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2014年8月26日

平和と祈りのキックオフ ~ある男の志事より~

こんにちは、建部かずのぶです。

少し前に終了しましたが、今年は4年ごとに開催される、2014年FIFAワールドカップ・ブラジル大会がありましたね。
サッカーの大会では最高峰と言われるだけあって、どの試合も目が離せない熱戦が続き、そしてドイツが延長戦の末に優勝しました!

私も子供の頃は、国の威信を懸けた選手たちの熱いプレイに釘付けになっていたものでしたが、環境や生活リズムの変化により、あまり観なくなっていたのです。

が、前回のワールドカップ(W杯)ではそんなに興味を持っていなかった奥さまが、なぜか今回のW杯にはどっぷりとハマってしまい、
私もうっかり昔を思い出しつつ便乗したので、しばらくは遅寝早起きで寝不足の日々でした。

今回のW杯は日本から遠く離れた、地球の裏側のブラジルが会場です。放映時間も、時差の関係で深夜か早朝。
ということで、2人で選択をしながら、観られそうな試合だけはしっかりと観戦したのでした~。

夫婦でサッカー熱に浮かれているそんな中、あるテレビ番組がふと目にとまりました。
それは、『民族共存へのキックオフ』。
今大会唯一の初出場国、ボスニア・ヘルツェゴビナについての特集番組でした。

私たちには少々馴染みの薄い国かもしれませんが、イタリアと海を挟んだバルカン半島にあった、旧ユーゴスラビアから分離独立した国で、
かつては日本代表チームの監督をされていた、イビチャ・オシムさんの出身地でもあります。

画面には、W杯出場に心躍らせる国民の姿が映し出されていましたが、何年か前までこの国は、長い長い暗黒時代が続いていました。

ボスニア・ヘルツェゴビナは、首都のサラエボでオーストリアの皇太子が暗殺されたことで第一次世界大戦が勃発したという、
ヨーロッパの火薬庫と言われる街でした。

【七つの国境、六つの共和国、五つの民族、四つの言語、三つの宗教、二つの文字、一つの連邦国家】
旧ユーゴスラビアは、そんなふうに表現されるような、ものすごく複雑な環境にある国だったのです。

第二次世界大戦後は、チトー大統領という強力なリーダーのもと、冬季オリンピックを開催できるまでに安定したとも言えたのですが、
大統領が亡くなると、このユーゴスラビアは複数の宗教や民族が入り交じるが故に、あちこちで内戦が繰り広げられていたのです。

番組はそんな混沌としていた中、1990年W杯・イタリア大会に、まだ連邦国家だったユーゴスラビアという国で参加したシーンに続きます。

私はこの大会もテレビで観ていましたので、少々懐かしい気持ちになりました。
実はその時の監督が、先ほど紹介したオシム氏です。
試合は準々決勝。エースのストイコビッチが率いるユーゴは、マラドーナのいた優勝候補アルゼンチンと大接戦し、PK戦での勝負に入りました。

その時オシム監督は選手に、「PKを蹴りたい人はいるか」と聞いたそうです。
ですが、手を挙げたのはたった2人。

なぜならもしもPKに失敗すれば、帰ったときに民族主義の国民に何をされるか分からないから。
多くの民族の選手が混在した代表チームは、他国とは違う緊張感や恐怖と戦っていたのです。

結果は、惜しくもPK戦で敗戦。そのうちに旧ユーゴスラビアも解体されました。

その頃から、民族紛争も激しくなっていったようです。
連邦周辺国が徐々に分離独立する中でも、一向に収束の道筋が見えなかったのが今回の、ボスニア・ヘルツェゴビナでした。

3つの宗教を信仰する、3民族が入り乱れての対立は、隣人同士が命を奪うような出来事もあったようです。
このボスニア内戦で一番ダメージを受けたサラエボも、戦場と化して、建物の至るところに弾痕が見受けられます。

やがて時代は流れ、内戦はようやく終結しましたが、各民族がなかなか譲り合う状況にはならなかったようで、
ボスニア・ヘルツェゴビナのサッカー協会は、他民族を受け入れられずに会長が3人もいる事態に。

そのせいでW杯を運営するFIFAに是正勧告をされ、そのままだと予選に出場さえできない状況になっていたのでした。

そこで、ボスニアサッカー協会の顧問を務めているオシム氏に、白羽の矢が立ちます。
実はオシム氏は、日本代表監督の時に脳梗塞で倒れられ、左半身に後遺症が残ってしまいました。
それでも強い信念のもと、限られた期限で各会長を説得していき、何とか協会を一本化します。
そして、建国後初めてのW杯予選出場を果たし、本大会への切符を得たのでした。

