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2012年8月28日

この人との出会いは、運命の出会い

「この人との出会いは、運命の出会い」と思ったことはありませんか?

この出会い、恋愛に限ったことではありません。
もちろん恋愛や結婚もそうなのですが、友人、上司といった出会いもとても大切なものです。

私は、こうした運命的な出会いというのを何度か経験しているのですが、今日はその中の一人の男性のお話をさせていただきたいと思います。

その男性は共に心理学を学ぶ仲間でした。
彼とは一番最初に出会った時には、合わない相手だな、と思った事を覚えています。
というのも、私と彼とは全く正反対のキャラクターだったからなのです。

私は、優等生タイプで、中性的。女友達が多く、男性として見られない。
彼は、やんちゃなタイプで、男性的。男友達が多く、男性らしい。

そんな二人が意気投合することは難しいのは、予想できるのではないかと思います。

けれど、どういうわけか、彼とは最初に会ったときから、懐かしい感じ、深くかかわり合える感じも、同時に感じていたのです。

8月には、毎年、何日にもおよぶ心理学を学ぶセミナーが開催されます。
ある歳の、そのセミナーに参加していた時のことです。

我々はそのセミナー中、いろいろな出来事があり、深く関わることになっていきました。

私の感情としては、彼に対し、反発したい気持ちと共感する気持ち、その二つが同居しているのを感じていました。


そのセミナーの最終日の前日。
私は不思議な夢を見ました。

その夢の中の舞台は、とても昔の、どこかの国で、しかも戦争が行われている状況でした。
私と彼は、敵同士。
お互い、自分の軍隊を率いる大将で、戦いを繰り返しています。

そんな戦いを重ねていたある日、ついに私と彼はしびれを切らして、最前線まで出て来て、大将同士で一騎打ちを繰り広げます。

お互い譲らず、戦い続けていたのですが、ふと気がつくと、我々しか気配がないのです。
周りを見渡してみると、我々以外の兵士は全員死んでしまっていて、たった二人で戦いを続けていたのでした。

そのことに愕然とした私は、絶望します。何のために戦っていたのだ。何のために仲間は死んでいったのだ、と。

絶望の中、目の前をみると、彼が全く同じ思いを抱えて座り込んでいるのが見えました。

私と彼は目が合います。そして、お互い大声で泣きながら抱き合い、もう戦いは止めようと言うのです。


あまりにインパクトがあったので、私はセミナーで彼にこの話をしてみました。
すると、内容は違っていたのですが、同じような感じの夢を彼も見ていたというのです。
その時、私は夢の中で彼と目が合って泣いた感覚を思い出しました。
ずっと戦い続けて来たのです。でも、もう戦いは止めよう。戦わなくてもつながれるやり方があったのだ、ということを。

心理学にはシャドーという言葉があります。
どうしてもそりが合わない相手とか、すごく嫌な感じがする相手のことです。
こうしたシャドーは好き嫌いの問題だけではなく、無意識に自分が隠している「自分で自分のことを嫌悪している部分」が相手に映し出されていると説明されることがあります。

このシャドーと感じる相手と、つながりを感じたり、受け入れることができると、隠していた嫌な自分を受け入れることにもなり、大きく成長することができます。
シャドーの後ろに隠れているのは、実は、自分が自覚できていない才能だったりします。嫌な自分を受け入れることができると、その後ろにある才能に気づき、表に出して行けるようになるのです。

私の場合は、自分の中にある男性的な部分を嫌悪していたのですね。
(詳しくは、過去のコラムをお読みいただけたら幸いです>>>
「桜の園」(2012.4.10)「元始、女性は実に太陽であった」の思い出(2012.6.26)

そして、矛盾した思いとして、自分は男らしくないという劣等感のようなものも感じていました。
彼の男性らしさやワイルドさを嫌悪する反面、うらやましいとも思っていたのです。

このことがあってから、私は、自分の中の嫌悪しているところが減り、男性らしい力強い部分を認めて表に出せるようになっていきました。

これはお互いさまだったのです。
話し合ってみると、彼も同じことを感じていたと語ってくれました。
私の人当たりのソフトさや誰とでもやっていける柔軟さを嫌悪する反面、うらやましかったのだと。

それは彼も同じでした。
お互いに認め合うことで、お互いの存在を感謝できるようになったのです。

それ以来、セミナーで合うと、チャンスを見て、お互いの気持ちを話し合ったりして、その時隠れた自分の嫌悪感を確認して、さらにその先にある才能を見つけられるように、接点を持つようになりました。

