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2012年6月26日

「元始、女性は実に太陽であった」の思い出

 大学時代、今は亡くなられた男性の恩師は、いろんな本を紹介してくれたのですが、その中で印象的なものの中に「陽の末裔」(市川ジュン:著)という漫画がありました。

 私は男性ですが、幼い頃から、自分が男性であることに悩んでいたという話を以前のコラムで紹介させていただきました(「桜の園」2012.4.10)。
 今回のコラムは、それをもう少し深くご紹介していくお話になります。

 こうした私の原点になっているのは、実家が料理屋で、女性の華やかさと辛さや悲しみという両極端の姿を見ていることにあるように思います。
 私の幼い頃にはたくさんの芸者さん達が店にやってくる時代でした。
 そんな私の家は、祖母が女手一つで築き上げたもので、母も若女将としてとても苦労していたし、女性が表に出て、父が板前として裏で支える、という女性が目立つ、女性で店が成り立つようなイメージを幼い頃から持っていました。
 ですから、女性が強くて当たり前、という雰囲気を感じていたんですね。
 華やかな舞台に立つのはいつも女性。けれど、その一面で、とても苦労や我慢をしたり、悲しみもたくさん背負っている様子を、何もわからないながらに、雰囲気で察していた幼少期だったように思います。

 たくさんの女性の中で育った私は、自分の中でなじみがあるのは女性の感性でした。ところが、男性であることは間違いない事実で、そのギャップに苦しんだ思春期だったと思います。

 そんな私は、成長するにつれ、男女平等と学校で教えられたのに、女性が不利な場面が多いじゃないか、ととても憤慨することになっていきます。
 ところが、結局、私は男である、ということ、そして、経営者の子ども、というところに、引っかかり続けることになります。
 男性なのに、女性の本当の気持ちや苦しみがわかるのか、という自問自答が続くことになったのです。

 こうした頃に、恩師が紹介してくれたのが「陽の末裔」でした。
 このお話を、私の文章で説明するには、あまりにも説明不足になってしまうのですが、それを承知で書かせていただけたらと思います。

 「陽の末裔」は、大正時代に田舎から紡績工場に働きに出た、二人の幼なじみの少女「咲久子」と「卯乃」の話です。
 物語のスタートは「女工哀史」の世界で、労働条件が劣悪な紡績工場です。

 しかし、すぐに話は、女性解放運動への道を歩き始める「卯乃」と、華族の養子になって社交界にデビューしていく「咲久子」という、全く違う女性の生き方をする二人の親友の話に発展していきます。
地道に女性解放運動を続けた「卯乃」
 一方、美貌と知性という、女性の魅力を武器に、華族と財閥の長にまでのぼりつめた「咲久子」。

 一見、相反するように見える、二人の生き方。
 しかし、二人はお互いの女性としての生き方を理解しあい、唯一無二の親友として最後までお互いを応援しあって生きていきます。
 
 女性解放運動という女性のための視点だけではなく、女性の魅力を全面に出した生き方という二つの女性の生き方を描いているところに、そして、どちらも女性らしさを貫く生き方であるとしたこの物語に、私は胸を打たれました。


 この一連の体験は、私がカウンセラーとして今、活動させていただいていることに、とても大きな影響を与えていると思います。
 かつての私の悩みについて、今は、こんな風に思います。
 男性は女性でない以上、女性の気持ちを本当の意味で理解することはできない。できるとしたら、そこに思いを巡らせて、できるだけ知ろう、とすること。
そして、もう一つ。男性だからこそ、可能なフォロ―もあるはずだ、と思うこと。
 私が男性であることを否定したり尊重できないとしたら、それは、男性として生まれた意味がなくなってしまいます。
 それはひいては、女性を女性として尊重できないことにもつながると思うようになりました。
 女性の、あるいは男性のためと思って、自分を否定してしまったら、それは犠牲でしかありません。
 そして、相手のためにと思って犠牲したことは、相手を尊重することにはならないと思うようになったのです。

