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2009年8月25日

非日常の中で見つけた大切なもの

みなさんは“お誕生日”っていうと、どんなことを連想しますか?

私は、30代最後のお誕生日を迎えるにあたって、自分にこんな質問をしてみました。
「もし神様が、何でもいいよって言ってくれたら、今年のお誕生日はどんな風に過ごしたい?」

そして、でてきた答えは
「1泊2日でいいから、自分のためだけに使える、自由な時間が欲しい」
「その自由な時間で何がしたい?」
「自然がいっぱい感じられる場所で旅行がしたい!」
ということで、お誕生日に長野県の戸隠に、一人旅行にいってきました。

どうしてそんな希望が出てきたのか、それは「今の生活が嫌になったから」というわけではなく、「自分にとって何が当たり前になっているのか」知りたかったし、「より明確な人生のビジョンを描きたい」と思っていたから。

このように、私はときどき、自分の当たり前になっている日常を飛び出して“それを見る”というプロセスを、趣味のような感覚でやるのが好きなんですね。

「本当に?」という疑問が、自分の中から湧きあがったとき、それを証明せざるを得ない衝動に駆られてしまう。

最近は、仕事やプライベートでも泊まりで出かけることが少なくないけれど、自分にも家族やまわりの人にも、意識的に許可をいただいて、純粋に自分のためだけに、自由に選んで、自由な時間を過ごすというのは、はじめての経験です。


見慣れたはずの、上信越自動車道の群馬から長野に抜ける、いくつものトンネルは、まるでタイムマシーンに乗って時空感を移動しているような、不思議な感覚に包まれながらのドライブの始まりです。

群馬県も長野県も同じように自然の多いところなのですが、道路わきに立つ、白樺の木々が「あぁ~、ここは長野なんだな」と実感させてくれます。

そういえば、亡くなった父がよく「白樺~青空~南風♪」と、“北国の春”を口ずさんでいたけど、長野生まれの父は、この歌に自分の故郷を重ねていたんだな、なんて思い返したり。


前日までのお天気予報は「雨」でしたが、予報に反して日が差し込んだ道路には、雨水が反射して光の道のようにキラキラと輝いておりました。

その光の道を辿るように車を走らせると、2時間半ほどで戸隠の中社近くの宿に到着です。

神社にお参りにいったり、宿にも同じように一人旅で来ている人を数人見かけましたが、「こんにちは!」とだけ、お互いに挨拶。
ここは、一人旅の人にも、そっと、ありのままに居させてくれるような優しい場所なんだなという感じがしました。


夕食を済ませたあと、近くの「神告げ温泉」にほぼ貸しきり状態で入浴。
帰り道の星空がとても綺麗で、首が痛くなるくらいに夜空を見上げながら宿にたどり着くと、倒れこむように眠ってしまいました。


その日見た夢は、とても不思議な夢でした。

分娩台で息んでいる母が産もうとしているのは、どうやら私自身で、その様子を、大人になった今の私が見守っているのです。

「お父さんはどこ?」
探してみても、仕事に出かけているようで、産院にはおりません。

父も母も、お互いに再婚同士。
前の結婚で母は、数回流産の後、離婚しました。
父もまた、子供を授かることなく1度、離婚しています。

そんな父と母が出会い、結婚し、貧しい暮らしの中で、はじめて母のお腹に命が宿っているのが分かったとき、二人とも泣きながら大喜びをしている姿が一瞬垣間見えたかと思うと、次のシーンで分娩台の母が、「お父さんががんばって仕事をしてくれているのだから、この子はちゃんと、私が元気に産まなければ!」と、陣痛と格闘しているのです。

長~い、長~~い、陣痛の波。
そして、誕生シーンを見届けることなく目を覚ましました。

「あ、これは夢だったのね」
目覚めたとき、汗びっしょりの私がいました。


朝食を早々に済ませ、宿を後にして、戸隠山を映し出す、静かな湖畔の鏡池、そして、奥社を目指しました。

奥社までの参道は、車を降りて、徒歩で2km程もある長い道のりです。
最初はなだらかな一直線の道から、だんだんと足場の悪い急な山の道になっていて、次第に息があがっていきます。
苦しくて苦しくて、「もうダメ!死ぬ~!!」と思いながらも、その様子は、まるで、産道を通り抜ける赤子のようでもあります。

