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2012年1月31日

結婚10周年の記念旅行

今年で結婚して10周年となりました。
それまでにも付き合ってたころから日本各地と旅行をしていた僕たちですが、唯一行けていなかった場所が北海道でした。
そのため、記念旅行の場所はすぐに決まりました。が、この際北海道行くなら、色々な所に行きたい、さらに「ある列車」にどうしても乗りたいとどんどん案が出てきました。
その結果、どのくらい休みを取るのかということがかなり重要になったわけです。
しかも「ある列車」は非常に人気が高いのにもかかわらず毎日運行してなくて、そのために発売してもすぐに売り切れるというマニア垂涎の列車、
もし乗るなら「取れた切符にあわせて旅行のスケジュールをくむべし」といわれているぐらいです。
その列車とは大阪~札幌を丸々1日かけて運行している
「トワイライトエクスプレス」
頑張って予約には成功しました。
でも言われていた通り、希望日に取ることが難しかったので、7泊8日の予定が、予定よりも1日間長い、8泊9日になりました。
そして、色々行きたいとプランを練った結果、北海道1周に決まり、北海道でワゴンのレンタカーを借り、車内をフルフラットにして6泊を寝袋にくるまって寝て、
1泊は札幌のホテルに泊まり、1泊は列車の中で過ごすという、なんでもありの旅行です。
その結果、北海道での走行距離は約3200キロぐらいになりました
大雑把ですが、北海道の一番北の端の稚内から沖縄の那覇までの直線距離が約2500キロぐらいです。
車内で洗濯物を干し、食べ物を買いこみ、寝袋に包まって寝ていると、レンタカーに愛着もわき、札幌で車を返却するときは涙が出そうになりました。
それで、どのようなルートをたどったか細かく説明するとかなり長くなるので地名だけ書き出すと、
1日目 神戸空港~新千歳空港~函館~旭川
2日目 旭川~稚内
3日目 稚内~礼文島~稚内~網走
4日目 網走~知床半島~根室
5日目 根室~阿寒湖・摩周湖・屈斜路湖~釧路
6日目 釧路~帯広~えりも~小樽
7日目 小樽~白老~札幌
8日目 札幌駅からトワイライトエクスプレスに乗車
9日目 大阪着~神戸の自宅へ

あらためて書き出してみると本当に色々な所に行き、何日かは予定しているプランをこなすために夜中でも運転をしたことも。
行った場所のすべてが思い出として残っていますが、特に4日目に行った網走での出来事が1番の印象に残る出来事でした。
網走といえば、「網走監獄」といって以前に使っていた刑務所を博物館として保存をし観光に利用している、すごく有名な所があります。
僕達も当然のように、プランに組み込んでいたので網走に移動するときにナビに目的地としてインプットしました。
でも僕はここで重大な間違いを犯してしまったのです。
目的地の正式名称は「網走監獄」といいますが、僕の頭の中では「網走刑務所」とかってに思い込み、ナビには「網走刑務所」とインプットしてしまいました。
で、当然ですが、ナビはインプットされた網走刑務所に向かって誘導します。
そして辿りついた場所が本当の刑務所。しかし思い込みとは怖いものです。
僕の中ではここが目的地である「網走監獄」と映っています。
でも、着いたときから「何かが違う!」と違和感はあったけど、まさか間違ってはいないと思いこみ進んでいくと、
「人権に配慮をするために写真撮影はご遠慮ください」との看板が、僕はこれを
「ここまで、リアルに再現してるなんてすごい!!」と勝手に解釈。
しかもたまたま本当の刑務官がいたときには、「従業員にここまでコスプレさせるなんてやるな」とまたまた大きな勘違い。
でも、歩くにつれて、違和感がどんどん増していたときに、僕達の横を黒塗りの高級車が通過しました。しかも何か鋭い視線が窓の中から!!
それで、「とりあえず車に戻ってガイドブック見なおそ!」と思い、初めて間違っていたことに気づきました。
おそらく、周りからは不審者に見られていたかもしれません。
あらためて思います。
「思い込みは危険だ!!」

