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2014年3月25日

お父さんのサプライズ

幼い頃の記憶。

小さな会社の小さな社員旅行から帰って来た父。
知らない土地のお話と、まちに待っていたお土産に目をキラキラさせながら父を囲む妹、母、私。

こたつの上に早速現像してきた写真を拡げて、始めて行った土地の様子と新しく知ったことを私達に伝えようと、普段にはない饒舌さで話して聞かせてくれる父。

こんなところに行って、大きな建物があって、人がたくさんいてね、変な色の美味しい食べ物を食べてね・・・

大きな紙袋からがさごそとお土産を出して渡してくれる。
私と妹には、きれいな写真の絵葉書、お菓子、あと何だったんだろう・・・忘れてしまったけどすごく嬉しかったのだけは覚えてる。

「お母さんには買い忘れた~」おどけて見せる父に「可哀そう~」と言いながらも、自分たちへのお土産が嬉しくて二人ともしきりにはしゃぎ終わった頃。


「あ、こんなところに!」

と父がポケットから小さな箱を取り出した。

「はい、お母さん♪」

手のひらに乗った赤い箱を開けると、
白いクッションの上に、金の繊細なリング。
真ん中にグリーンの不思議な色をしたきれいな石がのっている。

幼心にもそれがとても「いいもの」であるのは見てわかった。
「わ・・・」
妹とふたり、息を飲んで見つめる。

お父さん、かっこいい。
今で言う「サプライズ」だわ。
いいなー。

それを見て母が言ったこと。

「なんで、こんなもの?○○円なんて高いよ。
お父さん、センスないんだから。高いもの買う時は私が選ぶから言ってよね。
お金ないんだからこんなもの買わなくていいのに。」

ふっと顔色が変わった父。

「そうか、じゃあいいよ。せっかく買ってやったのに。。」

明るい色だった記憶はそこから、シュンと暗くなって終わる。


お母さん、私達がいたから、恥ずかしくて素直に喜べなかったのかな。
それなら後でお礼を言ったりしたのかな。
本当は嬉しかったんだよね。
お父さん、お母さんのこと喜ばそうとしてわざわざポケットに入れてたんだよね。

そのあとはどうなったのか聞いてない。

間もなくわたしは思春期に入って、父をけむたがり、大人になってからは母の愚痴につきあい、父のダメさを散々聞かされ同情し、母をかばって父を敵視していた。
父が可哀そうなんて思っていたのすら忘れていた。


なぜか20年以上経ってもそれだけは鮮明に覚えていて、「さすがにあれはないなー」と思うようになり、帰省した時に母にこの話を伝えてみた。

母は「そんなことあったかしら?あなたはよく覚えてるわね。こわいわ~」くらいで流されてしまったけれど、母はどこまで記憶していたかは言わなかった。何気なくいった言葉だったらきっと覚えてないんだと思う。

私の中で引っかかっていたから言いたかっただけで、だいぶ大人にはなったけどそれでも父に「お母さん、ひどいよね」とか直接言うほどの勇気も可愛げも持ち合わせていいなかったから。

それからまた数カ月後の帰省。
センスがいい母にはめずらしく、しわが増えた指に見たことのない、ちょっと趣味の悪いグリーンの石がのった指輪があった。

あれ、死んだおばあちゃんの形見かな。
それともセール好きのお母さんのことだから、半額とかで見つけてきたのかな。

のんきにそんなことを思いながら、とくに何も聞かず、そんなに気にも留めずにその日は終わった。


・・・あれ?

なんとなく、「そうかもしれない」と思ったのはだいぶ経ってからのこと。

お父さんは、気付いてくれたかしら。
お母さんは、ちゃんと「ありがとう」って伝えてくれたのかしら。

ちょっと気になるけど。
いつか聞いてみようかな。

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2014年3月18日

知り合いかも?

最近は、インターネットの発達により、人間関係がより多様に、複雑になってきているなと感じる今日この頃ですが、皆さんは、この複雑な社会を上手に生き抜いていますか?