全くタイプが違うので、今でもお互い、「合わなねえなあ、こいつとは」と思う事が度々あります。けれど、合わないことも否定せず認めているので、笑って思えるのですね。

そう思いながらも、お互いの才能や力を認め合えているので、最後にはいつも深い絆を感じます。
彼となら、普段はなかなか感じられない深い自分の闇の部分を見つめる事ができて、そして、その先の才能や光の部分、愛の部分に触れる事ができる。

本当に貴重な友人に巡り会えたと思います。私にとっては「運命の出会い」だと思っています。

あなたの周りに、大嫌いな人、どうしても合わない人はいませんか?
もちろん、無理に接したり、親しくなることはありません。
我慢することのほうが、自分の心によくないですし。

けれど、「もしこの人が自分の闇の部分を見せてくれているとしたら」という視点で、自分の心を見る事ができたら、もしかしたら、思わぬ発見があるかもしれません。


8月は戦争に関する話題が多い月ですね。
毎年、この時期に、いつも彼との戦いの夢を思い出します。
もう戦いは止めよう、戦わなくてもつながれるやり方があったのだ、と泣きながら抱き合った、あの感覚を。

池尾昌紀のプロフィールへ>>>

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2012年8月21日

敵は、だれだ?

突然ですが、これを読んでくださっているみなさんに敵はいますか?
若しくはそのように感じる人はいますか?

私にはかつて、敵の様に感じていた人が数人いました。
正確には “敵” というよりは “味方ではないのではないか?” と感じていた方が正しいです。

最初に 『味方ではない』 と感じたと記憶しているのは両親に対してです。
これは思春期の頃で、中学生の頃に強く感じていました。
私の母親はとても心配性で過干渉でした。
「学校からは5時に帰ってきなさい」 だとか、友達と学校からの帰り道の途中で立ち話をしていたら 「みっともない」 部活はバレーボールをしていたのですが 「勉強がおろそかになるので辞めた方がいいのではないか」 「あの友達は不良じゃないのか」
などなど・・・。

そして、自分がとばっちりを受けるのが嫌なのでその母親に賛同する父。(のように見えていました)
それはそれはウンザリで、そんな両親を 『私の自由を邪魔する人達』 『私を疑う人達』 『私のことなどこれっぽっちも解っていない人達』 と感じていました。
そうなると、会話はモチロン極力顔を合わせなくて済むように生活します。
『どうやって自分の領域に入ってこさせなくするか?いかに彼らの目をすり抜けて自分のやりたいようにやるか?』 『早くこの家から出てひとり暮らしをしたい』 などとまるで、両親を敵のように感じていました。
しかし、反面、『親なんだからもっとちゃんと私の面倒をみなさいよ!』 『もっと私のことを信じて理解してよ!』 とも思っていました。
大人扱いしてほしいけれど子供のままでの居たい、という解りやすい反抗期の心理ですね^^;


両親のことは、高校生くらいになるとさすがに反抗期も落ち着き、色んな話が出来るようになっていったのですが、次に敵のように感じた人物は離婚した元夫でした。
結婚して10数年経った頃、彼の浮気問題が持ち上がり 『別れるか・やり直すか』 を考えた時私は 『やり直す』 方を選びました。
『私は私の子供と家庭を守らなければ!』 と思ったのです。

しかし、この時の私の 『やり直す』 は彼が変わってキチンと家庭と向き合ってこそ、やり直せるのだと思っていました。
なので、彼が 『どこで何をしているのか』 『また女性と会っているのではないか』 と疑い 『父として、夫として、この男を立派な家庭人として更生させなければ!』 ともがいていました。
けれど、そのように私がもがけばもがく程彼は逆の方向へと行ってしまいます。

『私は子供と家庭を守りたいだけなのになぜ解ってくれないのだろう』 

その、私の望んでいるものから遠くかけ離れていこうとする彼は ≪とても手強い敵≫ のようでした。

『このままでは、本当に家庭が壊れてしまう、なんとかしなければ』 そう思った時にたまたま見つけたここ、カウンセリングサービスの心理学講座を読み漁り、イヤ~なことを読んでしまったのです。

【人をコントロールしようとするとその人との間に壁を作ってしまう】
【相手を変えようとするより、自分が変わった方が早い】

これを読んだとき、「えーーーーーーっ!だって悪いのは彼なのにぃ?私が変わるのぉ?うぐぐ・・・」 と思ったのですが、確かに実際彼はどんどん離れてゆくし、相手を変えるより自分が変わった方が早い気はする。
【彼を私の望むような立派な家庭人に変えようとするのではなく、“私”が変わる】
このことにかなりの理不尽さや、敗北感にも似た気持ちを感じながら、しかし、それでも私は再び 『やり直す』 方を選び、『私が変わってみよう』 と思いました。

