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2014年6月24日

サーカスとX-Men

今年は、暑くなるのが早いですね。
寝てる時、暑いので、
こども達がごろごろする隙間をぬって、
不思議な角度で、目覚める今日この頃です。

***

今年の春、こどもたちとサーカスを観てきました。
私も夫も、こどもの頃に観たきりで、
何十年かぶりのサーカスでした。

技術も、美しさも、
目を見張るようなショーに感動しました。

動物園に行ったって、
こんなにたくさん
観たことがないライオン。

アフリカの音楽と
それを思わせるライティングで
ゆったりと登場するきりん。

ステージの準備中には、
ピエロが客席を巻き込んで
大笑いのひととき。

次々と鮮やかに披露される
さまざまな芸、などなど。
瞬きするのも惜しいほどでした。

すっかり忘れていた、
こどもの頃に観たサーカスのことを
いろいろ思い出しました。

当時のサーカスは、
会場が明るかったこと。

椅子が、今座っているのと同じ
木の長い板だったこと。

バイクが登場するショーでは、
音がうるさくて、怖かったこと。

あの時の私も、
今、こども達と
サーカスを観ている私も、
本当に、心からわくわくしていたし、
今も同じようにわくわくしているのを
実感しながら、
懐かしい思い出が、色鮮やかに蘇って、
また味わうことができて大満足でした。

ふと、サーカスを観ていて、
なんかこの感じ、何かと似ているなー

とぼんやり感じていたのですが、
なんだかよくわからず、放置すること数ヶ月。

先日、テレビで映画「X-Men」をやっていました。
観ていて、サーカスの時に
掴み損ねた感覚のことを思い出しました。

私は、「X-Men」が大好きで、
DVDを買ってしまうほどなんですが、
「サーカス」と「X-Men」の
わくわくする共通の理由がわかったのです。

特技や、才能を持った人たちが、
一人一人それらを生かしながら、
何かを成し遂げるのを観ると
胸が躍るような、
ブラボーってスタンディングオベーション
しちゃいたくなるような気分になる理由。

それは、「X-Men」の登場人物は、
一人一人すごい特技や才能を持っていて、
それを、ここだという時に
発揮して、人を救ったり、
悪を倒したりする映画です。

例えば、目からビームが出るかと思えば、
天候を操ったり、
超能力を使うとか
それぞれ、比較することなど不可能な
ものすごい才能を
惜しみなく発揮するわけです。

一人一人の才能が
個々に光っている。
それは、サーカスと同じですね。

実に見事な、技術と才能。
それが、さまざまな彩りとなって、
「サーカス」というひとつのショーになっています。

この感じが、私はとてもとても
好きなんだと気が付きました。

そうか、そうだったのかと
一人悦に入っていると、

あれ?
また何かと似てる気がする。
この感じ。


おぉ、あれだ。


カウンセリングをしている時、
たまたま出会ったあの人、
ずっと前から知ってるこの人、
など、誰かと話しをしている時。

その瞬間に
感じるこの感じ。

みんなみんな、
「サーカス」??「X-Men」??

キラッと光る才能や特技。
それぞれの力を発揮して、
この世界に貢献し、
この世界はまわっている、この感じ。

才能なんていうと、
「ないないない~」と
エビのように後ずさりする方がいそうです(笑)。

そりゃ、私たち、サーカスでも、X-Menでもないわけですし、
空中ブランコも危ないし(ってか、出来ない)
目からビームとかも出ませんけど、

誰にでも、誰かを笑顔にする「いいところ」が必ずあって、
それが、どんどん広がって、行き着くところ世界を
ハッピーにする「才能」と言えるのだと思います。

そういう「才能」。
マルチである必要なんてなくて。
ひとつでいい。

それをひっさげて、世界に影響を与える。

ブラボーっ!
かっこいいっ!!

「いいところ(才能)」は、
自分では、気付きにくいものです。
でも、みんなに標準装備されているものなんです。

みんなが、世界に必要なパーツ。
そんな結論に、勝手にゴールしました。

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2014年6月17日

今の自分をそのまま認めよう

私は、カウンセリングをしているときに、しばしばこう思います。それは、

このクライアントさんは、もっとご自身のことを認めてもいいのになぁ

ということです。

カウンセリングを受けるということは、確かに、クライアントさんには悩みがあったり、もっとこんなことが出来る自分になりたいとか、パートナーが欲しい、パートナーともっと幸せになりたいというような課題があるわけです。