その様なこともありながら8泊9日の旅行をしましたが、実は旅行前に1つ不安な要素があったんです。それは、よく考えると9日間もずっと一緒にいることなど今まで1度もないということです。
普段はお互いに働いているので、厳密にいうとずっと一緒というわけではありません。
正直悩みました。僕は普段でも必ず一人の時間が欲しいタイプなので、その時間がないことに不安を感じたわけです。
こんなときの僕の思考パターンはこうなっています。。
一人の時間が取れない→イライラする→些細なことで腹がたつ→けんか勃発→旅行台無し。
しかし実際には少しの言い合いはありましたが、順調に旅は進んでいます。
妻が寝ている時に、僕が車外に出て、夜風にあたりながらぼーっとするだけで僕の欲求は満たされ、僕の取り越し苦労に終わりました。
なぜ、このときに僕がこのような思考パターンにはまったのかというと、
「勝手な思い込みとどうなるかわからない恐れ」
からといえます。心というのは、何か不安や恐れを感じる時は今までのやり方をしようとします。
その結果、良い、悪いではなく、慣れていることを優先してしまうので、今回も無意識的に今までの経験から悪くなってしまうという考えがパターンとして出てきたのだと解釈しています。

そして、今回の北海道旅行で人として考えさせられることも沢山ありました。
その中でも大げさかもしれませんが、僕の人生を左右するくらいに深い言葉を聴くことができました。
それは世界遺産である知床半島でガイドさんが
「ここは熊や沢山の動物の住処です。人間が熊や沢山の動物の住処に入らしていただく気持ちを忘れないでください。ここでは人間が主役ではなく熊や動物や自然が主役なんです」
と言われていました。
昨年は東北で地震や津波という自然の驚異をまのあたりにし、原発からは放射能という人間では制御しきれない出来事が沢山ありました。
街中に住んでいると、便利な生活をしているので、自然の中で暮らしているということを意識しなくなることが多々あります。
時には人間が一番偉いと錯覚してしまうこともあります。
でも、人間も自然の中の一部であって、決して人間だけで生活しているのではないということをあらためて自然の中に入ることで肝に銘じました。
笑いあり、ハプニングあり、感動あり、心に刻むことあり、と二人にとって記念となる大イベントは無事成功に終わりました。

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2012年1月24日

親バカ

高校生の頃から、17年間、私の家では犬を飼っていました。
その犬が亡くなった後、動物を飼うことは一生ないだろう、ましてや、アレルギー体質の私が、猫を飼うことなどあり得ないと思っていました。
しかし、その後、知人に、「都合で飼えなくなったので、飼い主が見つかるまで、しばらく預かってほしい」と頼まれた猫を、引き取ることになったのです。
 
最初は、「1日2回の餌とトイレの掃除。犬のように散歩もしなくていいし、かまわなくていいし、猫を飼うのは楽だ。」と、“生き物なので世話をする”という感覚でした。
猫を飼い始めて半年たった頃、遊びに来ていた友人に、「面白いね。猫って、飼い主の後を、ついて回るんだね。」と言われて初めて、いつも後ろに猫がいることに気づいたのです。
その時から、世話をしている生き物から、私と共に暮らす猫として、私の中で“感情”が動き始めました。

その後、徐々に猫を飼うことにも慣れてきて、可愛く思い始めました。
しかし、あまり猫可愛がりをしないようにしていました。
それは何故かと言うと、私が、人の子どもに対する親や祖父母の“親バカ”ぶりを恥ずかしいことのように思っていたためです。
何故、親というものは、子どものためになりふりかまわず、疲れもいとわず、子どもに対して接することが出来るのだろうと、なんとも不可解に思っていました。
また、自分の飼っているペットに、高品質な餌、ファッション、遊具、ホテル、美容室、過剰といっていいほどの商品とサービスを、親心をくすぐられるかのように旺盛に消費する飼い主たちの行動が、私には異様に思えたのです。

猫を飼い始めて1年が経ったある日、猫を膝の上に乗せて抱いていると、突然涙があふれてきました。
“ただ、愛おしいなぁ”と思えたのです。
私が猫に感じるように、きっと世の中の親も同じ様に、どんな子どもであれ、存在そのものが愛おしいと思うのだろう。
そして、「ああ、私もかつて、私が猫を抱いているように、私も親に抱かれていたのだ」と気づいたのです。
親バカの“バカ”を、度を越して甘やかすこととだけ思い込み、“夢中になること、好きであることを隠さないこと”という意味もあることに気づくと、なんだか「親バカ万歳!」という気分になってきて、今では立派な“飼い主バカ”になってしまいました。

