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2013年3月26日

また、彼に恋をする ~21回目の結婚記念日に思う~

結婚して21年。もうそんなに経つんだ~と、驚きとともに、21年という時間について考えてしまいました。

人生の半分近くの時間をともに過ごしてきた夫。

わたしは、今でも、彼のちょっとした仕草や表情に「どきっ」とすることがあります。年齢を重ねたぶん、ちょっとオヤジ臭くなったなぁとも思うのですが、そこがいいなぁとも思うのです。時折、ふと見せる無邪気な笑顔や照れくさそうな表情の奥にある優しさを感じるとき、「あかん、惚れてしまうやん!」と思うんです。そして、そんなとき、「やっぱり、わたしは、この人のことが大好きなんだなぁ」って思います。

もちろん、いつでもそんな気分でいるわけじゃありません。「今更いちいち言わなくてもわかるだろう」お互いにそんなふうに思って、ちゃんとコミュニケーションをとらず、気がつけば「なんでわからへんねん!!」と、どちらからともなく不機嫌になるときもあります。ケンカもします。お互いに相手にうんざりするときもいっぱいあります。
21年という時間の中で、「もうこの人とはやっていけない」と本気で考えたことも2度や3度ではありません。なんであの時別れなかったんだろう??と思うくらい、二人の関係が険悪になったこともありました。

心理学に出会った頃のわたしは、「彼はなにもわかってくれない」「彼をあてになんかできない」「どうせ言ってもムダ」そんなことばかり口にしていました。夫は、わたしを苦しめる存在。そんなふうに思っていたのです。その頃、わたしは育児と介護でへとへとでした。不安と疲れで、心も体もいっぱいいっぱいだったんです。でも、「助けて」とは言えませんでした。誰に、どう助けを求めたらいいのか、全くわからなかったからです。それまで、誰かにお願いしたり、助けを求めたりしたことはなかったんですよね。夫にすら、弱音を見せない女、それがわたしでした。
助けて欲しいと言えないぶん、イライラすることが増えました。ヒステリックになることも増えました。いっそ別れてしまいたい!!そんなことも考えました。そんなわたしを見ていて、彼は彼で、そんなにオレに不満があるなら、どこへでも行ったらいい!!と思っていたそうです。

「助けて欲しいけど、どうやって助けてもらったらいいかわからない」女と、「助けたいけど、どう手をさしのべていいのかわからない」男。お互い不器用で、表現することもできずに、ただただ不満をつのらせていったのです。
そんな私たちをみて、ある人がこんなことを言いました。「まきさん、助けて欲しいって彼に言ったことある?しんどいって伝えたことある?神様じゃないんだから、言わないと伝わらないよ」

そうなんです、言わないと伝わらないんです。

あたりまえのことなのに、わたしは言われるまで気がつきませんでした。助けて欲しいと伝えるということは、その時のわたしにとって、全く新しい「やり方」だったのです。

「助けて」そういえばいいんだ、そう思ったわたしは彼にその気持ちを伝えようとしましたが、慣れないことだし、今更そんな・・という気持ちになるし、照れくさいし・・と、なかなか伝えられずにいました。照れくさくって、ぶっきらぼうな口調で「保育園の準備手伝って!!」そういうのが精一杯でした。でも、その言葉を伝えた時、彼は、笑顔になって、涙を流したんです。
そのとき、わたしは、彼はずっとわたしを助けたくて、でもどうしていいかわからなくて、苦しんでいたんだということに気がつきました。「わたし、愛されてたんだ」と、感じることができました。泣き笑いでぐしゃぐしゃの彼の顔。そんな彼を初めて見ました。わたしは、うれしくなって、そして、胸がきゅんとしました。もう一度、彼に「恋」したんです。
こんなふうに、私たちは、なにかのハードルを越えるたび、もう一度「恋」をしてきたみたいです。

年齢を重ねる、ということは、人として「成熟」していくということ。今までのものの見方ややり方、考え方が通用しなくなって「どうしたらいいかわからなく状態」が、問題の中にいる状態だとするならば、問題を乗り越えるということは、「今までの限界を超えた、新しいものの見方ややりかた」を手に入れる、ということなのかもしれません。