悩みはもちろん解消したいですし、こうなりたいという自分をイメージして、それに向かって努力することも、とても素晴らしいことだと思います。


でも、多くのクライアントさんは、「今既に持っている自分の魅力」に気づいていないんです。

悩みがあるときは、人間は、多かれ少なかれ自分自身を責めています。こんな悩みを持ってしまったのは、自分が間違ってしまったからだ、自分に能力がないからだ、自分の性格に問題があるからだ、というような感じですね。

また、もっとこんなことが出来る自分になりたい、パートナーが欲しい、パートナーともっと幸せになりたい、というようなポジティブな目標を持つのはとてもいいのですが、その裏では、

こんなこともできない自分はダメだ、パートナーがいない自分はダメだ、パートナーと上手くいかないのは、自分がダメだからだ

というように、今できていない自分を責めていることがとても多いんですね。パートナーがいたっていなくたって、その人の価値には、何ら関係はないはずなんですけどね。

どうしても、自分のダメな部分を見てしまって、自分の既に持っている良いところは、見失ってしまっていることが多いんですね。


そのため、カウンセリングでは、私は、クライアントさんの価値をたくさんたくさん伝えていきます。

やさしさ、思いやり、配慮、勇気、まじめ、明るさ、話しの分かりやすさ、コミュニケーション能力、継続力、判断力、推進力、筋を通す、合理的、ユーモア、謙虚、思慮深さ、素直さ、などなど。


カウンセリングをしてきてよく分かったのですが、価値のないクライアントさんって、本当に一人もいないんです。クライアントさんは、100%の確率で、必ず価値をたくさん持っています。

とはいっても、クライアントさんに価値を伝えても、なかなか受け取ってくれないことは多いですね。「いやいや、私はたいした人じゃないですよ」という感じで。

カウンセラーさんだからそう言うんでしょ、とクライアントさんに言われることもあるのですが、でも、私自身がウソをついていないので、罪悪感を感じずに、自信を持ってクライアントさんに価値を伝えていけるのです。


とは言っても、自分の魅力を受け取るのって、難しいですよね。私自身も今のままの自分を承認しようといつも心がけているのですが、なかなか難しいものです。

例えば、先日こんなことがありました。

あるとき、私は、カウンセラースクールの仲間の女性の恋愛相談に乗っていました。彼女に男性の心理について話したり、大塚さんなら相手の女性にどのように対応するかというような質問に答えていきました。

そうしたら、あるとき、私のことをこう言ったんです。

「○○ちゃん、いいなぁ~」と。

○○ちゃんは、私のパートナーです。大塚さんがパートナーである○○ちゃんがうらやましい、と言ってくれたんです。

そのとき、私の意識には、「ここで自分を承認する練習をしよう」という言葉が浮かんできました。そして、その女性にこう言いました。

「だって、俺イイ男だもん!」

そうしたら、すかさず彼女はこう言いました。

「ホントにそうだよ!!!」

彼女のこのセリフを聞いたとき、私は、とても違和感を感じたんです。むしろ、

「オッサンがアホ言ってるよ」とか、「はいはい、アホにつける薬はないね」というような反応が返ってきたほうが、自分にとってはしっくりきたと思うんですね。

心はオートマチックに反応してしまいます。自己承認しようと思い立って言ってみたはいいものの、心はウソをつけないようで、とても違和感を感じてしまいました。残念ながら、私は、自分のことを、あまりいい男だとは思っていない部分があるようです。


この私のエピソードは、

「周りの評価と、自分の評価は必ずしも一致しない」

ということの一例だと思います。

そして、この自己評価の低さが、問題を作ってしまうことがよくあるんですね。心は不思議なもので、自分が思ったことをそのまま実現しようとしてくれます。そして、意識的にしろ、潜在意識で思っているにしろ、自己評価が低いと、その自らが付けた低評価の場所に自分を持っていってしまうんですね。

たとえば、私なんてダメだから、パートナーが出来たらパートナーを不幸にしてしまう、と思っていたとしたら、それが実現してパートナーが出来ないとか、俺は罪人だから苦労しなければならない、と思っていたとしたら、それが実現してハードワーカーになってしまったりとか。


本当は、既にたくさんの価値をみんなが持っているんです。今既に持っているわけですから、何の努力も、何の苦労もいらないんですよ。ただただ、今ある自分の価値を認識していくだけでいいんです。

そうすると、心が反応して、価値ある自分にふさわしい世界に、心が連れて行ってくれると思いますよ。


もちろん、今持っていないものを持つように努力するということも、素晴らしいことだと思います。ただ、その場合も、今持っていないことにフォーカスして自分を否定するのではなく、既に素晴らしい自分が、さらに素晴らしい自分になるために努力する、というイメージを持ってほしいんですね。

もちろん、人間ですから、たまには自分を責めることもしてしまいます。もちろん、それでもかまいません。思い出した時だけでいいですから、意識して、自分が既に持っている価値を思い出してみてくださいね。

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2014年6月10日

自分らしい、道(タオ)の生き方とは?