「あと少し!がんばれ!」見知らぬ人に声を掛けられながら、やっとの思いで頂上の奥社の前まで登ると、急に視界が開けて、今までの苦しみをすべて忘れてしまうかのような開放感です。

まるで、生きながらにして、再び生まれたかのような喜びがこみあげてきました。
時計を見ると、誕生日の推定誕生時刻とほぼ同じ時間!(驚)

奥社からの帰り道は、生まれてから、今日まで、これまであまり思い出したこともなかった思い出シーンが走馬灯のように頭の片隅に映し出されました。

「あ~、ずっと忘れてたけど、そういえば、そんなこともあったよな」
改めて、思い出から受け取ったのは、「今こうして私が生きていられるのは、本当にいろんな人との出会いと、いろんな出来事から学び、成長してこれたからなんだな」
そんな感謝の気持ちと実感がこみ上げてきました。

参道を半分くらい折り返してきたところで、同じ宿に同じく一人旅で来ていた女性と遭遇。

宿ではほとんど会話することもなかったけれど、この日、この場所での再会がまるで運命の示し合わせのような親近感を感じて、すぐに連絡先を交換しました。
(その後、電話で交わした会話の中で、そのシンクロニシティーの意味することが何だったのかすぐに分かり、新たなご縁の始まりを実感することができたのでした)

奥社をあとに、気の赴くまま、いくつかのスポットや温泉を楽しみながら、再び上信越自動車道のトンネルを進んで行くと、リアルな日常が近づいて来るようでもありました。

早く帰りたくて仕方がない!というのは、私の人生に登場してくれている家族や仲間に、早く会いに行きたい感覚とどこか似ていました。


思い描いた未来を現実化するのは、いま何をすべきかをビジョンが教えてくれます。

ビジョンは心であり、体験です。
私たちがビジョンを選ぶとき、必然的に愛を選んでいるからなんだと思います。

あとは、ビジョンの方へ現実を引き寄せる、自分らしい行動や態度を示すこと。これが夢や希望を実現するコツなんですね。

そこにはもう、怖れや不安、疑いの余地のないものになっています。


人間というのは知らず知らずのうちに安定を求めてしまう生き物です。
ちょっとでも気を抜くと、変化を怖れ、今いる場所に安住してしまうのです。

平和的な安心感が悪いわけではありませんが、変化の流れの中で生きる私たちが、心の世界でいうところの同じ場所にい続ける限り、人間は成長できません。
また、思い描いて待っているだけでは、永遠にそのときは訪れないのです。

成長するためには、どうしても、今いる場所を飛び出す必要があります。

ですから私は、生活している中で、何かの節目に普段とは違う場所にいってみようと意識してしまうのかもしれません。

今回の「非日常の中で見つけた大切なもの」とは、当たり前の日常の当たり前でない喜びと感謝の気持ち、そして、新たなビジョンの始まりでした。

そして、過干渉気味でうっとおしく思っていた母に対する新たな理解と関わり方の変化が、いまの私にとっての大きな大きなギフトでした☆彡


熊谷佐知恵のプロフィールへ>>>

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2009年8月18日

田んぼの中の小宇宙

 お盆の時期、普段忘れてしまいがちなご先祖様のことを考えた方も多いのではないでしょうか。

 この間親戚が集まった時に、母方の祖母の実家の話になりました。母からその家が岩手県にあることだけは聞いていましたが、具体的なことは母も覚えていませんでした。ところが、母の実家を継いだ叔父は今でも連絡を取り合っているそうで、必要があれば紹介すると言ってくれました。「ご先祖様探し」がしたかったわけではないのですが、ふとした会話から自分のルーツをたどる術がみつかりました。知りたいことを口に出して聞いてみると、意外にあっさり解決することもあるようです。

 実は、岩手県とはご縁があって、15年ほど前から年に数回訪れ続けてきた場所があります。その場所は、昨年6月の岩手・宮城内陸地震の震源地近く、一関市のとある農村地区にあります。長年通い続けて、地元の皆さんとはすっかり親しくなりました。ありがたいことに、いろいろ教えていただいている古老の方々には、まるで孫のようにかわいがっていただいています。今では私にとって第二の故郷のような場所です。

