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2011年8月30日

本当に与えたかったもの

私には、小学5年生の女の子と小学1年生の男の子の2人の子どもがいます。
私は親に育てられた経験はあるものの、親として子どもを育てるのはこの人生では初めてなもので、日々、試行錯誤の連続です。

私自身は、三人兄妹の一番上の長男で男は私一人だけでしたから、両親からは大きな期待を寄せられて育てられました。

両親の期待はどのようなものだったかといいますと、例えば、

  勉強して成績を上げて、公立なら地域の一番校へ。
  私立なら大学入試実績のいい有名校に入って、そして、大学は国公立へ。
  将来は医者とか弁護士とか国家公務員とか、社会的地位の高い人になりなさい。
  普通の会社に入るなら名前の通った大きな会社へ。
  語学、特に英語ができた方が何かといいから、会社のお金で留学させてもらうとか、海外勤務をさせてもらいなさい。

というような期待でした。

学歴や職業に限らず、似たような期待を子どもにかけている(または昔かけていた)親御さんは、世の中に結構いらっしゃるのではないでしょうか。
親は子供に対して大なり小なり何か期待をかけてしまうものだと思っています。
そういう方向に進むことが、子ども(私)にとっての幸せにつながる、幸せな人生を送ることができるに違いないと思って、そのような期待をかけているのでしょう。

私は聞き分けのある非常にもの分かりのよい子どもだったようで、ある時期までは親の期待に応えるような人生を歩んできたと思います。
もともとのんびり屋だったこともありますし、そうすることで親から可愛がられて、経済的には不自由のない生活を与えてもらえたからだったと思います。

けれども、親の期待通りの人生というのは、結局自分の人生を生きていないことになりますから、どこかに不自由さを感じていたんだと思うんですね。
就職して社会人になってからようやく、「自分は本当は何になりたいんだろう」とか、「どんな仕事がしたいんだろう」とか、そういうことをよく考えるようになりました。

今になって思い返すと、その思いが20年くらい経った今になって、カウンセラーという仕事をさせていただくことにつながったとも言えますから、人生に無駄なものはなかったんだなぁと思えてきます。


さて、今度は自分が親になってみて、小学生の子どもに対して日々言っていることは、やはり「躾(しつけ)」に関することが多いような気がします。

  ・名前を呼ばれたらちゃんと返事をするんやで
  ・ご飯は好き嫌いせずに残さず食べるんやで
  ・遊んだおもちゃとか読んだ本は片付けてや

みたいな基本的なことにはじまり、、

  ・トイレの便座をあげておしっこして~ (下の男の子は、便座を下ろしたまま小用を足すんです。便座にしぶきが飛び散っちゃいますよね!)
  ・脱いでクルクルに丸まった汚れた靴下をテーブルの上に置かないで~ (上の女の子は、そういうことに無頓着なんです。)

といったこともあります。

日々、何度も何度も同じことを繰り返して言っていますが、子どもたちは細かいことには一向に気にせず、好きなように生きてくれています。
挙げ句に「パパは細かいことを言うなぁ~」と逆に言われてしまう始末。

親の思いとしては、「こういうことはできるようになっておいた方が将来役に立つよ」とか、「そういうことをすると周りの人に迷惑をかけるんじゃないかな」と思っていろいろ口を挟んでしまうわけです。
でも、結局は自分で成功したり失敗したり、他人様から厳しいことも言われる中で、自分自身で納得して身につけていく部分が大きいのではないかなと思うようになってきました。


私自身は、父親と日常的に話したり接触していたりという記憶がそれほどありません。
小学校までは、休みの日に近所を犬の散歩に行ったり、家族で外食に行くぐらい。
父親は仕事人間でしたから、平日と土曜日はまず仕事、日曜日もよく出勤していましたっけ。
出勤時間が遅く、朝はゆっくり寝ていたので朝は会えず、反対に帰宅時間も夜遅かったので、父親と食卓を囲んだりしたことはほとんどありませんでした。。
中学、高校時代には父親と話したことってあったかな、そんな程度でした。
でも、仕事に打ち込むことで、家族に対する父親としての責任を果たそうとしてくれていたんだと思います。
だからといって、厳し過ぎるという訳でもなく、今思えば、自分にとっては優しくていい父親だったと思います。


