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2010年3月30日

夢のカタチ

みなさま こんばんは、大野愛子です。
初めてコラムを担当させていただくので、初心も込めまして
「夢のカタチ」について書かせていただきますね。

夢といえば、小さいころになりたかった職業ってありましたよね。
「なりたい職業ランキング」を見つけました。

(男子)
1 野球選手
2 サッカー選手
3 医師
4 研究者・大学教員
4 大工  (4位は同順位)
6 マンガ家 イラストレーター

(女子)
1 保育士 幼稚園の先生
2 看護師
3 漫画家 イラストレーター
4 芸能人
5 ケーキ屋 パティシェ

これは小学生のランキング結果なのですが、昔から変わらず人気の
職業もあれば、パティシェのように今を感じさせる職業もあるのが、
おもしろいところです。

わたし自身は、小学生の頃は、獣医さん・デザイナー・マジシャン、
中学生の頃は、エッセイなどを書く小説家になりたいと思っていました。

ランキングの結果は、中学生・高校生になるにつれ「現実的で安定した
職業」への変化が見られるようになります。

わたしも高校の卒業まぎわになると進路を悩みながら、
わたしにとっての「夢と現実」を兼ね備えた美容師という職業を選び
ました。

感覚的で型にはめられることが苦手で自由を好むわたしにとっては、
自分の感性を使えて、毎日違うお客様と接しながらする仕事は、性分に
合っている仕事だったと思います。

10年ほど経った頃から、髪の質感や肌の状態、会話のトーンなどから
お客さまの日常にあるストレスのようなものを、自分の手を通して感じる
ことがとても多くなりました。
美容師は容姿を美しく整えることが仕事でもあり、
「心を整えて差し上げること」も大切だと感じ始めた頃です。

でも、人の心をどう扱っていいのか?よく分からなかったのです。
それを知りたくて心理学に出会い、そして学び。
数年後のわたしは美容師を辞めることを選びました。

それでも、新たな道を歩んでいるというより繋がった道の延長線上を
歩んでいるという感覚が、今もたしかにあるのです。
「人の心を整えたい」ということには、変わりがないからだと思います。

カウンセラーとしてのわたしは遅咲きかもしれないけれど、
これが「わたし夢のカタチ」なのだと思っています。

そして、わたしは思うのです。 「夢は、必ずしも職業にあらず」。
職業だけが、夢を叶えるカタチではない、と。

いつかの少年がみた野球選手の夢。
今は、パパになって子供に野球を教えているのかもしれない。

いつかの少女がみた保育士の夢。
子育てをしながら、自分のお子さんや近所のお子さんと遊んで
いるのかもしれない。

あの頃のわたし達がみた夢は、どんなカタチになるのかは、分からない
けれど。
夢は、わたし達が「咲かせてくれること」をずっと待っているのかもしれま
せんね。

わたしもおばあちゃんになったら、町内会あたりでマジックおばあちゃん
と呼ばれているかもしれません。
その時は、手品で「花」を咲かせてみようと思います。

大野愛子のプロフィールへ>>>

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2010年3月23日

父の背中

カウンセリングの中では、みなさんによく「両親との関係を見つめていくこと」を提案させて頂きます。それは小さな頃に感じた両親との関係が大人になってからの人間関係にいろいろな面で影響を与えていると考えられているからです。

その中で父親との関係は「キャリア」に影響をあたえると言われています。なぜかというと日本の社会では今でこそ、たくさんの女性の方が活躍されていますが、まだまだ男性社会の面も残っており、みなさんを指導したり上司(いわゆる指南役)には男性が多いからです。女性の方もたくさんいらっしゃいますが、男性的な考え方が残っている会社も多いんですよね。

だから仕事で成功するには「父親との関係を良くすること」がポイントになってきます^^

そして私自身は父親との関係はあまり良くなかったと思います。

父は私を厳しく育てました。小学生の時、少年野球をしていましたが毎日、スパルタで特訓を受けていました。それはもう練習というよりは修行の様で家の中で夜遅くまで特訓の日々が続きました。父親が投げた新聞紙で作ったボールを連続でバットの芯に当てないと眠らせてもらえない、父の投げたゴロを100球連続で捕らないと眠らせてもらえないのです。100球連続でゴロを捕るって大変なことなんです(><)1球でもはずせば、また一からやり直し。最後まで気が抜けず、はずすと怒られました。当時の私は「完璧でないお前はダメだ」と言われているように感じていました。