ほんの10年ほど前までは、人間関係といえば、学校、職場、町内会など、会って話すのが基本で、あくまでも補足として電話や手紙があったように思うのですが、最近では、SNSなどのネットを通じて知り合い、お互いに顔も本名も知らないのだけど、けれどもしっかりお友達というケースも増えてきているように思います。
実際、カウンセリングにも、このSNSを通じて知り合ったお友達との関係がこじれて、大変な事になったというご相談も、たまにお聞きしますので、ネットの人間関係も侮れません。

かつては私の友人が、インターネットのコミュニティサイトで知り合った女性と結婚した際に、「ネットで知り合った人と結婚して、本当に大丈夫なのか?」と、いらない心配をしたこともありましたが、その友人夫婦は、10年経った今でも大変仲良く、結婚の為に婚活サイトを使う事は、今ではもはや常識と言ってもいいかもしれませんね。

かくゆう私はと言うと、理系の大学を卒業しているにも係わらず、このSNSに関しては、今までほとんど活用していませんでした。
そんな中、私も今年になって、ようやくFacebookと、LINEを始めたのですが、始めてみて、そのネットワークの力にびっくりしました。

まず、Facebookに関しては、登録した瞬間から「知り合いかも?」という案内と共に、次から次へと私のよく知っている方の名前と顔が表示され、調子に乗って申請していると、芋づる式に次々と表示されてしまうので、真面目に申請していると本当にきりが無いですね。

さらに、LINEに至っては、アカウントを作成してIDを公開してみると、なんと私が以前勤めていた会社の方々や、地元の幼なじみ、さらには、九州に住んでいる従兄弟の名前までがずらっとリストアップされ、ID公開からわずか10分後には従兄弟から私宛に、「LINE初めた?」というメッセージが届いたかと思うと、翌日には「いとこ会」が誕生してしまいました。(もちろんこれは、私の従兄弟が意図的に作ったのであって、勝手にできたわけではありません。)

しかしながらLINEは、九州に住んでいる私の従兄弟が、何故、私とつながりがあるとわかったのか?
多分、私や従兄弟の個人情報は、いつのまにかネット上に流出しまくっていて、知らない間に関連性まで把握されていたのでしょう。
思えば、ネットショップでの買い物や、メルマガなどの会員登録など、何かしらインターネットのサービスを利用するたびに、個人情報としてメールアドレスや電話番号を入力しまくっているわけですから、あり得ない話ではありません。
本当に、今のSNSのネットワークの力はすごいものを感じます。

近い将来には、例え誰と生き別れようとも、Facebookを開けば、「知り合いかも?」と瞬時に見つけられる世の中になってしまうかもしれません。そうなったら、TVの人探し番組は、もう必要ありませんね。
もちろん、そうなった場合は、いい事ばかりではなく、例えば夜逃げして身を隠したい人も、Facebookを開かれたら、「知り合いかも?」と見つけられてしまう訳です。本当に悪いことは出来ませんね。

ところで私、昨年の秋頃でしょうか、かつての幼なじみが、今、どこでどんな事をしているんだろうと無性に気になった事があって、同窓会でも企画したらどうだろうと、一人意気込んでいたことがあります。
しかしながら、今年になってLINEやFacebookを始めてみると、仲の良かった幼なじみとは、簡単に連絡がつきました。
さらに聞けば、母校の同窓会は、Facebook上に既に存在しているとのこと。意気込まなくても、開催したければ簡単に開催できます。昨年の私の意気込みは、一体何だったんだろうと思います。

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2014年3月11日

「信頼」に気づいた日 ~「誰かを何かを信じられない時」、それは「自分を信じられない時」

私は、今でこそ、個性豊かと言えば、聞こえはいいですが、
「天然」と言われたり、「いるだけで笑える」と言われたり
かなり変わった、ユニークで個性的なカウンセラー、とお客様から言っていただいておりますが、以前は、全く自分の個性を認めることができませんでした。