私は今のところ、子どもと接する時間については、自分の父親の何倍も持てていると思います。
朝ご飯は一緒に食べますし、夕ご飯も一緒に食べられる日もあります。
土曜日と日曜日は極力仕事に行かずに、家族と一緒に過ごすようにしています。(心理学のワークショップなどに参加するときは例外ですけど。)
けれども、もしかしたら、私自身は、自分の父親との関係が薄かったせいもあって、子どもとどういう風に接すればよいのか、どんなことを話せばよいのか、今イチわかっていないというか、あまり自信が持てていないのかもしれません。


先日、箕面に新しくできたキャンプ場に、一泊でキャンプに行ったことがありました。
せっかくキャンプに来たわけですから、子供には自然を味わって欲しいと思いますし、普段できないような体験を積んでほしいなと思っていたんです。(これも一種の「期待」なんでしょうね。)

キャンプ場に行く途中、有名な箕面の滝を見に行ったのですが、下の子が、「滝を見るより、近所のスーパーにある仮面ライダーのカードゲームがしたい」と言ってぶんぶくれてしまいました。
その後、食材の買出しに行こうということになったのですが、上の子が「マクドナルドが食べたい」と言い張ることもあって、「ちょっとそれはないんじゃないの!?」と私自身もひどく気分を悪くしてしまいました。

子どもにとっては、休みの日に、もらったお小遣いでゲームをするのが何よりの楽しみですし、平日にはまず食べられないマクドナルドを食べるのが、やはり何よりの楽しみなんですね。
子どもが自然やキャンプに興味が湧くように、前もってもっと工夫をすることはできたのかなと思います。

ああしてほしい、こうしてほしい、ああなってほしい、こう思ってほしい・・・、知らず知らずのうちに、やはり様々な期待を子どもにかけてしまっているようです。
期待をかけてしまう分、子どもができないことがあったり、やらないことがあったりすると、子どもに対してダメ出しをしてしまうような気がします。

でも、子どもが病気をすると、私の場合、不思議とそういう期待はどこかに飛んでしまいます。
 「早く治ってくれたらそれでいい。」
 「元気になって、笑顔を見せてくれたらそれでいい。」

私が子どもに本当に与えたかったものって、例えば、こんなものだったのかもしれません。

 安心、安全、平和、平穏、仲良し、上機嫌、笑い、楽しさ、喜び、心地よさ・・・

簡単に言ってしまえば、「幸せになってほしい」、これに尽きると思います。
子どもに幸せを与えられたら、親としてこれに勝る幸せはないなぁと思っています。


私の父親は、亡くなる3日前、まだ意識があった最後の時間に、こんなことを言ってくれました。

 「何かやり残したような気がするが、それが何なのかはわからない。」

今となっては想像するしかないのですが、もし、父親が意識できたかできなかったかは別にして、私と同じような思いを持っていたのだったとしたら、子どもに「期待」をかけるのではなく、素直に子どもに「幸せ」を与えたかったのかもしれないなぁと思えます。
父親が本当に与えたかったであろうものを、今度は私が子どもに与えていこうと思っています。

親がやりたくてもできなかったことを自分が代わりにすることが、親の分までよく生きることにつながるのではないかなぁと思っています。

中山けんたろうのプロフィールへ>>>

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2011年8月23日

勤勉な日本人

 一昨年のことですが、オーストラリアの東海岸、クイーンズランド州のレインボウ・ベイという町へ行ってきました。ゴールドコーストの有名な観光地サーファーズ・パラダイスから南へ25キロ、キラー・ポイントなどのサーフィンの国際大会が行われるようなサーフポイントが連なるエリアです。
 
 飛行機に乗って翌朝には、青い空と青い海が果てしなく広がり、砂浜にはサーファー、歩道はジョギングをする人が行き交い、芝生の上では愛犬とお年寄りが散歩をしている、そんな映画で見たような風景の中にいました。宿泊先の手配を、サーフィンが大好きなオーストラリアの知人に任せっきりにしたためにそういう状況になったのですが、日本人の観光客が少ないエリアに滞在することになり、お陰で貴重な体験と数々のエピソードの残る思い出深い旅になりました。
 