そんな父は早くに両親を亡くし親戚の家を転々として幼少期を過ごしてきました。厳しい中で頑張ってきたのだと思いますし心のどこかで「完璧じゃないと自分(父自身)は見捨てられる」そんな思いもあったのかもしれません。

楽しんで始めた野球でしたがプライドはズタズタにされ野球を楽しむということも忘れてしまいましたし20歳を過ぎるまでは父のことをどこか恨んでいたと思います。だから物心ついた頃には年上の男性、いわゆる上司という存在はいつも私のことを厳しくジャッジする人というイメージがついていました。全員と言うわけではないのですがやはり上司の前では緊張し、あまり本来の自分を表現できなかったと思います。

でも心理学を習い始めて少しずつですが、いろいろなことに気付けてきました。どうして私が父を恨んでいたのか?...ということも

その根源は『もっと分かってほしかった』『もっと認めてほしかった』という気持ちからでした。

本当はもっと父に褒めてもらいたかったのです。ファインプレーをしたときに「良くやったな」と頭を撫でてほしかったのです。でも父は照れくさかったようです。大人になってから、そのことに気付き始め、その頃から、「ただ父は私に冷たくしたわけでもないのかもしれない」 と父の気持ちを察してみるようになりました。

すると更にいろいろなことが分かってきたのです。父は誰にも甘えられなかったのだと思います。小学校1年と2年の時に父親と母親を亡くし「誰にも甘えられずに過ごした」と数年前、父から直接聞きました。そして父自身も誰かに認めてもらいたかったのだと思います。本当は亡き父と母(私の祖父母)に褒めてもらいたかったのだと思います。もっと甘えたかったのだと思います。

そして褒めてもらえない幼少期に「完璧じゃないと愛されない」と悟ったのかもしれません。

だから父は優しいところもありますが、どちらかと言うと物事を批判的に見るところがあります。人に対しても批判的に見るところがありました。

以前、北京オリンピックがありましたが、その日もテレビで競技の中継をしていました。すると父がテレビに向かって文句を言い始めたのです。失敗した選手を ボロクソに言っていました。10年前の私ならそれを聞いた途端、イライラして「だったらテレビなんか観なければいいのに」と父を責めていたと思います。

でも心理学を学んで分かったことがあります。それは「相手の価値を見る」ということです。そして「完璧でなくても愛されるんだ・大切にされていいのだ」ということです。

父は私が過呼吸で苦しんでいた時、誰よりも背中をさすってくれました。会社が解散になり落ち込んでいる私に「これで好きなものを買いなさい」と2万円をくれたのです。私は当時、めちゃくちゃ落ち込んでいましたが、それを期に「もうこれからは、その時その時を悔いなく過ごそう」と思い、その2万円で時計を買いました。父は批判的なところもありますが「人の痛みが分かる優しい面」もたくさんありました。

その父がテレビに向かって文句を言っているということは何か追い込まれているに違いない。完璧にできないアスリートに子どもの頃の自分を重ねていたのかもしれません。

それならその気持ちを静めてあげたいと思い父の肩を揉み始めたのです。そして肩を揉みながら父にこう伝えたのです。

「父さんは時々、ああやって文句を言うけれど本当は優しい人だよね」...と^^
「僕は知っているから」...って

その時、父の力がふわっと抜けたように私には感じました。そして30分くらい過ぎた頃でしょうか。まだ肩を揉み続けていたのですが父が優しい口調でこう呟いたのです。

「お父さんもテレビに文句を言ってもしょうがないよな」...と

その時、父の背中が少し小さく見えました。
そして「この背中で父は私達、家族を支えてきたのだな」
そう思ったのです。

父は幼少期、「完璧じゃないから自分はダメだ」と責めていた様でした。本当は「完璧じゃなくてもいいんだよ」そうやって両親に優しく抱きしめてほしかったんだと思います。でもその両親はもうこの世にはいません。

そして私も幼少期、父に「完璧じゃなくてもいいんだよ」と言ってほしかったのですが言っては、もらえませんでした。

でも、だからこそ、息子の僕が「完璧じゃなくても父さんは父さんだよ」と伝え続けていこうと思っています。それは同時に私自身に対してのメッセージでもあるような気がするのです。父の思いを息子も受け継ぐのかもしれませんね^^