もう、ほとんど別居状態であったのですが時々彼は 「子供達どう?」 と電話をくれていました。
ある時私のイライラが募って、でも心の中では 『言ってはイケナイ、言ってはイケナイ』 と分かっていたのに 「もういい加減にこの状況をなんとかしてよ」 「いつまでも子供のような振る舞いはやめてちゃんと向き合えば?」 と、またしても彼をコントロールし、彼を変えようとするようなことをつい、言ってしまったのです。
そして彼に 「お前のそういうところが嫌やねん!!」 と言われ 
『あっ!!そうか!!この人が敵なのではなくて、変わろうとしても変われない私の中の頑固で素直になれない私が敵なのだ!!!』 と気づいたのです。

なかなかの衝撃発見でした。
彼を敵のように感じていましたが、まさかの灯台もと暗し。
まさか、自分の中に敵がいたとは!
しかも、それが一番手強い(-_-;)


親子・夫婦・職場、いろんな人間関係で 「コイツはなんだか手強いぞ」 と感じた時、自分自身を見つめてゆくと、意外と手強い自分を発見するかもしれません。
そして、その手強い自分を見つけてあげたら、まずはそのまま受け入れてそして癒していってあげると自分がラク~になります。
“手強い“ と感じていた相手は、ラク~な私で接するので相手も自然と徐々に変わってきます。


敵などどこにも居ない “無敵な私” になりたいですね。

吉村ひろえのプロフィールへ>>>

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2012年8月14日

先人たちのビジョン

ロンドンオリンピックが閉幕となりました。
日本は金メダルの数こそ少なかったものの、全般にはまずまずの成功を収めたといえるのではないでしょうか。
特にサッカー男女の躍進は素晴らしかったですね。

一方、日本サッカーのフル代表を見ると、2014年開催の、サッカーワールドカップブラジル大会のアジア地区最終予選が行われています。
6月にも3試合が行われ、日本代表は順調に勝ち点を重ねました。
きっと(願望も含めて)予選を突破してくれることと思います。

 * * *

実は僕は、かつてはサッカーをやっていました。
いわゆる「キャプテン翼世代」と呼ばれる時代でしたが、当時はまだJリーグが存在せず(というよりプロスポーツがプロ野球しか存在せず)、日本がワールドカップ本戦に出場することすら「ありえないこと」と思われていました。

僕自身、サッカー選手になりたいと思っていた時期もありましたが、もしサッカー選手になったとしても、ワールドカップは無理だろうと思っていました。
「ドーハの悲劇」と呼ばれる、ギリギリでワールドカップ出場を逃したことがありましたが、僕としてはむしろ「ワールドカップに出られなくて当然」と思っていた節もありました。
おそらくこれは特別な考え方ではなく、当時の日本人の多くが同じような考えだったのではないかと思います。
サッカーファンとしても有名な某タレントが、おそらくは「大会の質が下がる」的な意図だったのだと思いますが、「日本はワールドカップに出てはいけない」的な発言をしていたことも思い出されます。


当時、一般的には、「日本がワールドカップに出ることは無理」と思われていた。
しかし一方で、「必ず本戦に出られる」「必ず勝てる」と信じて活動してきた人たちがいるわけです。
もちろん選手だけではなく、Jリーグを開幕させたスタッフや、その他たくさんの関係者が。

彼らには、「ワールドカップ出場」は、「不可能なこと」どころか、「夢」ですらなかったのではないでしょうか。
もっともっと近い、しっかりとした「ビジョン」としてとらえられていたものと思います。

振り返って現在、ワールドカップに日本が出られないと思っている人がどれほどいるでしょうか。
おそらく海外の人まで含めて、ほとんどの人が、日本はワールドカップ常連国だと思っていることでしょう。
でも、実は初めて予選を突破し、本戦に初出場してから、わずか20年ほどしか経ってないのです。
それは、信じてやってきた人たちの成果といえるのではないでしょうか。


日本サッカーのことを考えると、改めて「ビジョン」というものの大切さに気づかされます。
そしてそれは、思い描くだけでなく、強く信じることで、より実現へと近づくことでしょう。

 * * *

今、行われている予選を見ていて、気づいたことがもうひとつあります。
それは、今の代表の選手たちの中心は、日本がワールドカップの本戦に出られなかった時代を知らない、「ワールドカップに出て当然」と思うようになった世代だということです。

「産みの苦しみ」などという言葉もありますが、まずは本戦出場までが遠かった。
その道を切り拓いてきた先人たちの努力やいかほどのものかと思います。

その努力を下地に、「本戦に出るのが当然」と思っている世代が現れた。
そして今は、「本戦の一次リーグを突破するのは当然」と思っている世代ではないでしょうか。
ならば次に目指すは、「優勝」。
今の代表選手たちのビジョンはそこにあるように思います。
あくまで実現可能なビジョンとして。