いろいろな問題を乗り越える度、それまで気がついていなかった、わたしの知らない「彼」の魅力、優しさ、愛、強さ・・を知りました。その度、わたしは、彼のことが今まで以上に「好き」になりました。
「恋」している時は、パートナーのいいところをいっぱい見つけることができます。パートナーに何かしてあげるのが楽しくなります。世界が輝いて見えたりもします。そして、なにより、「恋」している人はキラキラと輝いているのです。
年齢を重ねるにしたがって、「恋」のしかたは変わっていきますが、パートナーのことを「好きだな」と感じていられることは、とても幸せなことですよね。

パートナーとの問題の向こうに、「幸せ」というご褒美が待っている。そう思うことができたら、問題に向き合ってみてもいいかも?と思いやすくなる気がします。

きっとこれからも、ケンカをしたり、ケンカする気にもなれないくらいおたがいに「うんざり」したりするんだろうねぇ・・結婚記念日にそんな話をする私たち夫婦。そんな話をしながら、どちらからともなく「クスリ」と笑いがこぼれてしまうのは、「うんざり」の向こうには、「惚れてしまうやん!」と思うようなパートナーの姿があることを知っているからかもしれません。そして、これから先、何度くらい彼に「恋する」んだろう・・・、どんな彼に「恋する」んだろう・・、そんなことをふと思って、ちょっぴりウキウキしているわたしなのです。

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2013年3月19日

春が待ち遠しい!

3月も半ばを過ぎ、春があちこちに感じられるようになりましたね。
日も長くなり、風も北風から南風へと変わり、同じ太陽なのに肌で感じる日差しは冬のそれと違っています。
不思議と日差しも華やいでより明るく見えます。
何よりも心がワクワクして、なんだか気持ちも明るく、良いことがありそうな気分にもなってきます。

10年以上前ですが、東南アジアに数年間住んでいたことがあります。常夏で四季がなく、なんとなく1年が過ぎていました。
もちろん、常夏でも1年の中で若干の違いはあるのですが、やっぱり四季があるって、素晴らしい!と毎年思います。

日本では春は変化の時期。草木が芽吹き、花が咲き、生命力に溢れる季節ですよね。
特に日本は年度変わりということもあり、卒業や転勤、入学や入社など節目の季節でもあります。
寂しさや不安もあるけれど、新しいスタートを迎え、やる気になったり、期待に胸弾ませることも多いと思います。

今年は私にも変化が訪れているような実感があります。
それは、先月下旬に友達に誘われて鎌倉へ行ってきた時に感じたことなんです。
その日は鎌倉大仏から始まり、いくつかのお寺など初心者おススメコース的なところをおしゃべりを楽しみながら観光してきました。
まだまだ寒い日だったのですが、どのお寺に行っても梅の木があり、きれいに花を咲かせていました。そして、水仙や福寿草など、花の季節と比べると少ないけれども意外と色んな花が咲いていました。
草木が大切に手入れしてある様子で、とても風情があり、そこには早い春が感じられました。

この頃はまだ寒い日が続いていて、私の中には春はまだ遠く花が咲いているなんてイメージはなかっただけに、ちょっと驚きもあり新鮮な感じだったんです。 
でも良く考えてみると、2月は梅の季節で花が咲く時期なんだ、と気づいた瞬間に心が温かく晴れやかになりました。
昨年12月に職場での異動もあり、環境に慣れることや仕事を覚えることで大変だなと思いながらも、それなりにやり過ごせているつもりでした。
が、「なんだか余裕がなかったんだなあ、私」と思い、目が覚めたような気持ちになりました。そして、心が解放されるよう気がしたんです。
そんな思いを抱きつつ、季節を感じながら自然の美しさを堪能し、あっと言う間に1日が過ぎてしまいました。

そして帰り道。電車の中で友達と話していて改めて気づいたことがありました。
彼女とは、まだまだ私が離婚問題の渦中にいた時に心理学を学び始めて知り合い、話を聞いてもらうことがあったんですね。
いつも私を励ましてくれ、時にはハッキリと厳しいことも言ってくれたりしながら私を応援してくれました。 もちろん、今も私が素敵なパートナーを見つけて幸せになることを誰よりも願ってくれています。
そんな未来のパートナーシップの話から、その昔、私が流産した話をしたんです。彼女は初めて聞くとビックリしていました。あまり誰にもこのことは話したことがなかったんですが、彼女には言ったことがあると思っていたのでこちらもビックリ。
それだけ封印してきたんだなあ、と思いました。