今は大人になってしまった私たちには、遠い記憶かもしれませんが、私たちは、かつて親に“愛おしい”と思われ、私たちも親のことを“大好きだ”と思った時間が、一瞬でもあったのかもしれません。
そして、親たちはそれぞれの“形”で、不器用ながら愛情を表現してくれていたのかもしれませんね。


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2012年1月17日

迷いながら進む強さ

2012年が始まりましたね。みなさんは、この一年をどんな年にしたいと思っていますか?
もしも3ヵ月後にその目標を忘れていたとしても、一度 しっかり設定するというだけでも 効果はあるようなので、まだ作っていない人は是非 どこかに書いておくといいですよ。

*** *** ***

私は最近、『へうげもの』というアニメがなかなかお気に入りで よく見ています。
タイトルは、「ひょうげもの」と読むんですが、この「ひょう」というのは 「ひょうきん」のひょうで、「おどける」というような意味だそうです。

戦国武将であり、茶の湯マニアでもある古田織部という人が主人公です。
彼は、織田の家臣である、「武人」である自分と、千利休の弟子であり、茶の湯にめちゃくちゃハマっている「数寄者(すきしゃ、と読みます。道楽者 みたいな感じのニュアンスかな。)」としての自分との間でいつも揺れ動いています。

もし、この時代の「武士」が、今で言う 「会社員」 なのだとしたら…、もしかしたら多くの人は、社会人としてどこかに所属したとたん、そういう「趣味」のようなものは どんどん自分の中の過去の物として卒業してしまうことが多いのかもしれません。

「いいかげんオトナになりなさいよ。」 とか、「そんなの 何の役に立つの。」 などなど、周りの “まっとうな”声にほだされて。

でも、この織部さんは、自分の「欲」を抑圧せずに葛藤し続けます。

本来、趣味人としての彼は、 「おもしろい」と感じることや「感動する」ということが、生きる指針なのですが、武士としての彼には、常識や上下関係によって自由にならないことや納得できないこともたくさんあるからです。

でも その葛藤って、自分だけにしかできない生き方を模索している途中だからこそなんだよなぁ、と、思うんです。

周りから見ると、さっさと自分の目標を見つけて、まっしぐらに進む姿が かっこよく見えるのは確かですよね。
でも、このアニメを見ていて、迷ったり葛藤したりできることもまた、実はとても強いことなんだと思うようになりました。

どちらもあきらめないで 両方を自分の中で戦わせるからこそオリジナリティが生まれて、自分らしさというものが生まれるのではないでしょうか。

例えば、織部さんの場合は武士ですから戦国時代に出世しようと思ったら、武の才に長けていることが必須です。
でも彼は、「武力」ではなく、むしろ、茶の湯への「貪欲」があったおかげで、難しい交渉をあっさり成功させたり、一目おかれたりして、官職にまで出世しちゃうんですね。

つまり、彼はどっちの世界でもトップではないけれど、両方の世界に通じていることで、彼にしか通れない彼ならではの「道」が出来ていくわけです。

このあたりは、今の時代のわたし達も大いに参考に出来るところなんじゃないでしょうか。
つまり、自分らしさ、というものは「迷い」そのものと言っても過言ではないのではないかと。


そして私が面白いなぁと思うのは、そんな彼を突き動かすのが、清廉潔白なヒーローのような精神ではなく、人間的な「欲」 っていうところです。

「欲」というと、なんとなく、悪いこととというか、後ろめたいようなことを連想してしまいがちかもしれませんが、その「欲」こそが、それぞれの個性を引き出してくれていることも少なくないんじゃないでしょうか。

タイトルの「へうげもの」 というニュアンスにしてもそうですが、「好き」 が全身からにじみ出ている人というのは、どこか憎めないかわいらしさを感じますよね。
「したい!」「見たい!」「ほしい!」・・・など、WANT がはっきり見えるほど、「笑」 にも繋がっていくのかもしれません。

私自身も、2012年は、今やらなくてはいけないことのほかの、自分自身の「欲」を あきらめないでいたいなぁと思います。
そして、そこに迷いや葛藤があればあるほど、自分にしか通れない道を創っている途中なんだ、ということを怖れたくないと思います。


大いに迷い、そして、力強い一年になりますように。

そして、あなたの「好き」が 誰かのためになり、あなたの「欲」が 誰かを助けることになる、そんな輪がどんどん広がる年になるといいですね。


ありがとう。

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2012年1月10日

島のおじちゃん

前回のコラムとはうって変わって、「好きな場所」で「好きなこと」をしている日々。
うまく言えませんが、毎日が自分で納得できているような感覚です。

目に映るひとつひとつが、きゅっとするほど愛おしくて、ここでの出来事やご縁が熟する時間もいらないほどすぐに「大切な思い出」になっていくのを実感しながら過ごしています。