とは言え、ボスニア代表の中心選手も、それぞれ違う民族の人が集まっています。
ちょうど少年時代を、戦火のくぐり抜けながら生きていた世代ということもあり、
心の内に、民族対立と戦争の爪痕を残しつつも、3つの民族の合成チームとして結集したのです。

ある選手が言います。
「僕たちは、民族を超えて、サッカーで1つになれることを示したい。それが成功の証になるから」

またオシム氏も、こう言います。
「サッカーは人と人を結びつける。代表チームも協会も観客も多民族だが、本当はみんな共存を望んでいる」と。

W杯で勝ち進んでいく、という1つの目標に結集したボスニア・ヘルツェゴビナですが、
せっかくのゴールをオフサイドと判定されてノーゴールとなり、残念ながら決勝トーナメントに進出することはできませんでした。

オシム氏は、『サッカーの力で共存し、民族の対立を超えて、思いを1つにする』という成功例を作りました。
あまりに過酷な運命を背負いながらも、1つのチームとしてW杯に出場できたことは、この国にとって本当に偉大な一歩だと思います。

それぞれに様々な感情がある以上、何の摩擦もないままに、というのは難しいのかもしれません。
でも、まずは相手を理解して、お互いの価値観を受け入れていくことがスタートラインになっていきますね。


最近、特にビジネス系で、【志事】という言葉を見かけることがあります。
この言葉についてざっくり纏めると、「志をもってあたる事。心の底から突き上げる信念を、人生をかけて貫く事」でしょうか。

心理学では「コミットメント」が近いかもしれませんが、オシム氏が成し遂げた【志事】は、
厳しい時代を生き抜いた自分の使命として、W杯予選出場、そしてボスニアの民族共存を願う国民のために働くことでした。

気概を持って事に取り組むほど、多くの人がワクワクし、自分を応援してくれるほど、実現のスピードは速くなっていきます。

過去の記憶を超えるために、心の声を聴き、そして現在にただ集中することで、目の前に新たな未来が現れる。
奇跡が生まれるのは、実はこういうことからなのかも知れませんね。

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2014年8月19日

夏の思い出

私は夏が苦手です。
毎年5月くらいから、「ああ、またあの暑い夏が来るのか……。早く秋にならないかなあ」なんて、ため息を吐いてしまうくらい、夏は苦手です。
私が子供の頃と比べると夏がうーんと長くなった近年、心理学を学んで多少はポジティブ(笑)になった私ではありますが、それでもやっぱり、「早く秋になんないかなあ」と涼しい季節を待ち焦がれる今日この頃です。

でも、そんな私も、昔は夏が大好きでした。
子供の頃は、夏が一番好きな季節だったように記憶しています。
長い長い夏休み、自由研究や工作は大の苦手だった私ですが、5教科のワークブックは大好きだったし、読書感想文も面倒だったけど楽しかった。
体育の授業は苦手だったけど、ヘタクソなりに結構距離は泳げたから、プールも好きでした。
でも何より一番楽しみだったのは、夏休みの後半に必ず連れて行ってもらえた旅行でした。

旅行と言ってもそれは私たち家族のための旅行ではなくて、自営業の父が数人の従業員と取引先の知人を接待する慰安旅行です。
いわば、私たち家族は完全なおまけなのですが、子どもにはそんなことはわかりません。
会社のお姉さんたちは優しいし、バスガイドと運転手さんを務めてくれていた父の友人でもあるおじさんは博識で面白い人なうえ、子ども好きなので、私たち姉弟はかなり可愛がってもらいました。

夏の早朝、5時ごろにはバスで出発し、行先は毎年違いますが、一泊から多い時は二泊三日で、関東甲信越、南東北、中部地方などの名所旧跡、景勝地を周って、夜はホテルで宴会。
父の会社は地方の零細企業の町工場でしたから、旅行自体それほど豪華なものではありませんが、それでも子供の私にとっては最高の楽しみだったのです。

今にして思えば、女性社員のお姉さんたちにしてみれば、仕事でもないのに行きたくもない旅行につき合わされ、子守りやら、中年のおじさんたちの相手やらで、あまり楽しくはなかったかもしれません。
今の時代なら、パワハラやモラハラ、時にはセクハラととられかねないことも多くあったことと思います。
少なくとも今の私が彼女たちの立場なら、あまり行きたいとは思わないような旅行だったけれど、お姉さんたちは皆とても優しかったなあと、今でも思い出します。