 祖母の実家は、なんとその場所のすぐ近くにありました。これまで第二の故郷でほっと落ち着くのは、自然の豊かさゆえだと思っていました。自分に関わりがあると知ると、更に親近感が増してくるから不思議なものです。もしDNAに記憶があるのならば、その記憶が懐かしさを感じているのかもしれないなどと考え、居心地のよさが妙に納得できたのでした。

 数年前からその第二の故郷で人力による田植え・稲刈りを体験しています。最初のころは慣れない農作業で、たどたどしい足どりは地元の皆さんも大笑いするほどでした。実際に経験してみるとわかると思いますが、田んぼの中をまっすぐ歩くことは結構難しいのです。最近はようやくコツがわかってきて、周りの景色をみる余裕も出てきました。

 今年は5月に田植えをしました。裸足で田んぼに入り、泥の感触を楽しんできました。同じ一枚の田んぼの中でも、サラサラとした泥のところ、膝まで埋もれてしまう泥の深いところ、小石がいくつも混じっていて歩くとゴツゴツするところなど、たくさんの表情がありました。そして、土の状態だけではなく、用水路から水を取り入れる水口近くは水温が低いこと、陽が落ちると真っ先に日陰になるところは急に温度が下がることなども体感してきました。

 もしこれらの環境が稲たちに影響するとしたら、と想像してみました。水口近くの稲たちは冷たさに耐えて我慢強く、日当たりがよく水が温んだ地点の稲たちは大らかにのびのびと、そんな育ち方の違いをするのでしょうか。夏になると、すっかり成長した稲たちはそれぞれの背丈も異なり、緑の濃さも一様ではありません。稲穂が実る頃には、一株の稲の中でも実の入り方に差異が出ていることでしょう。

 こうしてみると、一枚の田んぼの中にも小さな宇宙があるような気がします。厳密に味わえば、お米一粒にも個性があって、それぞれ味が違うのでしょう。ひとりひとりが違う私たちと同じなのかもしれません。

 お米たちが同じお釜で炊かれたら、水分をもっているものがみずみずしさを出し、粘りをもっているものが粘り気を出し、お互いを補いあいながら、それぞれの味をひきたてあって一膳のご飯になっていくのでしょう。たぶんお米たちは「アイツの方がオレより艶々している」と比べたり「ワタシには甘味が足りない」と嘆いたりすることはしないのだろうと思います。人間関係でも、お互いが得意な部分で能力を発揮して、苦手な部分を助けあえたら、一膳のご飯のような調和がとれるのかもしれません。

 今年の収穫は、来月末ごろを予定しています。田んぼの中の小さな宇宙は、秋には何を気づかせてくれるのでしょう。元気なお米に育ってくれますように。
 稲刈りの時に都合がつけば、祖母の実家も訪問してみようかと思っています。

 最後まで読んでいただきありがとうございました。


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2009年8月11日

山中の集落の駐在さん

ちょっと前の事ですが、何気なく見ていたニュースで、
田舎の駐在さんが定年退職する、という話に思わず見入ってしまいました。
そこは、京都市の久多という集落です。

私は以前バイクが好きで、よく京都の山中をツーリングをしていました。
特に、この久多という集落は気になっていて、何度か通りかかりました。
路線バスも通らず、週に1回街から来る生活物資の車が頼り。
通り抜ける府道も狭く、冬は西側の峠は閉ざされるという場所。
京都市内なのにスキー場がある集落から、さらに峠越えをしたところにあります。
そんな山深い集落で、みなさんよく生活されているなぁ、
久多を通るたびに、人間の生活力のすごさに感動したものです。

駐在さんは、昔は交通課に配属され、白バイに乗るなど活躍されてましたが、
窓口業務のストレスで体調を崩してしまわれ、
最後の働き場所にと3年前にこの勤務地を希望して来られたそうです。
75才以上のお年寄りの割合が90%というこの集落に、
少しでも元気を、とがんばっていらっしゃったようです。