土肥幸司のプロフィールへ>>>

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2010年3月16日

引っ越しと決断~選択肢は制限を超える~

もうすぐ、引っ越しシーズン突入ですね。
新しい環境に向けて、不安だったり、心躍らせていたりしている方も多いことと思います。

私にも、何度かの引っ越しの経験があります。
今回は、私が実家を出た時のお話・・・。
当時、私はカウンセラーになることを夢見て、心理学を学び始めていました。
講座が行われている場所から実家が離れていましたから、もっともっと学びやすい環境とカウンセリングが出来る環境が欲しくて、引っ越しをしたいと考えていました。
当時の私を取り巻く環境は、両親は会話を交わすこともない離婚前の冷戦○年目の別居中で、終わりの見えない冷戦に家族全員が疲れ切っていました。
そんなときに、出てくる思いといえば、

「現状を放棄して、家をでてもいいのだろうか。」

「引っ越すことになると、今まで入れていたお金を実家に払うことは出来ない。
それでも、別居中の経済状況の安定しない家を出ていいのだろうか。」

などと、ネガティブな要素ばかり・・・。
自分だけ、冷戦状態にある実家をでることに対して、どこかに後ろめたさがありました。その葛藤は、まるで「家を出てはいけない」という呪文を自分に対して、繰り返し唱えるようなものでした。
次第に、私にとっての引っ越しは「やりたいけど、出来ないもの」になっていきました。

「やりたいのに、出来ない」という思いを感じ続けるのに苦しくなった私は、カウンセリングを受けることにしました。
その時のカウンセラーの方の提案は、

「今の経済状況で、引っ越しをすることは困難かもしれませんが、『引っ越ししたい』ではなく、いつになるか分からないけれど『引っ越しをする』ということを頭に入れておいてください。」

というものでした。
「それだけで、何が変わるのだろう??」と思いつつ、その提案を実践してみました。
すると、不思議なことに、私は居ても立ってもいられなくなり、すぐさま新居を探し始め、2ヶ月も経たないうちに、自分の納得のいく新居を決めるという行動に出たのでした。

その提案を実践するまでの私とって引っ越しは、『やりたくても、出来ないもの、やってはいけないこと』になっていたようです。しかし、『いつになるか分からないけど、引っ越しをする』という自分の欲しい状況を選択肢にくわえることで『引越しをしたい』思いと『家を出ること』に許可を下ろすことが出来たように思います。

おかげさまで、引っ越しは滞りなく進み、新しい生活を無事始めることが出来ました。
心理学を学ぶ環境とカウンセリングのできる環境を手にしたのでした。おまけに、この決断をきっかけに、終わりの見えなかった両親たちの冷戦は終わりをつげ、お互いそれぞれの道を歩くことが決まったのでした。

結果的に引越しは出来たわけですから、引越しは『出来ないこと』ではなく、『出来ないと感じていたこと』だったんですね。
選択肢一つを加えることが、変化し難いと思っていた状況をこんなに変化させるとは思いもよりませんでした。
私たちは、自分が信じている見えないルールの中で生活しているのかもしれませんね。
そんなとき、自分の外にあるものを選択肢に加えることが、今ある制限を越えるのに一役買ってくれたそんな出来事でした。

宮本恵のプロフィールへ>>>

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2010年3月 9日

自分を表現することへの怖れ

『自分を表現する』

これは、今年の私の目標・テーマのひとつです。


これまでの人生の中で、仲良くなったお友だちによく言われることばというのがあります。

「さゆと結構仲良くなったと思うんだけどさー、あたしがさゆ自身のことを何か知ってるかって言ったら、実は何も知らない気がするんだよねぇ」

このことばを言われるたびに、「あぁ・・そうだよね」と思う自分がいました。


私はもともと、ひとの話を聴くことが好きです。

でもその反面、自分の話をすることは苦手なのです。相手から訊かれなければ、一生自分のことは話さなくても不思議じゃないくらい、苦手です。
あ、どうでもいい話は、自分からもたくさんします(^^)世の中で起こっていることとか、共通の知人の話とか、流行の話とか、おもしろかったTVの話とか。
でも、自分自身の話、とくに自分の核心に触れるような話なんて、訊かれない限り話しませんし、たぶん実際は、自分のことを訊かれないように日々立ち回っていると思います。

ひとの話を聴く=自分の話はしなくていい、私の中ではそんな図式も成り立つのかもしれません。


でも、自分のそういった部分が、夫を苦しめていたなんて、思ってもみませんでした。

夫は、本当によく話をしてくれるひとです。しかも、サービス精神旺盛なので、必ず相手を笑わせようとしたり、身振り手振りも大きくてわかりやすいです。よく話が尽きないな~と思うくらい話し続けますし、どれだけ雑学知ってるの?っていうくらい、話のネタ自体もたくさん持っているのです。