自分のことを否定していたし、嫌いだったし、また、個性的であることは良くないことだと、できるだけ普通になろうと思っていた節があります。

しかしながら、カウンセラーになって急に個性的になったはずもなく、今から思い返せば、幼少期から、大人になってからも、ずっと、実は、かなり変わっていたと思います。

私は、カウンセラーになるまでは、ずっと何かしら「生きているのが苦しい」と感じていたのですが、個性的なのに、一生懸命、普通になろうとしていたのですから、「生苦しい」と感じるのは、ある意味、当たり前だった、と今は思います。

私は、幼少期から、変なことで悩む子ども(と自分のことを感じていた)でした。

どんなことで悩んでいたかと言うと、例えば、

「どうして世の中には戦争が起こるんだろう」とか、
「男らしさ、女らしさって何だろう」とか、
「人の心は、悪なのか、善なのか」とか、

そんなことをずっと悩んでいました。

このように、はっきり意識したのは中学校の頃だと思うのですが、これは、大人になってからもずっと悩み続けていたことだったのですね。

今振り返ってみると、思春期にこうしたテーマで悩むのは、ある意味当たり前だったと思うので、自意識過剰、だったとも思います。

しかし、この悩みは結構深刻で、
高校生の頃は、哲学科に進学した方がいいのかな、と思っていた時期もあったくらいです。
(結果的には、一番無難と思った経済学科に進学したのですが)

こうした悩みには、答えはありませんでした。
当時は、そう思っていました。

ところが、私がカウンセラーになろうと決意し、カウンセリングを勉強した学びの中で、また、カウンセラーになった後にカウンセリングを通じて、答えは出ていないけれど、方向性みたいなものが見えたように感じたのです。


昔、私は、「愛」というものを、信じられませんでした。
正確に言うと、「愛」があることを信じたいけれど、「愛」があることを信じられない出来事が多過ぎる、ということになるでしょうか。
私の悩み続けたテーマというのは、結局は、こうした思いが原点にあるようです。

だから、「愛」というと嘘くさいと感じていました。
「愛」をまっすぐ表現されると嫌悪感があったし、「愛」を感じると自分のことを偽善者のように感じていました。

ところが、カウンセリングを学ぶ中で出会った人たち。
そして、カウンセリングを通じてお話させていただいた方達。

そうした方々との間で感じざるを得ないことが、出てきました。

それは、どんな人も「優しさ」や「愛」を心の中に持っている、ということ。

もちろん、だからといって、世の中にはいろんな事件が起こるし、許されるべきではない行為もたくさんあります。
これは、このことを語る時に、本当に大切な視点です。

でも、それを踏まえた上でも、どうやら、本当にたくさんの人々の心の中には「愛」や「優しさ」があるらしい、ということを実感しざるを得なくなっていったのです。

カウンセリングでお話を伺うと、必ず、出てくることがあります。

それは

「悩んでいること」

です。

悩んでるからカウンセリングに来るんだろう!とツッコミをもらいそうですが、私は、このことが、「愛」や「優しさ」の証拠だとは思ってもみませんでした。

もし、「愛」や「優しさ」がなければ、

「悩まない」

なずなんですね。

では、

「何も感じない」

場合はどうなるのか。

そこには、人の心の不思議や、単純にはいかない事象が起こってきます。

あまりに辛いと、人の心は、自分の心を守るために、感情を麻痺させて、感じなくなってしまうこともあるのですね。


確かに、人の心は、そんなに単純ではありません。

けれど、悩み苦しんでいる方が、あるいは、何も感じないと言っておられた方が
カウンセリングを通じて、それが変化していく姿を見た時。

そして、その変化のきっかけが、多くの場合、

「誰かを大切に思う気持ち」

であることを、目前にした時。

私は、自分が疑い続けた、人の心の「愛」や「優しさ」について、思いを変えざるを得なくなりました。

どうやら、人の心の中には「愛」や「優しさ」があるらしい、と。

そう思えるようになってから、私自身の中で大きな変化が起こってきました。

自分が個性的でもいいじゃないか、と思えるようになっていったのです。
そこには、こんな気づきがありました。

誰かを、何かを信じられない時。
それは、自分を信じられない時。

誰かを、何かを信じようと思えた時。
それは、自分を信じようと思えた時。

実は、私は、「愛」が信じられなかったのではなく、自分が信じられなかったのです。

私は、カウンセラーという仕事を通じて出会った多くの方々に、「自分を信じる」ことを教えていただいたように思います。
そのことによって、私は、自分を信じてみようと思えるようになり、そのことで、個性的でもいい、と思えるようになり、今の私があります。