海外に住んでいた時に妊娠がわかったのですが、妊娠初期での流産。しかも、その時には夫は会社の慰安旅行で不在。(ローカル社員のために現地では全額会社負担で年に1回慰安旅行があります。その時、彼は幹事役でした。)
私は1人で家に残り、流産してしまいました。その兆候は少し前からあり。流産となる可能性も高いことはわかっていたのですが、彼は出かけてしまっていて、明け方で救急車も呼べずにいました。(呼び方もわからなかったし、日本と違ってたとえ呼べたとしても何の役にも立たないとも思っていたかな。)
悲しさや辛さは感じたはずなのですが、ほとんどそれを見せないよう、感じないように押さえ込んでしまったようです。彼ともこの話は暗黙のうちにタブーになった感じでした。
だから、日本に戻ってきて先に本帰国していた友達にそれを話したとき、「それは辛かったね」と言われた途端、涙がこぼれてきたのを覚えています。
流産から1年たって、それは辛い出来事だったんだと感じました。(この時はまだ心理学は学んでいなかったのですが。)

でも、その辛さを感じないようにしていたその下に、実は妊娠がわかり彼に告げた時に、手放しで喜んでくれなかったこと、
困惑した顔をされたこと、「私のことイヤなんだ」とショックを受けたこと、そんな気持ちがあるのを私は認識していました。
(実際に彼がそう思っていたのかどうかは、今となってはわからないのですが、その時の私はそう捉えてしまいました。)
そして、そんな気持ちのもっと奥には、妊娠したことを心から単純に喜んであげられなかった自分を責めている自分がいることも知っていました。
もう諦めた頃の妊娠だったのに、子どもは苦手で不安もあり実際に出来た時には私自身も戸惑っていたんです。今思うと、まさに投影ですよね。
だけど、その日はその気持ちまでも彼女に話すことができ、肩の荷が降りたような、少しホッとしたように感じました。
「どれだけ封印してきたんだろう。涙はまだ少しこみ上げてはくるけれど、こうして自分の心の奥を話せる時が来たんだ。なんか変わってきたんだなあ」と
心の底から思えました。

もちろん、今までにも傷ついた心はラクになり笑えるようになったよね、と思ってはいたんですけど、本当の雪解けが始ったような気がします。
最近、自分自身で少し何かから解放されたような、自由になれたように感じていたのですが、これからどんな変化が訪れるのか。
ちょっぴりワクワク、ドキドキ、楽しみでもあり、ホント待ち遠しい気分です。

みなさんも素敵な春を見つけてくださいね。

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2013年3月12日

“妹”にまつわる感情

私は、写真を撮ったりする趣味もないし、大事に保存しておく方でもありません。
そんな私でも、大切にしている写真が数枚あります。
そのうちの一枚は、6歳の妹と3歳の弟が映っている写真です。
いまでも、その写真をみると、その当時の気持を思い出します。
私は、妹と弟をとても可愛いいと思っていました。
月日は流れ、妹も弟も、もういい大人だけれど、やはり私にとっては、可愛い妹と弟であることには変わりありません。
年に数回会うような、そんな距離間だけれど、いつも心に確かに存在しているように、私は感じています。

カウンセリングの時、家族について質問させていただくことがあります。
「あなたが幼いころ。兄弟・姉妹の仲は、どうでしたか?」と。
現在、何も問題がなければ、「今でも、妹とも、弟とも、普通に会いますし、昔も特に仲が悪かったようなことはありません。」と、心理学の勉強をする前の私ならば、そう返答したでしょう。

しかし、証拠が挙がったのです。
押し入れの天袋の奥に眠っていた古いダンボール箱から、幼稚園の頃の連絡簿が出てきました。
それによると、「1学期より2学期としっかりしてきたなーと思っていましたが、風邪でしばらく欠席した後に急に幼児語が増えびっくりしました。教師として、何とはなしに注意していましたが、なかなか元に戻らないようです。友達の会話の中では、あまり聞かれませんので心配ないと思いますが。」と先生からのお言葉。
それに対して、「精神面でもまだ安定していないようです。次女が生まれてから、時々赤ちゃんに戻るようです。成長のプロセスと思い、あまり気にはしませんが、わがままが出る時は、どしどし叱ってください。家内と、幼稚園の先生も何かと大変だろうなと話しております。」と父親が返信しているのです。
世に言う、“赤ちゃん返り”を、私もしていたのです。
もちろん、全く記憶にありません(笑)。