そして、そんな優しいお姉さんたちの中でも、一番思い出に残っているのはNさんという、古株の女性従業員の方です。
Nさんは派手な美人でもなく、賑やかな性格でもない、どちらかといえばおとなしやかなお姉さんでした。
でも、本が好きで物知りだったらしく、こっそり仕事場に遊びに行くと、いつも優しくしてくれて、私は大好きだったのです。


いつのことだったか、どこへ旅行に行ったときのことだかはもう思い出せないのですが、ある夏の旅行で、高原を皆で散策していたときのこと。
足元の何の変哲もない草を指して、Nさんは「みきちゃん、これが蓼(たで)って言うんだよ」と教えてくれました。

「ことわざでね、『蓼食う虫も好き好き』っていうのがあるでしょ?あの蓼がこれなの。こんなにおいしくない草でも好きで食べる虫もいるんだよっていう意味なんだよ」
「へえ、すごいね」
「面白いでしょう?」

私が感心したのはNさんの博識ぶりに、だったのですが、彼女はその時、そうは取らなかったようです。
でもNさんは優しい笑顔を見せてくれて、私はまた、彼女が大好きになりました。

その後何年かして、急に彼女は父の会社を辞めてしまったのですが、後々知ったところによると、それはトラブルによるものだったようです。
今ではもうそれが真実かどうか確かめるすべはないに等しいのですが、彼女と私の両親との間でいろいろあったのだと、後に私は知らされました。
父と彼女は深い関係にあって、それを知った母が無理やりやめさせたのだとか、その後も父は通い続けたのだとか、それらが単なる母の妄想だったのか、その辺については父が亡くなってしまっている今、私には判断しかねるところです。
わりに冷めたところのあった思春期の私にとって、それはとても残念な事実ではあったのですが、多少の複雑な思いをしばらくの間残しただけで、特にどうということもなく、そのまま忘れてしまっていました。

それでも毎年、夏が来ると私の、あの楽しかった夏の思い出の中にNさんがいます。
優しい笑顔と物静かな声とを、不思議なくらい今でもはっきりと思いだすことが出来たりします。
そして時々、Nさんは本当はどんなひとだったのかなあ、彼女は何を思い、何を考えてあの頃、私たちと一緒にいたのかなあと、考えたりもするのです。

本当のところは今ではもうわからないけれど、それでもあの時の彼女の笑顔と、私に向けてくれた優しさは、たしかに本物でした。
だから今でも、私は彼女が大好きなままです。


今ではあの頃のNさんよりも――、いえ、あの頃の父や母よりも、私のほうがずっと年上になってしまいました(笑)。
子供の私が見ていた、あの頃の大人たち、彼らは本当はどんな人だったのか、あの頃、どんな思いを抱えて日々を暮していたのかなあと思うと、なんだかとっても不思議な気持ちになる。
どれだけ年を重ねても、全然成長し切れずに子供のままだった数年前の私なら、こんな風に思うことは出来なかったかもしれないけれど。

そうして今からずっと先のこと、私の娘たちが今の私よりも年上になったら、彼女たちもこんな風に私のことを思い出すのかもしれない。
その時、彼らは何を、どう感じるのでしょう。

願わくば、その時は穏やかな気持ちで、でなければすべてを笑い飛ばせるようになっていて欲しいなと思います。
今、私が、幸運にもそう出来ているように。
時間は本当に、ひとの心には優しいものだから――。

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2014年8月12日

元祖夏フェス「郡上踊り」

実は、このコラムの締切は早いのですが、掲載されるお盆時期も、きっと暑いだろうなぁと思いつつ、書いています。

お盆と言えば、岐阜県には「郡上踊り」と言って、夏の間、約30日、そして8月13日からの4日間は徹夜で踊るイベントがあるのはご存じかと思います。

この4日間は、のべ20万人以上の人が、朝5時まで延々踊ります。既に江戸時代から徹夜で踊っていたそうですから、これ、元祖夏フェス・サマソニだと思うんですよね。
それも、使う楽器は、三味線・太鼓・拍子木・笛というシンプルでアナログな和楽器だけです。

三味線→ギター
太鼓→ドラム
拍子木→パーカッション
笛→サックス?