そんな夫なので、夫といると、私はすごく楽で安心でたのしいです。ひとの話を聴くのが大好きな私にとっては、まさに理想の相手です(^^)
普段私は、周りに質問とか、話をふったりして、自分に話が向かないようにしている節があるのですが、夫の前ではそんなことをしなくても夫が話し続けるので、とてもたのしかったですし、すごく気が楽にいれました。

けれど唯一、夫が私に突っ込んでくるときがあります。
それはケンカをしたときです。とは言っても、私が一方的に怒ることが多いのですけれど。
夫は、私が怒った理由がわかれば解決できる、と思って、「どうして怒ってるの?」「なにがきっかけで?」と訊いてくれるんですが、私は自分の気持ちをうまくことばにすることが出来なくて、沈黙してしまいます。しばらくすると、夫は先に謝ってくれるので、それで仲直りする、というパターンを長く続けてきました。

しかし、あるとき私の先生から指摘を受けます。

「あなたは、そうやって自分の(ネガティブな)気持ちを彼に察してもらうことで愛を感じているのかもしれないけど、彼にとってはものすごくしんどいことだよ。自分の気持ちは自分のことばで伝えなさい。言わなきゃ、わからないんだよ」

言わなきゃ、わからない。とってもシンプル、かつ明確なことばでした。頭ではわかっていたことでしたが、私できてなかったんだなぁ・・と、初めて腑に落ちた感覚がありました。

夫は、私が怒ったり、私の機嫌が悪くなったりすると、その分だけ自分のテンションをあげてきます。それが、怒っているときの私にとっては、うざっ、と感じることもありました。
でも、そうやってふたりの空気のバランスをとろうと、夫は夫なりの方法でがんばっていてくれたんだなぁ・・と、そのとき気がつきました。
そうやって考えてみると、怒っている理由も言わない私に、よく毎回謝ってくれるよなぁ・・とか、理由がわからないままだから気になるだろうに、よく訊き返してこないよなぁ・・なんて、夫のすごいところがどんどん見えてきたのでした。そうやって私を大切にしてくれている、尊重してくれていることに、気づくことができました。


じゃあ、そんな夫に対して、御礼・恩返しも含めて、今これから私ができることは?

そう考えて出てきた応えは、『自分の気持ちをことばにして、相手に向かって、相手が理解しやすいように表現すること』だったのです。

そしてこれが、めでたく今年の目標になりました。


目標にしたからには、チャレンジ・達成したいものです。
チャンスはさっそくやってきました。先月のバレンタインデーにチャンスは訪れました^^

毎年チョコは作っているのですが、最近はそれにプラスしてサプライズをしています。
今年のサプライズは何にしようかな・・?と考えたときに、「あ、気持ちをことばで伝えることにチャレンジしよう」、そう思いました。

私は毎年、チョコといっしょに、お手紙を書いて渡します。。
なぜお手紙を書くかというと、日ごろの感謝と愛を伝えたくて書くわけですが、もうひとつの大きな理由は、直接言うのは恥ずかしいから、だったのです。
その恥ずかしさをこえて、ことばで直接伝えよう、そう思いました。
普段の私はこういうことをしないということを、誰よりも夫が一番知っているので、夫にとってはサプライズになるかなぁ、と思ったわけです(^^)

バレンタインデー当日、チョコを渡すときにはやっぱりまだ恥ずかしくて言えず・・^^;
夜いっしょに眠るときに、電気を消した後で、やっと「今ならいけるかも!」と思えて、話し始めました。
そしたら驚いたことに、話してるうちに私は泣き出していて(!)、「あぁ。こんなに自分の気持ちを表現するということが怖かったんだなぁ・・」と、チャレンジして初めて実感したのでした。
夫はそんな私の気持ちをわかってくれたのか、ずっとやさしい目で、何も言わずに(普段はしゃべりまくる人が!)ずっと「うんうん^^」と聴いてくれました。頭までなでてくれて、それに私は安心し、たどたどしいながらも最後まで、自分の気持ちをお話することができたのです。


自分を表現する、ということが、私にとってはものすごく怖いことだったということ、でもそれにチャレンジして受け入れてもらったときに、あたたかい安心感に包まれ、お互いの絆がより深まると感じられたこと、これらがチャレンジした後の大きな収穫となりました。
それはそれは、とてもしあわせな気持ちでいっぱいになったのです(*^^*)