 散歩をしたり、プールサイドで昼寝をしたり、近所のスーパーで買物をして料理をしたり、半日のレクリエーション・ツアーに参加したりと、欧米人のバカンスのような過ごし方にも飽きたので、対岸に見える摩天楼サーファーズ・パラダイスへ出かけることにしました。中心街のモールに入ると、ハワイのアラモアナ・ショッピングセンターのように大勢の日本人の観光客がいて、お店でも日本語で店員さんが対応してくれ、日本からたった数日離れていただけなのに懐かしさを感じました。
 
 夕食は、ガイド本にも載っていた地元オージーたちにも人気の日本料理店で食べることにしました。寿司や天ぷらといったいわゆる和食ではなく定食屋のようなお店ですが、周囲には他にも飲食店があるのに、そのお店だけが予約でいっぱいで、空席待ちのお客さんが並んでいました。オーナーに繁盛の理由をきくと、「うちは厨房もホールも日本人だけを雇っている。よく働いてくれる。」という言葉が返ってきました。
 
 日本人はお金持ちで真面目、というのが外国の人たちの印象のようです。また、勤勉であるというのも特徴で、日本人の仕事観は世界の中でも異質のようです。その背景には、様々な要因が重なっていますが、宗教性と倫理性が大きく影響しているという見方があります。
 
 キリスト教やイスラム教は一神教であるため、その文化圏では、倫理性を含む行動パターンが非常にはっきりしているのだそうです。自分の仕事が終わればすぐ帰ってしまうし、夏休みには1ヶ月くらいは平気で仕事を休むし、働くこと、遊ぶこと、聖なることが明確に区別されています。一方で、日本人は、仕事が遊びよりも優先されたり、家族よりも職場の仲間と過ごすことが多かったり、勤勉に働くことを快いと感じたり、職人気質という言葉に象徴されるように仕事を極めることに倫理的陶酔を感じるように、働くことが、遊ぶことや聖なることと結びついている場合が多々あります。
 
 どちらの仕事観が良い、悪いというものではなく、比較してみると違いがあるということです。勤勉に長時間働くからこそ経済的な発展を遂げているという一面もあるでしょうし、価値観が包括的に連動しているので、雇用不安や景気の落ち込みが漠然とした将来の不安感に結びつきやすいという傾向もあります。将来に不安を抱く日本人は90%と、他の先進国に比べて突出して多いという調査データがあるそうですが、その不安感、本物なのでしょうか?他の国から日本を眺めたら、「どうしてそのように不安なのか?」と疑問に思うかもしれません。
 
 時には普段と異なる生活の中に身を置き、違う価値観で現在の状況を眺めてみることも、必要なことかもしれないと感じました。


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2011年8月16日

祈りの虹

僕は長く合唱団に所属しているのですが、同じく合唱をやってきた親友の誕生日は8月6日です。
夫婦で長い付き合いの彼には、毎年、誕生日にプレゼントを贈っています。
この日がくると、いつも思い出す合唱曲があります。

彼は、大学時代に、当時、日本トップクラスの男声合唱団に所属していたのですが、僕は、その演奏会を聴きにいった時に、聴いた曲に深く感動しました。

それは、男声合唱とピアノのための「祈りの虹」(作詩:峠三吉、金子光晴、津田定雄 作曲:新実徳英)という合唱曲で、新実徳英さんが作曲された、平和への願い、人類の浄化への願いを込めた4曲からなる合唱組曲です。
また、その思いから選ばれた三篇の詩は、いずれも第2次世界大戦とその結末となった原爆投下を経て書かれたものです。

ちょうど広島に原爆が投下された日に誕生日を迎えている親友が歌っていて感動したことが、この日を迎える度に思い出されるのですね。


4つの曲からできているこの合唱曲は、原爆投下による苦しみと悲しみ。原爆や戦争への怒りと、それを作り起こした人の心への怒りを表現し、そして、その終曲では、平和への祈りと人類浄化への願いを歌います。