この「カウンセラーのコラム」には、私は、こうしたテーマについて、折々に書かせていただいてきました。

振り返ると、7年の間に、45本のコラムを書かせていただいています。
このコラムのテーマを一言で現すとしたら、「信頼」というテーマを書いてきたのだと、今回、このコラムを書かせていただくのに、気づきました。

この気づきをくれた、私と関わってくださった多くの皆さまに感謝しています。

そして、これからも、この答えの出ないテーマについて、考え、悩みながら、進んでいきたいと思います。

いつも、本当にありがとうございます。
そして、これからも、どうぞよろしくお願いいたします。

池尾昌紀のプロフィールへ>>>

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2014年3月 4日

弟の思い出 ~大切なひとを亡くしたあなたへ~

冬から春へと移り変わる2月から3月、4月への数カ月間は、毎年、私にとって、いろんな感情を思い起こさせる時季でもあります。

2月は亡くなった弟の誕生日、3月は亡くなった父の誕生日と弟の命日。
私がカウンセラーになるきっかけを作ってくれた長女の自傷が始まったのが2月。
父も弟も、この季節に病状が悪くなったように記憶していますし、2011年に行った生まれて初めての一人旅も何故か2月、極寒の比叡山でした(笑)。

そんなたくさんの思い出のなかでも、特に私の心に残っているのは、弟の思い出です。
今日はそんな私の、とても大切な弟のことを書かせていただこうと思います。
どうか皆様、よろしければ少しの間、お付き合いくださいね。


私には五歳下の弟がいました。
頭がよくて、手先が器用で、絵や工作が得意で、運動神経も良くて、たいして努力もしていなさそうなのに、それなりに成績も良くて。
ちゃっかりしていて、愛想はなかったけど友達が多くて、なぜか誰からも愛される子でした。
もちろん私も、彼が大好きでした。

亡くなったのは、今から11年も前のことです。
まだ33歳の若さでした。


亡くなるひと月ほど前の、2月下旬のこと、めずらしく彼が私に電話を架けてきてくれました。
数日前に贈った、誕生日プレゼントのお礼の電話。
でも本当は、弟が伝えたかったのはそれだけではなかったのでしょう。

ちょっと照れくさいような会話のあと。
ふいに空気が変わり、声が途切れて、重度のうつ病だった弟が電話口で泣き出したとき、私は一緒に泣くことしか出来なかった。
「ごめんね、何もしてあげられなくてごめんね」、何度もそう言って泣きました。
ひとりになるのが怖い、老齢に差し迫った両親が死んでしまったら自分は一人になってしまうと子供のように泣きじゃくる弟に、「絶対あんたより先には死なないから、私がずっといてあげるから」と。
それしか言えませんでした。

そのあと、どうやって電話を切ったのか、私は覚えていません。

そうしてそれからひと月ちょっと経ったある日、弟はひとりで旅立って行ってしまいました。


私が心理学やカウンセリングを学ぶようになった一番の動機は、長女を助けたかったから、死なせたくなかったからです。
ですがもうひとつ、弟の死を無駄にしたくなかったから、彼の死を何かの形で生かしたかったから、という気持ちも大きかったです。
娘や、弟のような子をひとりでも減らしたい、そう思いました。
もちろん、私に出来ることならどんなお客様の、どんな悩みであっても軽くするお手伝いがしたい、そんなカウンセラーでありたいというのが私の理想です。
けれど、私のカウンセラーとしての原点は、娘と、そして弟にあると思っています。


そんな弟と私がちいさいころのこと。

母が弟を妊娠したとき、私は妹が生まれるものと思って、とても楽しみにしていました。
大事なお人形を貸してあげる、そう思うくらい、可愛がるつもりでいました。
ですが生まれたのは男の子で、やっと生まれた跡取りの長男に、父も母も、親類縁者みんなが大喜び。
妹が欲しかった私は生まれたのが男の子だったので、すっかり興味を無くしてしまったのですが、周り中が夢中になって弟をちやほやするのが、ちょっぴり腹立たしかったものです。

