのは、実は、パートナーシップに限ったことではありません。人によっては、自分が望んだからではなく、誰かが望んで、それをかなえてあげるために、自分の希望とは違う仕事をしたりしていることもあるかもしれません。

このように、「自分の人生を生きていない」方は、誰かのためにそれを選択しているということも多いと思います。誰かのためにしているのですから、それは優しさであったり、思いやりであったりするかもしれません。もしかしたら、自分の人生を生きないという選択は、その方の愛の現れなのかもしれません。

でも、その誰かは、本当は、あなた自身に幸せになってほしいと思っているかもしれませんよ。そうだとしたら、ぜひ「自分の人生を生きる」ことを選択してくださいね。

大塚亘のプロフィールへ>>>

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2015年3月 3日

田舎娘のバレンタイン~1歩間違えればストーカー~

先日のバレンタイン、あなたは誰かにチョコを渡しましたか。
大人になるほどに「社交辞令」的なイベントになってしまったのは私だけでしょうか。

「記念日に告白する」
素敵ですよね。


10代のころ・・・
ちょっとした「感情」の流れを知っていたら。

あの頃の自分へ、心理学を教えに行きたい。
そうしたら、暗黒の青春時代がもう少し楽しいものになったかもしれない。

ふと切なくなるこの季節。

時はさかのぼること、中学2年生。

畑のど真ん中にデーンとそびえたつ、古い校舎。
異性と話すだけで噂になるような、古き良き男女関係。

カラオケもゲーセンもファミレスもないところで、
バレンタインなんていう都会的なイベントは田舎の中学生にとっては文化祭を超える一大事。


この日だけ、少女マンガのような展開になれる!
(目指せ「天使なんかじゃない」!!)

なぜかそこにだけは許可が降りて、1か月前から浮き足立つ女子たち。


当時、同じテニス部の部長に恋をしていた、
おかっぱ頭の私。

理由は、
ボールを拾ってくれた時の「はにかんだ笑顔」が素敵だったから。

同じ部活とは言っても、男女の練習は別で、会話もしたことがない。


のに。

心に芽吹いた小さな種は勝手に芽をだし、
プレーがかっこいい、成績がいいらしい、優しそう、真面目そう、
噂を聞くたびに、妄想は勝手にすくすくと膨れ上がり育っていく。

2つ隣のコートでかっこよくサーブを決める先輩の姿を
ラケットを抱きしめながら、見つめる私の目はハート型。

怪しい。

怪しすぎる。

ときめく心と自信のない容姿を抱えて
「好きだけど、こんな私なんてきっと振り向いてもらえない。」
高鳴る胸とは裏腹に沈む自分。

じゃぁぁぁl、どうしたいの???


恋に、恋をしていた14歳。

そんな私がとった、さらに怪しい行動。

「バレンタインに告白する!」


やっちゃいけない3か条を
見事に制覇した、私の行動。

▼①家を調べ上げ、友達に頼んで彼を呼び出す。
  →ストーカー行為です。

▼②話したこともないのにいきなり「付き合ってください」と告白する。
  →まず、「あなた誰ですか?」 ドッキリかと思われます。

▼③「手作りのチョコクッキー」を手渡す。
  →見ず知らずの人が作ったお菓子、食べられますか。
  食品衛生法違反の可能性あり。


あーーーーー。
  恥ずかしい。


今だから書ける反省文、ここに記す、です。

(危険な図解)人との距離

【1】話したことがない状態

○ ――――――― ●
この距離、仮に10m


【2】いきなり●さんが猛ダッシュで○さんに近づく。

○ ― ● ←←←
強引に1mまで近づく。


【3】○さんビックリ。猛ダッシュで逃げる。

○ ←←←―――― ●
 びくりして逃げられる。
 また10mの間が空く。
 最初よりも警戒される。

このセオリーがわかった今なら、
 避けられた理由もわかります。


人との距離の理想の縮め方

 自分から最初の1歩。
 相手も1歩進んでくれたら、
 また自分から1歩。

(理想の図解)
【1】相手の進むスピードに合わせて歩み寄る。

○ →→??―←← ●


【2】だんだんと。

○ →??← ●

こんな距離の縮め方ができたら相手も驚かず、近づいてくれます。


当時の私には難しかったかな。

(それにしても痛かったな。)


大人になった今だからこそ、
客観的に見ることができる
相手の心の距離を縮めるスピード。


これを意識しただけで成功率も上がります。
焦らずに、相手を見ること。

ホワイトデーには、あなたに素敵な恋が訪れますように。

五十嵐かおるのプロフィールへ>>>

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