だいぶ前のことになりますが、
気持ちよく晴た真っ青な空と、それよりずっと深く透明な青い海にかかる長い橋をドライブをしていた日のこと。

橋のたもとの道端に、派手な赤い文字で「ドラゴンフルーツ 完全無農薬」の看板が目に飛び込んできました。
(笑っちゃうくらいの真っピンク色の皮に可愛らしい角のようなとげが生えた、両手を丸合わせたくらいの果物。ウリ科でスイカを柔らかくしたようなみずみずしい果肉に食べられる小さい種がいっぱい入っていて、そのツブツブ食感が私は好きなんです。)
吸い込まれるように車をとめて、無人の直売所らしきその看板へ向かいました。

青空市場というにも簡素すぎるくらいの、骨組みとごゴザを乗せただけの屋根でできた小さな小屋、傾いた机の上にピンク色のカタマリがどっさり。なんと4個くらい入って一袋100円。市場の半額以下の値段。セールに目のない私はテンション上がります。

すご~い!!
これはいいものを発見したと、お財布を開くと小銭は100円玉が2つだけ。
・・・お釣りもなさそうだしな~。(それでも十分な量だと思うのだけど)

そこへ、通りすがった地元の人らしいおじちゃんがやってきました。
ここの年配の男性は作業服を着ても、キャップとお洒落なサングラスでなんだかカッコいいんです。

「めずらしいんか~。内地(本州とかのこと)はそんなのないだろ~」
「そうなんですか?わたし大好きなんですよ~」
「こっちの人は食べんからいっぱい持ってきな~」

おもむろにたくさんあるポケットのひとつに手を突っ込んで、じゃらじゃらと小銭をとりだし10円玉を5個と50円玉を1個、手のひらにひろげて私に差し出してくれたんです。

のんきな私は、ここの農園の人かしら?と思って
「いいんですか?ありがとうございます~!」遠慮なく大喜びして受けりました。
「いっぱい食べ~」

おじちゃんは日に焼けた小さな顔から白い歯をキラっとのぞかせて笑顔で車に戻って行きました。

どうやらこの売店とはまったく関係のない人だったみたいで。

一瞬迷ったけど、ありがたく頂くことにしてもう一袋ご購入。
お店にお金を置く場所がなかったので、机の隅にそっと。

こういうことってあるんだ~・・・

その前は砂浜に写真を撮りに行ったつもりが、売店のおじちゃんと常連の女の子たちに話しかけられてそのまま飲み始って日が暮れたこともありました。

ここでは「社交辞令」とかうわべだけのものは存在しません。
みんな心から近づいて、相手も同じように受け入れてくれる。

人どうしの距離感が近いような気がします。

ほんと、この島はあたたかい。

その後、数日わたしの主食はドラゴンフルーツになったことも付け加えておきます(笑)

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新年明けましておめでとうございます。
あなたにとってよい1年でありますように。

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2012年1月 3日

一病息災

新年おめでとうございます。
今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

2012年最初のコラムとなります。
皆さんは、このお正月をどのように過ごされているでしょうか。

初詣に行かれた方もたくさんいらっしゃるのではと思います。
一年の最初に何かの願い事をする・・・素晴らしいことだと思います。
商売繁盛、家内安全、無病息災、学業成就、恋愛成就、などなど、おそらく願い事をする人の数だけ様々な願い事があると思います。
それらがこの一年を通して無事に達成されるとよいですね。


さて、「一病息災」という言葉をお聞きになった方もいらっしゃると思います。
「無」病息災ではなくて、「一」病息災です。
全く病気がないよりも、一つくらい病気があった方が自分の健康に気をつけるようになり、結局元気に暮らして行けますよというような意味です。

今回は、病気とのつきあい方について書かせていただこうと思います。


生まれてから死ぬまでに、何の病気にもかからないという方はほぼいらっしゃらないのではないでしょうか。
生きて行く以上、病気とは何らかの付き合いが必要と言えそうです。