私は、三人兄弟の第一子の長女。
第二子の妹とは5歳、第三子の弟は8歳離れています。
5歳まで、両親は言うまでもなく、祖母からも、叔母からも、従兄弟たちからも、大事にされていた私にとって、妹の誕生は、大きな出来事だったことでしょう。
栄耀栄華のお姫様の位置から、一般人の位置に転落したといっても過言ではありません。
いままで自分の思いどおりに動いてくれていた家来たちが、動いてくれなくなった。
天と地がひっくり返ったような、ショックだったことでしょう。

そう思うと、過去のいろいろな記憶がよみがえってきます。
妹が、とても眩しかったこと。
妹は愛嬌がよく、だれからも好かれる、人気者であったこと。
妹は太陽で、私は月のようだと思ったこと。
妹に、嫉妬や競争心を感じたことを思い出したのです。

現在は、妹に競争心や嫉妬を感じる事は、ほとんどありません。
しかし、妹の誕生による過去の古傷は、私の心の奥底に残り、いろんな場面でうずくのです。
例えば、恋愛では年下のかわいらしい女性に嫉妬を感じたり。
職場では彗星のように現れた新入りの存在を脅威に感じたり。
妹とは全く関係のないところで、表出することがありました。
兄弟・姉妹のどの位置にいたかによって、みなさん、それぞれにストーリーは違うと思いますが、あなたの“嫉妬”や“競争心”といったネガティブな感情の始まりは、ここにあるのかもしれません。

嫉妬や競争心は、決して心地よいものではありません。
それを感じると、悪い妄想が膨らんでしまう時もあります。
そんなネガティブな感情に巻き込まれた時は・・・。
まずは、「ああ、過去の古傷が痛みを感じているんだな。」と自分の心の動き感じてみましょう。
そして時間をおき、少し冷静になってから、「その人は、その人。私は、私。」と自分の良いところを再確認してみると、少し気分が晴れるかもしれませんよ。

幼稚園の連絡簿は、赤ちゃん返りの証拠を、私に突きつけましたが、もう一つの真実を教えてくれました。
それは、妹の誕生後、私は両親に見放されたのではなく、成長を見守られていたのだということ。
「古傷は、私の思い込みにすぎない。」と、連絡簿の父の言葉は、語っているように思えたのです。

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2013年3月 5日

島でのつながり。

こんにちは。宮古島から五十嵐かおるです。
最近、友達のつながりでまた友達になってというサイクルが加速度的に増えてきてます。
とてもありがたく、楽しいつながりです。

話してみると、大抵は友達の友達が友達。(どこかで聞いたことあるフレーズ)
ほとんどと言っていいほど共通の知り合いがいることがわかります。
あとは東京に住んでいた人も多いので、その時の話で盛り上がったり、
不思議なくらい共通点のある土地や知り合いやお店があったり。

こちらに来て1年半の私ですら、勤めている職場をいうと
「あの部署の○○さん、知ってるよ」とか「以前そこで勤めてたよー」とか。
島の人達は職場の移り変わりが多いので、知り合いも増えるみたいで。

カフェやマッサージに行っても、2回目にはもう「知り合いの人」
3回会ったら「友達」みたいな感覚なので、住めば住むほどに
根がはっていくような感覚です。
どこに行ってもお店は広くお客さんは少なくて、1人でフラッと入ると
店主とゆっくりお話することになります。
そのまま、一緒に飲み始めることもめずらしくありません。

なんでこんなにつながれるんだろう。

ふと考えてみたのですが、友達になる時ってお互いの「共通点」があると入りやすいもの。
ここに住んでる人達って、みんな最初からその共通点を持っているんです。

それは「宮古島を選んで住んでいる」ということ。

私のように、島が好きで地方から来る人たちがここにはたくさんいて「島ナイチャー」と呼ばれます。内地(沖縄以外全部をさして)から来た人という意味です。

もともと宮古島出身の人たちは、ここが好きで残った人たち。
もしくは、ここが好きで戻ってきた人たちがほとんど。

宮古島には専門学校や大学がないので、高校を卒業する時に島を出て進学するか、
島に残って就職するかのどちらか。なんらかの事情がある場合を除いて「選択」をしているんです。