この合唱曲について、僕の親友は「3つの曲を歌った後に終曲である『ヒロシマにかける虹』を歌うことに意味があり、感動がある」と語ってくれました。まさに名言、そのとおりだと思います。


この時期、この合唱曲を聴く度に、僕は「祈り」ということの意味を思います。

「祈り」とは、宗教的な意味の「祈り」というだけではなく、人が人として自然に身につけている行いであるように思うのです。

大切な人が亡くなった時に思わず「祈り」たくなる。
誰かの無事を願う時に思わず「祈り」たくなる。
深い感謝の気持ちを感じた時に思わず「祈り」たくなる。
ふと見た美しい光景に思わず「祈り」たくなる。

日本は自然にあるいろいろなものに神様が宿っているという昔ながらの考えがあるように思うのですが、僕はこの「祈り」のことを思う時、いつも特定の神様というより、自然全体に対して「祈り」を捧げたくなります。

「祈り」人が本質的に持っている力です。
鎮魂を、願いを、救いを、感謝を
それらを届けたい誰かに送るための手段です。

そして、その「祈り」は、目に見えない形で、その誰かに届き、その誰かの力になるように思うのです。


今、日本で、そして世界で、いろいろな問題や事件や争いが起こっています。
大きな困難に直面している方もたくさんいます。

でも、その当事者でないかぎり、その場所にいないかぎり、僕たちはその大変さを想像するしかありません。
今、自分ができることをやるしかありません。
それは時として、自分を責めることになります。
自覚していなくとも、誰もがそう感じていると思うのです。

けれど、「祈る」ことはできます。

第二次世界大戦を、原爆を経験したことのない僕が、こうしたことを言う資格はないのかもしれません。
そして
今も世界で起こっている戦争のことを思うと
今も日本や世界で起こっている問題や事件や争いの渦中にいる方々を思うと
今も東北で様々な困難に直面している方や、その解決のために決死の努力をしている方々を思うと

こんなきれいごとのような話を書いていいのか、本当に悩み迷います。

でも、この合唱曲を聴く度に、誰かのために「祈る」ことは、人が本質的に持っている力であり、
その誰かのための力になると信じたくなるのです。


合唱曲「祈りの虹」の終曲「ヒロシマにかける虹」(作詞:津田定雄)は、8月6日の平和記念式典の様子を描き、その最後にはこう歌われています。

 一陣の風がおこれば
 霊はしたたる水となり涙となって
 くぐり抜る光に美しい虹を咲かせる
 おお これこそ真の神より
 ヒロシマにかける救いの虹
 そしてヒロシマの普遍者に応える
 祈りの虹
 七色に大きく二つの輪をえがき
 いつしか象徴の花に融け合い
 輝きあってゆく


いろいろな、そして数々の「涙」が、風にのって、空に上がり、光を浴びて美しい虹を咲かせる、そう歌っているように思えるのです。


人は「祈り」ます。
今までも、そしてこれからも「祈り」続けるでしょう。

僕も「祈り」続けたいと思います。


以前、このコラムで原爆をテーマにした記事を書かせていただきました。
(「生きていく意味を伝えていくこと~『夕凪の街 桜の国』に思う」)
その時のコラムは、広島に原爆が投下された翌日である8月7日にアップされました。その最後にこう書かせていただいています。

 このコラムは8月7日にアップされます。
 8月6日でなく、その翌日であることに意味があると感じています。
 この偶然を、偶然のまま終わらせたくない。その思いでこのコラムを書きました。

今回のコラムは、8月16日にアップされます。終戦記念日の翌日です。
翌日は、未来です。
最後に、同じ言葉でまとめさせていただけたらと思います。


このコラムがアップされるのが
8月15日でなく、その翌日であることに意味があると感じています。
この偶然を、偶然のまま終わらせたくない。その思いでこのコラムを書きました。