私事なのですが、もう20年来、B型慢性肝炎を患っています。
元々はいわゆる母子感染で、生まれた時から感染をしていました。
それが分かったのが学生時代。きっかけは献血でした。
当時は今程肝炎についての情報がなく、あまり気にも留めていませんでした。
その後、なるべく若いうちに治療をしておいた方がよいという情報もあり、インターフェロンの治療を試みたのですがうまくいかず、結局、肝炎が慢性化することとなりました。


「心と体はつながっている」とはよく言われることですが、私は結構そのように思っています。

最初に就職した会社では、今にして思えば、入社して4年目くらいからは毎日いらいらして、結構いろいろなことに対して怒っていたように思います。
自分が思うような業務につけないことへのいらだちからだったと思います。

そうこうしているうちに5年目に入る頃には、なんだか体がだるくなってきて、朝起きるのがきつくなってきました。
なんとか怒りのパワー(?)で会社に行っていたものの、あまりにしんどくなって病院に行ったところ、肝臓の数値が異常に高いとのことで「即入院」ということになりました。
5月は入院し、退院後は毎日点滴に通院していたのですが、仕事の方は相変わらずで、毎日いらいらして、毎日怒っていました。

結局その年の10月頃に、肝臓の数値が再び異常に高くなり、再度入院をすることになりました。
2回目の入院となり、自分なりには結構へこんでいたと思います。
周りの方からも、「ゆっくり何も考えない方がいいよ」とか、「あまり気にしないようにね」とかアドバイスをいただいたと思います。
聞き入れる余裕はあまりなかったと思いますが、少しは反省するところがあったんでしょうか。
できる範囲で怒らないように気をつけるようになりました。
結局、2年後の8月にその会社を退職することになるのですが、点滴はしていたものの、その間入院することはありませんでした。


非常に単純なのですが、私の場合、大きなストレスを感じたり、怒ったりする状態が続くと、肝臓が悪くなるようなのです。
実際、2つ目の会社でも同じように肝臓の数値が異常になり、点滴をしながら仕事に行っていた時期がありました。

たまたま・・・とまでは言い切れないような、切っても切れない関係が、心と感情の間にはあるように自分では思っています。


ここ5?6年程は、幸い肝臓の数値は安定しています。
心理学を学びながら自分自身を癒して来れたことが大きく関係しているように思えてなりません。
多くの素敵で頼りがいのなる仲間ができたこともあるでしょう。

また実は、3年程前に、大好きだったお酒をやめました。この3年程の間、一滴も飲んでいません。
きっかけは、義理のお父さんに食道がんが見つかって、食道の全摘出手術をすることになったことです。
お義父さんももともとお酒好きで、ちょっとアル中気味だったのですが、ガンの手術を機に、健康と願掛けのため一緒に禁酒をしましょうということになったのでした。

手術は見事に成功し、お義父さんは健康を取り戻しました。
禁酒のお蔭で、私はますます健康を維持できるようになりました。
それまでは、お酒を飲んだ翌日は、なんとなくしんどくてだるさを感じていたんですが。そういうこともなくなりました。

お義父さんはというと・・・、残念ながらというかなんというか、また元気にお酒を飲むようになりました。
三度の飯よりもお酒が好きな方ですし、心の隙間を埋めるのにお酒は欠かせない存在のようです。

私はお酒を飲まなくなって幸せ、お義父さんはまたお酒が飲めるようになって幸せ、ということになった訳ですね。
飲酒については正反対の結果となりましたが、二人とも幸せになれたのは面白いなぁと思います。


また私の肝炎の話に戻りますが、35歳くらいまでなら治る可能性はあるようです。
しかし、私はもう今年で43歳。
ほぼ治る見込みはありません。
一生慢性肝炎とつきあっていくことになります。
今後もうまく病気とつきあっていければと思っています。

病気は何かのメッセージを私たちに知らせてくれるという考え方もあります。
今さら行っても仕方がないことですが、私の場合、最初の入院の時に自分の感情と向き合って、それまでの考え方や生き方を考え直していれば、また違った人生が用意されていたでしょう。
病気は私たちに何かの気付きを促してくれているのかもしれません。

今年一年、病気をせずに元気に過ごせるのがなによりです。
しかし、もし、何かの病気にかかったとき、体を休めて病気を治すと共に、せっかくの機会ですので、心にいろいろ問いかけてみてはいかがでしょうか。
今までの生き方、今の気持ち、今までにやり残していること、これからやりたいこと、などなど。
もしかしたら、その病気のお蔭で、人生が大きく変わるきっかけになるかも知れませんね。

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