 「元始、女性は実に太陽であった」というのは、女性解放運動の祖である「平塚らいてう」さんの有名な言葉です。
 私は、中学校の図書館でこのタイトルの本を見つけて、それをわからないながらに、一生懸命読んだことを思い出しました。
 男なのに、男である自分を受け入れられずに苦しんでいた思春期。
 そんな私が、もしかしたら、同じように苦しんでいる男性や、女性であることに苦しんでいる女性に、何か少しでも、助けになるような事ができるかもしれない。
 カウンセラーになった時、私は、そう心に決めました。

 その思いを実現するために、どうしていけばいいのか、いまだに、模索しているように思います。
 これからも迷うと思うし、間違うこともあるかもしれません。
 けれど、あきらめないで、探し続けたいと思います。

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2012年6月19日

心の中に隠れていたやりたいこと

最近の私は、気持ちがどんよりしていました。
好きで始めた心理学やカウンセラーをやっているのに、何故か私の心の中にあるどんよりした気持ちは晴れずに悶々としていました。
どこかこれ以上は進めない感じがしていました。
心理学を学び始めて7年目、たくさんの知識はあるけれど、この気持ちをどうすることも出来ずに心は疲れ切っていました。
そして、悶々とした気持ちをもてあまし、どうすることも出来ないことに苛立ち、変えることのできない現状に落ち込んでいました。また、この状態が未来にも続いていくような気がして、更に落ち込むといったネガティブな気持ちのループに陥っていました。

この状態を抜けられないことは、とてもしんどく、ここを抜けられない状態の私がカウンセリングを続けてもいいのだろうかといった疑問を持ち始めていました。

「いっそのこと、心理学を学ぶことから離れて、カウンセラーを辞めた方が楽になれるのではないか…。」
「私は、私の人生を生きていないのではないだろうか。」

そんなことも頭に過っていました。
それでも、私は自らカウンセラーを辞めるという選択が出来ないでいました。

「誰か、私にカウンセラーを辞れば。」

と言ってくれないだろうか。
そんなことも思っていました。
誰かに言ってもらわないと、辞めることが出来ない自分がいました。

その時点では、ただただ苦しさだけを感じていて「辞めることが出来ない」ということから発せられた自分からのメッセージにまだ気づいていません。

心の世界では、「出来ない」というのは、「やりたくないこと」。
つまり、私の心は、どこかでカウンセラーを「辞めたくない」と感じていたのです。

そんな状況の中、参加することも迷いながら、神戸で4日間行われていた心理学のワークショップに参加し、グループセラピーを体験してきました。グループセラピーは、長期になればなるほど心の深いところにアクセスすることが出来ます。
今回のグループセラピーで、私も心の深いところにアクセス出来たのでしょう。
グループセラピーの受けた後に、こんな体験をしたのです。

私は、ワークショップの参加を3日間に留めておいて、4日目は大阪に住んでいる友人とランチをしてきました。

そして、この3日間のワークショップの私の体験談について語りながら、ヒーリングの魅力などを延々と語っていました。
そして、

「やっぱり、私は人を癒すことがしていきたい。」

と口にした瞬間、私の心からのメッセージは、

「出来るわけないじゃん。」

という言葉でした。

あれ??
ただやりたいと表現しただけなのに、何故「出来るわけがない」というメッセージがやって来るんだろう??と思いました。
その疑問を友人にシェアしてみました。
友人もカウンセラーをやっていますから、心のお話は得意です。

私 「私、やりたいと思っているのに、やる前から決められたように出来ないって思いが上がってくるんだけど、なんでだと思う?」
友人「やりたかったのに出来なかったことがあなたの中にあるんじゃないの??」
私 「やりたくて出来なかったことって何よ??」←自分のことなのに人に尋ねてみる。
友人「あなたの場合は、家族を助けることなんじゃないの?」