こんにちは、建部かずのぶです。

最近、少しずつですが、身体について学び始めています。
このコラムを書くと決まった頃、日本古来から伝わるという整体を半年ほど教わった先生から、私にある提案がありました。

『良ければ、読んで欲しい本があります。本を読むのは自由ですけれどね~』

メールには、【タオーー老子】と書いてあります。

ちょうど翌日に、大きな書店に行く機会がありましたので、【タオーー】ってどういう本なのだろう?と思い、早速探してみました。

実はタオーーでは無く、タオだったのですが、タオーーのハイフンは、実はサブタイトルへ繋がる文字でした。
そして、漢字で書くと道(TAO)です。

タイトルを確認したその瞬間、軽い衝撃が走りました。
私の中で様々な事が一気に繋がって、妙にゾクゾクし始め、身体が熱くなったのでした。
ああ。今こうやってご縁ができたのだな~と。


随分と遡るお話になるのですが、私が高校生の頃だったかと思います。
私は洋楽、中でもロックに興味を示すようになっていました。

ある時友達から、1本のカセットテープをもらいました。
リック・スプリングフィールドという、オーストラリアのロックアーティストのアルバムで、そのタイトルは【道(TAO)】。

元々彼のことは知っていましたが、これはとびきりカッコいいアルバムでして、もう何度も何度も聴いていました。
ライナーノーツを読むと、彼が道教の教えに感銘を受けて、テーマにしたアルバムであると解説されています。
外国人なのに、あえて漢字のタイトルなのかぁ、と、その経緯に興味を感じつつも、それっきりになっていたのですね。

同じ頃だったと思います。今度は弟が【銀河漂流バイファム】というアニメにハマりました。
当時は父親が厳しくて、テレビも見られない我が家でしたが、たまたま父親の帰りが遅い日に放映されていて、珍しく弟はサントラ盤のレコードまで買ってきました。

これはアニメのサントラでもカッコいい曲の詰まったアルバムでした。
タイトル曲とエンディング曲を歌っているアーティストは、TAO。解説には、先述のアルバムも絡めて“道”について触れられていました。
さらに気になる言葉にはなっていましたが、そもそも中国の思想って?。何となくハードルが高い気がして、これまたそれっきりになっていました(笑)。
当時の私は、人目ばかり気にしていて、自分らしさとか、将来の夢とか想像もできない感じでしたので、
ピン来なかったこともあったかも知れませんね。


ただ、心のどこかで気になる言葉になっていたように思います。
そんな私に云十年の時を経て、フッと届いた今回の本の情報だったのです。

「タオ=TAO(道)」と気づいた事で、心は躍りました。書店で本を買い、早速読んでみたら、その内容にビックリ!!
最近のマイテーマと、まさに合致しているように感じたからです。

奥さまと向き合い続けていく中で、或いは自分自身と向き合うようにしていく過程で、
最近は魂とか、生まれてきた意味など、何か自分の本質を突き詰めるようなことが続いていました。

去年見たドキュメント映画に出てきた「サムシンググレート」。
年末に見た別の映画で紹介された、人間に宿る偉大な能力。
なにげなく読み始めた本に書いてあった、「マネーゲームからの脱出」。
今年、奥さまと2人で学んだ講座のテーマである、「御霊(みたま)」。
カウンセリングサービスの母体である神戸メンタルサービスの中で、私にとって一番大きな学びだった「愛」。

挙げればまだまだあるのですが、「ゆっくり噛みしめて読んで下さい」と書かれていた本の内容が、
すぅーと、一気に入ってくる感覚で、あっという間に読んでしまったのでした。
あえて五感で感じようと、音読したのに関わらずです。


「タオ」は「道」のことで、中国語では、dao または tao と表記される。この dao(ダオ)は日本語に入って道(ドウ)と発音され、道中、柔道、茶道などと使われている。
(あとがきより抜粋)


ここ1年ほど、妙に人や生物、さらには宇宙全体に流れる法則について興味を持つようになっていたのですが、
偶然とは思えないくらいに、様々な角度から情報がやってきている気がしています。
そして、どんどんとシンプルに、明確になってきているようにも感じています。

私たち1人1人は、実はとてもすごい存在のようですよ!