今までに亡くなったすべての方と
そして、その命を継承した、今、僕と同じ時代を生きているすべての人へ
心からの感謝をこめて

池尾昌紀のプロフィールへ>>>

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2011年8月 9日

長い退職活動

こんにちは。カウンセリングサービスの五十嵐かおるです。
みなさんはいつもとは少し違う夏。どのように過ごされていますか。

私は先々月で8年以上勤めていた会社を辞めたこともあって、環境が大きく変わっています。
去年までは冷房がききすぎた部屋で座りっぱなし、冷えとむくみに悩まされていた季節ですが、今はよく動きよく食べてエアコンも控えめに使っているので体調がずいぶんいいような気がします。

会社を辞めることは初めてではありませんが、今回にかぎっては決断してから結果が出るまで2年半もかかりました。「会社を辞める」だけでなく、長年どっぷりつかっていた「業種」からも離れることを決めたからかもしれません。
その職場は私が今まで長い間つきあってきた「○○しなければいけない」という選択の連続で行きついたようなところでした。


…どうも気持ちが八方ふさがり。
それまでの人生「頑張ればなんとかなる」「努力」でやってきた自分が前に進もうとしない。何かどうしようもない。その違和感に気付いたことが始まりでした。

職場ではなんとか締め切りには間に合わせなきゃと毎晩深夜まで残業の日々。
やっとの思いでプロジェクトが一つ終わっても達成感などまったくない。
「またこんな大変なことをやらなきゃいけないだ・・・」
達成感の替わりに、感じるのは次のプロジェクトへの恐怖感とうんざりしている自分。
慣れれば楽になる・・・難しい仕事だと覚悟はしていたものの、気持ちがついていかない。
なんだか暗~い時間の中を手探りで歩いているような感覚。
どうやってもうまくいかない。うまくいく気がしない。うまく行かせたいとも思えない。
「でも今は辞めるのに早すぎるからあと1年、あと2年頑張ったら」と自分に言い聞かせながら退職へのカウントダウンの日々。

この時にはもう私の心は声にならない声で、悲鳴をあげていたのです。
幸か不幸か体力だけはあったので、まさかこんなに心が疲れているなんて気付きもしませんでした。ちょうど心理学も学び始めていた頃で、どうにもならなくなった私は最後の最後にやっと「相談する」ことを決めました。

今だから言えますが、それまでは「相談」とか「弱音をはく」ことは無駄だと思っていました。最近ではすっかり開き直って「困ったらすぐ相談」「つらい時は無理!」と気軽に言えるようになりました。ダメな性格になったように見えますが、生き方がとってもラクになったのは実証済みです(笑)


さてカウンセラーへその相談。
「どうやったら仕事ができるようになるんでしょうか。」
(どこまでも「頑張って」なんとかしようとする私(汗))

相談を受けてくれたカウンセラーはもちろんそんなことは見透かしていて、アドバイスはたった一言。

「そんなにしんどいなら、辞めちゃえばいいじゃん。」

…はい?
あの、それができないから悩んでるんですけど。なんかこう「うまい仕事のやり方!」とか「モチベーションの上げ方」もたいななものを教えてほしいんですが。

「だって無理だよ。もう限界きてるじゃん。今辞めても来年辞めても一緒だよ。何でそんなに辞めることを怖がってるの?」

だって、派遣社員だったのに上司にお願いして社員にしてもらったから「期待にこたえんきゃいけないし」
それなのに辞めるなんて言ったらきっと怒られるから「長く勤めなきゃいけない」し、
会社にも迷惑だし、根性無しって思われるから「やめちゃいけない」し
こんな自分じゃまわりにも呆れられるから「ちゃんとしなきゃいけない」し…
まだ貯金もないし、親にも心配かけるし、家族は私が「支えなきゃいけない」し…
出てくるのは周りからの評価とプライドを気にする自分、「将来の心配」先物取り。
「やらなきゃいけない」ばかり。

そこからすっぽり抜け落ちていたのは「本当は○○したい」という自分の気持ちだったんです。
本当は。つらい。
今の業種は楽しくない。でも、楽しそうだと思っていた。
だから学校も選んだし、せっかく卒業したんだからその業種で生きていかなきゃだめなんだ。
自分で決めた自分のルールがたくさん。八方ふさがりの壁をつくっていたのは私自身だったんです。
冷静に周りを見回せば、友達はみんな応援してくれるし、むしろ心配してくれてる。
頑張ってる私だから友達でいる、なんて人もいない。
それらに気付くことができて、やっと「辞めていい」と自分にOKをだすことができました。頑張れなくたって、私はわたし。本当の私らしさはもっと違うところにある。
それが私の「退職の決断。」