白バイ時代のとき、畑で農作業中に倒れてこの世を去られたお母さんが
もし生きていれば、お年寄りのみなさんと同じくらいの年齢ということもあり、
雪下ろしを手伝ったり、駐在所を開放したり、
慣れない料理をしてみなさんにお裾分けをしたり。
お年寄りのみなさんを、亡くなったお母さんと重ねていたのかもしれませんが、
その姿は、画面を通してもとても美しかったです。

いよいよ退任して久多の集落を去る日。
駐在所には、別れを惜しむ多くのお年寄りが集まってきました。
そして、みなさん駐在さんを囲んで涙を浮かべていました。
駐在さんは笑顔で、「元気で」「長生きしてください」との言葉を残して、
奥さんと共に帰路に着かれました。

その途中、集落を離れる道中の橋の上には、
手押し車を押したおばあさんがずっと待っていました。
そこでも車を停めて、おばあさんと手を取り合って・・・
ホロッとしてしまいそうなとても暖かいシーンで、
今でも強く残っている光景です。

駐在さんがご自身の挫折をバネにして、
自分なりのベストを尽くそうとされなかったら、
きっとこんな素敵なお話はなかったんでしょうね。

もちろん、しんどい時に決して無理はなさる必要はありません。
ただ、もし誰かの力になるかもって思うような状況があるならば、
自分のできる事を、できる範囲でやるという事でいいと思います。
行動することで、少なくとも今の問題を考えずに済みますし、
誰かが笑顔になることで、気付いたら自分も笑っていたりします。

自分の痛みを越えて、誰かに手を差し伸べられたら・・・。
これをいざ実践するとなると、誰だって躊躇したくなるでしょう。
それでも、人は誰かを愛する力がありますし、誰かの力になれます。
そのことは心のどこかに留めておきたいなぁって思いました。

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2009年8月 4日

めがねのこと

「3歳でめがねをかけるのかあ…」
ため息をつきながら、幼い息子の手をひいて眼科指定の眼鏡店に向かったあの日は、かれこれ4年前のことです。息子は生まれつき片目の視力の発達が悪くて、眼鏡治療をすることになったのです。

その時私の頭にあったのは、「めがねをかけるとメガネザルとか呼ばれてからかわれるだろうなあ」という思いでした。そうでなくても小柄できゃしゃな我が子。イジメのきっかけにもなりかねないのでは、と、心配でいっぱいでした。

実際、近所の悪ガキども…もとい、男の子たちには、いろいろ言われました。メガネザルはもちろん、のび太、とか、おいメガネ、とか…。

でも眼鏡治療のかいあって、息子の視力は無事に発達してきました。最初は我が子がめがねをかけることに抵抗があった私ですが、めがねのおかげで学びんだこともあったし、いろいろ面白い体験もしたなあと思っています。

息子がいまかけているめがねはすでに3個目なのですが、1個目と2個目は「めがねが目立たないように」という思いで選んだ地味なものでした。そもそも子どもの治療用めがねはデザインも少ないし、地味なものが多いのですが、その中でも特に地味なものを選びました。茶色がかった透明フレームのものでした。

でも3個目のめがねを作る頃には、「かっこいいめがねにしてあげよう」と思うようになっていて、比較的目立つ感じの、緑と青の中間色のようなミントブルーのフレームにしました。これがすごくよくて、男の子の服の色によく合うんです。緑、青、黄、白、黒、どんな色の服を着ても、めがねの色とコーディネイトしたようなちょっとおしゃれな雰囲気になるんですね。

そして3個目のめがねを使い始めるのと同時に、めがねのことでからかわれることはぐっと少なくなりました。これは心理学の法則にもあてはまっているんですよね。何事も、よくないものだと感じて隠そうとすると、逆に注目を浴びて、結果怖れていたような嫌な反応を周りの人がする。でも、「ほら見て!」というぐらい堂々とした気持ちになると、そのことで嫌な思いをすることは少なくなるし、たとえ嫌なことを言われたとしてもひどく傷つくことはなくなる、という法則です。

言い換えると、例えば自分自身が自分のめがねに対して、「めがねなんてかっこ悪いものだ」という扱いをしていたら、周りの人にも同じように扱われる、という法則ですね。自信がない状態とも言えるでしょう。