愛の道。
ラブラブパートナーシップの道。
幸せの道。
自分発見の道。
地域を元気にする!の道。

これらは、私の中で今浮かんできている大きなテーマなのですが、
この世の中にどんなふうに貢献、活かしていけるのか、どんな出逢いやキッカケがあるのか、
イメージするだけで、ドキドキワクワクしているのです。

道(タオ)に導かれながら、これからも自分らしく、大切なこの一瞬一瞬を楽しく過ごしていくことを目指していきます!


世間の知識だけが絶対じゃあないんだ。
他人や社会を知ることなんて
薄っ暗い知識にすぎない。
自分を知ることこそ
ほんとの明るい智慧なんだ。

他人に勝つには
力ずくですむけれど
自分に勝つには
柔らかな強さが要る。

頑張り屋は外に向かってふんばって
富や名声を取ろうとするがね。
道につながる人は、
いまの自分に満足する、そして
それこそが本当の豊かさなのだ。

その時、君のセンターにあるのは
タオの普遍的エナジーであり、
このセンターの意識は、永遠に伝わってゆく。
それは君の肉体が死んでも
滅びないものなのだ。

加島祥造「タオーー老子」より 第三三章 「自分」のなかの富

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2014年6月 3日

赤毛のアンと青い鳥 ~腹心の友人たちへ~

ここ数年、あまりドラマは観ていなかった私ですが、NHKの朝のドラマ小説は気付くと結構観ていたりします。
特に今期の『花子とアン』は、私も大好きだったモンゴメリの『赤毛のアン』を初めて日本語に翻訳し、紹介して下さった村岡花子さんの生涯を原案にした作品なので、始まる前からとっても楽しみにしていました。


私は『赤毛のアン』が大好きで、小学校の頃から何度読んだかわからないくらい、村岡版のアンを愛読していました。
私自身の少女時代から結婚して娘たちが生まれる頃までは、年に一度はシリーズを全巻通して、何日もかけて読み、物語の世界を楽しんだものです。
人情や温かみのある時代背景、美しいプリンスエドワード島の自然、生き生きとしたアンの想像の世界、魅力的な人物たち――、こうして書いていても、すぐにでも最初から読み返したくなるくらい、アンの世界は私にとって今でも魅力的で、アンについて語り始めるとすぐに時間が経ってしまうくらい、長くなってしまうんじゃないかなって思います。

孤児で一人ぽっちのアン。
みすぼらしい服を着たやせっぽちの女の子で、取っ手のとれかけた古ぼけたカバンと想像力以外には何も持たない彼女が、次々と愛する人たちに巡り会い、しあわせになっていくその生き方は、私にとって『夢』そのものでした。
そんな魅力にあふれた『赤毛のアン』の世界ですが、私の目に特に魅力的に映ったもの――、それは、アンとその友人たちの関係です。
特にアンには『腹心の友(Kindred Spirits)』と彼女が呼ぶ友人たちがいて、その絆をとても羨ましく思ったものです。
中でも、アンにとって現実世界での初めての友だちであり、生涯の親友となったダイアナとの関係は、私の羨望の的でした。

私の子供時代は、決して不幸なものではありませんでした。
むしろ、しあわせだったほうなのだろうと思います。
けれどそれでも私は、ずっとおおきな寂しさを抱えていました。
今にして思えば、それはただの滑稽な勘違いで、大いなる誤解だったのだけれど、幼い私にとってそれは辛いものでした。
「私は誰にも愛されない」「みんな私を見捨てていく」そんな間違った思い込みを後生大事に胸の中に抱え、「たった一人でいいから、どうか、誰よりも私をこの世でいちばん愛してくれる人が欲しい」、ずっとそう願って生きてきました。
その渇望はとても強く、大きなものであり、そうと意識していない時でも、いつも飢餓のように私の心を苦しめていました。

小学校に上がる頃でしょうか、家族にそれを求めるのは無理だと感じていた私は、友達にそれを求めるようになりました。
でも、親でさえ出来ないことを自分と同じ年の子供に求めたって無理なのは、大人になった今だからわかることです。
「私を一番に愛して」「いつも私を見ていて」「他の人と仲良くしないで」「私のことを全部わかって」――、そんなことを同年代の友達に求めても、当然叶えられるはずもありません。
小学校の卒業とともにその子とも疎遠になり、幾度手紙を出しても返事は来なくなり、中学校ですれ違っても接点すら持てず、私はまた孤独になりました。
中学ではちいさないじめもいくつか経験し、誰にも言えず、毎晩泣いて過ごしました。
そしてそれ以降、私は友達とも距離を持った付き合いしか出来ず、変わらぬ寂しい思いを抱えて生きてきました。