それを聞いた瞬間、私の眼には涙があふれます。
どうやら、それがビンゴだったようです。

何故、友人が家族を助けることなのではないかと感じたかというと、昔の家族の話題になると私は「もう終わったことだから。」といって、それ以上話をしようとはせずに、いつも話題を変えていたので、そう感じたらしいのです。←これにも私は気づいていません。

私の家族は、みんなが揃うことがほとんどなく、いつも誰かが悲しい顔をして、誰かが孤独を抱えているようなそんな家族でしたから、私の中で、一番やりたかったことは家族を助けることや笑顔にすることでした。私は、それを叶えることが出来なかった悲しみや失敗感などの過去の痛みを持ちながらも、過去は変えられないと終わったこととして見ないようにしてきました。その痛みが「やりたいことは出来ないこと」という認識を生んでいたように思います。

そうやって、やりたいといった自分の想いを自分自身で感じることが出来ないくらいに、たくさんの「出来ない」という想いでペシャンコに押しつぶしてきたことに、はっと気がついたのでした。
だから、私の心は「出来ない」ばかりを感じていて、「やりたい」という想いをリアルに感じることが出来ずにいました。

それに気づいた瞬間、更に、私の目からはたくさんの涙があふれていました。
その涙は、「やりたいことが出来なかったという過去の痛み」とその痛みの下に隠れていた「やりたいことを見つけた喜び」を意味していました。

そして、私は「出来ない」という想いにつぶされずに隠れていた「やりたい」という想いを大切にしていきたい、育てていきたいと素直に思いました。
その思いに辿り着いたとき、苦しみを感じながらもカウンセラーを辞めずにいたことは、自分のやりたいことに忠実であったこと、自分の人生をしっかり生きていたということを感じることが出来ました。
カウンセラーを辞めなかったのは、私の心の深い部分からのメッセージだったということが今なら分かります。

カウンセラーだけでなく、私の過去を振り返れば、「出来ない」と感じていた分だけ、私の人生には「やりたい」という想いが隠れていたんだなぁと感じます。
やっと出会えた確かな「やりたい」という想いがとても嬉しくて、会う友人、会う友人にこの感動を伝えていきました。

「私、人を癒す仕事にずっと携わっていきたいんだ。」

その言葉を聞いた友人たちの言葉は、決まって、

「知っていたよ。」

でした。
どうやら、気づいていなかったのは私だけのようです(笑)

やっと出会えたリアルな「やりたい」という想いを大切にしていきたいと思います。
心機一転、頑張りますので、皆さま、どうぞよろしくお願いします。

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2012年6月12日

ちょっと怖~い嫉妬の話

三島桃子です。いつもコラムを読んでいただいてありがとうございます!

嫉妬はするのもされるのも嫌なものですよね。嫉妬は様々な感情の中でも、特に嫌な感覚を呼び起こすものだと言われています。

この嫉妬、私にとっては母との間で課題がありました。

母の幼少時代は戦後の混乱期でした。また、母の育った家庭にもいろいろな事情がありました。そんな中で母としては満たされない思いをたくさんしたわけです。戦後すぐの時代、多くの子どもがそうであったでしょう。

母は我が子には自分と同じ思いをさせるまいと、できることは精一杯してくれました。しかも、私が育った頃は日本は高度成長期の真っただ中、我が家は比較的つつましい暮らしでしたが、それでも物質的に母の子ども時代よりはるかに恵まれていました。

我が娘が育つ環境を見て、母が羨ましく思ったとしても不思議ではありません。まあ当然のことでしょう。私だって母の立場なら同じだったと思います。母は時々「あなたは恵まれている」と言っていました。そして私はその言葉の奥にある母の「羨ましい」という気持ちや「切なさ」「悲しみ」などに敏感に反応してしまったのだろうなと、今振り返って思います。

もちろん子どもだった私は、自分のそんな感情的反応に気付くことはありませんでした。ただ、私はいつ頃からか「周りの人に嫉妬される」ということにやたらと怖れを感じるようになっていました。そこには、「恵まれていて申し訳ない」という罪悪感がありました。