ってとこでしょうかね?
しかも、夏フェス・サマソニのように、いろんなアーティストが何十曲も歌うならまだしも、10曲のうち、9曲を延々リピートです。残りの1曲はその日にたった1回しか演奏されません。なぜか?というと、それは最後の「シメ」の曲だからです。今宵はおしまいですよ~という儀礼的な意味もあるのです。これも、アーティストのコンサートに行くと、ラストはこれ!というお決まりの歌があったりしますから、同じですよね。
おもしろいのが、このラスト曲は拍子木だけを使うので、それ以外の楽器は、お片づけタイムに入るそうです。なんと合理的な・・・・

私の家は郡上から距離がありますが、それでも踊りに行く人がたくさんいます。徳島の阿波踊りでは「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らな損々」と、踊り好きのことを表現しますが、郡上踊りでは、「踊り助平」(おどりすけべい)と言うそうです。
すけべいってのは、もともと「大好き!」って言う意味だそうですけどね。あ、これも今でいう、ダンスマニア、ダンスフリークのことですよね。

昔、いろんな瞑想を学んだ時期があるのですが、「踊る瞑想」というのを知りました。一心不乱に踊ることで、頭が真っ白になり、身体の中から、いらない感情を流して振り飛ばす・・・という瞑想です。
瞑想って、座禅を組むような静かなものだけだと思っていましたが、なるほどと思いました。確かに、曲に合わせて身体を動かし、没頭しているうちに、妙に心もすっきりしてきます。
「踊り」もヒーリングの手法のひとつで、しかもパワフルな浄化作用があるんだなと思いました。夏フェス・サマソニのようなガンガンロック系でなく、盆踊りのテンポでも、延々やっているうちに、ハイになって、楽しくて気持ち良くて、気が付けば徹夜・・・なんでしょうね。

この時期、ご近所で盆踊りが開催される地域もたくさんあると思います。もちろん、夏フェス・サマソニに行っている方もいらっしゃるでしょう。
周りに迷惑をかけないように・・・だけは気を付けて、「阿呆」でも、「助平」でも、「フリーク」でも、お好みでどうぞ。ぜひ、全身でおもいっきり楽しみ、そしてすっきり浄化してきてくださいね。

まだまだ暑い日が続きます。残りの夏を、どうぞご無事に安全でお過ごしください。

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2014年8月 5日

原点

このコラムが掲載されるころには終わっているのですが、
8月に行われるカウンセラーズフェスタで講演をすることになりました。

私は『問題が教えてくれること』というタイトルでお話しようと思ったのですが、
タイトルは決めたものの、内容がなかなか決まらず、どうしようかなぁ。。。と悩んでいました。

あるとき、五反田で開催される講座を受ける前に、小島カウンセラーとお茶をしていたのですが、彼女に講演の話をすると、私の話を聞いてくれることになったんですね。

「講演が終わった時に、皆にどんな風になってもらえたら嬉しい?」と
講演後のビジョンから話は始まり、

どうしてこのタイトルにしたのか?
どんな問題を乗り越えてきたのか?
その問題がどんなことを教えてくれたのか?と色々聞いてくれました。

普段はお客様のお話を伺うことが多いので、こうやって自分のことを話たり、聞いてもらうってなかなかないので、とても貴重な時間でした。
聞いてもらうことで、自分では気付かないことに気付けたりするんですよね。


一番の気づきはカウンセラーになろうと思った原点を再確認したことでした。


当時、仕事がなかなかうまくいかず、落ち込むことが多かった私。
会社が開いてくれていた研修に毎月行っていました。
研修は自己啓発のような感じで、とにかくプラス思考って感じだったんですね。

その研修に行くたびに頑張ろう!とやる気は出るのですが、結果としてはなかなかついていかず、結果が出ないのはマイナス思考になる自分がダメなんだと自分を責め、また落ち込むという悪循環に陥っていました。
周りの仲間が結果を出していくことに「おめでとう」とは言うけど心から祝えず、そんな自分がとてもドロドロしているように感じていました。
そんなドロドロの自分を出すこともできず、結果的に離れてしまいました。


離れはしたけど、もしかしたら私のように苦しんでいる人が、あの場にいたのかもしれない、そんな人達を救いたい、話を聞ける自分になりたい!と思ったのが、カウンセラーになろうと思ったきっかけの一つでもあったのです。


そこで気付いたこと。


実はそうやって苦しんでいる自分を助けたかったのだな。。。と。
落ち込んでもいいし、マイナス思考になってもいいんだよ。
自分を責めなくていいんだよ。
おめでとうと心から思えない自分がいてもいいんだよ。

当時の自分にそう言ってあげたかったのかもしれないなぁと。


そう感じた時に公衆の面前にも関わらず、うっかり涙してしまいました(笑)
原点に返ったことで、あの時の自分を改めて、癒すことができたような気がします。


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