さて、それからなぜ2年半もかかったのでしょうか。(メインのはずが余談になりそうです)
まずはそばにいる先輩や同僚に相談。みんなに止められ、様子をみることを勧められます。
その配慮のおかげで仕事やプレッシャーはだいぶ軽くなり、少しはやり過ごすことはできましたが、やはり心はラクになることを望みます。そうこうするるちにパートナーができて「サポートするから続けてみたら」のアドバイスを信じてなんとか1年。でもやっぱり気持ちは変わりません。会社が嫌なんじゃない。業種に興味が持てないんだ。
そしてやっと上司に退職の申請。それを聞いたエライ上司もとんできました。
(まるで私が必要な人材のように見えますが、会社の体質上退職者を出したくないのです。)
古き良き精神論をたっぷり聞かせていただいて、それでも動かない私の気持ちをなんとかわかってもらって「じゃぁ、このプロジェクトがひと段落つく半年後に。」
やった!それならあと半年。半年ならなんとか乗り切れる。
気持ちに余裕ができ、まわりからは楽しそうに見えたのかもしれません。
…半年後。プロジェクトの中間報告をみながらエライ上司から一言。
「うん、大丈夫そうだね!このまま頑張って。」エライ上司は私の返事も聞かず、目を見ることもなくそのまま立ち去って行きました。「いや、無理だって。ありえない…」茫然とその背中を言葉なく見送ることしかできず。そのままプロジェクト後半戦の会議が始まり、私は自動的に担当者の一人として参加せざるを得ない空気にまきこまれて行きました。
再び心ここにあらずの日々。ただただ、辞めるタイミングを探していました。
そんな時、私を心配してくれていた上司に季節外れの人事異動の辞令があり、その波に乗ってエライ上司に退職の申請を「本気で」してくれました。
そこでやっと「退職日が決定。」  ふぅ。
長いながい退職への道のり。会社を辞めてはいけない。無理も言ってはいけない。
たくさんの自分で決めたルールをひとつひとつほどいていく時間だったのかもしれません。

決まってからは早いもので、あれよあれよと日程と引き継ぎが決まり私の仕事が減っていきます。タイミングとは面白く、会社内の全体引越と退職日が重なってまわりと一緒に片付けが進み、荷物や席の移動もスムーズに終わりました。
まるで押しても引いてもびくともしなかったドアがスイッチを見つけた瞬間、自動ドアだったかのように簡単に開いたのです。

「○○しなければいけない」はもうやめよう。これからは
「○○したい。」という自分の声を聞こう。

それが私のこれからのやり方です。
そして本気でやりたいことに向き合ったら、大胆な行動に出ることとなったのです。
この続きはまたあとで。

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2011年8月 2日

自己嫌悪とレディー・ガガの効能

梅雨時のジメジメした頃から、初夏に掛けて私は自己嫌悪にまみれていました。

どうも、今から思うとその数ヶ月前、3月頃からナニかがザワザワと動き始めていたようですが6月下旬のある朝。
そう、あれは確か、とある雨降る月曜日。
学校嫌いの娘をなんとか学校まで送りつけた車での帰り道。

流れていた曲は 今をときめくレディー・ガガの BORN THIS WAY でした。
ご存知な方も多いかと思いますが、その曲は結構アップテンポでノリノリな曲。
娘に 「買って」 と言われ、なんだか私自身気になっていた曲でノリノリ感が元気になれる気がしていて 「うん、買おう♪」 と買ったCD。
その時は歌詞などはわかっていなかったのですが。

その朝、やっと娘も学校へと行ったのになんだかスッキリしないドンヨリとした気持ち。
「あぁ、いつもはこの曲を聴くとナニゲに元気も出るのに、今日は元気が出ないな~ヤレヤレ・・・」 と少々自分にうんざりしながら、一体ガガちゃんは何を歌っているのだ? と歌詞カードを信号待ちの合間に見てみたならば。