私自身が誰から見ても羨ましがられるような存在だったというわけではなく、ただ、母から「羨ましい」という感情を感じ、そういう感情を他の人からも向けられるのではと怖くなったのです。たとえ羨ましがられていなくても、「羨ましがられたら怖いから目立たないようにしよう」みたいになっていたのです。

また、障害のある人や病気の人など、一般的な観念で言えば「恵まれない人」を見ると、その人のために何かしなければ許されないような強い衝動を苦痛なほど感じてしまっていました。自分でもちょっと不思議なくらいでした。

その他の場面でも、例えば友人よりちょっとでも恵まれているような感じがすると、どうにも居心地が悪くてしかたがありませんでした。

心理の勉強を始めてしばらくしてから、母に嫉妬されていると感じていることがベースになっているんだな、ということは次第にわかってきて、やがて少しずつ「恵まれていてごめんなさい」という罪悪感は小さくなっていきました。でも、やはり時々この罪悪感が頭をもたげ、苦しくなることはずっとありました。

ところが先日のことです。きっかけがあって、あるイメージが私の心の中に鮮明に現れました。

西太后ってご存知ですか?中国の清の時代の咸豊帝のお妃だった人です。咸豊帝をめぐるライバル麗妃に激しく嫉妬し、麗妃の手足を切り落とし厠(かわや、便所のこと)に落としたという俗説があります。これは実話ではないそうで、麗妃は咸豊帝の唯一の娘を産み、静かな余生を送ったそうなんですが。

私はこの俗説を20代の頃知ったのですが、手足を切り落とされ厠に投げ込まれた麗妃の姿が強烈なイメージとして頭にこびりつき、その後も時々そのイメージが心の中に湧き上がってはイヤ~な気分になることがありました。

最近はあまり思い出すことがなくなっていたのですが、そのイメージが先日ふっと心の中に現れたのです。そして、どうやら私は、「自分もそうされるほど母や他の人たちに嫉妬されている」という感覚を持っていて、手足を切り落とされ汚物にまみれている麗妃と自分を重ねてしまっていたようだ、と気付きました。(無意識の部分での話で、意識的にはもちろんそんなこと全然考えてもみませんでした。)

嫉妬されてそんな目に合い、屈辱と絶望の中でのたうつことしかできない我が身。そんな自己イメージを作り、自分に向けられた(と感じていた)嫉妬に対して怒りを持ち、おぞましい姿の自分を嫌悪する。そのような感情があったみたいです。

そこまで見えてくるとわかったことは、そもそも母から強い嫉妬を向けられている、というのは、どうも私自身が作り上げた幻想ではないかということです。母が私を羨ましいと思ったとしても、それはただそれだけのことで、羨ましいと思う気持ちがありながらも精一杯のことをしてくれた母の思いは、むしろ美しいものでしょう。

とはいえ、このような幻想を作ってしまったとしても、私が異常に妄想的、というわけではないと思います。人間というのはそういうものなんです。人は誰でも罪悪感の感覚を生まれながらに持っていると言われていますし、自分の人生に起こる出来事を材料にして自分の罪悪感を膨らませてしまうような想像力を持っているんでしょうね。そして自分の幻想に縛られ、苦しめられてしまう。いろいろな事情の重なりの中で、そんなことは案外よく起こっているのです。

自分では気付かない場合でも、けっこうグロテスクなイメージを人は持っていたりします。もし何かのきっかけで思いもかけない怖~い映像が自分の中から出てきても、心配しないでください。人はそんなものですし、その怖い映像はただの幻想です。あなたの本当の心がそんなにおどろおどろしいわけではないんです。