島を出る人達が多いみたいですが、結婚や退職を期に戻ってくる人も多数。
結婚して地方のお婿さんを連れて宮古島に戻ってくる女性もめずらしくないのには驚きました。

おかげで「初めまして」の後の会話に困らない。
「どうして宮古島に来たの?」
「どうして宮古島に戻ってきたの?」

はるばる離島に来て住むからには、皆さんそれぞれの濃いバックグラウンドがあるもの。

私みたいに「魅了されて」来た、都会に疲れて来た、
彼氏と別れて傷を癒すために来た、島の人と恋に落ちてお嫁さんに来た、
おじいとおばあが住んでるから面倒をみるために来た、
何かに「呼ばれるように」来た、短期間だけ羽を伸ばしに来た、
仕事でまさかの宮古島赴任、ヘッドハンティングされて来た・・・

それぞれが奥深い境遇を持ち合わせていて、新しい環境で過去をオープンに話すものだから、初めましてでも一晩飲み明かせるくらいネタはつきません。

都会に疲れて・・・という人たちの中には、大企業のエリートだったり
その業界では名の知れた人だったり、驚くような専門技術を持っている人も。
ここではステータスは全く必要ないけど、やっぱり特技は活かされるし、
島の人や生活のためにその技術を使ったりして満喫している。
片手間に農業も初めて、こだわるものだからとんでもなく美味しい野菜を作っていたり。

みんな口をそろえて「こんなに贅沢な環境は他では味わえないよね。」
という同じ意見。世界でも有数といわれる海のきれいな青。
観光名所と言われるところでも、人はほとんどいなくて気がすむまでのんびりできる。
それを価値のあるものと感じられるからここにいる。

その共通点と、同じ業界にずっといたら知り合えない人同士が
お互いに興味を持ってどんどんつながりが拡がっていきます。

振り返ると、わたしもそのつながりにどれだけ助けてもらったことか。
というよりも、つながりなくしてはここまで長く居られなかった気がします

車を買う時は車屋さんじゃなくて友達の紹介。
部屋を借りたい時は、不動産屋さんじゃなくてそこに住んでいる友達の紹介。
一時的なら「半年くらい出張で家を開けるから住んでいていいよー」なんてことも。
美容室に行ったら美味しいご飯屋さんと有名なユタさんを紹介してくれたり。
観光ガイドさんも自分で行って気にいったら、遊びに来た友達もまた一緒に行く。
お稽古ごともタウンページとか、ホームページじゃ見つからなくて友達の紹介。
よく行くカフェで常連さんと友達になって、価値観が似ていてお互いの情報を交換したり。
趣味だと思っていたデザインが友達の紹介でwebに活用されて仕事になったり。
仕事なんて、探してる~と言ったら「あのカフェで募集してた」「あのホテルで募集してた」エステに至っては「うちで働かない?」と。

情報誌よりもマニュアルよりも「人」のつながりがどんなに貴重なことか、
ここに来て知った大きな収穫。

いろんなことが人伝いにいけば「手に届く」ところにある。そんな感じ。

先日は友達の紹介で無農薬・化学肥料不使用の野菜を買う機会があって、
その美味しさに大感動。島から大橋を渡った小さな島の畑で栽培しているそう。

島人参とか生のままバリバリ食べても甘いし、生姜は苦味がなくて食べてすぐに今までにないくらいじんわり体が温まってきたのには驚きました。

野菜本来の味ってこういうものなんだって感じて、職場のレストラン部門の人に
「すごい野菜見つけました!」ってすぐに報告。それを聞いた料理長がすぐに
「紹介して」という話になり、数日後には提携農家さんになっていました。

農家のご主人に「ありがとう!」って言ってもらった私は
「なんで?」と一瞬キョトン。

美味しかったから言っただけで、別に何もしてないですよって。

あ、そうか。うちのレストラン、だいぶ大きい。
提携したら販売することができるんだ。
野菜はできたけど「これからどうやって広めていこう」って言っていた。

ご主人「やっぱりさ、いきなり初めましてって行っても相手にされないんだよ。
紹介してもらうと入りやすくて話の進み方も全然違うんだよ。」とのこと。

そうなんだ。
私からしたら職場に当たり前のようにいる料理長でも、
外から入るには敷居が高いんだ。中にいるとそんなこと考えたこともなかった。

もしかして、私もつなげられた?
こんなに小さなことでもいいんだ。
きっかけになれるってこういうことなんだな。

なんだか心に温かい光がぽっと灯った気分。

周りにたくさん与えてもらっている中で、自分もできたんだって感じられて
くすぐったく嬉しい気分になれた出来事。

これからもこの島で、いろんな人とつながっていきたいと思います。

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