つい最近まで可愛がってくれていた周りの大人たちからすっかりかまってもらえなくなった5歳の私にとって、弟の誕生は、アイドルの座から転落させられるという、初めての「ハートブレイク」だったわけで、自分も3つ上の姉に同じ思いをさせていたであろうことなどつゆ知らず、すっかり僻んでいじけてしまいました。
そこから私は、心の奥底に「私が女の子だから要らないんだ」、「男は男だというだけで愛されるんだ」といういくつかの誤解を抱いて大きくなるわけですが、それにはっきりと気づくのはずっと後、40年以上経ってからのことになります(笑)。

ともあれ、赤ちゃんだった弟が歩けるようになった頃、私は小学校の一年生になっていました。
そんなある午後のことです。
学校が終って、ランドセルを置いて遊びに行く私がふと振り返ると、家にいるはずのちいさな弟が、にこにこしながらついてきているではありませんか!
よちよち歩きを卒業したばかりの弟は、振り向いた私にそれこそ周り中の大人を虜にした愛くるしい笑顔を向けて、もみじみたいな可愛い両手を差し出しました。

私は仕方なく、弟を抱き上げて、急いで家に連れて帰りました。
「もうっ、なんでついてきちゃったの?遅くなっちゃうじゃない」
そう言いながらも、なんだかとても嬉しかったのを覚えています。

今でも私は、この時のことをよく思い出します。

あの子は私のこと、大好きだったんだなあって、思いながら。
そして私も、こんなにも弟のことを愛してたんだなあって。
こんなにも愛せる誰かを持てたなんて、なんてしあわせなことだろうと、心から思います。

私と弟と、たったふたりだけの、大切な思い出。
誰からも愛された彼の、だけど、私とだけのささやかな思い出。
そんな弟のことを思い出す時間は、今では私にとって心を優しく癒してくれる、しあわせなひとときになっていたりします。


半年ほど前、カウンセリングで弟のことを思い出す機会がありました。
10年も経つのに、いまだに助けられなかったこと、何もできなかったことを悔やんでいる私がいました。

あのとき、私にSOSを出してくれたのに、私は彼を助けることができなかった。
意識していたよりももっと深く、もっと強く、自分を責めていたことに、私は改めて気づかされました。
けれども、その感情を感じ切ったあと、私の中に残ったのは、彼への感謝と、愛だけでした。


カウンセリングサービスの母体、神戸メンタルサービスで月一回行っているヒーリングワークでも、喪失の悲しみを癒すワークを扱うことがあります。
そのとき、私たちの先生でもあるトレーナーは、よくこう問いかけます。

「あなたの愛する人は、自分が亡くなったことであなたが自分を責めているのを見たら、どんな気持ちがするでしょうね?」


できるのなら――、難しいことかもしれませんが、もしもできるのなら。
もしもあなたが、大切なひとを亡くしたことで、ご自身を責めているのなら、もうそれを手放して下さい。
あなたに会えてよかった、そう言ってあげてください。

私ももし、私が死んだ後に、私の愛するひとたちが、悲しんでいたり、苦しんでいたらすごく嫌です。
「大好き」の気持ちと、「ありがとう」の気持ちなら、喜んで受け取りたいけれど、ね(笑)。

だからきっと、弟もそう思ってくれているはずと、私は思うのです。
そして、あなたの大切なひとも。

会えなくなった寂しさや、喪った悲しみは完全には消えないかもしれない。
けれどそれでも、思い出すたびに胸があったかくなる、しあわせな想いに包まれる、そんな思い出に変えることは出来るはず。
たとえ今は出来なかったとしても、いつかは――。

どちらを選ぶかの選択権はあなたにあります。
どうかあなたの大切なひとを、あなたを苦しめるものにしないでください。
あなたの「喜び」にしてあげてください。
それこそが、そのひとの望んでいることなのですから。


私も明日、晴れたら、空に向かって言います。
「ずっと大好きだよ、ありがとう」って。

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