これからも、夫に自己表現し続けること(今度はできたら明るい場所で^^笑)、そして徐々に夫以外のひと(ハードルが低い順で、仲良しのお友だちとかから)に対しても自分を表現できるように、少しずつチャレンジを続けていきたいなぁ、と思っている今日この頃なのでした。


投稿者 cseditor : 00:00 | コメント (17)

2010年3月 2日

過去を抱きしめる ~私の頭の中の消しゴム~

先日、「私の頭の中の消しゴム」という韓国映画を見ました。
ご存知の方もいらっしゃると思いますが、主人公が若年型アルツハイマーにかかり、過去の記憶がなくなっていくというものです。
ストーリー自体は、パートナーとの記憶が薄れていくという、極めて感傷的なラブストーリーになっていますが、それ以外にも奥の深いメッセージがいくつもこめられていました。


物語の中では、彼が自分を棄てた母親に対する怒りを表現するシーンが出てきます。
そこで、彼女が「許し」ということについて語っているのですが、それがとても分かりやすい気がしました。
ちなみに、心理学でいう「許し」というのは、自分がひどいことをされたり、苦しんでもいいと認めることではありません。
相手を憎む気持ちの束縛から、自分の心を解放することなんですね。


彼は建築家、彼女は代々伝わる建築企業の娘なので、語られているメタファーも建築に関しする表現でした。
母親に棄てられた怒りで自分を傷つける彼に対して、彼女は、
「許しは、心の部屋をひとつ空けること」
と伝えます。
「あなたは、大事な心の家を、そんなに憎んでいるひとに渡して、家の外でブルブル震えているのよ」


もし、「許せない」と思うひとがいたとしたら、私たちはそのひとたちのことを思うたび、嫌な気持ちになりますよね。
そして、自分の心というとても大切な部分を、その嫌なひとのために明け渡している、というのです。
嫌なひとのために、大切な心の一部あげてしまうくらいなら、こんな気持ちは手放せたほうがいいですよね。


「許しとは、心の一部屋を空けるだけなのよ」
相手に何かをするのではなく、自分の心を自分のために取り戻すということ、これができたら、ずいぶんと私たちの人生は楽になるのではないでしょうか。
何より、こだわっているのは自分であり、苦しんでいるのは自分なのですから。
許しとは、心の部屋に閉じ込めてしまった嫌な感情を手放し、自分の心の部屋を自分のために取り戻すことでもあると思うのです。
それは自分を解放すること、つまり自分を許すことでもありますね。


物語は進み、主人公は若年型のアルツハイマーだと診断され、記憶が少しずつなくなり始めます。
もし、私が自分の記憶が薄れてしまうとしたら。


生きていれば、忘れたいことや、なかったことにしたいこと、身を切るような思いも、胸がつぶれるような記憶も、たくさんあるけれど、それらを失うということは、やっぱりせつないと感じました。
楽しく誇らしい過去はもちろんのこと、つらい過去も、やっぱり自分の一部ですよね。
この経験があるから、今の自分がある。


実は、私たちのほとんどが、過去に生きています。
なぜなら、過去の延長線上に未来を見るからです。
過去に愛されなかったと感じるひとは、未来も愛されないのではないかと恐れます。
過去に裏切られたひとは、未来もそうなりたくないがゆえに、防衛します。
若さゆえに愛されてきたと感じるなら、若さの代わりを手に入れようとするでしょう。
私たちは、意識するしないに関わらず、どこかで過去の経験にこだわって生きているのです。
それは、どこかで自分の過去を消化しきれていない部分、過去の自分を許していない、過去を認めたくない部分でもあります。


自分の過去を許すこと、それは過去をもう一度抱きしめてあげることかもしれません。
許せないこと、後悔していること、ああだったらよかったと思うこと、そんなふうに思うとき、私たちは心の大切な部屋を、自分が消化しきれていない過去で埋めています。
その過去を抱きしめてあげられたとき、過去にこだわらなくなった度合いだけ自然と部屋が空いてゆくでしょう。
そのとき、ようやく過去にこだわらない、全く新しい未来が開けてくるに違いありません。


あなたの心の部屋にあるもので、今はもう、必要のないものを手放してゆきませんか。
空きができたら、あなたは何でその部屋を満たしたいですか。


投稿者 cseditor : 00:00 | コメント (4)