でも、自分が自分のめがねに対して「かっこいいめがねだ」という扱いをしたら、周りの人も同じように扱ってくれるし、自信がある状態なので、けなす人がいてもあまり気になることもない、ということですね。

本当に、ミントブルーのめがねにしてから、めがねのことで何かよその子どもに言われても、私は全然気にならなくなりました。「このすばらしいセンスがまだまだわからないんだな~」というぐらいの感じです。

といっても、当の息子がどう感じているかは、はっきりとはわかりません。今でもめがねのことで嫌な思いをすることは、たま~にあるようで、「オレめがね嫌やわ」と言うこともあります。夏はめがねをかけているだけでも暑いでしょうし、鼻のつけねにはめがねの重みがかかって、いつも赤くなっています。気持ち的にも、物理的にも、うっとうしい面はあると思います。

それでもめがねは大切にしているし、自分にとって必要なものなんだということはよくわかっているようです。子供なりにいろいろなことを感じて、自分の中で折り合いをつけていっているのでしょう。それはそれでいい経験だな、と思います。

他にもいろいろありました。1個目のめがねは、子どもが公園で遊んでいる時に、他の子どもとおでこをこっつんこした拍子に、真ん中でぱっきり二つに折れてしまいました。痛いのとめがねがこわれたのがショックで泣きじゃくる息子、4万円もするめがねを買い替えねばならないことをとっさに考えて、ボー然とする私。あの冬の夕方の光景は忘れられません。でも決して嫌な思い出ではないのです。どちらかというと「クスッ」となる思い出で、よくできたコメディ・タッチの映画の一場面のように心に焼き付いています。

その後作った2つ目のめがねは、ある日ちょっとはずして公園のベンチに置いたのが紛失し、1か月後ベンチ脇の砂場から出てきました。多分よそのガキんちょ…もとい、よその子が、「ちょっと困らせてやろう」ぐらいのイタズラ心で砂に埋めたのだろうと思います。まさか4万円もするめがねだとは思ってもみなかったんでしょうね…。

ちょっと腹は立ちましたが、その頃、もっとかっこいいめがねにしてあげたいな、でも高価なものをこわれてもないのに買い替えるのもなあ、と思っていた頃だったので、これも流れかな~、まあいいか~、と思ったのでした。

その後3つ目のミントブルーの枠のめがねにして、今もかけているのですが、使い終わった2つのめがねは、箱に入れて大切にしまってあります。たまに取り出して見てみると、顔につけていたものだけに、数年前の子どもの表情が昨日のことのようによみがえってきて、何ともいとおしい気分になります。

そうそう、このコラムを書くのに、めがねのことをあれこれ考えていて、そばにいた息子にふと、「前に使ってた2つのめがねはちゃんととってあるよ、お母さんの宝物やわ」と言いました。すると翌日、よその人に、「お母さんはオレの古いめがねが宝物なんやって」と嬉しそうにおしゃべりしていました。その姿を見て、私もほのぼのとしました。めがねを通して起こったいろいろなことが、親子の絆を深めてくれたようなところもあるのだと思います。

めがねって、かけないですむならそれにこしたことはないと思います。でも、めがねが私たち親子に与えてくれたギフトはとても大きいと思います。

こういうことって、他のことでもありますよね。出来事そのものは望ましいとは言い難い、でもそのことで案外、結果的にはいいことも起こっている…。人生はそんなことがけっこうあるかも知れません。

そうはいっても、心に余裕がなかったら、そんなふうにはなかなか思えないですよね。自分ばかりが不運なように感じて、イライラしたり、悲しくなったり…。私もかつてはそんな状態でした。

「ちょっとやだな~」と思うことでも、「このことにギフトがあるとしたら何だろう?」そんな視点を持つことで、気が付いていなかった「ステキなこと」を見つけることができるかもしれません。そういう「かくれたギフト」に気付くことができるようになった時、人生はぐっと豊かなものになるんだなとこの頃思います。

息子が中学生ぐらいになったら、めがねを2~3個作ってあげて、服とめがねのコーディネイトなんかもさせてあげたいな~、なんて思っています。そのことが今からとっても楽しみです。もっともその頃には、「コンタクトがいい」なんて言い出しそうですけどね。



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