大人になってからも、そんな私を見つけ、パートナーに選んでくれた夫にさえも、私は小学校時代の友人と同じく、心の奥底では一方的に愛されることだけを望み、そして勝手に絶望しました。
両親も友人も夫も、本当は私を彼らなりに心から愛してくれていたこと、今ではしっかりと感じられていますが、当時の私は「それは私の欲しいものじゃない!」と見ようともしていなかったのです。

だから私にとって、『子供を産む』ということは最大にして、そして最後の希望でした。
子供にとって母親はひとりきり、だからこそ子供なら私ひとりを特別に愛してくれるだろうという、勝手な期待をしていました。
それは皮肉にも、私がどれだけ母を特別に思い、愛していたかを証明するものでもあったのですが、私は愛してあげるためでなく、私一人を特別に愛し、求めてくれる存在として、子供を必要としていたのです。

そんな私の下へ娘として生まれてきてくれた長女はとても優しく、愛情深い子だったのですが、繊細で怖がりだったり、不安定で扱い難いところを持ち合わせてもいました。
それはたぶん、私の不安定な状態とも無関係ではなかったはずなのですが、親になりきれていない私にとってはどう接していいか悩むことも多く、私はまた勝手に期待を積み上げては失望して、長女に対して怒りをぶつけてしまうことが多くなりました。
私に怯える長女のほうは、感情を殺し、ただ嵐が過ぎ去るのを待つという方法を選んで大きくなるのですが、家だけでなく外の世界でも周りの怒りを引き受けることが多くなり、それほど大事にはならずとも、いじめられたことも多々あったようです。
その結果、彼女は自分の感情や感覚が分からなくなり、生きている実感さえ感じられなくなっていきました。
そうしてその後、『自傷』という方法を自己の解放手段として彼女は執り、それが私の人生を180度転換させることになったのです。

私はといえば、娘の苦しみと向き合うことで彼女がどれだけ私を愛し、私を求めてくれていたのかを知ることとなり、愕然とすることになります。
そう――、娘が私に向けてくれた愛は、それこそ私がずっと求めていた『愛』そのものでした。
私をいつも見ていてくれて、私を一番に愛してくれていて、心を許せる友達を他に作ることもなく、私一人を求めてくれていた――、けれど私はそれにずっと気づくことがなかった。
(娘がそれを意識してやっていたかというと、そんなことはないのですけれど、それでも私は、彼女の魂が私のためにそうしてくれていたのだと信じています。)
私がずっと45年間、気が狂いそうなほどに欲しかった愛は、十数年も前から私のすぐそばにあったのです。
童話の中の青い鳥のように、私はそれに気づかなかっただけなのです。

そして長女だけでなく、次女も、夫も、両親も姉弟も、彼らなりにたくさんの愛情を私に注いでくれていました。
私が皆の愛に、目を背けていただけなのです。
「周りが愛をくれない」と思い込んでいたのはただの間違いで、「私が」愛を拒絶していただけだったのです。
長女の病気と自傷をきっかけに、心を学んで行くこと、自分自身と向き合っていくことで、やっと私はそれに気づくことが出来ました。
愛されることよりも愛することを学ぶことで、自分がどれだけ愛されていたかを気付くことができて、周りに愛を求めなくてもよくなりました。
そしていつの間にか、私の周りにはあれだけ憧れた、心から繋がれる友人たちがたくさんいてくれるようになりました。

いつも一緒にいなくても、たぶん何年かぶりにあったとしても、距離や時間を飛び越えてすぐ以前のように繋がれる、何かあった時に助けを求めたなら、きっとすぐに来てくれる、何の保証もないけれど、そんな風に信じられる関係。
彼らの喜びを自分のことのように感じ、また彼らも私のしあわせを喜んでくれる、くだらないことで笑い合ったりふざけ合って、一緒に泣いて笑って怒って、どんなことも互いに受け止め合える、そんな親友が今、私にはいます。
アンとダイアナの友情のような、そんな美しいものではないかもしれないけど、彼女のためならきっとどんなことでも出来ると思えるような……。

私は愛されている、そして、愛している――、少女時代に憧れていた、愛に溢れた美しいアンの世界は、ずっと私の周りにありました。
それに気づくことが出来たしあわせに、そしてそれを私にもたらしてくれたすべての人に、今、私は心から感謝を伝えたい。
そして、このしあわせを、もし私にできるのならば世界中の人にあげたいなあと、思うのです。
もちろん、今、ご縁があってこのコラムを読んでくださったあなたにも……。


あなたの青い鳥は、あなたのすぐそばにいます。
それに気づいたとき、きっとあなたの目に映る世界は赤毛のアンの物語のように、美しさに満ち溢れていることでしょう。
私がそうだったように――。

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