そこには


「ありのままの自分を愛せばいい」
「そのままで完璧なあなたを 神は創ったの」 

自分らしいままで美しい
だって神には一寸のブレもない

今日いる自分を愛して そしてお祝いして
このまま進めばいい ベイビー
勇敢になるため 生まれてきた

私はこの運命のもとに生まれてきた 


という内容の歌詞が書かれてあり

なぜかそれを読んだ瞬間ダーッと流れる涙・涙・涙・・・

40も超えたいい大人がジャンジャカ音楽を流しながら、朝のラッシュ時に車中で号泣です(笑)
車の中で、しかも朝っぱらからとめどなく流れる涙に戸惑いつつこのモヤモヤと梅雨時の湿気のように私に纏わり付いていた嫌悪感。
その正体はなんだろう?
と大音量の中、流れる涙もそのままにボンヤリと考えていました。


毎朝の娘とのやり取りに疲れているのか?

娘には

「もっと自分のことを好きになったら?色々がんばってるやろ?」
「完璧でなくてもいいやん、そもそも完璧な人間なんていてないし」

という受け入れようとする言葉を掛けたり

「いつまでも中途半端やからしんどいねん!」
「一体どうしたいの?自分のことなんやから自分で決めなさい」

という追い込みの言葉を浴びせたりしていました。


『うわっ!!!これって全て私にも当てはまるセリフやんっ!!!』


モヤモヤと私に纏わり付いていたのは、紛れもない私自身の ”自己嫌悪” だったのです。
もっと自分自身を認めるべきは私で、不完全な自分を許していなかったのは私で、中途半端な自分を責め、自分自身を見失っていたことに気付いたのです。


でも、だからって、なぜ?ガガちゃんの  BORN THIS WAY  でこんなにも泣けるのだ?
自分が凄く自己嫌悪を感じていたことは解ったのですが、まだスッキリとはしません。

その答えは数週間後の、カウンセリングサービスの母体の神戸メンタルが主催する 《ヒーリングワーク》 に参加して明らかになりました。

このワークショップは数十名から100名前後で行う心理療法です。
一対一で行うカウンセリングを参加者の前で行う、公開カウンセリングのようなもの、といったらイメージしやすいでしょうか?
そこで、幸運にも私のこの一連の心の動きを聞いてもらう機会に恵まれました。

この、私の自己嫌悪ストーリーを聞いて、「わかる!わかる!」 と共感してくれる人もいれば、
「そんなにがんばってたんや~」 と労ってくれる人あり、「そんな人間くさいあなたが好きです」 と言ってくれる人あり 「おもしろいな~」とおもしろがってくれる人もいます。

この過程をくぐり抜け、なぜ  BORN THIS WAY で泣けてきたのかがわかりました。

それは、誰かに認めて欲しいくせに ”自分を認めれない自分・不完全な自分・中途半端な自分・見失った自分” そんな私でも 《自分らしいままで美しい》 と認められた気がしたからです。

認められたい、と願いがんばってきたはずなのに 『駄目駄目なあなたでもいいよ』 と、駄目な私を認められたら、今までツッパってがんばってきた自分はなんだったのだ?意味が無かったのでは?という無意味感に襲われ、「こんな駄目な私を認めないでくれ~~~優しくしないでよ~~~」と相反する思いがこみ上げてきていたようです。

けれど、「駄目駄目な人間、これが私です!!」 と人に話せたことがブレイクスルーになりました。

心理学ではよく言われることですが、自己嫌悪とは、自分の勝手な思い込みや誤解であることがほとんどです。
自分が自分の一部を嫌って責めているだけで、それを人に話しても人は嫌ったり責めたりはしません。

もしも、あなたが自己嫌悪に見舞われた時は少し勇気を出して、その思いを誰かに聞いてもらってください。

そうすると、そんなに自分を責める必要は無いことに気付けたり、今よりももっと自分と人を受け入れられる偉大な自分に気付くことができます。


まさか、自己嫌悪とレディー・ガガにここまで気付かされるとは!
と感じた梅雨から初夏に掛けての出来事でした。

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投稿者 cseditor : 00:00 | コメント (1)