今、たくさんの日本人選手たちがヨーロッパで活躍していること。
そして昨年、なでしこジャパンが女子ワールドカップで優勝したこと。
実力が上がったことはもちろんでしょうが、そのあたりの意識の変革というものも、現在の状態に無関係ではないでしょう。

9月からは最終予選の第二ラウンドが始まります。
代表選手たちの活躍を応援したいところです。

 * * *

明日、8/15は終戦記念日です。
戦争というかたちの是非はともあれ、先人たちが自分や子孫・未来のために努力してきたのはサッカーだけではありません。
自分が生まれた今の時代に、何を受け取り、そして何を残していくのか、そんなことを考えてみるのにいいきっかけかもしれません。

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2012年8月 7日

『愉しみ』を極める

梅雨も明け、夏真っ盛りとなりました!
暑い季節となりましたが、暑いからこそ愉しめる事がいっぱいあるんじゃないかな、と思う今日この頃。
皆さんいかがお過ごしでしょうか?

私は、夏が近づきだんだんやってくるであろう暑さのストレス緩和対策として、ルームフレグランススプレーを作成し、気分転換を図ってたりしています。
柑橘系の香りと華やかなフローラルな香りをオリジナルブレンドしたルームフレグランス。
お部屋にシュッシュとスプレーするだけで、すーっとした爽快感と、ほんのりロマンティックな気持ちになれるんですね。
ちょっとした、気分転換にもなれる、私のこの夏のマストアイテムとなりそうな、そんな予感がするスプーレーなのです。


さて、私の趣味の一つに手作りの石けんや化粧水を作る事があります。
元々、お肌がとても弱く敏感で市販の石けんでお肌にあう石けんとのご縁があまり無く、どうしようかな、と悩んでいた事がありました。

その時に、手作りの石けんがあると聞き、試してみたらとてもお肌の調子も安定してきました。
そして、『手作り』というのなら、自分自身でも作れるのでは、という興味を持ち、お教室に行きレクチャーを受け、そこから今日まで家での石けんは手作り石けんを使用しています。

始まりは手作り石けんだったのですが、石けんを作成するにあたってのフレグランスをエッセンシャルオイル(精油)を利用するんですね。
そこで、必然的にエッセンシャルオイルにも興味を持ち色々と調べてみたり、エッセンシャルオイルを使ったアロマポットで香りを愉しむようになりました。

あれこれと、愉しい事に引き寄せられながらワクワクしたことをすすめていくうちに自分自身だけで愉しむのはもったいないという気持ちになり、石けんを友人や家族にプレゼントするようになりました。
あまり、手作りの石けんを見た事が無かった友人や家族の第一声は大体が、

「本当の石けんなのね」

なんですね。
もっと違う何かが出てくるのでは、という期待とちょっぴり不安があるそうなんです。
でも、意外に普通に普段使っている石けんと全く変わらないので友達や家族はびっくりするんですね。

そして、使った後に皆がそれぞれに感想を伝えてくれるんです。。

『香りが良かったよ』
『肌に優しかったよ』
『手作りだからかな、泡立ちが少なかったよ』

等々、色々な角度、そして視点をもって感想を伝えてくれたりして、ますますワクワクしてくるのです。


私たちは、ワクワクしたり愉しみを持って色々な事に取り組む時って、すごくいい表情や空気を纏ったりします。
そして、そのワクワクした空気やその中心にいる人の魅力というモノも溢れてたりするのです。
その、ワクワクの空気は愉しみをいっぱい味わっている人の周りにもその空気や雰囲気が伝わってきます。

『なんか、一緒にいるとワクワクしちゃうんだよね。何故か』
『気持ちが楽になったよ。』
『で、次はどうするの(ワクワク)』

そんな風にワクワクがワクワクに引き寄せられ、愉しいを極めている人(そう行きつつある人)の周りには、別分野でのワクワクを極めている人や、愉しい事大好きな人がやってきます。

そこで、培ったご縁からまた新たなご縁が出来る事もあるんですね。

好きな事を話している人のお話って実は、聴いている人がそれに明るく無くても結構愉しくお話を聴く事ができるんですね。
その人の世界観に引きづり込まれちゃうような、そして一緒にワクワクしちゃうように徐々になってきたりする事もあります。


因に、私の母の趣味の一つにハンドメイドキルトというのがあります。
ハンドメイドキルトで作った小物入れやバックはとてもかわいんですね。

で、よく母の手作りキルトの作品と、私の手作り石けん&化粧水を交換する事があります。
お互いが、お互いの愉しい事をシェアする事もできるんですね。


皆さんにとっての『愉しみ』って何ですか?
その『愉しみ』を極める事が、これからのワクワクに繋がる、そんな可能性が秘められているかもしれません。

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