ただし、自分や周りの人の本当の心、心のセンターの美しい部分が、こういった幻想によって見えなくなっていることはよくあります。

私もそうでした。

あんなに怖れた「嫉妬」が幻想だったらしいとわかった今、母への愛や、母からの愛が、自然に見えるようになった感じがします。

私の経験した怖~い嫉妬の幻想の話、みなさまの参考になれば幸いです。


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2012年6月 5日

テーマパークの「場所取り父さん」

先日、家族で「キッザニア甲子園」というテーマパークに行ってきました。
ここは「子供の国」。子供達がいろいろな仕事(アクテビティ)を体験することができます。働くこと、給料をもらうこと、もらった給料を使ったり、貯めたりすること・・・。大人はそんな子供の姿を見ているだけなのですが・・・。それでも、一生懸命にがんばっている我が子の姿はいくら見ていても飽きないもので、カメラを片手に息子の勇姿を追いかけてしまいます。
ふと休憩エリアに目をやると、テーブル席で子供に付き添ってきたお父さんたちがイスに座って寝ているのが見えました。「仕事で疲れているのに、家族サービスも大変だな。休みたくもなるよな。」と思いながら通り過ぎようとしたときのことです。
そのお父さんのところに、母親と娘さんがにこにこしながら帰ってきて、「疲れたね!休憩できてよかった。次はどこにしようか?」と言っていました。うれしそうにはしゃぐ母と娘を、何も言わずに見ている父。でも、その表情は、なんだかうれしそうで、優しい目をしていました。そして、どこかしら、誇らしげでもありました。
その時に思ったんです。
このお父さんは「自分は疲れているから・・」と言うことにして、実は、奥さんと子供が疲れた時に帰ってくる場所を確保していたんじゃないかな?と・・。そして、「あぁ~疲れた!」と帰ってくる妻と子が当たり前のように、自分の側に座って、休憩するのを見て「俺って役に立っている」と感じたんじゃないかなぁ・・・と。
男という生き物は、「俺って役に立っている」と感じることができると、ほっとします。結構、がんばれたりもします。
いくら、疲れているからといっても、ずっと場所取りをしてるのは退屈だし、決しておもしろいことではないと思います。でも、何時間もそうしていられるのは、そこに帰ってくる家族がいて、当たり前のように、自分が作った場所でくつろぎ、楽しそうに過ごす姿を見て、「俺って役に立ってる」と感じることができるからなのだと思うのです。
私は息子の姿が見たかったので、ずっと妻や息子と一緒にいて、息子の写真をひたすら撮っていたのですが、休憩するための場所取りはしていませんでした。休憩する場所がなくて、疲れた様子の妻や息子を見ると、なんだか申し訳ないような気持ちがしたり、さっきの「場所取り父さん」と自分を比べて、俺って役に立ってないなぁ・・そんな気持ちにもなって、イライラしてしまったりもしました。
ようやく、家族で座れるスペースを見つけ、休憩を取りながら、さっき見た「場所取り父さん」のことを妻に話すと、「へぇ~、そんな見方もできるんだねぇ・・。わたしは、他人の迷惑も考えずに、場所取りなんかして!!としか見えなかったし、せっかく一緒に来たんだから、子どもががんばってる姿を見てあげたらいいのに~!!って思ってたわ」とあっけらからんと言われました。そして、「わたしは、疲れてるのに、ちびの姿をいっぱいカメラで撮ってくれる方がうれしいなぁ・・」と。
その言葉に「俺って役に立ってた!!」と、思わずにんまりしてしまった私。
男って単純ですね。

帰り際、息子は自慢そうに「こんなにお金もらった」と見せてくれました。初めて働いて給料をもらったことで自信を持ったようで、息子の顔は誇らしげに輝いていました。帰るときに、出口にあるショップ(売店)で何かおみやげに買って帰ろうかといろいろと見ていると、「僕が払う!」と言って、もらったお金で払おうとしてくれました。息子のもらったお給料は、アクテビティでしか使えないので、残念ながら払ってもらうことはできなかったのですが、息子の「何かをしてあげたい」と思う気持ちをすごく嬉しく感じました。
何かをしてあげることができる、誰かの役に立っている、そう感じられることは「幸せなこと」だなぁ・・としみじみと感じた一日でした。

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投稿者 cseditor : 00:00 | コメント (0)